望まぬ世界で生きるには

10期

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2 壊れた日常

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 場所を移動してもなお美琴は泣き続けそして佳乃以外の言葉を聞く事はない。誰かがその手に触れようものなら振り払い、そして憎々しげに淀んだ視線を向けた。
 そんな彼女の様子に困った彼等は致し方なく二人を部屋で休ませることにしたのだ。

 しかしながら壊れた玩具の様に泣き続けた美琴は佳乃の手を離す事はなく、聖女さまに、と用意されたその部屋に入ってもなお佳乃の手をはさない。
 困り果てた佳乃は致し方なくその部屋で休息をとることにした。

 絢爛豪華な一室に、これまた煌びやかなキングサイズのベッド。
 泣き疲れた美琴はふかふかなベッドへ導けば、ストンと身体を沈め、そしてすぐ様小さく寝息を立てる。
 紺色のセーラー服の所々に涙のシミができ、同じ状況だと言うのに佳乃には痛々しく思えた。

「ーー中学生、イヤ、高校生かな。 ほんとおつかれ」

 美琴の日本人独特の黒髪を撫で、佳乃はふらりとソファーへ腰掛ける。
 持病の偏頭痛か疲れからかの頭痛かは分からないが、どうも頭が痛む。目頭押さえつつ高い天井を見れば、そこには豪壮なシャンデリアが目についた。
 どうやらこの国では聖女と言うだけでこれほどの扱いを受けるほどの存在らしい。

 痛む頭を横に向け寝息を立てる美琴見て、佳乃はその頬に刻まれた複雑な紋章を思い出す。

 佳乃にはない、美琴にしかないその紋章。
 それは大精霊に愛された聖女の証らしい。

 それが、美琴が聖女たる証拠なのだ。

「嗚呼、面倒くさい。 帰りたい。 帰りたい。 ーーどうして」

 どうして私が聖女じゃない。
 なんて、事は思わない。

 ただ思うのはどうして巻き込まれたのだと、何故帰れないのだと。
 何がおかしかったのだと。
 歯を食いしばり天井を仰ぐも、プツリと糸が切れた様に大粒の涙が佳乃の瞳から溢れ出した。






 沢渡佳乃は特に変哲のない、何処にでもいるようなただの女だ。
 年にして二十六、彼氏はいた事はあったが今はなし。化粧っ気のない顔は可愛くもなければ綺麗でもない普通の顔。
 仕事もブルーカラーと呼ばれる工場職員で、特に代わり映えのない凡人だ。

 一つだけ、人とは違ったところと言えば狩猟を行なっていた事くらいだろう。
 趣味と言えるようなものではなく、田舎と呼ばれる土地にある実家の害獣を駆除するためだけに免許を取り、猪や鹿を狩る。時より頼まれれば地元の猟友会ともに有害駆除を行うことがもあった。
 ここ最近で女の猟師も増えているが、猟自体をあまり良しとしない人によっては変わり者に見えていただろう。

 二十二から働いていた工場ではありがたい事に理解示してくれ同僚にも恵まれ、変わり者のレッテルを貼られながらも上手い具合に過ごしてきた。

 そして今日もそうだった。

「沢渡ちゃん、最近は肉の差し入れないね」
「もう前期の猟期は終わりましたからねぇ。 次は早くても十一月ですねー」

 少しずつ日が伸びて、五月半ばでは十七時半定時を過ぎても外は明るい。
 ニコニコ笑って肉の催促をする同僚は佳乃と一回りも年の違う男性だが、変なところで気があって仲良くさせてもらっている。
 人付き合いの苦手な佳乃にとっては、良き理解者でもあった。

「それじゃあお疲れさん」
「オツカレサマデース」

 就業の時間を知らせるベルが鳴ると共に、苦手な同僚の目を盗むようにそそくさと工場を後にする。
 見つかったら最後、残業しないのかとニヤニヤと笑って精神を追い詰めるプロだと佳乃は認識していた。

 タイムカードを押して会社の門を小走りで抜けていく。
 佳乃の住むアパートまでは徒歩十数分。
 いつも通りの道を、いつも通りに夕食のおかずを考えいつも通りに歩めば、当たり前のように家に帰れるはずだった。

 そして今日、五月十四日。不運にもそれは起こった。
 時たま目にする女子高生とすれ違うその一瞬、ぐらりと世界が揺れた。

 地震かと疑う暇のないその一瞬で世界は反転し、気づけば目の前にいたのは顔の彫りの深い、見慣れぬ服を着た複数人の男女。
 キョロキョロと瞳を動かしてあたりを疑っていると、作業着を後ろから握り締められた。
 不安に眉をひそめた佳乃が振り向くと、そこには同じように不安を抱いた瞳をした少女がそこにいた。
 しかしながら佳乃はその少女の表情よりも、その頬に薄く光を放つ見たこともない紋章に目を奪われた。

 複雑な模様をいくつも重ね合わせようなその紋章はとても美しいが、まだ幼い少女には似つかわしくない。
 未だに日本では刺青は良くないものとされており、このような大胆な刺青をこのか弱そうな少女が入れるとも思えなかった。

「あの、私の顔に何か」

 小さな囁くような声を少女があげれば、目の前にいたのは人々までもその少女へと釘付けになる。
 そしてある者は跪き、またある者は嗚咽をもらして頭を垂れた。

「良くおいでくださった、聖女様」

 嗄れた声が、老いた老人が、そっと二人へと近づき、そして伸ばされた手は佳乃を避けて少女へと伸ばされた。
 その手に怯えた少女はまた佳乃のシャツを強く握り締め、そしてその瞳に涙を溜める。
 対応のできない少女に変わり佳乃は腹をくくって口を開いた。

「あの、私は沢渡佳乃と言います。それでここは何処でしょうか。 貴方は誰でしょうか。 この子、怯えてるみたいなんで取り敢えず下がってください」

 実際に怯えているのは佳乃も同じなのだが、彼女より大人である故に必然的に彼女の前へと身体を滑らせる。
 老人は伸ばした手をそっと下げて跪き、そしてゆっくりと口を開いた。

「此処はニーファム。 そして私はこの国を治める王、デルク・ファーサイス。 貴女の後ろにいらっしゃる聖女様を召喚した当人である。 貴女は聖女様の使いか何かではないのか?」
「は? 使いも何も赤の他人、今初めてあった者同士ですが」

 正確に言えば彼女とは何回か顔を合わせていたが、互いに名前も知らないし他人で間違ってはいない。
 しかしながら使いなどと初めてあった相手に使用人扱いされるとは佳乃は夢にも思っていなかった。

 佳乃はそこで真後ろで怯える少女に声をかけ、そして貴女の名前は何?と声をかけた。

「私、は、柊美琴、です。 その、セイジョサマとやらではありません!」
「そんなわけがあるまい! 貴女様の顔に刻まれたそれは、確かに聖女様である証なのです!」

 必死に名前を述べた少女、美琴の声をかき消すようにデルクは声を上げ、それに怯えた美琴はまたもや佳乃の背中へと身を隠す。
 佳乃本人も訳の分からない状況に隠れたくもなったが、デルクと美琴に挟まれ、どうにも出来ずにいた。

「貴女様はこの世界を救う聖女様なのです! いきなり御呼び立てたのは申し訳ありませんが、貴女しかこの世界を救える者はいないのです!」
「そんなの知らない! あんたなんて知らない! 変な冗談はやめて! 早く家に帰して!」
「家に帰る!? そんなこと出来ません! 貴女がいなくなってしまえば世界は滅んでしまう! 王としてそれは防がなければならぬのです! ご理解を!」
「いやだ! 知らない! 帰る!」

 佳乃は己の体を挟んで行われるその争いに口出しすることはなく、デルクの放った言葉の意味を考えた。
 目の前いるのは冗談でもドッキリでもなければ何処かの国の王様で、背後にいる美琴を呼びたくて呼んだ。
 そして尚且つ家に返すつもりはなく、世界を救うという定義の元自分勝手に美琴を返すつもりはない。

 ならば、必要とされていない佳乃自身は変えることは可能ではないかと。

 ドクドクと通常よりも早く脈打つ胸に手を当て、佳乃は声高らかに言葉を発した。

「あの! "帰せない"のであって、"帰れない"訳ではないですよね! それなら、ホラ、協力とかできるのでは!?」

 主に美琴が。
 とは付け加えやしないが、本心は後ろの女子高生に押し付けて帰して貰えばいい、である。
 最低な選択に思えるだろうな、所詮他人は他人。大切なのは自分だけ。
 美琴と共にいる義務も責任も佳乃にはないのだから。

「それはーー」
「無理難題ですね。 正確に言えば帰す方法は無くはないか、分からない。が正しい言葉かと」

 行き詰まるデルクの代わりに佳乃問いに答えたのは髪の長い女性であった。
 その答えに佳乃も美琴と顔を引きつらせ、そしてその表情を見た女は淡々と語った。

「私達はこの国を世界を救うべく異界の地から聖女様をお呼びいたしました。しかしながらお呼びしたのは聖女様お一人だけ。ですが此処に貴女はいらっしゃる。つまりそれだけ余分の力も使ってしまった訳です」
「じゃ、じゃあ、私のせいで帰れない、と?」
「いえ、それは違います。 たとえ貴女が此処にいなくとも、今の状態では力が足りません。 それに貴女のおっしゃったようにご帰還され方法は確かにあるのです。有りはしますが、それを実行する方法も力も、今の私達にはございません。 ーーもしご帰還される方法がすぐに分かったとしても、それから数年はかかるかと」

 なんて理不尽な。

 佳乃は顔を更に引きつらせて女を見た。
 方法かあるけど実行出来ない。と言うことは呼び出す過程は理解している、もしくは記述があったということ。
 だが逆が出来ないということは帰還方法だけが何らかの不都合と力不足により出来ないということなのだろう。
 こうなる可能性を見出せず身勝手に聖女となる美琴をよんだのならば余りにも身勝手すぎる理由だ。

「いやだ! そんなの嫌! 帰りたい! いますぐ帰りたいよぉ」

 佳乃の背中で怯えていた美琴は女の発言を聴き、帰りたいという言葉だけを連呼して泣き叫ぶ。
 その姿に泣きたいのは私も一緒なのにと佳乃は歯を食いしばったのだ。



 どうしようもない現実に、一瞬で壊された日常に、佳乃はその理不尽さに、唯々怒りを覚えたのだ。
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