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第3話ー4
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ベルがオルキデーア城に連れて来られてから、3日後。
どうやら、5番目の天使――フラヴィオの長女ヴァレンティーナの『侍女』は確定らしい。
しかし、初対面はまだだった。
飢餓状態のベルの身体は、急速に食事の栄養素を吸収して肉をつけて行ってはいるものの、まだまだ頬がこけていることや、痣だらけの身体が数日で治るわけがなく、『着せ替え』が趣味の10歳のヴァレンティーナに、衝撃を与えてしまうことを心配してのことだった。
また、ベルの部屋は、王侯貴族の部屋がある4階の一室――階段付近の角部屋となった。
今まで空き部屋だったそこが埋まったことは、フェデリコ・アドルフォの他、とりあえず使用人たちとフラヴィオの妻――王妃ヴィットーリアに伝えられていた。
早朝5時――
フラヴィオやフェデリコ、アドルフォが自室の前を足早に通り過ぎ、階段を下りて行ったのを感じ取ったベルは、そっと扉を開けて廊下に出た。
その後を追おうと階段の方に行こうとしたときに、「これ」と背後から呼び止められる。
振り返ると、そこには美しいレースやフリルで出来た白の寝間着姿の王妃ヴィットーリアが立っていた。
「こんな早朝からどこへ行く気じゃ、ベル?」
この国で『2番目』に美しいと言われているヴィットーリアだが、1番の間違いではないかと思うほどの美女だった。
金髪碧眼のフラヴィオとは対照的に、腰の長さまである落ち着いた黒茶の髪と瞳を持っていた。
肌は珠のようで、ぱっと見で王妃と見分けが付く気品は、誰にも真似できないように思える。
その柳眉が、ベルを見下ろして些か吊り上がっていた。
「王妃陛下……陛下は、どちらへ向かわれたのでしょうか」
「処刑場じゃ。これから、エルバ伯エステ・スキーパの死刑が執行される」
ベルの予感通りだった。
ヴィットーリアが問うてくる。
「見に行く気か?」
ベルは「スィー」と答えた。
「フラヴィオは、女子供を除く貴族――男を処刑場に集めた。公開処刑をもって貴族への戒めとする一方、女子供には見せるものではないと判断してのことじゃ。そこに、そなたの知っているフラヴィオの姿はない」
ベルはフラヴィオを思い浮かべた。
真っ先に浮かんできたのは、優しく明るい笑顔だ。
それと同じ印象を持つ穏やかな声に、少し鋭く澄んだ碧眼、とても優しい大きな手……――
「陛下が直々にされるのですか」
「そうじゃ。死刑は『力の王』自らの手で執行する。まぁ、フェーデやドルフも多少手伝うけどの」
それならばと、ベルは尚のこと思う。
「私は見届けなければなりません。陛下は、私のためにお手を汚すのですから」
そう答えたベルと、数秒のあいだ見つめ合ったヴィットーリア。
「分かった」と小さく溜め息を吐いた。
ベルに少し待っているよう言って一旦その場から去り、黒の帽子付きのコートを持って戻って来る。
それをベルに着せると、裾が足首まで来た。
ベルに帽子を被せ、オルキデーア市壁の東門に急ぐよう言った。
「貴族が市壁の外に出終わったら、門が閉じられるようになっている。その前に、貴族に紛れて門から出るのじゃ。そのまま一緒について行けば、処刑場に辿り着く」
ベルは「スィー」と返事をすると、走って階段の方へと向かって行った。
階段を下りようかとき、ヴィットーリアから声が掛かった。
「これ、7番目の天使よ」
振り返ると、ヴィットーリアが微笑していた。それはどこか、記憶の中の優しい母のものと重なる。
「どうか、フラヴィオを恐れないでやっておくれ。天使に避けられるようになってしまっては、あの男はべそを掻いてしまうからのう」
ベルはもう一度「スィー」と承知すると、階段を駆け下りて行った。
――カプリコルノ島の北西に王都オルキデーア、北東に隣町プリームラ。
その二つの町を繋ぐ道のちょうど真ん中から、まっすぐ北へと向かって行くと処刑場に辿り着いた。
集められた貴族の男たちの中、ベルは深くカッポットの帽子を被り、前列の一番端っこに並ぶ。
ここにやって来るあいだに煙が上がっているのを見て気付いていたが、そこには火が炊かれていた。
その後ろにある、処刑台の上。
全裸にされ縛られた罪人――エルバ伯エステ・スキーパが、国王フラヴィオ・マストランジェロの前に膝を付いている。
フラヴィオの傍らには大公フェデリコ・マストランジェロ、侯爵アドルフォ・ガリバルディの他、兵士が数人いた。
他の罪人――エステ・スキーパの2人の息子は、昨日の内に絞首刑となり、ベルの母親の遺体を海に捨てた貴族たちは、貿易用のガレーア送りになったらしい。
またエステ・スキーパの母親や妻、娘は罰金と5年の投獄になったと、廊下から聞こえてくる使用人たちの会話で知った。
「プリームラの牢に送られたんだろう?」
「プリームラの貴族用の牢ってレットがふかふかじゃないか」
「窓があって外も見えるぞ」
「んで一日三食昼寝付きかい」
「まぁ、有料らしいけどねぇ」
「でも牢獄生活とは思えないよ」
――もう、どうでも良かった。
ベルから見えるフラヴィオの顔は、ほぼ真横からだった。
本日の左耳のピアスは、真っ赤なオルキデーア石だった。
顔を思い浮かべると真っ先に浮かんでくる、優しく明るい笑顔。
それは少しも垣間見えず、そこにあるのは冷酷な『力の王』の顔だった。
死刑――首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑――執行と共に、集まった貴族の男たちの様子が変わる。
祭のように騒ぎ出したり、戦慄したり、目を塞いだり。
そんな中、ベルはたったひとり声を出すことも、表情を変えることも、震えることもなかった。
静かにその様子を見つめていた。
「嫌だ」「助けてくれ」――絶叫するエステ・スキーパの首に、上部から垂らされた絞首刑用の縄が掛かる。
縄は結んで横木に固定されているのではなく、反対側をアドルフォが握っていた。
巨人の大きな大きな手が縄を引っ張ると、いとも簡単にエステ・スキーパが宙に吊るされた。
絞首刑なら、ここで息の根が止まるのを待って終わる。
だが苦しみもがくエステ・スキーパが意識を失う寸前、フェデリコが手に持っていた剣を素早く一振りした。
すると、刃が直接触れたわけでもないのに縄が切れる。
エステ・スキーパの身体が、どすんと重たい落下音を立てながら処刑台の上に落ちた。
それを今度は、兵士たちが寄って来て、脚立のような木枠の高い位置に、手足を縄で縛りつけて固定していく。
フラヴィオが短剣片手にエステ・スキーパの傍らへと上ると、貴族たちが狂騒し始めた。
ベルの頭の中には、ふと殺された母とラチェレの姿が浮かぶ。
(お母さん…ラチェレお姉ちゃん……)
フラヴィオが短剣でエステ・スキーパの性器を切り取ると、その際に起きた絶叫が狂騒の中に混じった。
フラヴィオの手に汚物を持つように持たれたエステ・スキーパの性器が、処刑台手前で燃えている薪の中に放り投げられる。
次にフラヴィオが、その分厚い脂肪で覆われた胴体を、鳩尾から腹の下まで縦に割いたときのこと。
エステ・スキーパの振り絞ったような声が、ベルの耳に届いた――
「フラヴィオ・マストランジェロ、地獄に堕ちろ」
そのとき狂騒が少し鎮まり、フラヴィオの声も聞こえて来た。
「そうだな。おまえは当然、余も地獄行きだな」
エステ・スキーパの割けた腹の中に手を突っ込んだフラヴィオが、腸を引き摺り出していく。
力任せに千切り、火中に放り込む。
このとき嘔吐する貴族が出始めたが、ベル目には熱いものが込み上げて来た。
胸が締め付けられる。
フラヴィオが自身の手を、血で汚していく。
「だが、良いのだ。これで余の7番目の天使は救われる。その大切な母君も、友人も、報われる」
エステ・スキーパの内臓が次から次へと抉られ、引きちぎられ、火中へ投げられていく。
(ああ…お母さん、ラチェレお姉ちゃん……)
フラヴィオの手が、白のマッリェッタが、整った横顔が、真っ赤に血塗られていく。
「まぁ、そこでおまえの顔をまた見ることになるのは嫌だが、仕方ないしな」
最後に残った内臓――心臓に、手が掛かった。
「というわけで、エルバ伯エステ・スキーパよ」
その命が絶える直前、その目前に翳された心臓。
それは、「またな」の言葉と共にフラヴィオの手の中で、ぐしゃっと握り潰された。
(やっと、終わったよ……)
フラヴィオの手から放り投げられた心臓が、火中に落ちていく。
それを見つめる栗色の瞳からは、一粒の涙が零れ落ちていった。
(フラヴィオ・マストランジェロ陛下が、助けてくれたよ……――)
フラヴィオが脚立から処刑台へと降り立つ。
短剣を素早く一振りすると、先ほどフェデリコが剣を振るうたときのように、刃が触れずともエステ・スキーパの首が斬り落とされた。
続いてフェデリコが縦に一振り、アドルフォが横に一振りすると、4つに分断された胴体が、切り崩された脚立と共に落下した。
最後に、フラヴィオが足元に転がる頭を引っ掴み、狂騒や嘔吐、失禁、戦慄、蒼白している貴族の男たちに掲げて問う。
「分かったな?」
「スィー」の返事が確認されると、解散の許可が下りた。
貴族がオルキデーア方面とプリームラに方面に分かれて帰っていく中、その場から動かず立っているベル。
それにフラヴィオが気付いたのは、処刑台の上から飛び降りた時だった。
左側から気配を感じて振り返るなり、はっと息を飲む。
「――…ベル……?」
フラヴィオも、続いて振り返ったフェデリコとアドルフォも、声を失い、硬直する。
足首まであるカッポットを纏い、帽子を深く被っていても、半分見えている顔からベルであることが分かった。
ベルが帽子を脱いでフラヴィオの方へと向かって歩き出すと、3人揃って狼狽した。
フラヴィオは真っ赤に染まったマッリェッタを脱いで火中に投げ捨て、フェデリコは持って来ていたハンカチでフラヴィオの顔や手に付いた血を拭い、アドルフォはフラヴィオの足元に落ちていた短剣を蹴り飛ばして300m先の川に落とし、証拠隠滅を図る。
そんなことをしても、もう遅いと――全て見られていたのだと、分かってはいるのだが。
「す…済まなかった、ベル……恐ろしかっただろう」
「いいえ」と答えたベルが手を伸ばしてくると、フラヴィオは慌てて一歩後方に下がった。
「今の余に触れては駄目だ、汚れてしまう……!」
「構いません」
ベルは一歩踏み出すと、フラヴィオの右手を取った。
拭いきれなかった血が付いていたが、何も気にならなかった。
このベルのために汚してくれた大きな優しい手を、両手でしかと握る。
「陛下……並びにフェデリコ閣下、アドルフォ閣下」
頭を下げたら、溢れて来た涙が大地を濡らしていった。
「ありがとう…ございました……!」
その3人が顔を見合わせて安堵の溜め息を吐く一方、ベルは続ける。
この言葉を、脳裏に、心に、肝に、骨に、刻み込む――
「このベルナデッタ、この先の生涯、フラヴィオ・マストランジェロ陛下に忠誠を尽くし、恩義に報いることを誓います」
フラヴィオが「大袈裟だな」なんて言って笑い、ベルを抱き上げる。
赤の愛馬で来ていたのでその馬上に乗せ、自身もその後ろに乗った。
片付けの方は兵士たちに任せ、フェデリコは白の、アドルフォは黒の愛馬に乗り、3人同時に脚で馬の腹を押して発進させる。
朝を迎え、民衆が働き始めた王都オルキデーアの東門ではなく、人目に付かないオルキデーア城の真後ろにある北門へと向かって行く。
「さて、ベル。5番目の天使――ヴァレンティーナへの贈り物になるには、まだ少し早い。だからその間、あの城で――」
と、フラヴィオはオルキデーア城を指差しながら、言葉を切った。言い直す。
「『家』で、したいことはあるか?」
それは3日前にもフラヴィオが訊いたことだった。
歌ってみるか?
踊ってみるか?
楽器を奏でてみるか?
絵を描いてみるか?
スカッキをしてみるか?
「ああ……でも、余はそなたの料理を食べてみたい。スティヴァーレやカッポット、外套には美しい金糸の刺繍を入れて欲しい」
「スィー」
と答えたベルの口は、自然とこう付け加えていた。
「喜んで」
フラヴィオはベルの顔を覗き込んでみた。
相変わらずの無表情がある。
だが死んだ魚のようだった目には、ちゃんと光が灯っていた。
その栗色の瞳が、フラヴィオの少し鋭い碧眼を捉える。
「陛下、本日は何を召し上がりになりますか?」
「うん? そうだな……先日くらいの厚さのビステッカを、余の好みの焼き加減で頼む――って言ったら困るな?」
「ノ。片面を強火で1分、火を弱めて2分、裏返して火を強め30秒、その後また火を弱め、状態により2分から3分ほど掛かりますので、合計5分30秒から6分30秒ほどお時間を頂戴しますがよろしいですか」
「おおお」
フラヴィオとフェデリコ、アドルフォ、そしてベルが帰宅していく。
その後ろ姿と、公開処刑の残骸を交互に見つめるは、一見して人間の少年少女。
しかし、白ウサギのまん丸尾っぽに、白ウサギの垂れ耳。
顔を見合わせ、真っ青になると、駿馬も追い付かぬほどの脱兎の勢いで西の山へと逃げて行った――
どうやら、5番目の天使――フラヴィオの長女ヴァレンティーナの『侍女』は確定らしい。
しかし、初対面はまだだった。
飢餓状態のベルの身体は、急速に食事の栄養素を吸収して肉をつけて行ってはいるものの、まだまだ頬がこけていることや、痣だらけの身体が数日で治るわけがなく、『着せ替え』が趣味の10歳のヴァレンティーナに、衝撃を与えてしまうことを心配してのことだった。
また、ベルの部屋は、王侯貴族の部屋がある4階の一室――階段付近の角部屋となった。
今まで空き部屋だったそこが埋まったことは、フェデリコ・アドルフォの他、とりあえず使用人たちとフラヴィオの妻――王妃ヴィットーリアに伝えられていた。
早朝5時――
フラヴィオやフェデリコ、アドルフォが自室の前を足早に通り過ぎ、階段を下りて行ったのを感じ取ったベルは、そっと扉を開けて廊下に出た。
その後を追おうと階段の方に行こうとしたときに、「これ」と背後から呼び止められる。
振り返ると、そこには美しいレースやフリルで出来た白の寝間着姿の王妃ヴィットーリアが立っていた。
「こんな早朝からどこへ行く気じゃ、ベル?」
この国で『2番目』に美しいと言われているヴィットーリアだが、1番の間違いではないかと思うほどの美女だった。
金髪碧眼のフラヴィオとは対照的に、腰の長さまである落ち着いた黒茶の髪と瞳を持っていた。
肌は珠のようで、ぱっと見で王妃と見分けが付く気品は、誰にも真似できないように思える。
その柳眉が、ベルを見下ろして些か吊り上がっていた。
「王妃陛下……陛下は、どちらへ向かわれたのでしょうか」
「処刑場じゃ。これから、エルバ伯エステ・スキーパの死刑が執行される」
ベルの予感通りだった。
ヴィットーリアが問うてくる。
「見に行く気か?」
ベルは「スィー」と答えた。
「フラヴィオは、女子供を除く貴族――男を処刑場に集めた。公開処刑をもって貴族への戒めとする一方、女子供には見せるものではないと判断してのことじゃ。そこに、そなたの知っているフラヴィオの姿はない」
ベルはフラヴィオを思い浮かべた。
真っ先に浮かんできたのは、優しく明るい笑顔だ。
それと同じ印象を持つ穏やかな声に、少し鋭く澄んだ碧眼、とても優しい大きな手……――
「陛下が直々にされるのですか」
「そうじゃ。死刑は『力の王』自らの手で執行する。まぁ、フェーデやドルフも多少手伝うけどの」
それならばと、ベルは尚のこと思う。
「私は見届けなければなりません。陛下は、私のためにお手を汚すのですから」
そう答えたベルと、数秒のあいだ見つめ合ったヴィットーリア。
「分かった」と小さく溜め息を吐いた。
ベルに少し待っているよう言って一旦その場から去り、黒の帽子付きのコートを持って戻って来る。
それをベルに着せると、裾が足首まで来た。
ベルに帽子を被せ、オルキデーア市壁の東門に急ぐよう言った。
「貴族が市壁の外に出終わったら、門が閉じられるようになっている。その前に、貴族に紛れて門から出るのじゃ。そのまま一緒について行けば、処刑場に辿り着く」
ベルは「スィー」と返事をすると、走って階段の方へと向かって行った。
階段を下りようかとき、ヴィットーリアから声が掛かった。
「これ、7番目の天使よ」
振り返ると、ヴィットーリアが微笑していた。それはどこか、記憶の中の優しい母のものと重なる。
「どうか、フラヴィオを恐れないでやっておくれ。天使に避けられるようになってしまっては、あの男はべそを掻いてしまうからのう」
ベルはもう一度「スィー」と承知すると、階段を駆け下りて行った。
――カプリコルノ島の北西に王都オルキデーア、北東に隣町プリームラ。
その二つの町を繋ぐ道のちょうど真ん中から、まっすぐ北へと向かって行くと処刑場に辿り着いた。
集められた貴族の男たちの中、ベルは深くカッポットの帽子を被り、前列の一番端っこに並ぶ。
ここにやって来るあいだに煙が上がっているのを見て気付いていたが、そこには火が炊かれていた。
その後ろにある、処刑台の上。
全裸にされ縛られた罪人――エルバ伯エステ・スキーパが、国王フラヴィオ・マストランジェロの前に膝を付いている。
フラヴィオの傍らには大公フェデリコ・マストランジェロ、侯爵アドルフォ・ガリバルディの他、兵士が数人いた。
他の罪人――エステ・スキーパの2人の息子は、昨日の内に絞首刑となり、ベルの母親の遺体を海に捨てた貴族たちは、貿易用のガレーア送りになったらしい。
またエステ・スキーパの母親や妻、娘は罰金と5年の投獄になったと、廊下から聞こえてくる使用人たちの会話で知った。
「プリームラの牢に送られたんだろう?」
「プリームラの貴族用の牢ってレットがふかふかじゃないか」
「窓があって外も見えるぞ」
「んで一日三食昼寝付きかい」
「まぁ、有料らしいけどねぇ」
「でも牢獄生活とは思えないよ」
――もう、どうでも良かった。
ベルから見えるフラヴィオの顔は、ほぼ真横からだった。
本日の左耳のピアスは、真っ赤なオルキデーア石だった。
顔を思い浮かべると真っ先に浮かんでくる、優しく明るい笑顔。
それは少しも垣間見えず、そこにあるのは冷酷な『力の王』の顔だった。
死刑――首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑――執行と共に、集まった貴族の男たちの様子が変わる。
祭のように騒ぎ出したり、戦慄したり、目を塞いだり。
そんな中、ベルはたったひとり声を出すことも、表情を変えることも、震えることもなかった。
静かにその様子を見つめていた。
「嫌だ」「助けてくれ」――絶叫するエステ・スキーパの首に、上部から垂らされた絞首刑用の縄が掛かる。
縄は結んで横木に固定されているのではなく、反対側をアドルフォが握っていた。
巨人の大きな大きな手が縄を引っ張ると、いとも簡単にエステ・スキーパが宙に吊るされた。
絞首刑なら、ここで息の根が止まるのを待って終わる。
だが苦しみもがくエステ・スキーパが意識を失う寸前、フェデリコが手に持っていた剣を素早く一振りした。
すると、刃が直接触れたわけでもないのに縄が切れる。
エステ・スキーパの身体が、どすんと重たい落下音を立てながら処刑台の上に落ちた。
それを今度は、兵士たちが寄って来て、脚立のような木枠の高い位置に、手足を縄で縛りつけて固定していく。
フラヴィオが短剣片手にエステ・スキーパの傍らへと上ると、貴族たちが狂騒し始めた。
ベルの頭の中には、ふと殺された母とラチェレの姿が浮かぶ。
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フラヴィオが短剣でエステ・スキーパの性器を切り取ると、その際に起きた絶叫が狂騒の中に混じった。
フラヴィオの手に汚物を持つように持たれたエステ・スキーパの性器が、処刑台手前で燃えている薪の中に放り投げられる。
次にフラヴィオが、その分厚い脂肪で覆われた胴体を、鳩尾から腹の下まで縦に割いたときのこと。
エステ・スキーパの振り絞ったような声が、ベルの耳に届いた――
「フラヴィオ・マストランジェロ、地獄に堕ちろ」
そのとき狂騒が少し鎮まり、フラヴィオの声も聞こえて来た。
「そうだな。おまえは当然、余も地獄行きだな」
エステ・スキーパの割けた腹の中に手を突っ込んだフラヴィオが、腸を引き摺り出していく。
力任せに千切り、火中に放り込む。
このとき嘔吐する貴族が出始めたが、ベル目には熱いものが込み上げて来た。
胸が締め付けられる。
フラヴィオが自身の手を、血で汚していく。
「だが、良いのだ。これで余の7番目の天使は救われる。その大切な母君も、友人も、報われる」
エステ・スキーパの内臓が次から次へと抉られ、引きちぎられ、火中へ投げられていく。
(ああ…お母さん、ラチェレお姉ちゃん……)
フラヴィオの手が、白のマッリェッタが、整った横顔が、真っ赤に血塗られていく。
「まぁ、そこでおまえの顔をまた見ることになるのは嫌だが、仕方ないしな」
最後に残った内臓――心臓に、手が掛かった。
「というわけで、エルバ伯エステ・スキーパよ」
その命が絶える直前、その目前に翳された心臓。
それは、「またな」の言葉と共にフラヴィオの手の中で、ぐしゃっと握り潰された。
(やっと、終わったよ……)
フラヴィオの手から放り投げられた心臓が、火中に落ちていく。
それを見つめる栗色の瞳からは、一粒の涙が零れ落ちていった。
(フラヴィオ・マストランジェロ陛下が、助けてくれたよ……――)
フラヴィオが脚立から処刑台へと降り立つ。
短剣を素早く一振りすると、先ほどフェデリコが剣を振るうたときのように、刃が触れずともエステ・スキーパの首が斬り落とされた。
続いてフェデリコが縦に一振り、アドルフォが横に一振りすると、4つに分断された胴体が、切り崩された脚立と共に落下した。
最後に、フラヴィオが足元に転がる頭を引っ掴み、狂騒や嘔吐、失禁、戦慄、蒼白している貴族の男たちに掲げて問う。
「分かったな?」
「スィー」の返事が確認されると、解散の許可が下りた。
貴族がオルキデーア方面とプリームラに方面に分かれて帰っていく中、その場から動かず立っているベル。
それにフラヴィオが気付いたのは、処刑台の上から飛び降りた時だった。
左側から気配を感じて振り返るなり、はっと息を飲む。
「――…ベル……?」
フラヴィオも、続いて振り返ったフェデリコとアドルフォも、声を失い、硬直する。
足首まであるカッポットを纏い、帽子を深く被っていても、半分見えている顔からベルであることが分かった。
ベルが帽子を脱いでフラヴィオの方へと向かって歩き出すと、3人揃って狼狽した。
フラヴィオは真っ赤に染まったマッリェッタを脱いで火中に投げ捨て、フェデリコは持って来ていたハンカチでフラヴィオの顔や手に付いた血を拭い、アドルフォはフラヴィオの足元に落ちていた短剣を蹴り飛ばして300m先の川に落とし、証拠隠滅を図る。
そんなことをしても、もう遅いと――全て見られていたのだと、分かってはいるのだが。
「す…済まなかった、ベル……恐ろしかっただろう」
「いいえ」と答えたベルが手を伸ばしてくると、フラヴィオは慌てて一歩後方に下がった。
「今の余に触れては駄目だ、汚れてしまう……!」
「構いません」
ベルは一歩踏み出すと、フラヴィオの右手を取った。
拭いきれなかった血が付いていたが、何も気にならなかった。
このベルのために汚してくれた大きな優しい手を、両手でしかと握る。
「陛下……並びにフェデリコ閣下、アドルフォ閣下」
頭を下げたら、溢れて来た涙が大地を濡らしていった。
「ありがとう…ございました……!」
その3人が顔を見合わせて安堵の溜め息を吐く一方、ベルは続ける。
この言葉を、脳裏に、心に、肝に、骨に、刻み込む――
「このベルナデッタ、この先の生涯、フラヴィオ・マストランジェロ陛下に忠誠を尽くし、恩義に報いることを誓います」
フラヴィオが「大袈裟だな」なんて言って笑い、ベルを抱き上げる。
赤の愛馬で来ていたのでその馬上に乗せ、自身もその後ろに乗った。
片付けの方は兵士たちに任せ、フェデリコは白の、アドルフォは黒の愛馬に乗り、3人同時に脚で馬の腹を押して発進させる。
朝を迎え、民衆が働き始めた王都オルキデーアの東門ではなく、人目に付かないオルキデーア城の真後ろにある北門へと向かって行く。
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と、フラヴィオはオルキデーア城を指差しながら、言葉を切った。言い直す。
「『家』で、したいことはあるか?」
それは3日前にもフラヴィオが訊いたことだった。
歌ってみるか?
踊ってみるか?
楽器を奏でてみるか?
絵を描いてみるか?
スカッキをしてみるか?
「ああ……でも、余はそなたの料理を食べてみたい。スティヴァーレやカッポット、外套には美しい金糸の刺繍を入れて欲しい」
「スィー」
と答えたベルの口は、自然とこう付け加えていた。
「喜んで」
フラヴィオはベルの顔を覗き込んでみた。
相変わらずの無表情がある。
だが死んだ魚のようだった目には、ちゃんと光が灯っていた。
その栗色の瞳が、フラヴィオの少し鋭い碧眼を捉える。
「陛下、本日は何を召し上がりになりますか?」
「うん? そうだな……先日くらいの厚さのビステッカを、余の好みの焼き加減で頼む――って言ったら困るな?」
「ノ。片面を強火で1分、火を弱めて2分、裏返して火を強め30秒、その後また火を弱め、状態により2分から3分ほど掛かりますので、合計5分30秒から6分30秒ほどお時間を頂戴しますがよろしいですか」
「おおお」
フラヴィオとフェデリコ、アドルフォ、そしてベルが帰宅していく。
その後ろ姿と、公開処刑の残骸を交互に見つめるは、一見して人間の少年少女。
しかし、白ウサギのまん丸尾っぽに、白ウサギの垂れ耳。
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