酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第2話-1 7番目の天使

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 国王フラヴィオ・マストランジェロの誕生日パラータは、王都オルキデーアの中央通りを北から南へと馬で行って戻って来るもので、午前8時から4時間かけて終了した。

 本日の主役である国王フラヴィオと護衛の大公フェデリコ、侯爵アドルフォは、中央通りから町の最北にある宮廷オルキデーア城へと続く、緩やかな上り坂へと入って行った。

 未だ鳴り止まない歓声を聴きながら、愛馬をゆっくりと歩かせて帰城していく。

「おまえたち、見たことあるか」

 フラヴィオが問うた。

 それは何のことかと問わずとも、フェデリコもアドルフォも理解している。

いいえ、兄上。私もオルキデーアの住人は大体把握しているつもりですが、初めて見ました。貴族の邸宅の前に立っていましたが、あれは私の部下――オルキデーア軍の少将の屋敷だったはず」

 そう言ったフェーデに同意して頷いたアドルフォが、こう続ける。

「しかし、あの少将はオルキデーア軍に所属していても元はプリームラ貴族だ。それ故、隣町プリームラから連れて来られたのでは」

「そうやも…しれんな……」

 フェデリコは左側から、アドルフォは右側から、それぞれフラヴィオの顔を覗き込んだ。

 黙考しているその顔は、何か知っている風だった。

「なぁフェーデ、ドルフ。余は、オルキデーア・プリームラ全ての貴族の家を訪ねたことがある。その中で、未だひとりだけ会ったことのない女――少女がいる。記憶が正しければ――いや、正しいんだが、来月で15歳になる」

「よく覚えていますね」

 と酒池肉林王に感心半分、呆れ半分で声高になった2人の手前、フラヴィオが言葉を続けた。

「それは――7番目の天使は、10年前にプリームラ貴族のエルバ伯エステ・スキーパに『養女』として迎えられた、ベルナデッタ・アンナローロだ」




 王都オルキデーアの隣町プリームラ――元プリームラ国――出身の伯爵エステ・スキーパの屋敷の地下。

 周りから『ベル』の略称で呼ばれているベルナデッタは、自身を除くこの家の住人6人すべての昼食を作っていた。

 その手が、ふと止まる。

 脳裏に過ぎった。

 数時間前に玄関から外へ出た、その瞬間のことが。

 一人の偉く派手な金髪碧眼の男が目に飛び込んで来て、玄関の扉を開けた状態のまま、ぽかんと立ち尽くしてしまった。

 ベルはこの家の主エステ・スキーパの『養女』として迎えられたが、それは表面上だけのことで、実際は奴隷、良くて下働きだった。

 霜降りの肉やバターブッロ、砂糖たっぷりの菓子ばかりを食べるこの家の住人が、少量だけ食べる野菜の皮や、床に落とした等の理由から、残ったパンパーネなどを寝る前に食べ、地下室の厨房で眠る。

 そのまま無事に朝を迎えられた日は、少しだけ幸せだった。

 何故なら、夜中に主のエステ・スキーパやその2人の息子が、暴行しに来ることがある故に。

 また、家で過ごすことも多い女たちには、日中常に嫌がらせを受けている。

 作った食事を不味いと言われて、頭から掛けられたり。

 床にわざと落とした料理を、這いつくばって食べるよう命令されたり。

 仕事を邪魔しておきながら、遅いと怒号、体罰を与えられたり。

 養女として迎えられてからこの10年間はそんな感じで、ほとんど外に出たことも、また出ることも許されなかった。

 3日に一度はエステ・スキーパが言うのだ。

「分かってるな、ベル。外に出るんじゃないぞ。おまえのような女があの酒池肉林王に見つかったら大変なことになる」

 ベルは何を言われても、基本的に『はいスィー』の一言だけ返す。

 そうすれば、暴行を受ける数が減るからだ。

 今では、殴られることにも罵倒されることにも慣れた。

 最後の笑顔も涙も、いつだったか忘れてしまった。

 だが身体の方は痣だらけになっても慣れないらしく、いつまで経っても痛いものは痛い。

 それ故、おとなしく『スィー』の返事をしてなるべく暴行から逃れていた。

 だが先ほど、そのめいを破ってしまったらしい。

 家から出て行ったばかりの主が玄関先に忘れ物をし、それをすぐに届けようと思って外に出たからだ。
 
 酒池肉林王ことフラヴィオ・マストランジェロの顔は、これまで見たことがなかった。

 それでも、一瞬で分かった。

 毎月のように、王族の誕生日パラータが行われていることは知っている。

 その中でも、毎年8月に起こる歓声が最も大きいことや、この時期のこの家の女たちの会話が陛下、陛下でフラヴィオ一色になること。

 そうなると、この家の男たちの機嫌が悪くなること。

 そして、見るからに只者では無いあのド派手さと、内から溢れる気品と自信。

 それから酒池肉林王と呼ばれる一方で、『力の王』の別名もあるその強さを感じた。

 本当に、一瞬だった。

(あれが、フラヴィオ・マストランジェロ陛下)

 そう、確信したのは。
 
 また、傍らにいたフラヴィオと瓜二つの男が、弟の大公フェデリコ・マストランジェロであることも分かった。

 本当に瓜二つなのに、その印象が正反対なのが不思議だった。

 もう一人の黒尽くめの大男が、フラヴィオ・フェデリコ兄弟と親しいらしい、侯爵アドルフォ・ガリバルディだということも分かった。

 驚いた。

 エステ・スキーパやその息子たちが「あれは化け物だ」とか「人間離れしている」とか言っているのを聞く度に大袈裟に感じていたが、本当だったという意味で驚いた。

 でも、エステ・スキーパたちよりもずっと誠実な眼差しをしていた。

 ふと、10年前に亡くなった母親の話が、声が蘇る――

「いいかい、ベル。王都オルキデーアとこのプリームラ町は、昔はそれぞれ一つの国でね。この島は、二国に分かれていたんだ」

 夜寝る前、布団の中で母がそう話し出した。
 
 5歳まで育った実家はここ王都オルキデーアではなく、隣町プリームラの農家だったことを覚えている。

「あんたが生まれた頃はもう王政――プリームラ国がまるっとプリームラ国王のものだったけど、それよりも一昔前は王様以外に貴族も領地を持っていてね。王政になってからの貴族たちは、王様の軍隊の将軍となったり文官となって給料をもらっているけど、その前の貴族っていうのは自分の領地で自治していたのさ。その時代、この辺の土地はエルバ伯爵領だったんだよ」

 エルバ伯爵。

 その言葉を、近所の農民たちが話しているのをベルは聞いたことがあった。

「エルバはくしゃくって、人じゃないの?」

「元は土地の名前さ。王政になってからは名誉称号になってるけど、元はその土地の領主だから皆そう呼んでるのさ」

「りょーしゅって?」

「分かりやすく言うなら、その土地の王様って感じかな。でもあくまでも貴族であって、プリームラ国の王様は別にちゃんといたんだけどね」

 想像したら頭の中で王様があちこちに現れたものだから、ベルは不思議に思いながら「ふーん?」と小首を傾げて母の話を聞いていた。

「その時代、領主――土地の王様は、あたしたち民衆を奴隷にしていたのさ。ちなみに民衆のほとんどが農民だ。それはオルキデーア国の方も同じだったけど、こっちに比べたらマシだったらしい。オルキデーア国の王様は、今の陛下の父さん――リッカルド・マストランジェロ陛下でね、奴隷にされている女子供を救うためにオルキデーア国を王政にしたって聞いてるよ。まぁ、先に王政になったのはプリームラ国の方なんだけどね」

 母を含め、多くの民衆が期待したという。

 プリームラ国が王政になったことで、何か変わるのではないか、奴隷から解放されるのではないか、と。

「でもね」と母の顔が沈んだ。

「王政になったらなったで、プリームラ国王は民衆から稼ぎの9割もの税を取り上げたのさ。貴族たちの態度も相変わらずで、何も変わらなかった。まともに食べていくことが出来ないから、餓死する民衆が絶えなかった」

 ベルの記憶にない父親も、その犠牲だと母は言った。

 父は、わずかに確保出来た食料を、母にばかり食べさせていたという。

 お腹の中に、最愛の小さな命――ベルがいたからだった。

 それ故、ベルが生まれて間もなく餓死という形で命を落としてしまった。

 その後は母がベルを背負いながら、日の出から日の入りまで必死に農作業をする日々が続いた。

「でもそんなある日――あんたが1歳になって2ヵ月や3ヵ月ほど経った冬のことさ。こんな声が聞こえて来た――「アドルフォ・ガリバルディ閣下がオルキデーア国に寝返ったぞ!」 ……それはそれはもう、今度こそ期待したよ。みんな、みーんな」

 その言葉通り、今度は母の顔が明るくなった。

「だってね、アドルフォ閣下は人間離れして強いし、見た目が怖そうだから近寄れなかったけど、他の貴族と違ってとても真面目で誠実な人なのはあたしたち民衆のあいだでも有名だったんだ。だからプリームラ国王に耐えられなくなってオルキデーア国に寝返ったんだ、オルキデーア国王と一緒にあたしたちプリームラ国民を助けてくれるんだって、そう思ったよ」

「今のへいかの父さんといっしょに?」

「ああ、違う違う。リッカルド先王陛下はね、そのちょっと前――オルキデーア国を王政にしてから間もなく、流行の病で亡くなってしまったんだ。王妃様や、幼い王子様たちもそう。本当に、3人に1人が死んでしまうほどの酷い病だった。だからそれまで王太子だった今の陛下が、王になったんだ。弟のフェデリコ閣下は大公になってね。で、アドルフォ閣下はそのお2人のところに行ったんだよ」

 そして、プリームラ民衆の願いはすぐに叶うことになった。

「アドルフォ閣下が寝返ったとの声から、数日後のことだった。オルキデーア国とプリームラ国の、戦が始まったのは。この辺の男たちも戦に駆り出されたのが気掛かりだったけど、安心感の方が大きかった。ああ、これでやっと救われるんだ……ってね」

 それは、プリームラ国を囲う市壁の西門の外で行われた。

 農村は南門の外にあったとはいえ、流れ弾を食らわぬよう、プリームラ農民は皆家の中に隠れていた。

「でもさ、この家の位置だと西門のあたりがよく見えるだろう? あんたはすやすやと眠っていたけど、あたしは家の角からその戦の行く末を見ていたんだ。ああ、いたいた、いたさ」

 当時オルキデーア国の王に即位したばかりの18歳だったフラヴィオと、17歳のフェデリコ。

 そしてそれまで、プリームラ国の貴族だった17歳のアドルフォが。
 
 流行の病が終息した直後により、以前と比べて将兵の数が少なくなったのは明らかだった。

 どちらも民衆から狩り出した兵を入れても、5千~6千程度の軍だっただろうと母は言った。

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