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第七話 酒、人を飲む

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葵、ゴン、雨音あまねの宴会は日が暮れても続いていた。
ゴンは早々に日本酒から梅酒に切り替えて、冬の部屋から取ってきた氷で梅酒をロックにして飲んでいる。葵と雨音は、ちびちびと日本酒を飲んでいた。


すると突然、玄関の方から何かがぶつかったような大きな物音がした。


三人ともびっくりして玄関に続く襖の方を見ると、ふらふらの瑞穂が座敷に入ってきた。どうやら相当酔っぱらっているらしい。千鳥足もいいところだ。

「おまえまた飲まされたのか」とゴンが言った。
瑞穂は何も答えず、眉間にしわを寄せたままその場に座り込んだ。

「ええっ、なんでこんなにたくさんお酒飲んだの?」
葵はこんな瑞穂を見るのは初めてだったのでびっくりした。
瑞穂は頭をかかえたままうずくまって動かない。

「いや、こいつ全然酒飲めないんだよ。だからたぶん大した量は飲んでないと思う」

とりあえず三人は瑞穂を布団に寝かせてやった。そして雨音が湯呑みに水を入れて持ってきてくれた。瑞穂はその水を飲むとちょっと頭痛がましになったのか、眉間のしわがだいぶ緩んだ。水神様が汲んだ水はやっぱり特殊なのだろうか。


「飲めないのに何で飲んだの」
葵はあきれた。
飲めないならいつもの偉そうな態度で断ればいいじゃない。
あれ、でも日本酒の原料は米のはず。稲の神様ならお米でできてるお酒とは相性が良さそうなのに…。

「そういえば日本酒ってお米からできているんじゃなかった?何で稲の神様なのにお酒だめなの?」

葵は聞いてみた。するとゴンと雨音がハッとした顔をした。聞いてはいけないことだったのだろうか。
葵が瑞穂の方をちらっと見ると、ものすごい目力で葵を睨んでいた。

「酒なんて所詮毒だ」
と絞り出すような声がきこえた。

雨音が慌てて「もう一度お水取りに行ってくるね」と言って、葵の腕をつかんで台所まで連れ出した。

「私なにかマズイこと聞いちゃった?」さすがに葵も雨音が気を遣ったのだろうということは分かった。

「瑞穂はね、稲の神様なのにお酒が飲めないことを他の神様に馬鹿にされてるの。本人はそれがすごく嫌みたいで、だからいっつも無理して飲んじゃうんだよ」

いつもの瑞穂の様子からすると、誰に何を言われても関係ないと跳ねのけそうな感じなのに、意外とちっぽけなことを気にするようだ。

「神様ってお酒好きが多いからね。それに瑞穂はまだ若い神様だから余計からかわれやすいのよ」

どこの世界も人の弱いところを馬鹿にするやつっているんだな。と葵は思った。



葵たちは伸びている瑞穂をよそに、宴会を再開した。
葵とゴンはもう酒は飲めそうになかったので、誰かからもらったという紫蘇ジュースを持ってきて酒の代わりにした。葵もゴンもまだ宴会を終わらせたくなかった。
雨音はというと、ひとり静かに清酒をあおいでいる。神様はみんなここまで酒が強いのだろうか。そこそこ酒好きの葵でも驚きの酒豪っぷりだ。

「葵、ここの暮らしには慣れた?」
雨音がまったくのシラフというような涼し気な顔で聞いた。

「そうね、思ったより馴染めてるかもしれない。食べ物は自分でとってこなきゃいけないし、お風呂も洗濯も大変だし、小姑みたいに意地悪で毎日うるさいひともいるけど、こうやって楽しくお酒飲んだりできて、わりと河童としての生活を楽しめてる気がする」

雨音は葵の話を聞いて楽しそうに笑った。

実際、生活の面は本当に大変だった。まず食べ物の調達が一苦労だ。この世界に、ものの数十分で届く便利な宅配料理なんてものはない。それどころかスーパーやコンビニもない。
お金のために働かなくていい代わりに、食べ物は自分で獲ってこなくてはいけないのだ。

野菜や魚、鳥、卵。食べるものは全部自力でなんとかしなくてはならない。

ただ瑞穂がいるおかげで米にだけは困らなかった。いつでも蔵にはお米がたくさんあったし、しかも猫の妖怪がいるからか、ネズミや害虫で悩まされることもない。この点は二人がいてくれることに感謝だった。

そして、食事以外にも大変なことは山ほどある。
風呂や掃除、洗濯、全て今までの生活の倍は時間も労力も必要だ。



今までの葵なら、こんな不安定で不便な生活は発狂してしまうところだが、案外葵はこの生活にすんなり馴染めていた。

正直これは葵にとってかなり意外だった。だけど考えてみれば、なんでも自分でやらなくてはいけない代わりに、時間も場所も自分の自由にできる。泳ぎたくなったら川に泳ぎに行けばいいし、眠たければ気が済むまで眠ればいい。季節すら超えていろんなところに行ける。生活の不便さと引き換えに得た『自由』は、葵にとって、河童になったことを肯定するほど素晴らしいものだった。
悔しいけど瑞穂の言う通り、暇になるのが恐くて予定を詰め込んでいたときの方がよっぽど心が病んでいた。


「葵は、魚を獲るのはなかなかの腕前だ。さすが河童だよ。あれだけの腕があればここでもやっていける」ゴンが言った。

「そうかな!?河童なんて最悪と思ってたけど、案外河童も悪くないのかもね」

「私は同じ水に関わるものとして、葵が来てくれて嬉しいよ。今度また一緒に泳ぎに行こうね。魚を獲るのも見てみたい」
葵は新しい友達ができてうれしかった。
三人が楽しく盛り上がっていると、

「調子に乗ってると河童の川流れになるぞ」と布団にくるまったままの瑞穂が葵に言った。
瑞穂はさっき酒が飲めないと言われたことをまだ怒っているようで機嫌が悪い。葵はせっかくの楽しい気分に水を差されて、瑞穂の頭に酒をかけてやりたい衝動にかられた。

葵はなんとかその衝動をおさえて、
「飲めないくせに見栄張ってお酒飲んじゃうようなひとに言われたくありません」と丸くなっている布団に向かって言い返した。
瑞穂は飲みたくて飲んだんじゃないとかなんとかブツブツ言っていたが、しばらくすると眠ってしまったのか静かになった。
他の三人もさすがにそろそろ眠たくなってきた。楽しい宴会だったが、今日はこの辺でお開きにすることにした。



葵はその夜、夢を見た。
しとしと雨が降っている。庭の草木は雨に濡れて喜んでいるようだ。葵も外に出てその雫をあびた。
それは、優しく穏やかに世界を包み込むような雨だった。


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