酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第21話ー2

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 ――ヴィットーリアが亡くなってから1年間は喪に服すことになっており、その間、毎月行われていた王侯貴族の誕生日などの祝賀パレードパラータなどは、一切開催されないことになっている。

 よって、6月のプリームラ軍元帥・侯爵アドルフォ33歳・王女ヴァレンティーナ12歳の誕生日も、7月の王太子オルランド15歳の誕生日及び成人祝賀も、宮廷でひっそりとご馳走を食べた程度だった。

 先月の国王フラヴィオ34歳の誕生日でさえ似たようなもので、約一週間前の7番目の天使ベル17歳の誕生日もほぼ同じことをして終わった。

 今月これから迎える第二王子コラード14歳の誕生日も、同様のことを予定している。

 現在、9月の半ば。

 水色の清々しい秋の空には、うろこ雲がうっすらと浮いている。

 昼餉後の裏庭に、ベルの膝枕に頬を摺り寄せて金の髪を撫でてもらい、一見寛いで見えるフラヴィオがいた。

 マサムネはあれから5度ほど早朝にヴィットーリアの墓参りに来ていて、その都度フラヴィオに言いたいことを言えないまま帰国する。

 だがもう、現在ではその胸中を皆が気付いていた。

 フラヴィオの後妻にルフィーナを、というのだ。

 フラヴィオだけは3ヶ月前から察していて、そのときからあまり穏やかな気分ではない。

(ムネよ、やはり無理がある……なんと言ったって、余はまったくもって彼女の好みではないのだ)

 その彼女――ルフィーナの好みは、心身共に強靭なアドルフォらしい。

 だから婚姻話が舞い込んだとき、実はかなり張り切ったんですよー、なんて先日話していた。

 活を入れられたときから察してはいたが、フラヴィオを始め、繊細な心を持つマストランジェロ一族の男はお断りのようだ。

(宰相はなんて言うだろうか……)

 と、寝返りを打って仰向けになり、ベルの顔を見てみる。

 思案顔だ。

 マサムネの2度目の墓参りのときには補佐3人も気付いて、そのときからベルが度々見せる表情だ。

 今朝はフラヴィオが起きた時から、隣にこの顔があった。

 朝餉を終え、本日はフェデリコと共に朝廷での会議を終え、フラヴィオとヴァレンティーナの相手をし、昼餉を終え、ヴァレンティーナを家庭教師の下へ送り届け、こうして現在裏庭へやってきてフラヴィオに膝枕をしているときになっても、ずっとこの顔のままだ。

 フラヴィオの声は未だに戻っていないが、訊かずともフラヴィオの『後妻』に関して考えていることは分かる。

 そこへ――

「もう、陛下ってば」

 と、突然聞こえて来たルフィーナの呆れ声に、フラヴィオの身体がぎくりとした。

 これは怒られる気がすると、思わず寝返りを打ってベルの腹部に顔を埋め、狸寝入りしてしまう。

「本当にあまあまの甘ったれですね。子供みたい」

(やっぱり怒られたのだ……)

 と、フラヴィオが悄気ると、ベルがふと思案顔でなくなった。

 ルフィーナに対し、少し強い語調で返す。

「フラヴィオ様はこれで良いのです」

「まぁ、たまには良いと思いますけどね」

 と、ルフィーナが近くのテーブルターヴォラに持って来た茶を置いたあと、椅子に座った。

「でも、3ヵ月以上見て来て思いましたが、カプリコルノ陛下の場合は周りが甘やかしすぎのような気がします」

「そんなことはありません」

「そうですか? あのようなことが起こったのは、それも原因だとわたしは思います。日頃から厳しい環境にいる人は強いですからね。比べて、陛下ときたら――」

「これで良いのです」

 ルフィーナの言葉を遮った2度目のその台詞と共に、それまでフラヴィオの髪を優しく撫でていた手が止まる。

 不穏な空気が流れ始め、フラヴィオの額に汗が滲み始めた。

 今、目を開けて顔を上げたら、そこに処刑天使が降臨している気がする。

 ルフィーナが溜め息を吐いた。

「ベルさんを始め、周りの皆さんが日頃から甘やかしているから、陛下は辛いときに楽な方へと逃げようとするんですよ。わたしがあのとき、一国民から見た正直な厳しい意見で陛下を責めなかったら、自害を止めることは出来なかったと思いませんか?」

「そうですね、ありがとうございますルフィーナさん。あのときのことは、本当に感謝してもし切れません」

 と返したベルが、「しかし」と語気鋭く続ける。

「ルフィーナさん、フラヴィオ様に対してもう少しご配慮いただけませんか? 口が正直でどうしようもないのは分かりましたが、もう少しフラヴィオ様の立場に立って意見を仰ってください。国王陛下だって人間なのですから」

「ベルさん、国民に対してもう少しご配慮いただけませんか? カプリコルノ陛下が愛しくて溜まらないのは分かりましたが、もう少し国民の立場に立って意見を仰ってください。宰相なんですから」

 あれ、天気雨?

 いや違う、汗だ。

 このフラヴィオの頭部から溢れ出し、ベルの膝を濡らしていく。

 ついでに、

(あだだだだだ!?)

 ベルの手に髪を力いっぱい鷲掴みにされ、ハゲる覚悟を迫られる。

「認めません」

 ベルの声が、憤怒に震えたと分かった。

 ここのところ見せる思案顔になるとき、ずっとこう思っていたのかもしれない。

「私はあなたを、フラヴィオ様の『後妻』として認めることは出来ません」

「後妻?」

 と鸚鵡返しに問うたルフィーナが、「ああ」と思い出したように続ける。

「なんかマサムネ殿下、そんなこと言いたそうですよね」

「ムネ殿下が次にいらっしゃったときに、私から申し上げておきます」

 どうでも良さそうに「どうぞ」と返したルフィーナ。

「カプリコルノ陛下の後妻は、普通に考えたらベルさんがなるところかと」

 と言った後に、「あれ?」と首を傾げた。

「でも……わたしの方が適してるかもしれませんね。陛下中心のベルさんより、国民中心のわたしの方が。王妃に――カプリコルノ陛下の後妻に」

 分かった、ハゲよう。

 フラヴィオが覚悟を決めると同時に、ついにベルから怒声が上がる。

「認めません! 私はあなたのような方を、フラヴィオ様の後妻になど認められません! 王妃陛下や私と同じくらいフラヴィオ様を愛せない方は、皆却下致します!」

「どうしてベルさんの許可がいるんです?」

「私がフラヴィオ様をお支えするよう、王妃陛下直々に申し付かったからです! また天使軍の元帥としても、私にはフラヴィオ様の幸せを守る義務がございます!」

「そうですか。まぁでも、安心してくださいベルさん。先日も言いましたけど、わたしの好みの男性はアドルフォ閣下なので」

 と照れ臭そうに頬を染めたルフィーナが、フラヴィオを見て唸る。

「陛下は…………ちょっと嫌です」

 はい、ハゲまーす。

 ベルの手にフラヴィオの髪がブチ抜かれようか寸前――

「ルフィーナさーん、ちょっと手伝ってー!」

 使用人の声が聞こえて来た。

 ルフィーナは「はいスィー」と返事をすると、ベルとフラヴィオに会釈をしてからその場を去って行った。

(た…助かった……)

 ハゲてない。

 狸寝入りを止め、目を開けて仰向けになる。

 剥れていると分かるベルの顔があった。

 栗色の瞳に、じわじわと涙が浮かんでいく。

「ルフィーナさんは無礼ですっ……!」

 我ながら愛されてるな、と思ったフラヴィオの顔に微笑が浮かぶ。

 ルフィーナの正直すぎる言葉にはフラヴィオ自身も傷付いたが、ベルはもっと胸を痛めていた。

(ベル……)

 手を伸ばし、その柔らかな髪を撫でて宥める。

 さっき、このフラヴィオの『後妻』になる者の条件を出していたが、それはきっと何よりも難しい。

 もうこの世に、ベルと同じくらい愛してくれる者などいないと言っても、きっと過言ではない故に。

 今後どんな関係になろうと、今と変わらずベルが一番愛してくれることは分かる。

 だが、宰相であるベルがどの選択肢を選ぶのかは、フラヴィオにも分からなかった。

 止むを得ず、マサムネに従ってルフィーナを後妻にすべきだという結論に至る可能性もなくはない。

 または、別のメッゾサングエを選ぶことにするのかもしれない。

 フェデリコ・アドルフォの意見もあるし、他にも複数の選択肢があることだろう。

(その中に、そなたが余の妻になってくれるという道はあるのか……?)

 ヴィットーリアの生前は、きっと無いに等しかった。

 何故ならベルの中で、フラヴィオの妻はずっとヴィットーリア一択だった。

 ヴィットーリア直々にフラヴィオの側室になるよう言われたこともあるようだが、ベルはやはり自身は相応しくないと思っていたようだった。

「フラヴィオ様……」

 栗色の瞳が揺れ動く。

 その理由は、このフラヴィオの顔に憂色が浮かんだからだろう。

 慰撫するように、頭を抱き締められる。

 ベルはきっと、フラヴィオがルフィーナの言葉に傷付いたのだと思った。

 だが、そうじゃない。

 声が無くて良かったような、もどかしいような、複雑な気分が胸中を渦巻く。

(余は、そなたに妻になって欲しい)

 今後『後妻』を選べと言われたとき、自然とフラヴィオの頭に浮かぶのはベルだった。

 これから後妻になるかもしれないメッゾサングエを愛せるかどうかは不安ばかりだが、ベルが妻なら愛することが出来る。

 だってもう、愛しているのだから。

 しかし今現在、声に出してはいけない願望だった。

 二度と同じ過ちを繰り返さないためには、私情を捨てる必要があることは分かっている。

 胸が苦しくなって、尚のこと声が喉の奥へと詰まっていく感覚がする。

(ベル……)

 その頭を引き寄せてキスバーチョをした。

 初めてバーチョしたときは腰を抜かしたベルだが、いつからかすっかり慣れ切っていた。

 だから今も、いつも通りだろうと思っていたのだろう。

 だが、フラヴィオが唇を離されてもまたすぐに奪い、いつまでも逃げを許さないでいると、動揺したのがわかった。

 やっぱり声が出なくて良かったと思う。

 この台詞もまた、口に出してはいけないものだった。

(余の妻になりたいと、言ってくれ……)

 ――先ほど使用人に呼ばれたルフィーナは、1階にある客間に呼ばれていた。

 3人の使用人が目前に立っている。

「何をお手伝いしましょうか、先輩?」

 と笑顔で訊ねたルフィーナに返ってきたのは、怒号と平手打ちだった。



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