酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第11話ー4

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 不気味に靡いて見える栗色の髪と黒のドレスヴェスティート

 冷酷無残な瞳に、小さな身体から溢れ出る殺気。

 その華奢な手が背面から取り出すは、斧と見まちごう大型包丁……――

「ああ……何故でしょう。私にカンクロ語は分からない……それなのに、身体の芯から漲る、この殺意……!」

 と、身体を震わせたそれは、カプリコルノ国王の7番目の天使こと、ベル。

 ホンファやその仲間の船員たちが、一斉に息を呑んで後退りしていく。

「くっ、ホンファとしたことがっ…! 『人間』と『人間風』の臭いを間違えるなんてっ……!」

 との言葉に、ハナが「えーと……」と否定に戸惑ってしまったあいだに、ホンファが船尾楼の方へと飛び跳ねて行く。

「大変だ、リージン! 大変だ! 地獄の裁判官が来た! 裁かれちゃうよ、リージン!」

 ベルがハナを見て問う。

「あれはなんと言ったのですか?」

「いやいや」

「ハナ?」

「いやいやいやいや」

 船尾楼の扉が開いた。

 酒壺片手に蹣跚まんさんと出て来た男に、ハナが小さく息を呑んだ。

 ベルの耳元で囁く。

「気を付けろ……あの男――リージンは、ちょっと強いぞ」

 ベルはリージンを見つめた。

 清潔感のない黒髪に無精髭。

 日焼けか酒か、またはそのどちらもか、顔が赤く、他の船員たちと比較すると大柄な身体をしていた。

 腰の湾曲した剣には血がこびりつき、ベルと目が合うと笑んだ口から見える黄色い歯は何本か無くなっていた。

 そして、その首に掛けられている金のネックレスコッラーナに付いている、真っ赤な大粒の石。

 紅の陽を反射し、遠くにいても眩しいほどに輝やいている。

 それは、遠目にも分かる極上の宝石――オルキデーア石だった。

「やはりそう……ですか」

 自身に漲って来る殺意の原因を、ベルは今しかと確信した。

 この船は3年前カプリコルノの商船を襲い、200人近くの商人や船員の命を奪い、財宝を略奪して逃走した海賊船なのだと。

 そしてその黒幕が、あのリージンなのだと。

「地獄の裁判官? 違うだろ、ホンファ。ありゃ、せいぜい殺人鬼だ」

「ああ、鬼なのか!」

「人間だ。度えらい可愛い顔したカプリコルノ周辺の人間の女と、レオーネの宮廷辺りで大切に育てられた猫のメスだ」

 くくく、とリージンが笑った。

 ベルとハナの頭の先から爪先を繰り返し見つめ、舌なめずりする。

「いいな……どっちも、俺が可愛がってやる」

 ホンファが衝撃を受けた様子で「えっ」と声を上げた。

「リージン! ホンファがいるじゃないか!」

「わーってんよ、ホンファ。俺が飼うのはオメェだけだ。一発可愛がったらバラして海にポイだ。特にレオーネの宮廷ガット連れてんの見られたら、溜まったもんじゃねぇからな。まぁでも、人間の女の方は乗っけといても問題ねぇか?」

 ハナが「フン!」と大きく鼻を鳴らした。

「そんなことしてみろ! この人間の女――ベルにそんなことしたら、もっとヤバイことになるからな! 本物の地獄の裁判長が、おまえを殺しにすっ飛んで来るからな! まぁ、そんなことしなくても、おまえらもう終わりだけどな!」

「な、なんだ、本物の地獄の裁判長って?」

 とホンファが戸惑い気味に訊くと、ハナが続けた。

「カプリコルノ国王フラヴィオ・マストランジェロ陛下だ! このベルは、フラヴィオ陛下の大切な7番目の天使だ!」

「て、天使……?」

 とベルを見たホンファが、3歩後退る。

「いやおま、違うだろ……」

 との突っ込みに、肯定もしなかったが否定も出来なかったハナ。

 誤魔化すように咳払いをして、リージンを指差す。

「わ、分かったら、リージン! おまえ、おとなしく――」

「おいおい……」

 声が低く響いたリージンの声が、ハナの言葉を遮った。

「レオーネの宮廷ガットだけでなく、カプリコルノの酒池肉林王の妾……だって?」

「いや、違……わないような気もするけど、今はまだ違うはず! 力の王の天使だ、天使!」

「どっちでもいい。どっちだろうと、オメェら2匹とも、余計に生かしておけねぇよ……!」

 殺気だったリージンが、手に持っていた酒壺を放り付ける。

 それはひとりの船員に当たり、そのバッリエーラを破砕しただけでなく、後頭部に当たって砕け散った。

 俯せに倒れ込んだ船員の後頭部から血が流れ出しているが、リージンは一顧だにせず。

 激昂し、震え上がっている船員たちに向かって怒鳴り散らした。

「おめぇら、さっさとそこのメス共の盾をぶっ壊しやがれ! 殺されてぇのか!」

「そーだそーだ! 早くやれやれ、ヤロウ共っー!」

 とホンファが甲高い声で続くと、残りの船員――50人弱――が、ベルとハナ目掛けて再び吶喊する。

 それと同時に前方に飛び出したハナも、先ほどと同じように敵のバッリエーラを破壊し、殴り倒していく。

 一方のベルは、右舷・前方2つの船倉の縄梯子を切り落としていった。

 先ほど確認したところ、食糧庫に入らない酒樽や帆布、錨綱などが置かれていて、財宝などは見当たらなかった。

「てめぇ、何してやがる!」

 ハナの脇を通り抜け、ひとりの船員がベルに襲い掛かる。

 バッリエーラに弾き返されてよろけ、船倉口の淵につま先立ちになり、「おっとと」と体勢を立て直そうとしている。

 その肩を、ベルがぽんと押すと中に落下していった。

 甲板と船底のあいだには、数メートルの距離がある。

 手足の骨でも折れたのか、船底に叩き付けられた船員が「ぐあぁぁぁっ」と呻き声をあげた。

 また、梯子が無くては登って来られない故に、中から怒号が響き渡って来るが、ベルは素知らぬ顔。

「ハナ、あまり多く甲板上に転がられても邪魔ですから、この中に」

「そうだな、そうしよう!」

 と、ハナがバッリエーラを破砕した敵の身体を拳や膝で宙に舞い上がらせ、肘や踵を振り下ろして船倉内に突き落としていく。

 10回掛かっているバッリエーラに守られているベルは、敵に襲い掛かられ、数枚割られながらも、ハナの作業が捗りやすいように、引き続き縄梯子を切り落としていく。

 ただし、後に香辛料を取りに向かう船倉と、連れて帰る家畜のいる船倉は除いておいた。

 船倉口で踏ん張って耐える者は、ベルに背を押されたり、腰を突かれたり、脇を擽られたりして落下していく。

「もうちょっと頑張れよ、おまえら!」

 と立腹したホンファが、先ほどハナによって倒された数十人に向かって「ピオッジャ・ディ・グワリーレ!」と魔法を唱えた。

 すると倒れている船員たちに光の雨が降り注いだ。

 外傷が治癒され、気絶していた者たちが目を覚ましていく。

「ハナ、これは? 私の痣を治してくれたグワリーレとは違うようですが」

「グワリーレは単体用、これは集団用。グワリーレの範囲版さ」

 つまり『ピオッジャ・ディ・グワリーレ』も光属性だった。

 ハナやタロウを始めとするガット・ネーロは苦手だが、風属性で不得意ということもない治癒担当のガット・ティグラートは、戦の時これを使って仲間を守るらしい。

「だからさ、カプリコルノのコニッリョは光属性だから大得意だろうし、バッリエーラは無属性だから不得意とするモストロもそんなにいないし、仲間にすることが出来たら、カプリコルノってつくづく向かうところ敵無しだよなぁ」

 と、ハナが復活したばかりの敵を次から次へと船倉内に落としていきながら、感嘆した。

「なんと素晴らしい。あとは、コニッリョにテレトラスポルトを覚えてもらえれば、最高なのですが」

 とのベルの言葉に、ハナが「そうだけどさ」と同意しながらも苦笑した。

「バッリエーラと同様、テレトラスポルトも無属性なんだ。かといって、これだけは話が別で、不得意な奴らばっかりだ。魔力が低いと近くまでしか飛べないとか、人も物も少ししか運べないとか、どっと疲れるから1日1回が限度とかそういうのもあるけど……言っただろ? 見えてない場所に移動する時は、ほんっとに高難易度なんだ」

「ふむ。ひたすら練習あるのみ、ですか。ならばコニッリョを、なるべく早く仲間にしておきたいところです」

 と言っても、フラヴィオたちの第二夫人にモストロやそのメッゾサングエを迎えるという、マサムネの計画は未だ賛同しがたく。

 やはりここは己がモストロと結婚しようかと考えてしまうベルに、ハナが胸中を読んで突っ込んだ。

「やっぱり駄目だ、ベル。あたいもベルが、ガットのオスと結婚するのは賛成できない。あたいは、友達に幸せな結婚してほしいよ」

「ハナ、私は幸せです」

「結果的にフラビーの役に立つからだろ? それは分かるけどさ……」

 と、ハナがベルを見て、溜め息交じりにこう続けた。

「フラビーが望まないことばっかしてると、フラビーに嫌われるぞ?」

 ハナのバッリエーラがもう一枚割られた。

 続いて、戸惑い「それは……」と俯いたベルのバッリエーラも一枚割られる。

 残りはハナが3枚、ベルが7枚だった。

「胸が槍に貫かれたかのような感覚を味わうと思います」

 ハナが「痛いなーソレ」と言いながら、残り少なくなった敵のバッリエーラを破壊し、船倉に落としていく。

 ベルも落ち損ないを落としていく。

「しかし、ハナ……我が国に魔法がないということは、詰まるところ、フラヴィオ様のお命にも関わっている危機だということではないのですか?」

「まぁ……極端な話、そうだよ」

「ならば私は、嫌われてでも、フラヴィオ様のお命を守らなければ」

「おい、ベル……」

 困惑し、立ち止まってベルを見つめるハナのバッリエーラがもう一枚割れる。

 あと2枚になった。

 ベルの視線は、船尾楼の戸口の前に主のリージンと並んで立っているホンファを捉えていた。

「ハナは先ほど、カーネ・ロッソの性質が私と似ていると言いました」

「うん……」

 やっぱり似ていると、ハナは改めて思った。

 ベルの主に対する想いが、あまりにも強く、大きく、深い。

 友人として精一杯応援したい一方で、友人だからこそ憂慮に堪えないものがある。

 リージンとホンファを除く残り3人の船員が、力任せに剣を振り回してベルに襲い掛かる。

 それを庇ったハナのバッリエーラが、また割れて残り1枚になった。

 ハナが、1人目を膝で蹴り上げて肘で船倉に落とし。

 続いて、2人目を上空からの踵落としで落とし。

 2人目が落ちる際に、流れ弾を食らって船倉口に倒れた3人目の腹を、ベルが踏んづけて落とす。

「ならば、ハナ……私には彼女の気持ちが少なからず分かるのです。ハナは、ただ主に忠実故に、共に死刑にされなければならない彼女を可哀想だと言いましたが……」
 
 それは逆だと、ベルは思う。

「私なら、耐えられません。もし彼女が私で、リージンがフラヴィオ様だったらと思うと、とてもではありませんが、私は耐えられません」

 ベルの脳裏に浮かぶ。

 フラヴィオがいなくなったこの世に、ひとり取り残された己。

 主を失った深い悲しみと苦痛、主を救えなかった不甲斐なさにもがき苦しみ、泣き叫んでいる。

 それは拷問か。生き地獄か。

 それ以上か。

 10年間の奴隷時代よりも、堪えがたい惨痛だった。

「そんなものを味わうくらいなら、私は主を守り切ったという達成感と幸福に包まれながら、誇らしい最期を迎えたい」

「――」

 ホンファが、残りの力すべてを使ってリージンにバッリエーラを掛けた。

 そして、言葉を失ってベルを見ているハナの、残り一枚になったバッリエーラ目掛けて突進していく――

「ネコムスメ、覚悟!」

 カーネ・ロッソは、ガット・ネーロ、ティグラートの半分の魔力しか持ち合わせていないと言っても、ただそれだけのこと。

 その運動神経や力は、あくまでも人間よりも強いモストロだ。

 勢いと渾身の力を込めて飛んできた拳は、ハナを守っていた最後の盾を、大きな音を立てて破砕した。

「――あっ……!」

 しまったと、ハナが両腕を交差して防御する。

 二撃目に飛んできたホンファの足は、ハナに当たろうか寸前。

 飛び出したベルのバッリエーラが、破砕と引き換えにするように弾き返した。

「くっ……地獄の裁判官めっ……!」

 と、ホンファが警戒して一歩後退る。

「ハナ、彼女は今なんと?」

「いやいや」

「ハナ?」

「いやいやいやいや」

 ハナは咳払いして誤魔化すと、ベルを挟んだ向こうにいるホンファを一瞥し、またベルを――その後頭部を――見た。

 黄色の瞳が動揺する。

「な…なぁ、ベル……ホンファ、殺すのか?」

「リージンの死刑は、まず免れないのですから」

 つまりそれは、『スィー』の意味だった。

 主の死刑を知る前に殺してやるのがホンファのためだと、ベルは言っている。

 ハナが困惑して言葉を返せないでいると、ベルが続けた。

「ハナは、誰かを殺したことがないのですね」

 ハナは、どきっとしてベルを見る。図星だった。

「な……なんで分かった?」

「見ていれば分かりました」

 ハナはその鋭い爪で敵のバッリエーラを破砕しても、敵を攻撃する時は拳や肘、膝、足の裏、踵などを使っていた。

 手足の鋭い爪で、敵を切り裂いてしまわぬように――殺してしまわぬようにしているのだと、ベルは気付いていた。

 ハナの声が震える。

「ご、ごめん……」

 本当は、相手に一匹でもモストロがいる場合、その場で処刑するようマサムネから言われている。

 モストロの場合は人間を連行する時のようには行かず、鎖をガチガチに巻き付けても破壊・逃走されたり、魔法を使われて関係のない人間が巻き込まれて命を落としてしまったり。

 それ以前に連行しようとしたら、バッリエーラが掛かっていて無理だったといったことが、何度かあった故に。

 また、この場で罪を犯したこの海賊一味を殺して帰れば手柄となる。

 さすればマサムネの第二夫人からは大感謝され、ヴィルジネ国からも、レオーネ国王からも報酬がたんまりと貰える。

 でもそれが――誰かの命を奪うということが怖く、どうしても出来なくて、罪人を見つけてはいつも連行するという形になっている(バッリエーラが掛かっていたら、破壊してから)。

 もちろん報酬はそれなりにもらえるが、最近はマサムネから「またか」と怒られるようになっていた。

 謝り俯いたハナに、ベルは「ノ」と返して顔を上げさせた。

「ハナ、どうかそのままで居て下さい。人を殺めることが出来ない、とても心優しいモストロがいる。それは我が国カプリコルノにとって、良い影響をもたらしてくれるのですから」

「ベ、ベル……でもっ……!」

 そうしたら、今この場でホンファを殺すのはベルの役目ということだ。

 ハナは狼狽えずにはいられない。

 カーネ・ロッソはモストロだが、普段食用にしている牛や豚、羊のような『獣型』ではなく『人型』で、一見『人間』と変わらない。

 ベルだって、『人間』を殺したことないのは同じはず。

 戸惑いが無いわけも、恐怖が無いわけもないと、ハナは思う。

 実際それを裏付けるように、斧のような大型包丁を身体の脇に構えたベルの両手が、小刻みに震えている。

「最後は必ず私が仕留めますから、ハナは少々お手伝い頂けると助かります」

「ま、待て、ベル。やっぱりこいつらのバッリエーラを破壊した後に、死なない程度にボコボコにして、動けなくして、連行しようっ……! うちの国に、モストロ担当の腕の良い死刑執行人がいるからさっ……!」

「ノ。レオーネ国に連行すれば、リージンの死刑は彼女の耳に入るでしょうし、私だったら連行されているあいだにも主の行き先を察します。それは彼女にとって、あまりにも酷というもの。また、罪を犯したモストロとはいえ、女性の死刑判決を聞くのも、下すのも、私の主にとって悲痛なもの。今この場で、処刑すべきです。それに……ハナ?」

 と、ベルがハナを一瞥した。

「私はオルキデーア城――カプリコルノ国の宮廷使用人であり、ティーナ様の侍女なのです。いざ宮廷に敵が侵入した時は使用人総出で戦い、いざティーナ様を敵が襲おうものなら、身体を張ってお守りするのが私の仕事。その時に敵を処刑するのに戸惑ってしまったら、本来守るべきものを守れなくなってしまうのです」

 たしかにそうだと納得しながらも、やはり狼狽えてしまうハナ。

 ベルは続ける。

「その時のため――いざという時のため、私は家政婦長ピエトラ様からも、料理長フィコ師匠からも、必殺技を叩き込まれております」

 ハナは「必殺技?」と鸚鵡返しにしながら、ベルが構えている大型包丁を一瞥し、またベルの後頭部に目を戻した。

「いや……『包丁技』だろ? フィコ料理長に教わったのって?」

「先ほどはそう言いましたが、正しくは『包丁による必殺技』です。まぁ、別に食材を切る時に使っても良いのですが、その場合は動きに無駄が有り過ぎると言いますか……」

 と、ベルが包丁を両手でしかと握り直す。

「基本的にこれは、対敵用の技……」

「ま、待てベル、どんな技だオイ?」

 尚のこと狼狽するハナの目前、ベルの小刻みに震えていた両手がぴたりと止まった。

 危機を察したホンファが息を呑んで防御の構えを取ると、そのコメカミから顎へと汗が伝っていった。

「カプリコルノ国・宮廷料理長直伝……『六連輪切り円舞』――」


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