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第十一話 妻の言うに向山も動く
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春の座敷には狐の揚戸与と瑞穂がいた。
「お二人さん、待ちくたびれたで。瑞穂君はお酒飲んでくれへんし、仏頂面やし、退屈しててん」
「退屈なら帰ればいいだろう」瑞穂はひどく不機嫌な様子だ。どうやらよっぽど揚戸与のことが苦手と見える。
「揚戸与さんなんでここに?屋敷に来るならさっき言ってくれたらよかったのに」
ゴンが言った。
「帰ろうと思ってたんやけどな、ゴンと河童ちゃんに会ったら、やっぱり瑞穂君にも会いたくなってしもてなあ。寄らしてもらうことにしてん」
「じゃあ酒のつまみでも買ってこれば良かったですね。今、鯛焼きしかないですよ」
ゴンは鯛焼きの包みを見せた。
「ええよ、気つかわんで。それに、もうすぐ俺の妻も来るから、なんか持ってきてくれるわ、たぶん」
噂をしていると、ちょうど本人が到着したようだ。
玄関の方で「こんばんは」と、揚戸与と同じ関西訛りのあいさつが聞こえた。そして、あいさつが聞こえたのとほぼ同時に春の部屋の襖が開いた。
襖の向こうには、白拍子のような水干姿の女性が立っていた。髪は揚戸与と同じく真っ白だが、揚戸与の毛羽だった髪とは違ってずっと艶があってたおやかだ。水の女神も美しかったが、揚戸与の妻はもっと色っぽくて、どこか畏怖をも感じさせる、そんな美しさの持ち主だった。
「木蘭もくらんすまんなあ、わざわざ」揚戸与が妻の持ってきた大きな荷物を受け取った。
「このひとが、言うてた妻の木蘭や」揚戸与が葵に妻の木蘭を紹介してくれた。
木蘭は葵のところに近づいてきて、
「この子が噂の河童のお嬢ちゃん?なんかほんまに、面白いなあ…うん面白いわ」
そういって葵を頭の先から足の先までじっくり眺めた。
「お嬢ちゃん、揚戸与になんか変なことされへんかったか?この狐は女の子見つけたら口説かな気がすまへん質やからなぁ。不快なこと言われたりしたら、しばいてええのよ」
「いえ、むしろチンピラに絡まれてるところを助けて頂きました」
葵はナンパされたことは言わなかった。
「そやで、この子がしょうもないやつに絡まれてるの助けてあげたんやで、俺」
「そうか。ほなええけど、女の子に迷惑かけてその尻ぬぐいするんは、あたしなんやからな。綺麗に遊べんやつは飯抜きにするからな」
「分かってるって木蘭に迷惑かけるような恥ずかしいことはしーひん」
「ほんまかいな…。そしたらさっさと、その包み開いてちょうだい。せっかくの料理が冷めてしまうわ」
木蘭が持ってきた大きな荷物は、重箱だった。重箱の中にはおせちのような豪華な料理が三段分、詰め込まれていた。
葵たちは揚戸与が持ってきた酒と、木蘭が持ってきた料理で宴会を始めた。本当に神様も妖怪も宴会が大好きだ。酒と肴さえあればどこでも宴会場になってしまう。しかし瑞穂だけは、熱いお茶をすすりながら、木蘭の持ってきた重箱をつついていた。
ぎっしり詰まっていた重箱の料理はあっという間になくなってしまい、酒がいい具合にまわり始めたころ、葵は酔っぱらった勢いで気になっていたことを木蘭に聞いてみた。
「木蘭さんは、揚戸与さんがその…女のひとに声かけたりするの嫌じゃないんですか?」
「全然。女遊びもできひん男なんてつまらんやろ」木蘭はあっけらかんと言った。
「強い…ですね。私彼氏に浮気とかされたら絶対耐えられませんよ」
「そうか?あたしは、もてる男のほうがええわ。そういう男の妻でいるほうが気持ちいいやんか」
木蘭はそう言って、くいっと酒を飲み干した。
「俺の妻、ほんまにいい女やろ?また惚れ直してしまうわ」
揚戸与が目をきらきらさせて、葵に言った。葵も女ながら木蘭に惚れそうだ。と思った。こんなに美しくて強い女性には会ったことがない。この余裕は、いったいどこから来るのだろうか。葵には百年かかってもこの心の余裕は得られる気がしなかった。
「のろけ話なら家に帰ってすればいいだろう」
一人、しらふの瑞穂がボソッと言った。
「なんや焼きもちか?坊や」木蘭は子どもをなだめるように言った。
「その坊やというのは辞めてくれ」
「ほな、そやなあ…嫩黄どんこうの君とでも呼びましょか」と木蘭は楽しそうに言った。
「どんこうって?」葵は初めて聞く言葉だった。
「嫩黄っていうのは、新芽のような色を指す言葉や。嫩黄の嫩という字は、若い、みずみずしい、未熟とかそういう意味があるから、瑞穂にぴったりやろう?」
と言って木蘭はくすっと笑った。
「木蘭姉さんの言葉遊びには勝てねえよ。諦めな瑞穂」
ほろ酔い気分のゴンが瑞穂に言った。
「やっぱ痺れるわ。俺の妻」
とこちらもほろ酔いの揚戸与が自分に言い聞かせるように呟いた。
瑞穂はさらにむすっとして、湯呑みに残っていたお茶をずずっと飲み干した。
「やっぱりまだまだ『坊や』やなぁ」
と木蘭が葵に目配せしながら言った。
今日の春の部屋は普段より暖かかった。同じ季節でも日によって若干の気温差がある。今日は春の中ではかなり暖かい日だった。そして、夜が更けてくると、ぱらぱらと雨が降り出した。
「こんばんは」
またもや玄関のほうから女性の声が聞こえた。足音が春の部屋に近づいてくる。どうやら一人ではないようだ。襖を開けたのは…
「お二人さん、待ちくたびれたで。瑞穂君はお酒飲んでくれへんし、仏頂面やし、退屈しててん」
「退屈なら帰ればいいだろう」瑞穂はひどく不機嫌な様子だ。どうやらよっぽど揚戸与のことが苦手と見える。
「揚戸与さんなんでここに?屋敷に来るならさっき言ってくれたらよかったのに」
ゴンが言った。
「帰ろうと思ってたんやけどな、ゴンと河童ちゃんに会ったら、やっぱり瑞穂君にも会いたくなってしもてなあ。寄らしてもらうことにしてん」
「じゃあ酒のつまみでも買ってこれば良かったですね。今、鯛焼きしかないですよ」
ゴンは鯛焼きの包みを見せた。
「ええよ、気つかわんで。それに、もうすぐ俺の妻も来るから、なんか持ってきてくれるわ、たぶん」
噂をしていると、ちょうど本人が到着したようだ。
玄関の方で「こんばんは」と、揚戸与と同じ関西訛りのあいさつが聞こえた。そして、あいさつが聞こえたのとほぼ同時に春の部屋の襖が開いた。
襖の向こうには、白拍子のような水干姿の女性が立っていた。髪は揚戸与と同じく真っ白だが、揚戸与の毛羽だった髪とは違ってずっと艶があってたおやかだ。水の女神も美しかったが、揚戸与の妻はもっと色っぽくて、どこか畏怖をも感じさせる、そんな美しさの持ち主だった。
「木蘭もくらんすまんなあ、わざわざ」揚戸与が妻の持ってきた大きな荷物を受け取った。
「このひとが、言うてた妻の木蘭や」揚戸与が葵に妻の木蘭を紹介してくれた。
木蘭は葵のところに近づいてきて、
「この子が噂の河童のお嬢ちゃん?なんかほんまに、面白いなあ…うん面白いわ」
そういって葵を頭の先から足の先までじっくり眺めた。
「お嬢ちゃん、揚戸与になんか変なことされへんかったか?この狐は女の子見つけたら口説かな気がすまへん質やからなぁ。不快なこと言われたりしたら、しばいてええのよ」
「いえ、むしろチンピラに絡まれてるところを助けて頂きました」
葵はナンパされたことは言わなかった。
「そやで、この子がしょうもないやつに絡まれてるの助けてあげたんやで、俺」
「そうか。ほなええけど、女の子に迷惑かけてその尻ぬぐいするんは、あたしなんやからな。綺麗に遊べんやつは飯抜きにするからな」
「分かってるって木蘭に迷惑かけるような恥ずかしいことはしーひん」
「ほんまかいな…。そしたらさっさと、その包み開いてちょうだい。せっかくの料理が冷めてしまうわ」
木蘭が持ってきた大きな荷物は、重箱だった。重箱の中にはおせちのような豪華な料理が三段分、詰め込まれていた。
葵たちは揚戸与が持ってきた酒と、木蘭が持ってきた料理で宴会を始めた。本当に神様も妖怪も宴会が大好きだ。酒と肴さえあればどこでも宴会場になってしまう。しかし瑞穂だけは、熱いお茶をすすりながら、木蘭の持ってきた重箱をつついていた。
ぎっしり詰まっていた重箱の料理はあっという間になくなってしまい、酒がいい具合にまわり始めたころ、葵は酔っぱらった勢いで気になっていたことを木蘭に聞いてみた。
「木蘭さんは、揚戸与さんがその…女のひとに声かけたりするの嫌じゃないんですか?」
「全然。女遊びもできひん男なんてつまらんやろ」木蘭はあっけらかんと言った。
「強い…ですね。私彼氏に浮気とかされたら絶対耐えられませんよ」
「そうか?あたしは、もてる男のほうがええわ。そういう男の妻でいるほうが気持ちいいやんか」
木蘭はそう言って、くいっと酒を飲み干した。
「俺の妻、ほんまにいい女やろ?また惚れ直してしまうわ」
揚戸与が目をきらきらさせて、葵に言った。葵も女ながら木蘭に惚れそうだ。と思った。こんなに美しくて強い女性には会ったことがない。この余裕は、いったいどこから来るのだろうか。葵には百年かかってもこの心の余裕は得られる気がしなかった。
「のろけ話なら家に帰ってすればいいだろう」
一人、しらふの瑞穂がボソッと言った。
「なんや焼きもちか?坊や」木蘭は子どもをなだめるように言った。
「その坊やというのは辞めてくれ」
「ほな、そやなあ…嫩黄どんこうの君とでも呼びましょか」と木蘭は楽しそうに言った。
「どんこうって?」葵は初めて聞く言葉だった。
「嫩黄っていうのは、新芽のような色を指す言葉や。嫩黄の嫩という字は、若い、みずみずしい、未熟とかそういう意味があるから、瑞穂にぴったりやろう?」
と言って木蘭はくすっと笑った。
「木蘭姉さんの言葉遊びには勝てねえよ。諦めな瑞穂」
ほろ酔い気分のゴンが瑞穂に言った。
「やっぱ痺れるわ。俺の妻」
とこちらもほろ酔いの揚戸与が自分に言い聞かせるように呟いた。
瑞穂はさらにむすっとして、湯呑みに残っていたお茶をずずっと飲み干した。
「やっぱりまだまだ『坊や』やなぁ」
と木蘭が葵に目配せしながら言った。
今日の春の部屋は普段より暖かかった。同じ季節でも日によって若干の気温差がある。今日は春の中ではかなり暖かい日だった。そして、夜が更けてくると、ぱらぱらと雨が降り出した。
「こんばんは」
またもや玄関のほうから女性の声が聞こえた。足音が春の部屋に近づいてくる。どうやら一人ではないようだ。襖を開けたのは…
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