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大晦日にゆく
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今年最後の日も、楓の、けたたましい声で目が覚めた。
「ちょっときて!瑞穂!ゴン!早く」
俺は何事かと慌てて玄関に飛び出す。すると玄関に立ってこちらを見上げている楓の足元に、果物や山菜、川魚などが、ざる一杯に置かれていた。そして、その山盛りの食材たちと一緒に、一通の文が添えられていた。
「拝啓 稲神・瑞穂様、そして診療所で働くあやかしの皆様へ。
わたくしは、山の神・シイラモリと申すものです。
先日は、腰の痛みを取っていただき、ありがとうございました。
実は以前、わたくしの山の天狗が、そちらの診療所で大変よくして頂いたと申しておりまして、一度わたくしも伺ってみたいと思っておりました。
ただ、山の神として伺うと何かと気を遣われると思い、失礼ながら老婆の妖に扮して参ったしだいでございます。天狗に聞いた通りのお心遣いに痛み入りました。
これは、その心ばかりのお礼の品でございます。どうぞ受け取ってください」
俺は中々、このシイラモリが扮していたという老婆が誰のことだか思い出せなかった。だが、この手紙から微かに香る妖気の匂いで、ある人物が頭に浮かんだ。それは以前、楓にマッサージをさせた、あの特徴のない『婆《ばばあ》』の妖だった。
それにしても、わざわざ妖に『変化』などせず普通に訪ねてくれればいいものを。どうやら俺たちは、『山の神』に試されていたようだ。
「あーっ‼‼」
いきなり楓が大きな声を出した。
「なんだよ、いきなり大きな声だすなっていつも言ってるだろ」
「これ!これ見て!」
「なんだよこれ」
「蕎麦だよ!乾麺の蕎麦!」
まさか蕎麦まで贈ってくれるとは。太っ腹な神様である。
「まじでかー!蕎麦―⁉」
奥の居間からゴンが叫ぶ声が聞こえた。
その夜、満を持して俺たちは山の神にもらった蕎麦を食べた。
初めて食べる蕎麦は、なんとも不思議な味だった。まず歯ごたえが、うどんとは全然違う。もちもちした感じは全くなく、ほろほろ溶けるような感じだ。そして噛むほどに独特の香りが広がる。その香りは、苦みとも旨味ともつかない、くせになる香りだった。なるほど、これが蕎麦というものか。
「この上に乗ってる魚うまいなあ」
ゴンはどちらかというと蕎麦より、上に乗っているニシンの甘露煮にご執心だった。
「ああ、これで年を越せるわ。山の神様ありがとう。そして二人とも、私に感謝してよね。私が一所懸命、山の神様のマッサージしたんだから」
楓はにやついた顔で俺とゴンのことを見た。
「あー、ありがと、ありがと。ほんと楓様のおかげだ」
「さすが楓だ。来年はきっとお前がうちのカセギガシラだ」
「ふふん。私が本気出したら、今年の倍は稼げると思うわ」
豚もおだてりゃ木に登る。楓のマッサージが人気になってきているのは本当だし、せっかく本人もやる気になっているのだから、このまま楓にはガシガシ働いてもらうとしよう。
「そういや私、試してみたい治療法があるのよね!昔テレビでね、水に戻した昆布をふくらはぎに貼るとむくみが取れるってやってたのよ!一回試してみたいんだけど、ちょっとふくらはぎ貸してくれない?やっぱこういうのって何人か試してみないと分からないでしょ?」
「お、俺はダメだぞ。たしか昆布アレルギーなんだ。ほら瑞穂にさせてもらえよ。こいつ足むくんでそうじゃん」
「誰の足がむくんでんだ。てかお前この昆布つゆ普通に飲んでるじゃないか」
ゴンは蕎麦のつゆまで綺麗に飲み干していた。
「飲むのはいいんだよ飲むのは」
そう言ってゴンは炬燵の中に隠れた。
「楓、なんなんだ昆布貼り付ける治療って。そんなの聞いたことないぞ。そんな訳の分からんものは許可できません」
そうなのだ。楓は占い師に騙されて『くさや』と添い寝するやつだった。いくらマッサージが好評で人気が出てきているからと言って、なんでも好き放題にやらせていたら、調子に乗ってとんでもないことをやらかしかねない。ある程度はチェックしておかないと危険だ。
そして、ちょうど初めての蕎麦を食べ終わったころ、遠くから今年の終わりを告げるように、除夜の鐘が鳴っているのが聞こえてきた。
今年は二人が俺のところにやってきて、何だかんだと騒がしい毎日だったが、こうやって三人で他愛もない話をしながら年越し蕎麦まで食べることができて、一年の締めくくりの日としては悪くない。
などと考えながら今年あった出来事を振り返っていると、家に一通の電報が届いた。
「セイレイノキ クルシム スグ キタレ」
俺はその電報を受け取ると慌てて立ち上がった。
「どしたの瑞穂?」
「往診の依頼だ。行ってくる」
「今から?」
楓もゴンも驚いた顔をしていた。
あやかしの診療をしていると、普段診ているあやかしの急変の知らせが来ることもしばしばだった。それはたとえ、こんな穏やかな大晦日の日であっても、だ。
「『精霊の木』は俺が診療所を開いたときからずっと診て来た患者なんだ。最近、随分衰弱してたから、そろそろなのかもしれない」
楓とゴンは俺の言葉を不安そうな顔で聞いていたが、俺が話し終わると二人とも何も言わず暖かい炬燵から出て往診に行く準備を始めた。
『精霊の木』がいる森に着くと木霊たちが出迎えてくれた。この木霊たちが電報で『大樹』の異変を知らせてくれたのだ。
木霊に案内され『精霊の木』がいる森の奥深くに到着すると、『精霊の木』はもう言葉を交わすことも出来ない状態だった。
俺は往診カバンから「聴魂器」を取り出して『精霊の木』の幹に当てた。まだ微かに「気」が巡っている音が聞こえる。だが、その音は今にも消え入りそうだった。
夜風が空に広げた枝をしならせ、風に揺れる梢のざわめきは、まるで痛みに泣いているように聞こえた。木霊たちが心配そうに『精霊の木』の周りに集まってくる。
「瑞穂、どんな具合なの?」楓が聞いた。
「もう長くはないだろう。とにかく痛みを和らげてやろうと思う」
「痛みを取る以外にできることはないのか?」
ゴンが、『精霊の木』の様子を確認するようにそっと幹に触れながら言った。
「無くはないが、この木はそれを望んでない」
「でも、何かできることがあるならやってあげようよ」
楓は辛そうな表情で言った。そんな楓の言葉を聞いて木霊たちが楓の周りに集まって来た。
「ダメ セイレイノ キ ツチニ カエル ウケイレタ」
「クルシミ トッテ イタミ トッテ アゲテ」
楓は何か言おうとしたが言葉が見つからない様子だった。
「楓、俺は『滋養』のご利益を持っているから、一時的にはこの木を永らえさせてやれるかもしれない。でもこの木はそれを望まなかったんだよ。だから、俺はこのご利益は使わない」
「でも…」
「いたずらに死期を遅らせても、苦しむ刻が長くなるだけかもしれないんだ」
楓はその言葉に何か思い当たることがあったのかハッとしたようだった。それでも全てを納得したわけでは無さそうだった。ただ最後には「わかった」といって、俺が陣を敷くのを手伝ってくれた。
俺は『精霊の木』を取り囲むように陣を敷き、その陣の中に「鎮魂華」という薬草の粉末を撒いた。「鎮魂華」は『精霊の木』を優しく包むように舞い上がってゆく。
そして、心なしか梢のざわめきが落ち着いたような気がした。
「アリガトウ」
木霊たちが俺たちの周りで口々にお礼を言った。
「これで、この木は苦しまずに土に還れるんだな」
「分からない。でも、そうだと信じよう」
そして、『精霊の木』は木霊たちが見守る中、静かにその命を終わらせた。
森からの帰り道、ちらちらと雪が降り始めた。
「雪だあ」
楓が空を見上げて言った。
しんしんと降り積もる雪は、天から舞い降りては溶けて消え、を繰り返し、
そして、やがて夜の森を白く染めていった。
「ちょっときて!瑞穂!ゴン!早く」
俺は何事かと慌てて玄関に飛び出す。すると玄関に立ってこちらを見上げている楓の足元に、果物や山菜、川魚などが、ざる一杯に置かれていた。そして、その山盛りの食材たちと一緒に、一通の文が添えられていた。
「拝啓 稲神・瑞穂様、そして診療所で働くあやかしの皆様へ。
わたくしは、山の神・シイラモリと申すものです。
先日は、腰の痛みを取っていただき、ありがとうございました。
実は以前、わたくしの山の天狗が、そちらの診療所で大変よくして頂いたと申しておりまして、一度わたくしも伺ってみたいと思っておりました。
ただ、山の神として伺うと何かと気を遣われると思い、失礼ながら老婆の妖に扮して参ったしだいでございます。天狗に聞いた通りのお心遣いに痛み入りました。
これは、その心ばかりのお礼の品でございます。どうぞ受け取ってください」
俺は中々、このシイラモリが扮していたという老婆が誰のことだか思い出せなかった。だが、この手紙から微かに香る妖気の匂いで、ある人物が頭に浮かんだ。それは以前、楓にマッサージをさせた、あの特徴のない『婆《ばばあ》』の妖だった。
それにしても、わざわざ妖に『変化』などせず普通に訪ねてくれればいいものを。どうやら俺たちは、『山の神』に試されていたようだ。
「あーっ‼‼」
いきなり楓が大きな声を出した。
「なんだよ、いきなり大きな声だすなっていつも言ってるだろ」
「これ!これ見て!」
「なんだよこれ」
「蕎麦だよ!乾麺の蕎麦!」
まさか蕎麦まで贈ってくれるとは。太っ腹な神様である。
「まじでかー!蕎麦―⁉」
奥の居間からゴンが叫ぶ声が聞こえた。
その夜、満を持して俺たちは山の神にもらった蕎麦を食べた。
初めて食べる蕎麦は、なんとも不思議な味だった。まず歯ごたえが、うどんとは全然違う。もちもちした感じは全くなく、ほろほろ溶けるような感じだ。そして噛むほどに独特の香りが広がる。その香りは、苦みとも旨味ともつかない、くせになる香りだった。なるほど、これが蕎麦というものか。
「この上に乗ってる魚うまいなあ」
ゴンはどちらかというと蕎麦より、上に乗っているニシンの甘露煮にご執心だった。
「ああ、これで年を越せるわ。山の神様ありがとう。そして二人とも、私に感謝してよね。私が一所懸命、山の神様のマッサージしたんだから」
楓はにやついた顔で俺とゴンのことを見た。
「あー、ありがと、ありがと。ほんと楓様のおかげだ」
「さすが楓だ。来年はきっとお前がうちのカセギガシラだ」
「ふふん。私が本気出したら、今年の倍は稼げると思うわ」
豚もおだてりゃ木に登る。楓のマッサージが人気になってきているのは本当だし、せっかく本人もやる気になっているのだから、このまま楓にはガシガシ働いてもらうとしよう。
「そういや私、試してみたい治療法があるのよね!昔テレビでね、水に戻した昆布をふくらはぎに貼るとむくみが取れるってやってたのよ!一回試してみたいんだけど、ちょっとふくらはぎ貸してくれない?やっぱこういうのって何人か試してみないと分からないでしょ?」
「お、俺はダメだぞ。たしか昆布アレルギーなんだ。ほら瑞穂にさせてもらえよ。こいつ足むくんでそうじゃん」
「誰の足がむくんでんだ。てかお前この昆布つゆ普通に飲んでるじゃないか」
ゴンは蕎麦のつゆまで綺麗に飲み干していた。
「飲むのはいいんだよ飲むのは」
そう言ってゴンは炬燵の中に隠れた。
「楓、なんなんだ昆布貼り付ける治療って。そんなの聞いたことないぞ。そんな訳の分からんものは許可できません」
そうなのだ。楓は占い師に騙されて『くさや』と添い寝するやつだった。いくらマッサージが好評で人気が出てきているからと言って、なんでも好き放題にやらせていたら、調子に乗ってとんでもないことをやらかしかねない。ある程度はチェックしておかないと危険だ。
そして、ちょうど初めての蕎麦を食べ終わったころ、遠くから今年の終わりを告げるように、除夜の鐘が鳴っているのが聞こえてきた。
今年は二人が俺のところにやってきて、何だかんだと騒がしい毎日だったが、こうやって三人で他愛もない話をしながら年越し蕎麦まで食べることができて、一年の締めくくりの日としては悪くない。
などと考えながら今年あった出来事を振り返っていると、家に一通の電報が届いた。
「セイレイノキ クルシム スグ キタレ」
俺はその電報を受け取ると慌てて立ち上がった。
「どしたの瑞穂?」
「往診の依頼だ。行ってくる」
「今から?」
楓もゴンも驚いた顔をしていた。
あやかしの診療をしていると、普段診ているあやかしの急変の知らせが来ることもしばしばだった。それはたとえ、こんな穏やかな大晦日の日であっても、だ。
「『精霊の木』は俺が診療所を開いたときからずっと診て来た患者なんだ。最近、随分衰弱してたから、そろそろなのかもしれない」
楓とゴンは俺の言葉を不安そうな顔で聞いていたが、俺が話し終わると二人とも何も言わず暖かい炬燵から出て往診に行く準備を始めた。
『精霊の木』がいる森に着くと木霊たちが出迎えてくれた。この木霊たちが電報で『大樹』の異変を知らせてくれたのだ。
木霊に案内され『精霊の木』がいる森の奥深くに到着すると、『精霊の木』はもう言葉を交わすことも出来ない状態だった。
俺は往診カバンから「聴魂器」を取り出して『精霊の木』の幹に当てた。まだ微かに「気」が巡っている音が聞こえる。だが、その音は今にも消え入りそうだった。
夜風が空に広げた枝をしならせ、風に揺れる梢のざわめきは、まるで痛みに泣いているように聞こえた。木霊たちが心配そうに『精霊の木』の周りに集まってくる。
「瑞穂、どんな具合なの?」楓が聞いた。
「もう長くはないだろう。とにかく痛みを和らげてやろうと思う」
「痛みを取る以外にできることはないのか?」
ゴンが、『精霊の木』の様子を確認するようにそっと幹に触れながら言った。
「無くはないが、この木はそれを望んでない」
「でも、何かできることがあるならやってあげようよ」
楓は辛そうな表情で言った。そんな楓の言葉を聞いて木霊たちが楓の周りに集まって来た。
「ダメ セイレイノ キ ツチニ カエル ウケイレタ」
「クルシミ トッテ イタミ トッテ アゲテ」
楓は何か言おうとしたが言葉が見つからない様子だった。
「楓、俺は『滋養』のご利益を持っているから、一時的にはこの木を永らえさせてやれるかもしれない。でもこの木はそれを望まなかったんだよ。だから、俺はこのご利益は使わない」
「でも…」
「いたずらに死期を遅らせても、苦しむ刻が長くなるだけかもしれないんだ」
楓はその言葉に何か思い当たることがあったのかハッとしたようだった。それでも全てを納得したわけでは無さそうだった。ただ最後には「わかった」といって、俺が陣を敷くのを手伝ってくれた。
俺は『精霊の木』を取り囲むように陣を敷き、その陣の中に「鎮魂華」という薬草の粉末を撒いた。「鎮魂華」は『精霊の木』を優しく包むように舞い上がってゆく。
そして、心なしか梢のざわめきが落ち着いたような気がした。
「アリガトウ」
木霊たちが俺たちの周りで口々にお礼を言った。
「これで、この木は苦しまずに土に還れるんだな」
「分からない。でも、そうだと信じよう」
そして、『精霊の木』は木霊たちが見守る中、静かにその命を終わらせた。
森からの帰り道、ちらちらと雪が降り始めた。
「雪だあ」
楓が空を見上げて言った。
しんしんと降り積もる雪は、天から舞い降りては溶けて消え、を繰り返し、
そして、やがて夜の森を白く染めていった。
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