酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第20話ー3

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 カプリコルノ国の宮廷オルキデーア城の1階。

 厨房の中。

 王妃ヴィットーリアの葬送に参列せず、『留守番』と言って残った3人――ベルと家政婦長ピエトラ、料理長フィコがいた。

 他の皆のように悲しみで一杯で、泣きたいのは山々だが、そんな場合ではなかった。

「頑張るんだよ、ベル! きっと、もうすぐハナちゃんたちが来てくれるからね!」

「そうだ、死ぬんじゃねぇ! 俺の一番弟子! 頑張れ!」

 ベルの片足から染み込んだルーポ・ヴェレノーソの毒は、その片脚から胸の下まで紫色に染め上げていた。

 昨日の葬儀までは何とか歩けていたベルだったが、今朝になったら酷い発熱と眩暈、呼吸困難に見舞われ、片足は完全に動かすことが出来なくなった。

(王妃陛下、申し訳ございません)

 ベルの頭に、ヴィットーリアとの最期の会話が蘇る。

 あのとき、ヴィットーリアにフラヴィオを支えてくれと言われ、承知した。

 このベルが、これからもフラヴィオを支えると誓った。

 その言葉に嘘偽りはないが、豪語だったかもしれないと思う。

(どうか、私にお力添えください……!)

 肩を大きく動かして呼吸しながら、フィコにグラスビッキエーレを差し出す。

 フィコが鍋一杯に溶かした毒消し薬を求める。

 サジッターリオ国からもらったもので、モストロの毒を浄化することは出来ないが、多少進行を遅らせることは出来るようだった。

 これが無かったら、今日までは生きて来られなかったように思う。

(フラヴィオ様が、生きることを拒んでいるのです……!)

 フラヴィオの中の『女神』が、『天使』とはどれだけ別格だったかを思い知らされる。

 ベルの声も、皆の声も、フラヴィオが受け入れてくれない。

 それどころか、励ませば励ますほど、殻に閉じこもっていく。

 誰もが残酷なことをしてしまっているのだと分かったが、誰一人その願いを叶えてやろうとはしなかった。

 出来るわけがなかった。

 周りの一同も、国民も、皆が望んでいる。

 この国の国王は、フラヴィオ・マストランジェロであって欲しいのだと。

(王妃陛下、どうかお助け下さい…! お助け下さい……!)

 ベルから涙が溢れ出す。

 毒の苦しみどうこうよりも、フラヴィオを失ってしまうかもしれない恐怖で、気が狂いそうだった。

(お願い、誰か……!)

 フィコが急いでグラスビッキエーレに毒消し薬を注いでいるあいだに、ベルの叫喚が響く。

「早くしてください! フラヴィオ様は、もう3日間も水一滴すら飲んでいないのです! もう涙すら出ないほどにお身体が乾き切っているのです! これ以上は、無理にでも飲ませないと死んでしまいます!」

 きっとそれが、フラヴィオの目的だった。

 ベルの脚に毒消し薬を摺り込みながら、ピエトラがこう返した。

「あんたはもう動くんじゃない、ベル。毒が早く回って、陛下よりもあんたの方が先に死んじまうよ。こうなったら陛下に恨まれようが何されようが、閣下たちに陛下の口をこじ開けてもらってでも私が水を飲ませるから、あんたはハナちゃんたちが来るまでおとなしくしてるんだ」

 そんなこと出来るわけがないとベルが叫ぼうかとき、厨房の扉が強く叩かれた。

 狼狽した様子の女の声が聞こえてくる。

「ここですか!? ベルさんは、ここですか!?」

 誰なのか。

 聞きなれていない声のことはたしかだった。

 3人が顔を見合わせると、扉の向こうの声は続いた。

「レオーネ国王太子マサムネ殿下に雇われ、本日からここオルキデーア城の使用人に扮することになりました」

 一体、何の話だろう。

 しかし『マサムネ』と聞いたピエトラが、不審に思いながらもそっと扉を開ける。

 赤い巻き髪に、若草色の瞳。20代前半くらいの、整った顔立ちの女が立っていた。

 レオーネ国出身のようだが、カプリコルノ語が流暢で、この近辺の国の簡素なドレスヴェスティートを着ていた。

 少なくとも、ピエトラは初対面だった。

「初めまして、わたしはルフィーナと申します。これはマサムネ殿下からのお手紙です」

 わずかだか、ベルは聞き覚えのある名前だ。

 それはピエトラに押し付けるように手紙を渡したあと、「失礼します」と言って厨房の中を覗き込んできた。

 その顔を見てベルが「あ」と思い出すと同時に、それはベルを見るなり「ヒィィィ!」と声を上げてたちまち顔色無しになった。

「死んじゃうぅぅぅぅっ!」

 と声を上げながらピエトラを押しのけ、伸ばした右手をベルの額に当てる。

 そして「クーラ!」と3回叫んだ。

 それは治癒魔法グワリーレのように光でベルの身体を包み込み、毒に侵されたベルの身体をみるみるうちに浄化していく。

 ピエトラとフィコが目を丸くして「おお!」と声を上げた。

「あんたメッゾサングエだったのかい!」

「こりゃすげぇ!」

 復活したベルが「ありがとうございます」の言葉と共に、即刻立ち上がった。

 目前のルフィーナの顔を見、焦燥のあまり口早に喋る。

「これで二度目ではありますがお久しぶりですルフィーナさん。ああ、何ということでしょう本当にありがとうございました助かりました一体なんとお礼を申し上げたらよろしいか」

「いえいえいえ! わたしは雇われただけですから、お礼ならマサムネ殿下に! ベルさんがきっと毒に掛かっていると気付いたのは、ハナさんのようでしたし」

「――ハナ……!」

 と、ベルに感涙が込み上げる。

 ベルの姿を見ていないのに、よく気付いてくれたと思う。友人への感謝の気持ちでいっぱいだった。

 そのとき、マサムネからの手紙を読んでいたピエトラが「なるほどね」と言った。

「マサムネ殿下に雇われたって、そういうことかいルフィーナさん。分かりました。あなたをサジッターリオ国出身の『人間』として、使用人に採用致します」

 と、ピエトラがベルに手紙を渡す。フィコも覗き込む。

 そこには、さっきマサムネたちが来たことや、そこで悶着があり、アヤメとムサシを含むレオーネ国のいつもの皆が、しばらくこちらへ来れなくなったことなどが書かれていた。

 それを心配したマサムネたちが、一見この周辺の『人間』に見えるガット・ティグラートのメッゾサングエであるルフィーナを、しばらくこっちに置いておくことにしたようだった。

 ピエトラが唇に人差し指を当て、ベルとフィコを見た。

「いいかい、ルフィーナさんの正体は、他の使用人や国民にバラすんじゃないよ。このことは私らと、どうやらもうルフィーナさんの顔を知っている陛下たちだけの秘密にしておくんだ。コニッリョを殺してしまったって、想像はしていたけど国民のモストロに対する恨みが尋常じゃない。使用人の中にもきっとそういう者がいるからね」

 ベルとフィコが「スィー」と返事をした。

 ルフィーナは「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 ベルが厨房の片隅に置いてある井戸水を水桶に汲みながら、口早に話す。

「おそらくフラヴィオ様は、しばらくは王妃陛下の柩の傍から離れようとはしないでしょう。その間、私が一緒にいますからピエトラ様はティーナ様の――」

「ああ」とピエトラがベルの言葉を遮った。

「分かってる。私があんたの代わりにティーナ様の侍女をやっておくから、あんたは気にしないで陛下の傍にいてやっておくれ」

「ありがとうございます。またフィコ師匠には、フラヴィオ様がいつでも食事を召しあがれるよう――」

「おう」と、今度はフィコが言葉を遮った。

「任せろい! 俺が常に陛下が食いやすいもんを作っておくぜい!」

「ありがとうございます。そしてルフィーナさんにはテレトラスポルトで――」

「はい」と、最後にルフィーナも言葉を遮った。

「お任せください! 水なり食事なり着替えなり、何でも『使用人』のわたしがお届けします!」

 ベルは「ありがとうございます」と返すと、水桶とビッキエーレを持ち、早速テレトラスポルトをお願いした。


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