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116-2 魅惑
しおりを挟むダリウスは目の前に置かれたその黒い液体から目が逸らせなかった。
商家の出身故様々な商品を見る事はあったが、果たして今目の前にあるものと出会った事はあっただろうか。
確かソレに似た黒い液体を一番上の兄が飲んでいたような気もするが、それとこれは全くの別物なのだろう。もし同じものだとしたら、飲料としていた兄の味覚を疑うところだ。
また一つとルクラーに手を伸ばし、その黒い液体と緑なら物体をほんの少しつけパクリと口内へと誘う。
冷たいルクラーの身は普段食べてるものとはまた違う所感で、濃厚な甘さで美味い。海水とは違う塩っけと、鼻へとくる辛さがルクラーの甘さを引き立てていた。
以前生でルクラーを食べた事はあったがもこんなに食べ応えのある食感ではなかったはずだ。
以前食べたものと何が違うとと自分に問えば、下処理の仕方しかないと考えた。
一本食べ終えるとまた次へと手を出し続け、気づいた時にはリズエッタとアルノーの姿はなく、そこにいたのはダリウスとスヴェンの二人のみ。
やってしまったと眉を潜めるダリウスを面白そうに観察していたスヴェンは、ニヤニヤと頬を緩ませながら徐に気になるかと声をかけた。
「リズエッタの作る飯は旨い、まぁそれはアルノーから聞いているだろうけどよ。 で、お前はどう思う?」
「……それはどう言った意味で、ですか?」
「商人の息子としてに決まっているだろう?」
指で机を叩くスヴェンの顔にはすでに笑みはなく、ただじっとダリウスを見つめている。
それはまるで敵を見ているような鋭いもので、ダリウスは背筋を伸ばしてスヴェンへと向き直した。
「商人として、ですと理解できないってのが本心です。 まずこの液体はなんですか? こんなもの俺は知らない。食べたことなんてないし見たことすらない。 塩っぱさを感じるので塩を使った調味料だと考えることは出来ますが、どうやって作ってるんです? 味に深みもあるのでスヴェンさんが扱ってるのたら是非購入したいですし、これを使ってリズエッタさんは調理してるんですよね? 多分飲食店を営んでる人は買い求めると思います。 街じゃ彼女の料理は有名ですし」
ダリウスがいう液体とはもちろんスヴェンの知るところの醤油である。
だがこれはリズエッタの庭でできているもので、スヴェンは作り方など知らない。
本来なら大豆を使って作られるものだがそれすらスヴェンは知らず、果物のように実になってるなんてリズエッタ以外誰も知り得ない事実でもある。
リズエッタは当たり前のように使っている醤油然り、その他調味料は今のところ作られている場所はなかった。
保存食という隠れ蓑がある故に公に出ていないだけで、リズエッタが生み出す調味料そのものに価値があるとスヴェンは考えていたが、ようやくそれが判明された。
保存食だけでなくこれらを販売すれば、塩に勝る調味料として高値で扱われることになるだろう。
「俺は扱っちゃいねぇよ。 これは郷土料理みてぇなもので量産できねぇ。 欲しけりゃリズエッタとアルノーに頭下げな」
「そうですか、残念です。 アルノーに這いつくばってでも頼んでみることにします」
だがそうは簡単に売れないのも事実。
リズエッタの庭になるものはもれなく"イレギュラー"を発揮してしまう。
それが外部に流失した挙句"奇跡"を多発してしまえば、リズエッタの身は危険にさらされる。
ただでさえ領主に目をつけられているというのにこれ以上の外部からの厄介は受けたくないのだ。
しかし商会の息子のダリウスが売り物になるというのならば、万が一の時これらを売る話を領主に通しても悪くないとスヴェンは考えた。
というのも騎士団の食事事情は己の身をもって体験したが惨憺たるもので、最悪、木の根を食うこともあったからだ。
今はリズエッタの卸す保存食でましになっただろうが、量は賄えていないに違いない。
万が一、そう、万が一。
領主が権力を武器にしてきた時の逃げ道があった方がいい。
そうスヴェンは胸に刻み込んだ。
「次の料理はルクラーのクリームコロッケだよー!」
数分後、二人の話し合いなど知らないリズエッタとアルノーが運んできたのはダリウスが見たことのない料理であった。
正確に言えばルクラーの爪が生えている揚げ物なんて見たことない、だが。
「まだ熱いからフーフーしてたべてね! ソースとタルタルはお好みで!」
いただきますと手を合わせる姉弟とスヴェンを眺め、ダリウスは同様の行動をし新たな料理へと手を伸ばす。
まだ暑いルクラーの爪を掴み噛みつこうとするとアルノーに止められ、見様見真似で皿の上で身へナイフを入れる。
するとルクラーの身ではなくトロッとしたクリームのようなものが現れたではないか。
白い湯気を纏うソレをフォークに乗せ、言われた通りに息を吹きかけ口の中へと放り込むと、思ってもいなかった食感と味が、口内へ広がる。
程よく柔らかなクリームは甘く、ソレでしっかりルクラーの旨味も閉じ込めている。トロトロの中身とは裏腹に衣はザクザクという噛みごたえ。
今まで食べたことのないその食べ物にウットリと目尻を緩ませ幸福を噛み締めていると、他の三人は各々に違う食べ方をしているのがみてとれた。
アルノーは黒いソースをかけ、スヴェンは真逆の白いソースをかけている。
調理したリズエッタはそのままチマチマと食べているが、たまにその二種類のソースを使い分けているようにもみえる。
三人に倣いダリウスは各々のソースをルクラーにかけて食してみると、ソレらの美味しさに驚愕し己の認識の甘さを呪った。
もう、ほかの料理が食べられない。
もう、学院の料理がうまいなんて思えない、と。
「……リズエッタ、さん。 この液体ってもらえたりする? します?」
「ん? ソースとタルタルですか? ソースはなんとかなりますけどタルタルは保存が効かないから無理ですかね? あ、かわりに醤油もつけましょうか? ルクラーにつけたやつなんですけどそこそこ保存効くので!」
「お願いしますっ!」
ダリウスはその日からひたすら頭を悩ませることになる、
どうすればアルノーの友人の立場から、リズエッタの友人へと変われるのかと。
そしてどうすればあの料理の数々をまた食べられるかと。
そして同時にその日から自炊する方法を真剣に学んだのである。
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