酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第12話ー3

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 瞬時に息を呑み、剣を振るったリージン。

 その腕を、ハナの爪が受け止めた。

 爪を食い込ませて押さえ、小さいが鋭い猫の牙で、その右手首に噛み付く。

「ぐっ……!」と呻き声を上げたリージンが、溜まらず右手から剣を落とすと、ベルがそれをすかさず拾い上げた。

「これは切れ味の良さそうな……」

 と、一瞬使ってみようかと思ったベルだったが、あまりにも重すぎた。

 包丁とは比べ物にならないほどに、ずっしりとしている。

 気付けばすっかり疲労している現在、ただ構えることさえも容易じゃなさそうだった故、海に向かって投げ捨てておく。

 そしてまた、使い慣れている軽量の包丁を拾い上げた。

 息が切れる。

 料理長フィコ直伝の包丁技はまだあるが、どれも体力を大幅に消耗するもので、もう出来そうになかった。

「ハナ、もう終わりにしましょう」

 ハナはリージンに噛み付いたまま、2回頷いて承知した。

 それが良いと、同意の意味もあった。

 黒猫の耳には、先ほどから船倉内に落とした船員たちのこんな会話が届いていた――

「誰か登れ!」

「船長が危ねぇぞ!」

「早くしろ!」

 リージンが「離せ!」と、声を上げてハナの頭を拳で何度も殴り付ける。

 溜まらず「うっ」と牙を離したハナだったが、ここでやられる訳には行かない。

 爪を立てて押さえていたリージンの右腕を、しかと掴み直した。

 そしてその身体を背負うようにして持ち上げ、「おりゃあ!」と甲板に強く叩き付ける。

 リージンの身体が、大きく跳ね上がった。

 ハナはそのままリージンの頭の方から覆いかぶさって押さえ込み、「ベル!」と合図を出した。

 背だけでなく頭を打ち付けたらしく、意識朦朧としておとなしくしているリージンに向かい、ベルが包丁を両手で振り上げた。

 狙うは、甲板上に伸びている左腕、その手首。

「我が主の財宝、返していただきます」

 と、残りの力を込めてベルが包丁を叩き付ける。

 ベルの足が一瞬甲板から跳び上がり、包丁を持ち上げると共に血飛沫が舞った。

 朦朧とした意識から覚醒させられたリージンが、只ならぬ絶叫を上げる。

 一方、ベルの力の入らなくなった手から、使い物にならないほどにボロボロに刃こぼれした、血まみれの大型包丁が落ちていく。

 2人肩で息をしながら、リージンの首からコッラーナを取り、切り離された左手から4つの指輪を抜く。

 悶絶するリージンの耳は、短剣で削ぎ落した。

 その後2人でリージンを引きずって船倉内に落とすと、ベルの耳にも狼狽する船員たちの声が届いて来た。

「急ぎましょう、ハナ」

 削ぎ落した耳から8つもあるピアスをひとつひとつ外している時間はなく、ベルはそのまま矢筒の中に押し込んだ。

 コッラーナと4つの指輪も一緒に入れておく。

 ついでにリージンの服の中に何も無いことを確認してから、ベルは調理場になっている船倉へ、ハナはまだ見ていなかった船尾楼へと入って行く。

 調理場と家畜置き場になっている船倉は、縄梯子と船員を落とさないでおいた。

 攻撃されることも邪魔されることもなく、ベルは香辛料の入った袋を取ると、すぐさま梯子を登っていく。

 棒状の踏板を握る手には力が入らず、足は思うように上がらずで、疲労はもうすぐ限界へと到達しようとしているようだった。

 最後は這うようにして船倉から出、四つん這いになっているベルに、「おいおい」と言いながら船尾楼から戻って来たハナもまた、「おいおい」と言ったところ。

 筒状に丸めた紙を片手に、フラフラとしながらベルのところへとやって来た。

 疲労もあるが、多くの血を流したことで眩暈がした。

「よいしょっと」とベルの片腕を肩に回し、家畜のいる船倉へと飛び降りる。

 呑気にも藁をもしゃもしゃと食べていた豚と羊も一緒に連れ、ハナはやっとの思いで、すぐ近くに停泊しているハナ号へテレトラスポルトした。

 先ほど奪回したヴィルジネ国の財宝がちゃんと甲板上にあることを確認し、ハナは「よしよし」と言って残り僅かな力で風魔法を起こす。

 そして操って、ハナ号の船首をレオーネ国方向へと向け、帆の裏側に風を固定させて発進させる。

 往路のときのような風は、もう起こせそうになかった。

 ゆっくりと、ハナ号がレオーネ国へと向かって行く。

 先にへたり込んでいたベルの隣に尻を付き、徐々に離れていくリージンの大型帆船を見つめるハナから小さく溜め息が漏れた。

「結局、うちの船に来てもらって曳航……か」

 リージンの首を取って国に帰れば、手柄を立てた英雄だっただけに少し残念な気持ちと、マサムネに、また罪人を殺せなかったのかと説教されることを思うと憂鬱な気持ちで、ハナは少し沈む。

 でもその一方で安堵感の方が大きく、漏れた溜め息はその意味も含まれていた。

「――……って」

 ハナの顔色が、突如真っ白になる。

 大量に出血していなかったとしても、きっとなっていた。

「やっばいぞ、ベル……」

 リージンの船の甲板上に置かれていた2門のカノン砲カンノーネがこちらへと向き、リージンの喘ぎ喘ぎの怒声が黒猫の耳に届く――

「逃がすなっ……! 火薬を取って来い、早くしろ!」

 ひとりか複数かは分からないが、ついに船倉から抜け出した船員が出たのだと分かる。

 ハナの様子から状況を察したベルが、ふらつきながら立ち上がった――

「でしょうね」

 こうなることは分かっていたと言わんばかりの台詞を吐いたベルが、バレストラの鐙に足を引っかけた。

 ハナにも手伝ってもらって、「せーの」で一緒に弦を引き上げて引き金に引っかける。

 その後ベルは矢を設置すると、その鏃をハナに差し出した。

「この鏃に魔法の火を付けられる余裕はありますか? 小さな火でも、消えなければ良いのです」

 その程度なら、とハナは鏃に直系2cmばかりの小さな火の玉をまとわり付けた。

 ベルがこれから火矢を設置したバレストラでリージンの船を攻撃するのは分かるが、矢筒にある数本の矢でどうこうなるものじゃない。

 困惑するハナの耳に、今度はタロウの声が聞こえて来た――

「あった、ハナ号だ!」

 声の聞こえた方――進行方向――に顔を向けると、カメキチの半球状の甲羅にしがみ付いて、こちらへとやって来るその姿が見えた。

 フェデリコとマサムネもいる。

 フェデリコは『力の王』と並んで強いと称される『力の王弟』故に、助かったと思いたいところだが、カンノーネは今にも撃たれてしまいそうだった。

 しかし命中力は悪い。

 でも当たるかもしれない。

 狼狽し、フェデリコたちとリージンの船を何度も交互に見つめるハナ。

 その手前、ベルが落ち着いた様子でバレストラを構えた。

「大丈夫ですよ、ハナ。火薬庫の縄梯子も落としてきましたから、発砲までに時間が掛かります」

「そ、そうだけどっ……」

 ベルはもう一度「大丈夫です」と言うと、火矢の鏃をリージンの船の上方へと向けていった。

「天使の仕事は、国王フラヴィオ・マストランジェロ陛下を愛し、陛下の癒しとなり、陛下のためにいつまでも美しくあり、そして陛下の『助けとなること』……――」

 2人のすぐ真後ろにフェデリコたち3人が現れるや否や、びゅんと放たれた火矢。

 それはリージンの船の上方へと、虚空を切り裂き、真っ直ぐに飛んで行った。

 しかしやがて勢いを失い、弧を描くようにしてリージンの船の上に落ちていく。

 もう駄目だ、撃たれる。

 ――と思ったハナの手前、それは火薬庫となっている船倉の中に落ちていった。

 鏃が船底に刺さる威力もなく、中にいた船員と船員のあいだに落下しただけだった。

 しかし、ベルが撒いておいた火薬が白煙を上げながら瞬く間に燃え広がり、ハナ・タロウの黒猫の耳に錯乱に陥った船員たちの叫喚が聞こえてくる。

 白煙を見るなり、「伏せろ!」と声を上げたフェデリコがベルとハナを甲板に押し倒すようにして覆いかぶさり、マサムネとタロウが頭を抱えてしゃがみ込む。

 そして、白煙が大量の火薬樽を包み込んで間もなく、リージンの船が黒煙と共に大爆発を起こした。

 爆風でハナ号の速度がぐんと上がり、爆音が一同の鼓膜を突き破らんがごとく襲い掛かる。

 少しして、恐る恐る甲板から立ち上がった一同。

 炎と黒煙を紅の空に舞い上がらせ、沈没していくリージンの船を唖然と見つめる。

 その視線はやがて、7番目の天使へと移っていった――

「任務、完了」


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