酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第5話ー4

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「――というわけで、ご理解頂けましたかフラヴィオ様?」

「うむ。よーく分かった。これからもっと考えて貿易取引をしよう」

「ありがとうございます」

 と安堵したベルは、ようやく気付く。

 辺りはすっかり暗くなり、身体にはフラヴィオの鎧から外された赤の外套が巻かれていた。

 寒くはないが、昼間よりも頬に当たる風が冷たくなっていた。

 もう一度「ありがとうございます」と言うと、フラヴィオが「うむ」と笑った。

 ベルは北の方向――海へと顔を向ける。

 改めて久々に聴く波の音、久々に嗅ぐ潮の香り。

 それから――

「――え……?」

 一瞬、考えた。

 これは何だったか。

 ああ、そうだ。

 満点に鏤められた宝石のようなこれは『星』。

 これもまた、10年ぶりに見るものだった。

 奴隷生活に明け暮れていた頃は、空を見上げることがなかった。

 オルキデーア城に移り住んでからも、寝る寸前まで勉学に励み、そしてその後はすぐに眠りに着いている故に、夜空をまだ見上げたことがなかった。

 そういえば子供の頃、星月夜に天を仰ぎ、煌めくこの世界に心を躍らせたことを思い出す。

 その時ばかりは、オルキデーア石と金の装飾品で着飾った貴族たちよりも贅沢で、裕福になったような気分だった。

「次に時間が取れたら、南の方へ行こう」

 北の夜空に見惚れているベルの横顔を見て、フラヴィオが言った。

「南の空は、夜になると月も見える」

「南……」

 つまり『真後ろ』へと向かって、ベルが頭を倒していく。

 しかし浜辺付近の背の高い木々に視界を遮られただけでなく、「あっ」と落馬し掛ける。

 落ちずに済んだのは、フラヴィオの左腕に肩を抱かれて支えられたからだ。

 ベルの住んでいた地下室は蝋燭の火を消した途端に、視界が闇に包み込まれた。

 比べてこの満点を彩る星々の輝きは、いつもの優しく明るい笑顔を煌々と照らし出すほどの明るさだった。

(――フラヴィオ様……)

 ふと、ベルを安心感が包み込む。

 同時に、瞼がじわじわと重みを増していく。

「申し訳ございません、フラヴィオ様……」

「うん?」

「私は就寝する寸前まで勉強しています」

 フラヴィオの眉間に少しシワが寄った。

「それは……23時以降も、勉強を続けているということか?」

 フラヴィオ、並びにフェデリコ・アドルフォは毎日23時までには必ず妻の待つ自室へと戻っている。

 その直前までベルはその3人の内の誰かと共にいて、必ず22時59分までには自室の扉の前まで送られていた。

 そして『おやすみ』の挨拶を交わした後、それぞれ自室に戻っていく。

 その後もベルはシャンデリアランパダーリオの近くにある机で、図書室から持ってきた本を読んで勉学に励んでいた。

 ベルが「スィー」と答えると、フラヴィオが驚いた様子で少し声高になった。

「ちょっと待て。0時前には床に着いているのだろうな?」

「ノ。日によりますが、2時や3時頃に就寝しております」

「ちょっと待て」

 二度目のその台詞は、尚のこと声高になっていた。

「そなたは毎朝5時には起きているだろう?」

「スィー。朝の厨房を手伝わなければなりません故」

「余やフェーデも元々睡眠時間は短い方だが、それでも最低4時間は必要だ。いくら何でも睡眠時間が短すぎるぞ、ベル」

 「スィー」と答えたベルが、もう一度謝罪する。

「先ほどは偉そうに申し訳ございませんでした。睡眠は食事と同じくらい大切なものだとフェデリコ様にご教授頂いておりながら、このありさま……まことに申し訳ございません。このベルナデッタ、只今身をもって睡眠不足を実感しております」

 フラヴィオの左腕に支えられながら、ベルが必死に睡魔と戦う。

 小刻みに揺れる瞼の中、栗色の瞳が姿を隠し、白一色へと変化していく。

 フラヴィオが「ふふ」と笑った。

「見事な顔芸だ、ベル」

「何のことでしょう」

「なんだ、違うのか」

 話を戻す。

「ベル、そなたが勉学に夢中になっているのは分かる。だが、そんなに焦る必要はない。これからはいくらだって時間があるのだから」

 ベルは再び「申し訳ございません」と言った。

 フラヴィオの言う通り、勉学が楽しいことが一番の理由ではあった。

「ですが」と言葉を続ける。

「その反面、私にとって夜は恐ろしいものだったからです。勉学により励んだ日ほど、すぐに眠りに落ちる。恐ろしいことは何ひとつ思い出すことなく、朝を迎えることが出来るからです」

 それはベルにとって、とても幸せなことだった。

 フラヴィオが「うーん」と唸る。

「いまいち、『天使』の自覚が無いのか? 良いか、ベル」

 と、完全に白目と化したベルの瞼に、フラヴィオの右手が重なった。

「想像してみるが良い。そなたは7番目の天使だ。つまりそれは、余の――国王の『盾』を得たということ」

 小刻み揺れていたベルの瞼がぴたりと制止した。

 頭の中、自身の前方にとても大きな黄金こがね色の盾が現れた。

 発光しているかのようにド派手に煌めていてる。

「同時に、国王の臣下――特に大公フェデリコや、侯爵アドルフォの盾も手に入れたということ」

 続いてとても大きな白銀色の盾が左側に、黒の盾が右側に加わると、三角形が出来た。

 その中央にいる自身の姿を見たら、ゆっくりと瞼が落ち始めた。

「例えそなたが悪魔ディアーヴォロだったとしても、それだけで多くの者は戦意を失い、退治に来た勇者は返り討ちがオチだ。嘘じゃないぞ? マストランジェロ一族の男はひたすらに女を愛するように出来ていると同時に、並外れた力と運動能力を持って生まれてくるんだ。それ故に代々、王権を守って来られた。ていうかだな、人間卒業済みのアドルフォの姿を見た時点で敵が引き返していくから、オイこら待てと大抵はこっちから追い駆けるハメに……――って?」

 ベルの瞼の上から、自身の右手を外したフラヴィオ。

 するとその碧眼に映ったのは、安らかな天使の寝顔だった。

 馬が足を動かすたびに揺れる馬上にいるにも関わらず、規則正しい寝息を立てている。

「おやすみ……余の大切な7番目の天使」

 フラヴィオはベルの額にキスバーチョすると、胸元にその小さな身体を凭れかけさせた。

 手綱を握った両腕の中、落ちぬよう、起こさぬよう、慎重になって宮廷へと帰っていく。

 ――その道中のこと。

 右手側の海とは反対側――左手側の背の高い木々の影。

 何者かの気配を感じて、フラヴィオは馬を一時制止させた。

「誰だ」

 隠れている何者かが、飛び跳ねたのが分かった。

 その辺りを注視してみると、木の陰に隠し切れず何かが少し飛び出していた。

 それは垂れた白ウサギの耳――コニッリョだった。

 フラヴィオは少し不思議に思う。

 木の陰に隠れているとはいえ、フラヴィオとの距離は3メートルもない。

 いつもならば、その凄まじい俊足で逃げられているところだ。

「……あ」

 フラヴィオは、馬の後ろ脚の方に付けている荷物入れに手を伸ばした。

 手探りで、プリームラの農村で貰った梨を取り出す。
 とても芳醇で甘い香りがしていた。


「なるほど、鼻が利く」

 好物の甘いものが見えると、完全に木の陰から姿を現したコニッリョ。
 
 外見年齢50歳のオス、全裸。

「いやおま…………服着てくれ」

 と言ったところで、人間の言葉を教えていない以上、理解してもらえないが。

 一見、人間の中年男性が全裸で立っているように見えてしまうコニッリョが、フラヴィオを警戒しながらも、口の端から涎を垂らして梨を見つめている。

「……いるか?」

 フラヴィオが梨を持っている左手を伸ばすと、コニッリョが一歩だけ前に出た。

 しかしその後、慌てて木の陰に引っ込んだ。

「いるなら取りに来い」

 木の陰から顔を出してフラヴィオの持っている梨を見つめ、その口の端から涎が滝のように流れ出し、そのまま5分。

 フラヴィオの方が先に諦めた。

「投げるぞ、受け取れ」

 フラヴィオの左手から放たれた梨が弧を描き、木の陰からさっと出て来たコニッリョの手に渡る。

 その後、1秒も置かずに脱兎の勢いで逃げて行ったコニッリョのまんまる白尻尾を眺めながら、フラヴィオは長嘆息した。

 一時停止させていた愛馬を発進させて、再びオルキデーア城へと戻っていく。

「なんとか、せねばなぁ……」

 その時、腕の中のベルの寝息は止んでいた。




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