酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第25話ー4

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 ――11月末。

 日に日に人格が変わっていくルフィーナの一方で、ルフィーナから嫌がらせを受け続けているベルの方は毅然としていた。

(強いな、ベルさん……)

 現在、22時過ぎの図書室の中。

 フラヴィオの膝の上にいるベルの顔を、斜め向かいの席から見つめてアラブは黙考する。

 誰かが、ベルは壮絶な過去を経験していると言っていた。

 そこから来る強さなのだろうか。

 この程度の嫌がらせなど、どうってことがないということなのだろうか。

 それとも、宰相である自覚をしかと持っているからだろうか。

 はたまた、周りを心配させないためだろうか。

 もしくは、愛されている女の余裕だろうか。

 いや、それらすべてだろうか。

(まぁ、理由は何でも良い)

 毅然としていてくれているベルの姿は、アラブにとって救いだった。

 さっきの夕餉の席で、ルフィーナの甲高い怒声が鳴り響いた――

「出て行ってください!」

 ベルに対してだった。

 先日の一件以降、フラヴィオがベルを膝の上に抱っこして食事することは無くなっていた。

 だが、ベルがフラヴィオの視線を奪うというだけで、ルフィーナは許せなくなっているようだった。

 ベルは一切動じることなく「畏まりました」と承知すると、すぐに食堂を後にした。

 そうなってはベルを姉のように慕うヴァレンティーナも出て行き、ベラドンナとアリーチェも続いた。

 ルフィーナに気を遣ったマストランジェロ一族の男たちは残ったが、アドルフォは天使たちを追って行った。

 使用人はフラヴィオたちが困らない程度に数人残り、後は全員が出て行った。

 ベルが居なくなると、ルフィーナにぱっと笑顔が戻った。

 残った一同も笑顔だったが、それは作り物だった。

 特にフラヴィオは、とても悲しそうな碧眼をしていた。

 ルフィーナの近衛として食堂の壁際に立ち、眺めていたアラブが罪の意識に苛まれていた。

 フラヴィオたちにも申し訳無かったが、何より嫌がらせを受けているベルの気持ちを考えたら土下座したい気分だった。

 ベルはきっと、とてもとても傷付いている。

 そう確信していた。

 だが、ベル本人を見つけたらどこ吹く風、もしくは歯牙にも掛けていない感じだった。

 先日アラブが贈ったキンキンキラキラの火縄銃を磨きながら、歓喜に身体を震わせていた――

「ああっ……20億!」

 予想通り、売る気らしい。

 あれから数時間たった今現在、ベルが世界地図の一点を指差しながら、凛とした宰相の顔をアラブに向けている。

「では、ここまではまだカンクロ軍は辿り着いていないのですね」

「スィー、ベルさん。奴らは必ずここで兵糧を調達するはずですから」

「そうですね。カンクロ軍の大船団が着いていたら、気付かないわけがありませんからね」

 アラブは先ほど、ベルの頼みでテレトラスポルトで他国へ行って来た。

 カンクロ軍がここカプリコルノに辿り着くまでの航路付近にある大陸の国だ。

 要は、カンクロ軍の様子や進軍状況などの偵察任務だった。

 尚、レオーネ国とヴィルジネ国の連合軍は2日前からカンクロ国に侵攻している。

「やはりカーネ・ロッソは土属性で、風を操るのは楽ではないのでしょう。風属性のガット・ティグラートのように、大型船を高速で動かすことは出来ないようです」

「そのようですね。年内にカンクロ軍が侵攻してくることは無さそうです。一応向こうにもテレトラスポルトがあるので、油断は出来ませんが」

 と、ベルが振り返ってフラヴィオを見ると、「うむ」と返って来た。

 その顔には疲れが浮かび、口からは溜め息が漏れた。

 碧眼がアラブを捕える。

「おまえ、最近いつ眠ったのだ」

 アラブは「3日前です」と答えた。

 何故なら夜になると、ルフィーナがフラヴィオとベルの部屋に行こうとするからだ。

 流石にそれはしてはならないと、アラブは夜通しでルフィーナを見張っている。

 そしてルフィーナは必ず泣き出して、こう言うのだ――

「お兄ちゃん、ベルさんが怖いよ。陛下が取られちゃうよ」

 そういった恐怖心が、ルフィーナを豹変させているのだと分かる。

 しかしルフィーナは、アラブがどんなに慰めの言葉を掛けても聞いてくれず、朝まで泣き続けることもしばしばだった。

「もう陛下の後妻になるのは止めるか?」

 見兼ねてアラブがそう言うと、ルフィーナは嫌だと言って尚のこと泣きじゃくる。

「どうしてそういうこと言うの、お兄ちゃん! お兄ちゃんまで、わたしが陛下の後妻に相応しくないって言うの! わたしは陛下が好きなのに!」

 もうただフラヴィオの愛が欲しいだけで、この国の国民を救うためという本来の目的は見失っているようにさえ見えた。

 左隣に座っているフェデリコの命令がアラブに下る。

「明日からは、午前いっぱいは睡眠を取っておけ」

「しかし、元帥閣下……」

 フェデリコの向こうに座っているアドルフォも口を開く。

「カンクロが攻めて来たときに、使い物にならないんじゃ困るぞ。おまえは戦力になるんだ。そりゃ人間より睡眠を必要としないのは分かるが、純血モストロじゃあるまいし、もう少し眠った方が良い」

 アラブが「御意」と返事をした。

 反省する。ルフィーナのことで頭が一杯で、自己管理に欠けていたかもしれない。

 少し経つと、フラヴィオから再び深い溜め息が漏れた。

 ベルの頭に、項垂れるようにして頬を摺り寄せている。

「なぁ、アモーレ……引っ越さないか? ああ、城じゃなくて部屋の話だ」

 そういう気分にもなるだろうなと、2人の向かいに座っている3人は思う。

 だって隣人がルフィーナとなっては、落ち着かなくても無理はない。

「しかし、引っ越すと言いましてもなぁ……」

 とアドルフォが4階の空き部屋を思い浮かべながら、腕組みした。

「すべて今の部屋――ベルの部屋の近辺になりますぞ、陛下。それではあまり意味が無いのでは?」

 ならばと、フェデリコがこう問うた。

「兄上、本来の寝室にはまだ戻りたくありませんか? ベルの部屋から離れてますし、周りの部屋も埋まっていますし」

 つまり、フラヴィオがヴィットーリアと共に寝起きをした部屋――国王夫妻の部屋だ。

 フラヴィオが23時にあの部屋に戻り、レット周りを囲う天蓋を開けると、いつもそこにヴィットーリアの姿があった。

 それがもう二度と無くなってしまったのだと思うと、未だ戻る勇気が湧かなかった。

 フラヴィオがベルの顔を見る。

「なぁ、アモーレ……余は23時に部屋に戻るから、それよりも必ず先に部屋で待っててくれるか? 無論、そのときに一緒に居たなら、一緒に部屋に戻れば良いが。余とそなたが別々にいたとき、必ず余よりも先に部屋で――レットで、待っててくれるか?」

 ベルが微笑する。

「スィー、フラヴィオ様」

 フラヴィオの顔にも安堵の微笑が浮かんだ。

「なら……あの部屋に戻る」

「本日からに致しますか?」

「うむ」

「畏まりました」

 と返事をしたベルの言葉に、アラブの急いた「あの」が重なった。フラヴィオの隣の席を見て、目で伝える。

 ルフィーナが来たらしい。

 フラヴィオが膝の上のベルを隣の席に移してから数秒後、図書室の扉が開かれた。

「陛下、お風呂の準備が出来ました」

 とのルフィーナの言葉に、フラヴィオは「分かった」と承知すると、ルフィーナと共に4階へと上って行った。

 フラヴィオと2人でいるときは、ルフィーナは通常通りの様子でいる。

 フラヴィオと目が合うと頬を染めて笑顔になり、その姿は純真無垢な乙女といった感じだった。

「わたしの指輪のオルキデーア石は、いつ採りに行ってくれるんですか?」

「来週には行けそうだが……先日も言った通り――」

「スィー、いいです。とりあえず求婚の言葉は無くても。ベルさんがもらったのに、わたしがもらってないのはおかしいですから、鉱山行って来てください」

「ああ……分かった。ピンクローザのオルキデーア石で良いのだな?」

 ルフィーナが「スィー!」と返事をして、フラヴィオの隣を飛び跳ねるようにして付いて来る。

 4階の王侯貴族専用の浴室に辿り着くと、他の使用人の姿が無かった。こういうことは無くはないが、珍しいことだった。

 ルフィーナが脱衣所の扉に鍵を掛けると、フラヴィオがギクッとした。

 しまった――

られる…のかっ……!」

「違います!」

「優しくしてネ?」

「いや、何言ってんですかこのケダモノは!?」

 真っ赤になっているルフィーナを見ながら、やはりこういうところも変わりはないとフラヴィオは思う。

 ベルがいるときだけが豹変してしまう。

 そしてどんどん、どんどん自ら敵を増やしてしまっている。

「最近喧嘩になるんですよ、使用人の皆さんと一緒にいると」

 だからひとりでフラヴィオの入浴を手伝おうと思ったらしい。

 ようやく慣れて来た手付きで、フラヴィオの衣類を脱がしていく。

 全裸になるときは、やっぱり目を逸らして「隠してください」と言うし、湯に入ったフラヴィオの身体を擦るのも、まだ少しこわごわとしているが。

「ルフィーナ」

「す、すみませんっ…! ちゃんと擦りますっ……!」

「そうではない」

「では、前の方はご自分でお願いします」

「なんだ、他の皆は全部洗ってくれるのに」

 と口を尖らせ、渡された布で自分の身体の前の方を擦りながら、フラヴィオが話を続ける。

「余は大勢で食事をするのが好きでな」

「へぇ、そうなんですね。たしかに、ワイワイ皆で食べるのは美味しいですからね」

 そう答えてから少しして、はっとしたルフィーナが俯く。

 さっき、夕餉の席からベルを追い出してしまった。

 そしたら、そこにいた半分以上の者が出て行ってしまった。

「す、すみませんでした……」

「いや、もうしないでくれれば良い」

「じゃあ、あの……ベルさんだけ別の部屋で食事をお願い出来ませんか?」

 フラヴィオの手が止まった。

「駄目だ」

 ルフィーナの手も止まった。

「じゃあ……せめて、ベルさんの席を端っこにしてください」

「駄目だ。ベルの身分は高い」

「ベルさんは農民の生まれだと聞きました」

「余が天使に選んだ時点で貴族と並ぶかそれ以上で、さらに宰相であるベルは、本当は王女のティーナより上でも良いくらいだ。よって本来は余の右隣が妥当で、端は有り得ない」

 顔を見ていなくても、ルフィーナが泣き出したのが分かった。

「嫌なんですっ…! 陛下はベルさんが近くにいれば、ベルさんばかり見るじゃないですかっ……!」

「そんなことはない。そなたのことも見ている」

「ベルさんを見る目と、わたしを見る目が違うんですよ!」

 そう叫んだルフィーナの顔を見ると、また酷く歪んでいた。

 女の笑顔を愛するフラヴィオにとって、それはあまり美しく映らない。

「ベルさんの身分が高いって仰いますけど、わたしは次の王妃なんですよ…!? だったら、わたしのお願いを優先してくれるところじゃないんですか……!?」

 その問いに対してのフラヴィオの答えは、こうだった。

「そなたはまだ、王妃ではないだろう?」

「――」

「今のそなたがベルに命を下すのも、食事の席から追い出すことも、ベルよりも身分の高い席に着くことも、本当はおかしなことだ。宮廷の者は、そなたがベルにしてきた仕打ちを目撃している。もう町まで広まってしまっているだろう。ベルは天使というだけで国民から大切にされる存在だが、これまでその活躍を見て来た国民のベルに対する親愛は深い。ここらにしておかないと、そなたは今から国民を敵に回すことになり兼ねな――」

 フラヴィオの言葉を遮るように、ルフィーナが浴室から飛び出して行く。

「おい!」と、手を伸ばしたフラヴィオの顔が困惑していった。

「待ってくれ……自分の背中って、どうやって洗うのだ? こうか……? ううー……洗いづらいな…………ああもう、誰かー?」

 とフラヴィオが素っ裸で廊下をうろつき、家政婦長ピエトラに見つかって説教を受けている頃――


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