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第十ニ話 夫婦喧嘩は犬も食わない

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春の部屋に入ってきたのは、水神の雨音あまねと雨夜あまよだった。

「綺麗な女性は多い方がええと思って、俺が呼んでん」
揚戸与が二人を部屋に招き入れながら言った。

「お久しぶり、木蘭さん、揚戸与さん」と雨音が狐の夫婦に挨拶した。

「あ、もう料理なくなってるじゃない!それを楽しみに来たのに」雨夜は部屋に入るなり重箱に飛びついて悲しそうに言った。

「残念やったなあ。もう売り切れや」木蘭が雨夜の肩をたたきながら言う。

「私たちも差し入れを持ってきたよ。お酒と、瑞穂には甜茶だよ」
雨音はお酒を木蘭に、甜茶を瑞穂に渡した。瑞穂は雨音に甜茶をもらって、さっそく湯を沸かしに台所に行った。少し機嫌がよくなっているようだ。

「それにしても突然誘ったのによく来てくれたなあ」揚戸与が嬉しそうに言った。

「今日はね、正直出かけたいなと思ってたの」雨音の表情が陰った。雨夜もやれやれという顔をしている。

「今日瑞穂が帰ってから、雷神がうちに来てさ。また霧姉と喧嘩が始まっちゃたわけ。あの二人の喧嘩が始まると、私たちじゃ手がつけられないんだわ。多分今日ももうすぐ嵐になるよ」

そう言う雨夜はやけ酒と言わんばかりに、ぐいぐい酒を呑む。

「雷神様と雨霧さんは仲が悪いの?」葵が聞いた。

「うーんと、昔からあの二人はくっついたり離れたりを繰り返してるのよ。仲良い時はすっごいベタベタしてるんだけどね。でもどうせすぐ喧嘩になるんだから辞めときゃいいのにさぁ。懲りないんだなこれが」

「その、雨霧さんと雷神様は恋人同士ってこと?」

「まあそういうことね」雨夜は溜息をついた。雨音は苦笑いをしている。
そこに瑞穂が甜茶を淹れて部屋に戻ってきた。

「瑞穂ぉ!なんか酒の肴になるもの作ってきてよ!」
雨夜が甜茶の入った急須を持って、まだ座ってもいない瑞穂に言った。

「何で私が!自分で作ればいいだろう」

瑞穂は雨夜の頼みを一蹴して、座布団の上に座ると湯呑みに甜茶を注いだ。

「いつも面倒見てやってるのに。ケチ」と言って雨夜は杯に並々と酒を注いで一気に飲み干した。

すると木蘭が立ち上がって、
「しゃーないなぁ、私がなんか作ったげるわ。けどあんたタダでとは言わせんで」
そう言って木蘭は雨夜に酒の肴の対価になるものを要求した。雨夜はそれじゃあ、と代わりに三味線を披露するということで取引が成立した。木蘭の料理に見合う演奏となるといかほどのものなのだろう。葵は早く雨夜の三味線を聞きたかった。

「河童のお嬢ちゃんもお手伝いや、あとゴンもな」と木蘭は有無を言わさず葵とゴンを台所に引き連れて行った。

台所に着くと、木蘭はゴンに食材の有無を確認した。そしてテキパキとゴンに指示を出して食材を取って来させた。
木蘭が作り始めたのは稲荷寿司だった。凍らせておいたご飯をうまい加減に狐火で解凍して、素早く酢飯にしていく。

「木蘭さんてもしかして稲荷神社の関係の狐さんなんですか?」
葵が稲荷寿司を作る木蘭の隣で、胡瓜を切りながら聞いた。

「私らが稲荷んとこの?嫌やわあ、やめてやめて、あんな堅苦しい狐らと一緒にするの」

「ごめんなさい。強い妖怪だって聞いて、しかも稲荷寿司作ってるからそうなのかなって思っちゃいました」

「これは揚戸与が好きやから、よう作るんやわ。それにあそこの狐はそんなに強い狐らとちゃうで。そもそも、そない力あらへんから神の使いなんかやってるんよ」

「俺が瑞穂の側にいることで得してるみたいに、稲荷さんとこの狐も神様の近くにいると何かと良いことがあるんだよ。完全に独立してるのは木蘭さんと揚戸与さんくらいだ。神様くらい力があるからな」

妖怪や神様は嫌なことはやらないと言っていたが、生きるためには働かないといけない者もいるようだ。結局ここもなかなか世知辛い世界だ。

三人は、木蘭の稲荷寿司と、葵が作った胡瓜の梅肉和え、そして瑞穂が漬けている糠漬けを少々もらって、春の部屋へ向かった。
その途中、春の部屋から三味線の音が聞こえてきた。もう雨夜が三味線を弾いているらしい。そして演奏だけでなく、歌も唄っているようだ。
雨夜が唄う歌は、葵がどこかで聞いたことがある歌だった…
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