酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第8話ー1 側室

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 プリームラ軍元帥である、侯爵アドルフォ・ガルバルディ。

 普段生活している王都オルキデーアの宮廷から、隣町プリームラまで黒の愛馬で出向いて、将兵の調練を終え。

 帰路に着いたのは、空に紅霞が見え始めた頃だった。

 プリームラ町の東にあるプリームラ城を出、プリームラ町に下りてまっすぐ西に向かい。

 市壁を潜り、黒の愛馬をいつもよりも急かせて走らせていた。

「今夜はムネ殿下たちと晩餐会なんだ、頑張ってくれ」

 と愛馬に声を掛けて励ましていた時、前方に見覚えのある2人を見つけてふと止まった。

 それが『迎え』であることは分かったが、少し意外な組み合わせだった。

「おお、迎えに来てくれたのかタロウ…………と、ベル?」

 2人が「はいスィー」と返事をした。

 テレトラスポルト――瞬間移動――役のタロウは分かるが、何故ベルまでいるのか。

 それほど仲良しになったのだろうか。

 止まっているアドルフォの元へと共に近寄って来る2つの顔が、だんだんと上を向き、最終的には完全に真上を向いた。

 黒の板金鎧に包まれた2m近くある筋骨隆々の身体が、それに合わせて選ばれたとても大型の黒馬に乗っている。

 それはもう『人間卒業生』に見えた。

 兜を脱いでいることで露わになっている逆立った銀髪が、凶器以外の何にも見えない。

「あの、タロウさん……このベルナデッタの乏しい想像力では無理が……」

「大丈夫だよ、ベル……僕もだから」

「先ほどああ仰ったのはタロウさん、あなた様のように記憶しておりますが」

「うん、ごめん。でも僕は逃げるよ。こんなのに襲われたら」

 2人の顔を真上から交互に見つめ、アドルフォが問う。

 一体何の話をしているのかと。

 するとベルがこう言った。

「タロウさんが、この国はとても弱いと仰るのです。フラヴィオ様もフェーデ様も、そしてドルフ様も、負けてしまうと仰るのです。しかし、先ほどはフラヴィオ様とフェーデ様を、現在はドルフ様をこうして改めて拝見しましても、私はまったくもってこの国の敗戦が想像つかないのです」

 そういうことかと理解したアドルフォは、下馬してベルとタロウを馬上に乗せた。

 少し話をしてからの方が良さそうだと判断した故、タロウにテレトラスポルトを頼まず、愛馬の手綱を引いてオルキデーアの方面へと歩いていく。

「僕はいいよ。アドぽんが乗って」

 アドルフォが苦笑した。

 フェデリコが『リコたん』に馴染めないように、アドルフォもその愛称に慣れていないのだと分かる。

「いや、いいんだタロウ。テレトラスポルトは遠ければ遠いほど労力を使うと聞いた。また、上級魔法故に尚更のことだと。俺の大幅の足なら、こうして話をしている内にも結構な距離を縮められる。少しの間だけではあるが、休んでてくれ」

 その厚意を受け取ることにしたらしいタロウが、「ありがとう」と笑顔になった。

「ああ」と返したアドルフォの笑顔も、フラヴィオやフェデリコに負けず劣らず優しいものだと、ベルはいつも思っている。

 また、ベルが子供の頃、母からアドルフォは誠実な人物であるということを聞かされていた。

 フラヴィオの誕生日パラータで初めてアドルフォを見たとき、噂に違わぬ容貌には驚いたが、鋭く狼のような琥珀色の瞳はとてもまっすぐで、母の言う通りの人物であることも分かった。

「で?」

 と、手綱を引いているアドルフォが振り返り、ベルとタロウの顔を見ながら興味深そうに問うた。

「想像上の戦場に立つ俺は、どうだったんだ?」

 ベルが答える。

「敵軍の弓兵が放った矢がドルフ様のお鼻に突き刺さるかと思いきや、キンと音を立てて足元に落下し」

「俺は鋼鉄か」

「お鼻がムズ痒くなられたドルフ様が盛大なくしゃみをされたら、500m先までの将兵がすべて薙ぎ倒され」

「くしゃみじゃ100m先までの敵を失禁させたことしかないな」

「それでも攻め寄せて来た勇敢な敵軍の将兵、渾身の力を込め刃を振り下ろしましたが、無情にも武器は折れ、またはグニャリと反り返り」

「そんなことになる前にどいつもこいつも死んでるんだ」

「ここで頼みの綱である魔法使い軍、様々な上級攻撃魔法を放ちました。しかしそれは、まるで意思のある動物のように踵を返し、脱兎の勢いで自軍に衝突。自滅しました」

 と続いたタロウの後、ベルが「完」とベルが締めくくる。

 アドルフォが鰐口で哄笑した。

 さっき2人は想像力が乏しいとか言っていた気がするが、それは謙遜に過ぎないようだと思った。

 だが、それを2人に伝えると、そうではないと返って来た。

「ドルフ様が、見る者にそうさせるのです」

「この国は弱いって言った、僕のことですらね」

「まぁな」

 と同意したアドルフォは、自身の桁外れの怪力を自負していた。

 何をしていても、頭の片隅では過去の記憶が繰り返し流れている。

「俺は9つの頃に、親父を殺してるんだ」

「――え……?」

 突然の衝撃的な言葉に、耳を疑ったベルが呆然とする。

「わざとじゃない。でも俺は、自分の力を見誤っていたんだ」

 当時、アドルフォの父は侯爵の称号を持っているプリームラ国の武官で、立派な将軍だったという。

 アドルフォは生まれた時から身体が大きく、成人まで持たなかった兄弟たちとは違って強く丈夫に育ち、将来有望とされた。

 父相手に木刀を振るい、武術に励む日々を送っていた。

「俺がもう親父の力を超えていたことに、気付かなかった。それはきっと、親父の期待に応えようと、必死になって剣を振るっていたせいもある。親父の「待て」の言葉を聞かなかった。「止めてくれ」の言葉を本気とは知らず面白がった。そして俺の剣を支えきれなかった親父の頭を、脳天から割ってしまった」

 タロウが小さく「うわ」と言った。

「そんな話しなくていいよ、アドぽん。思い出したくないでしょ?」

 ベルが少し声高になって続く。

「そういうのは、『事故』というのです」

「事故だろうと、忘れてはならないことだ。どんなに年月が立とうと、風化してはいけない。俺は生きていく上で、この手で触れるもの全てに対し、常に細心の注意を払わなければならないんだ」

 ちょっと力加減を間違えば手の中のグラスビッキエーレが割れ、金属製のフォークフォルケッタが曲がるのは当然のこと。

 その気がなくとも、誰かを殺傷しかねない故に。

 アドルフォが「だから」とベルとタロウを一瞥した。

「おまえたち以上に、俺は俺が何者かに殺されるのは想像が付かない。俺のこの銀髪と黒い肌は、稀にプリームラの王侯貴族に現れるもので、持って生まれた者は皆強靭で、一度も病気に罹ることもなく、最期は寿命で眠るように死んで行くんだそうだ」

「なんと……」

 と驚いたベルは尚のこと『敗戦』が想像が付かなくなってしまった。

 タロウに顔を向けて顔を傾け、「もしや」と確認してみる。

「うちの国がとても弱いというのは、今現在ではなく、ドルフ様も流石にお亡くなりになられているでしょう300年後くらいのお間違いでしょうか?」

「え、そんなに生きるの? ていうか間違いじゃなく今現在の話……だったんだけど」

 とアドルフォを見たタロウの眉間に、シワが寄っていく。

「僕の勘違い…………という気がしないでもない気がしてきた」

「そんなことはない」

 と言ったのは、ついさっき自ら最強人間卒業生説を口述したアドルフォだ。

「――って言うさ、陛下と閣下はな。俺はこの話ばかりは、あのお二方と合わないんだ」

 そう言った後、アドルフォがベルとタロウの交互に見、後者に視点を置いた。

「それにしても、バラしたかタロウ。陛下と閣下は、ベルに黙っていたんだがな」

「ごめんなさい。でも、僕はベルも知っておくべきだと思ったんだ」

「ああ、俺も思ってた。ベルは将来、文官が相応しい」

 そう言ってアドルフォが、ベルの様子をうかがうように見つめながら「それで」と問う。

「この国は弱いと言われて、どうだベル? 怖くなったりしたか?」

いいえ。敗戦が想像付きません故、怯えようがございません」

「だよな。だから、無理にコニッリョと仲良くする必要もないと俺は思ってるんだ」

「申し訳ございません。それは賛同致しかねます」

 アドルフォが「ふむ」とベルの言い分に耳を傾ける。

「私は先ほど、治癒魔法の必要性を身をもって実感しました」

「痣はすっかり治ったのか?」

「スィー、ハナさんのお陰で」

「そりゃ良かった」

「ご心配お掛けしました」

 とベルは膝の上で手を揃えて頭を下げた後、話を戻した。

「コニッリョとの融和ははかるべきと存じます」

「出産が原因で亡くなる女もいなくなるしな」

「怪我人の治療だって出来ますし」

「ああ、そうだな。それに、治癒魔法の他にも瞬間移動があると本当に便利だしな。分かるさ。でもな」

 と、アドルフォが大きく溜め息を吐いた。

「はっきり言って、無理がある。この国の民衆とコニッリョは、もう長いこと敵同士なんだ。コニッリョを仲間にしようなんて話が出て来たのは、ここ最近――フラヴィオ・マストランジェロ陛下の時代になってからだ。若い世代ならマシかもしれないが、コニッリョとはそういうものだと脳裏に刻み込まれてる中高年はまず受け入れられないぞ。魔法がどうしても必要だというのなら、もうコニッリョを山ごと支配し、無理矢理従わせるしかないんだ。でも俺は、なるべくならそんなことまではしたくない。だから無理にコニッリョを仲間にする必要はない」

 その台詞を聞いた時、ベルの頭の中に金髪碧眼の絶世の美少女が現れた。

「可能性は、完全に断たれているというわけではないように存じます。私はこの目でしかと見ました。コニッリョにティーナ様が――」

「手渡しで菓子を渡してたって?」

 とアドルフォがベルの言葉を遮った。ベルが頷くのを見ながら、続ける。

「正直、俺はティーナがそんなことを出来たからと言って、無意味に近いと思っている。何故なら、賢いコニッリョは言葉が分からずとも、国王が誰か認識している様子だからだ」

 タロウが「あー」と言って苦笑した。

「こんなこと言いたくないけど、それは致命的かもしれない。僕とハナはそんなに警戒されないから、コニッリョの山に遊びに行ったことがあるんだ。人間界と同じように、王みたいなオスのコニッリョが居た」

「そうなのですか」

 とベルが驚くと、タロウが頷いた。

「外見年齢は60歳近く見えたけど、モストロは老けにくいから、たぶん実年齢はもっとずっと上。で、そのコニッリョの周りに他のコニッリョがせっせと食べ物を運んでいくから、すぐに王――って言って良いのかは分からないけど、彼が一番のお偉いさんなのは分かったよ。コニッリョは人間みたいに跪いたりはしないけど、その王『みたいな』コニッリョに忠誠を尽くしているのは感じ取れた」

「つまりコニッリョも、王がどういう存在か理解しているということですか?」

 タロウが「そう」と頷く。

「なるほど……」

 たしかに致命的かもしれないと、ベルも思ってしまった。

 手渡しで菓子をあげられるヴァレンティーナが王だったなら、人間がコニッリョと融和できる可能性はそこそこあったかもしれないが。

 常に腰に剣を装備し、攻めて来た敵から国を守るために刃を振るい、返り血に染まり、血の海を作ったこともあるだろうフラヴィオが人間界の王となっては、あのとても臆病なコニッリョが心を開くことはまずないように思えてならない。

 タロウが「でもね」と、ベルを励ますような笑顔を作った。

「マサムネはこう言ってるよ。この国の人間とコニッリョが、仲良く出来る可能性はなくはないって。だって大昔、レオーネ島でもそうだったんだ。人間とモストロは犬猿の仲だった。でもね――」

「まーたその話か……」

 と言葉を遮ったアドルフォは、耳にタコが出来るほど聞いているのか、飽き飽きした様子だった。

「俺も何度も言ってるが、陛下は一部に『酒池肉林王』なんて呼ばれ方をしているが、王妃陛下を心の底から愛されているし、少しは王妃陛下のお気持ちだって考えて頂きたい」

「それは僕も分かるし、申し訳ないと思うよ……でも――」

「それに、だ。何より、俺は悲惨なことになる気がしてならん。誰がって、その『相手』がだ」

「そうかもしれないけど、『相手』はこの国の『天使』に選ばれるでしょう? それは安全保障だよ」

「ああ、そうだ。しかしタロウ、おまえだって城の中を歩いていて辛いだろう? 町を歩くことは出来ないだろう? その『相手』はきっと、おまえよりも辛い想いをすることになる」

「そ…そうかもしれないけど、でも……」

 話に付いて行けず、でも聞き捨ててはいけない話と分かる故、ベルはもどかしくなって声高に割り込んだ。

「人間とコニッリョの融和方法とは、一体どのようなものなのですか」

 アドルフォとタロウが顔を見合わせる。

 どちらが答えようか迷った様子を見せた後、アドルフォの方が先に口を開いた。

「マサムネ王太子殿下いわく、フラヴィオ陛下の側室にモストロ、もしくは人間とモストロの混血メッゾサングエを迎えることだそうだ」

「――…………は?」

 ベルの声が低く響いた。


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