酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第20話ー5

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(済まなかった、ヴィットーリア……)

 霊廟にやって来てから一週間。

 フラヴィオが立ち上がっていた。

 固形物はまだ喉を通らず、身体はすっかり痩せ細ったが、生気はそれなりに戻っている。

(そなたにしっかりしろと、生きろと言われたのに、余はそなたの後を追おうとした)

 以前、もし500年近く前のかのレオーネ国王のような目に遭ってしまったとき、無責任な国王にならぬよう真似はしないと、ヴィットーリアの前で口に出して言ったことだってある。

 でも、実際に遭ってみたらまるで出来なかった。

 かのレオーネ国王と、同じ道を進もうとした。

 己の弱さを、改めて認識した。

(余はそなたの死を受け入れられず、負の感情に陥ってしまった。国王であることも、そなたが残してくれた子供たちの父親であることも、守らなければならない天使たちがいることも、何もかも忘れてしまっていただけでなく、独りなのだと勘違いして殻に閉じこもる始末だった)

 ヴィットーリアの柩を見下ろしながら、フラヴィオの碧眼から涙が零れる。

 水分を取り始めた日から、やはり涙が出ない日は無かった。

 声もまだ、戻らない。

(もう平気だと言ったら、嘘になる。本当はまだ悲しくて、辛い。苦しい、寂しい。まだしばらく、涙は止まりそうにない。……でも)

 と、左手に少し力が入る。

 その手には、小さく華奢な手が握られていた。

 その手もまた、ぎゅっとフラヴィオの手を握る。

(そなたの言う通りだった。平気とは言えないが、余はもう、大丈夫だ……ちゃんと生きられる。すぐ傍で支えてくれる者がいるのだから。それに何より、『力の王』であることを思い出した、使命を思い出した。……それから)

 近くから「あの」と声がした。

(活を入れてくれる使用人も増えて……な?)

 と、フラヴィオがつい恐る恐る見てしまうのは、小さく華奢な手の持ち主――ベルではなく。

 宮廷から飲食物や着替えをテレトラスポルトで運んで来てくれる度に、顔を合わせる新入り使用人ルフィーナ。

 以前アドルフォの側室として選ばれた彼女だが、しばらくのあいだこちらへやって来られなくなったマサムネが、この国のために送ってくれたことはベルから聞いた。

(ベルの命を救ってくれ、余の目を覚まさせてくれた彼女には、感謝してもし切れないのだが……)

 ほんの少し、苦手だった。

 彼女はガット・ティグラートの本来の性質をしっかり受け継いでいて、本当に正直に物事を申してくれる。

 そのお陰で、無責任な国王にならずに済んだのだ。

 ありがたい一方で、この一週間、一応まだ弱っている心には痛い発言も少なくなかった。

 これまで周りがフラヴィオに対して甘かったと言えばそうなのかもしれないが、その正直すぎる口によって欠点が次から次へと浮彫にされた。

 多かった。

(ちょっと怖いのだ……)

 ルフィーナが問う。

「もういいです?」

 フラヴィオが少し焦ってしまいながら頷くと、ルフィーナが霊廟の扉を開けた。

 差し込む朝日に、片目を瞑る。

「さぁ、国民がお待ちですよ、カプリコルノ陛下」

 と、ルフィーナ。

 ベルに手を引っ張られて外に出ると、辺りから「陛下!」と泣き声に近いものが聞こえて来た。

 そこに居た国民たちに囲まれ、安堵の涙を流されながら、改めてバツが悪くなる。

 声には出ないが、心の中で謝罪する。

(申し訳なかった。余はもう、大丈夫だ)

 と伝えるために、無理に笑顔を作った。

「どうぞ、陛下。ベルさんも。わたしが引きますから」

 と、ルフィーナがフラヴィオの赤の馬を引っ張ってきた。

 久しぶりの愛馬の顔を撫でてから、先にベルを抱き上げて乗せる。

 以前は生まれたての子猫程度の重さに感じていたが、痩せ細った腕には成猫くらいに感じた。

 鐙に足をかけて乗るのも、ほんの少し苦労に感じる。

(また来る)

 と霊廟の方――ヴィットーリアの眠っている方を見つめて心の中で言ったあと、ルフィーナが馬を引っ張って歩き出した。

 それは国民の姿が見える度に立ち止まり、国民が生きているフラヴィオを見て安堵する様を見る度に、嬉しそうに微笑していた。

「ルフィーナさん、本当にありがとうございました」

 と、ベルが頭を下げた。

「ルフィーナさんがいらして下さらなかったら、私は誓いも果たせぬまま毒で死んでいたり、フラヴィオ様に死なれたりで、今頃奈落の底でした」

 とベルが小さな拳で涙を拭う。

(す、済まなかった)

 とフラヴィオがもう何十回も心の中で言っている言葉を繰り返す一方、ルフィーナが「いえいえ」と明るい声を返した。

「わたしも助かりました。ベルさんが、カプリコルノ陛下にとって大切な方で良かったです。そうでなかったら、あのときカプリコルノ陛下を止めることは出来なかったかもしれません」

 それを聞いたベルが、少しのあいだ黙考した。

「もしかしてルフィーナさんは、ただ正直な言葉を並べたというわけではなく、フラヴィオ様を救って下さるために……?」

「そうですね、それもあります。カプリコルノ陛下を、というよりは、カプリコルノ国民を、の方が正しいですが。わたしの想像とは違い、か弱い『力の王』には心底愕然としてしまいましたが、カプリコルノ陛下が世界各国の陛下の中でも善良であることはたしかですから」

 どうしてそう思ってくれたのだろう。

 と、レオーネ国民――他国民であるルフィーナに対して、フラヴィオがそう疑問に思ったとき、その声が聞こえたかのようにルフィーナが振り返った。

 そして答えを口にする

「カプリコルノ国民を見ていれば分かります。この国はレオーネ国から遠いのでそんなに頻繁には来られないのですが、来る度にいつも思っていました。なんて笑顔の多い国だろうって。それは陛下が国民想いじゃないと、難しいことですから」

 ベルが「そういえば」と思い出す。

「ルフィーナさんて、旅商人でしたね」

はいスィー、テレトラスポルト旅商人です」

「本当にただの旅商人なのですか?」

 フラヴィオも少し疑問に思ったことを、ベルが問うた。

 フラヴィオは昔、彼女とその母親から商品を買ったことがあることから、疑っているわけではないが。

「そうですよ。テレトラスポルトで各国に商売に行くんです。時には危険も伴いますが、楽しい仕事です」

「ふむ……。では、人などを除き、この世で何よりも好きなもの、愛するものは何ですか?」

「お金です」

「私もです」

 共通点があるらしい。

 ベルが少し興奮した様子でフラヴィオの顔を見た。

「彼女は疑う余地なく、商人です」

(ああそう……)

 ルフィーナは、近くに国民の姿がないとテレトラスポルトで移動した。

 また国民の姿が見えてくると馬を引っ張って歩き、フラヴィオに寄って来た国民のために馬を止める。

 その繰り返しで、王都オルキデーアへと向かって行った。

 宮廷が近付くにつれ、ふとフラヴィオに不安がよぎる。

(皆は、余を待っていてくれているのだろうか……)

 ヴィットーリアが亡くなった直後から2、3日の記憶があやふやだった。

 でも、このフラヴィオを必死に助けようとしてくれた皆に対し、恩を感じるどころか、意地悪されている感覚に陥り、仇で返すようなことをしてしまったのは覚えている。

 大切な弟や親友に至っては、殴り付けてしまったのだ。

 ちょっとした喧嘩のときのようなものではなく、全身全霊を込めて殴ったのだ。

 子供たちや天使たち、使用人たちだって、どう思っただろう。

 こんなにも弱い男だったのかと、呆れてしまっただろうか。

 幻滅してしまっただろうか。

 ベル以外の皆との絆がもう、断ち切れてしまったように思えてならない。

「宮廷に着くの、夕方になっちゃいそうですねぇ」

 と、どこか嬉しそうなルフィーナ。

 王都オルキデーアの外に広がる農村に入ってからあまり馬が進まなくなり、市壁の南門からオルキデーアの中央通りに入ると、もっと馬が進まなくなる。

 国民が次から次へと押し寄せて来て、フラヴィオを出迎えてくれるからだ。

(ありがとう、皆。本当に、申し訳なかった)

 と心の中で感謝と謝罪を繰り返しながら、ゆっくり、ゆっくりと宮廷へと返っていく。

 中央通りの最北までやって来たときには、ルフィーナの予想通り夕刻になっていた。

 宮廷へと続く緩やかな上り坂に差し掛かると、訓練中の兵士たちの威勢の良い声が聞こえてくる。

 ルフィーナが「そういえば」とフラヴィオを見た。

「兵士の皆さんたち、今こそ陛下を守るときだって、気合入れて鍛錬してますよ。終了時間も1時間伸ばしてるみたいですし」

 胸が詰まる。

 共に戦場で戦う兵士だって、本当は『力の王』である自身が守らなければならないものなのだ。

 坂を上り切って大手門を潜ると、そこにある『下の中庭』で武術の鍛錬中だった民兵たちが、「陛下!」と喚声を上げて駆け寄って来る。

 ルフィーナが「馬を置いてきます」と言ったので、フラヴィオとベルが下馬した。

 兵士たちの涙と笑顔を見回しながら、心の中で感謝の言葉を繰り返す。

(ありがとう。ありがとう、おまえたち。余はもう、大丈夫だからな)

『下の中庭』が騒がしいことに気付いたフェデリコとアドルフォ、子供たちが『中の中庭』から駆けて来る。

 宮廷の中からは、ベル以外の天使たちや、使用人たちが雪崩出て来た。

「父上っ!」

 ヴァレンティーナが泣き叫びながら疾走して来て、フラヴィオ目掛けて飛び跳ねる。

 その身体をしかと抱き留めたとき、たまらず涙が溢れ出てきた。

(待っていてくれたのか……)

 こんなにも弱く、情けない父親なのに。

(ありがとう、ティーナ。本当に、悪かった)

 それは天使たちや息子たち、甥姪、使用人たち、それから思い切り殴ってしまった弟と親友もだった。

 絆は断ち切られることなく、きちんと紡がれていた。

「おかえりなさい、兄上」

「待ちくたびれるとこでしたよ、陛下」

 涙の弟と、笑顔の親友の首を抱き締める。

(本当に済まなかった、おまえたち。酷いことをしてしまったのに、待っていてくれてありがとう)

 一同の顔を、じっくりと見回した。

(ただいま)

 それはやはり声には出なかったが、皆には聞こえたらしい。

 笑顔と共に、その口々から『おかえり』の言葉が返って来た。

 それを厩舎の手前から眺めていたルフィーナは、また嬉しそうに微笑していた。


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