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妖狐の祭典(前編)
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「さぁ!二人とも起きて!早く支度しなきゃ」
朝早くに楓に起こされた。今日は三人で『魂祭《こんまつ》り』に行く予定をしているのだ。
こういうときだけ、本当にこいつは元気いっぱいだ。いや…いつもか。そんなことをまだ半分眠っている頭で考えながら、俺は冷たい水で顔を洗って身支度を整えた。
楓はすでに準備万端で、未だに炬燵《こたつ》で丸まっているゴンをバシバシ叩いて起こしている。
俺は診療所の表に出ると、鳥居に提灯小僧を呼ぶ札を貼って、ついでに境内の掃き掃除をした。そして提灯小僧がちょうど到着したころ、ゴンもようやく起きだして来て、楓に引きずられながら外に出てきた。
「お客さん、うちのお得意さんだから優先して来たんですよ。今日は『魂祭り』だから、けっこう小僧が出払ってるんでさぁ。普通に呼んだんじゃ、今日は車、つかまりませんぜ?」
提灯小僧の車に揺られながら『魂祭り』が開かれる神社に向かった。会場の神社までは診療所からかなり距離があるので、俺たちが乗る車は何度か提灯小僧が交代していた。
脚力が自慢の彼らは、速度を落とさずに客を運ぶことに命をかけている。そのため内々のネットワークを構築し、それぞれの小僧の体力がなくなる前に円滑に交代できるような仕組みをつくっているのだ。
俺たちは会場の少し手前で車を降り、そこから歩いて会場に向かった。
朝早くに出たというのに、すでに太陽は地平線に沈み始めている。
『魂祭り』はそもそも『妖狐』の祭りで、昔は『妖狐』以外のものは参加することができなかった。
だが今では観戦のみなら誰でも参加できるようになり、他の妖はもちろん天界の神々までもが、ぞろぞろとやってくる大きな祭りになっていた。
さらにこの日は境内に露店なんかもたくさん出て、会場はそれはそれは賑やかになる。
「まず入場券をくれた揚戸与《あげとよ》と蘭にお礼を言いに行こうか」
俺たちは会場の神社に着くとまず、この祭りの主催者たちがいる本殿に向かった。
まだ陽があるからか、境内の中を歩いている者はそれほど多くない。参道を通って境内の最奥にある本殿に辿り着くと、外で他の狐と話しながら煙管をふかせている揚戸与を見つけた。
「来てくれたんや、瑞穂くんたち!ありがとう。蘭も喜ぶわ。今、この中におるさかい、会ってやって」
そう言って揚戸与は嬉しそうに手招きした。
揚戸与に連れられ本殿の中に入ると、薄暗い渡り廊下にはすでに蝋燭の明かりが灯されていた。
そのぼんやりとした明かりの中を迷いなく進む、揚戸与の大きな背中を追って、奥へ奥へと進んでいく。
「大きな神社だね」
後ろで、楓がゴンに話しかけている。
俺も正直、これほど大きな神社だとは思ってなかった。名は聞いたことがあっても、実際に訪れるのは初めてだったのだ。
一体うちの本殿の何倍の広さだろう。この渡り廊下もまるで迷路のようで、どこまで続いているのか見当もつかない。
「この神社の広さ驚いたやろ?『魂祭《こんまつ》り』でもこれだけ大きな会場でやるのは多分初めてちゃうかな。ここの主神の神さんは蘭と仲がええさかい、今年は特別に境内を使わせてもらえてん」
『魂祭り』は神社の境内で行われることが多いのだが、その神社の主神たちは会場を貸すだけで主催の一員ではない。祭りを運営しているのは全て『妖狐』たちなのだ。『妖狐』はもともと『妖狐』だけでつるむのを好む妖《あやかし》だった。今ではその結びつきは、随分ゆるくなったと言われているが、今でもこういった祭りを通して『妖狐』どうしの絆を確認しているのだろう。
長い廊下を歩きながら、ぼーっと庭の景色を見ていると、ちょうど池が綺麗に見える部屋の前で揚戸与がとまった。そして障子ごしに部屋の中に声をかけると、「はーい、どうぞ~」と、凛とした美しい声が返ってきた。
部屋に入ってきた俺たちを見上げた蘭は、ちょうど書き物をしていた最中だったらしく、持っていた筆を置いてこちらに向き直った。彼女の琥珀色の瞳と、紫黒《しこく》のたおやかな髪は、まさに蘭の花を彷彿とさせる美しさである。
そして蘭も揚戸与と同じく、常に半妖の姿をしている妖狐だった。もちろん、妖力が足りないわけではなく、あえてその姿でいることを選択している類だ。
「久しぶりやなぁ、瑞穂。来てくれて嬉しいわ。最近忙しいて聞いてたから、来れへんかなぁと思てたんよ」
「まぁ俺たちも、たまには息抜きしないとな。今日は気分転換させてもらうよ」
「気楽に楽しんでいって。ほんで…そちらのお二人さんが噂の『河童』と、ああ『猫』はゴンやったんか。私は、『妖狐』の蘭と言います。瑞穂とは、まぁ腐れ縁で、時々世話したりされたりしてる仲なんやわ。また、お二人さんも、よろしゅうに」
そう言って蘭は、楓とゴンの二人に、にこっと笑いかけた。彼女の切れ長の目は、一見きつそうな印象を与えるが、笑うと一変して優し気な雰囲気になる。その変容ぶりに、心を射抜かれる男も多く、ゴンは蘭の色気に当てられ、すっかり魂を持っていかれそうになっていた。
「蘭、そろそろ俺、会場行って準備してくるわ」
揚戸与が蘭に耳打ちした。
「そやな。あんたらも、じきに祭りが始まるさかい、今のうちに露店でも行っておいで」
俺たちは蘭・揚戸与夫婦と別れ、露店が立ち並ぶ参道に向かった。
「揚戸与さんの奥さんって、すごく綺麗な人だったね。びっくりした」
「ほんとに蘭さんは、色気がやばい。おれ気絶しそうだった」
「おれも、おまえが倒れるんじゃないかと思って、ひやひやしたぞ」
「あの蘭さん、が主催の役員なんだよね?」
「そうそう。蘭さんは、すっごいやり手の商売人なんだ。いろんな商い手がけててさ。楓も持ってるだろ?『揚《あげ》』印の玩具。あれも蘭さんの商売の一つだよ。『野狐』だけど妖力も強くて、神様たちとも互角に渡り合える知力ももってる」
ゴンはまるで自分の妻を紹介するように得意げに言った。
蘭はゴンが言う通り、妖《あやかし》だけでなく神々にもその力が及ぶと言われている狐だった。
彼女は昔うちの診療所にも来たことがあって、そのとき少し世話してやったことがある。それ以来、お互い何かと懇意にしているのだった。
参道に着くと、そこには食べ物や玩具などを売る露店がずらりと並んでおり、俺たちはその店々を回って「妖術対決」の観戦のお供を選んでいた。
「どうしよう。私ドキドキしてきちゃった!」
楓は歩きながら、すでにさっき買ってきた、さつま芋の天ぷらを、もしゃもしゃ食べていた。
「おまえ、そんな口いっぱい食べ物入れて言っても全然緊張感ないぞ」
「はぁ。俺は蘭さんに会えたから、もう今日は満足だわ。胸の高鳴りで食べ物も喉を通らない」
そう言ってゴンはイカ焼きの棒を握りしめたまま空を仰いだ。
「じゃあ、それ私が食べてあげる。もったいない」
「いや今は無理だけど、後で食べないとは言ってない」
「冷めたら美味しくないでしょ。イカに悪いわ」
楓はゴンのイカ焼きを取ろうと手を伸ばした。
「やめろって、あとで温めなおして食うの!」
「どうせ『火の玉』使うんでしょ?焦げちゃうって。やっぱ今食べなきゃ!」
ここに来ても阿呆な二人は俺をはさんで喧嘩し始めた。ゴンの持っているイカ焼きを取り合ってつかみ合いだ。間に挟まれた俺はもみくちゃになっていく。
「お前ら、いい加減にしろ。もうすぐ始まるから席に向かうぞ。ひとも増えて来たし暴れるなって!」
夜の帳が降りて、そこかしこに『狐火』が灯りはじめると、辺りは一段と賑やかになってきていた。名の通った妖もちらほら見かけるし、使役している妖たちを連れた仰々しい神々も大勢来ていた。
そんな妖と神でごった返す参道を歩いていると、知った声に後ろから声をかけられた。
「あれまぁ。瑞穂氏ではあらへんか。こんなところに来ててええのか?診療所とやらがずいぶん人気やと聞いたぞえ?」
振り返ると兎木那命《ときなのみこと》という『木の神』が、扇子で半分顔を隠しながら、こちらを見ていた。後ろには無表情の兎の妖を何人か連れている。この兎木那命という神は少なくとも俺よりは名の通った神様なのだが、何が気に入らないのか会うたびに、いちいち突っかかってくるので、俺にとってはなるべく会いたくない神のひとりだった。
「篤実な神様は、妖《あやかし》への施しでお疲れじゃろうて」
彼の下膨れで、ひょうたんの様な顔立ちは、どこか昔の公家を思わせる。そしてそのひょうたん顔が意地の悪そうな笑みを浮かべているのを見ると、いつも無性に腹が立ってくるのだ。このクソ寒い中、扇子をひらひらさせているところも、一層苛立ちを掻き立てた。
「普段、忙しく働いている者には、休息も必要なんだ。一年中遊んでるやつとは違ってな」
俺は、ひょうたん顔を睨み返しながら言った。
「これは、これは。やっぱり、あくせく働いてらっしゃる方は、言うことが違いますわぁ。野蛮な妖も相手にされてるそうやし、大変なんですやろ。下界の妖は荒いものが多いと言いますさかいなあ」
よくもまあ、これだけ嫌味がすらすらと出てくるものだ。俺はいい加減こいつに構うのが面倒になってきたので、そのまま無視して行こうとした。すると楓とゴンが俺を押しのけて、兎木那命の前に立ちふさがった。
「お前、早く向こうに行ってくんないかな。神様のくせに臭うんだよ」
「おじさん、きゅうりって臭い消しになるの知ってた?鼻に一本突っ込んであげようか」
ゴンも楓も、獲物を狩る目で兎木那命を睨みつけていた。
「二人ともやめろって。もういいから」
俺の制止もきかず今にも飛びかかろうかという二人に、兎木那命は「なんて野蛮な!あんな妖を使役してるなんて、どうかしてるわ」と言いながら、血相を変えて群衆のなかに消えていった。
「おまえら、あれでも一応神様なんだ。あんまり手荒なことはするなよな」
「なにもしてないだろ。ムカついたから言い返しただけだ」
「そうよ。私ああいう上から目線のやつが一番嫌いなの。でも良かった、逃げて行ってくれて。勢いで言っちゃったけど、さすがに今日はきゅうり持ってきてなかったもんね」
楓とゴンは先ほどまでの喧嘩はどこへやら。ケラケラと楽しそうに笑い出した。
兎木那命に突っかかっていったときは内心焦ったが、二人が反撃してくれて心がスッとしたのも本当だった。
朝早くに楓に起こされた。今日は三人で『魂祭《こんまつ》り』に行く予定をしているのだ。
こういうときだけ、本当にこいつは元気いっぱいだ。いや…いつもか。そんなことをまだ半分眠っている頭で考えながら、俺は冷たい水で顔を洗って身支度を整えた。
楓はすでに準備万端で、未だに炬燵《こたつ》で丸まっているゴンをバシバシ叩いて起こしている。
俺は診療所の表に出ると、鳥居に提灯小僧を呼ぶ札を貼って、ついでに境内の掃き掃除をした。そして提灯小僧がちょうど到着したころ、ゴンもようやく起きだして来て、楓に引きずられながら外に出てきた。
「お客さん、うちのお得意さんだから優先して来たんですよ。今日は『魂祭り』だから、けっこう小僧が出払ってるんでさぁ。普通に呼んだんじゃ、今日は車、つかまりませんぜ?」
提灯小僧の車に揺られながら『魂祭り』が開かれる神社に向かった。会場の神社までは診療所からかなり距離があるので、俺たちが乗る車は何度か提灯小僧が交代していた。
脚力が自慢の彼らは、速度を落とさずに客を運ぶことに命をかけている。そのため内々のネットワークを構築し、それぞれの小僧の体力がなくなる前に円滑に交代できるような仕組みをつくっているのだ。
俺たちは会場の少し手前で車を降り、そこから歩いて会場に向かった。
朝早くに出たというのに、すでに太陽は地平線に沈み始めている。
『魂祭り』はそもそも『妖狐』の祭りで、昔は『妖狐』以外のものは参加することができなかった。
だが今では観戦のみなら誰でも参加できるようになり、他の妖はもちろん天界の神々までもが、ぞろぞろとやってくる大きな祭りになっていた。
さらにこの日は境内に露店なんかもたくさん出て、会場はそれはそれは賑やかになる。
「まず入場券をくれた揚戸与《あげとよ》と蘭にお礼を言いに行こうか」
俺たちは会場の神社に着くとまず、この祭りの主催者たちがいる本殿に向かった。
まだ陽があるからか、境内の中を歩いている者はそれほど多くない。参道を通って境内の最奥にある本殿に辿り着くと、外で他の狐と話しながら煙管をふかせている揚戸与を見つけた。
「来てくれたんや、瑞穂くんたち!ありがとう。蘭も喜ぶわ。今、この中におるさかい、会ってやって」
そう言って揚戸与は嬉しそうに手招きした。
揚戸与に連れられ本殿の中に入ると、薄暗い渡り廊下にはすでに蝋燭の明かりが灯されていた。
そのぼんやりとした明かりの中を迷いなく進む、揚戸与の大きな背中を追って、奥へ奥へと進んでいく。
「大きな神社だね」
後ろで、楓がゴンに話しかけている。
俺も正直、これほど大きな神社だとは思ってなかった。名は聞いたことがあっても、実際に訪れるのは初めてだったのだ。
一体うちの本殿の何倍の広さだろう。この渡り廊下もまるで迷路のようで、どこまで続いているのか見当もつかない。
「この神社の広さ驚いたやろ?『魂祭《こんまつ》り』でもこれだけ大きな会場でやるのは多分初めてちゃうかな。ここの主神の神さんは蘭と仲がええさかい、今年は特別に境内を使わせてもらえてん」
『魂祭り』は神社の境内で行われることが多いのだが、その神社の主神たちは会場を貸すだけで主催の一員ではない。祭りを運営しているのは全て『妖狐』たちなのだ。『妖狐』はもともと『妖狐』だけでつるむのを好む妖《あやかし》だった。今ではその結びつきは、随分ゆるくなったと言われているが、今でもこういった祭りを通して『妖狐』どうしの絆を確認しているのだろう。
長い廊下を歩きながら、ぼーっと庭の景色を見ていると、ちょうど池が綺麗に見える部屋の前で揚戸与がとまった。そして障子ごしに部屋の中に声をかけると、「はーい、どうぞ~」と、凛とした美しい声が返ってきた。
部屋に入ってきた俺たちを見上げた蘭は、ちょうど書き物をしていた最中だったらしく、持っていた筆を置いてこちらに向き直った。彼女の琥珀色の瞳と、紫黒《しこく》のたおやかな髪は、まさに蘭の花を彷彿とさせる美しさである。
そして蘭も揚戸与と同じく、常に半妖の姿をしている妖狐だった。もちろん、妖力が足りないわけではなく、あえてその姿でいることを選択している類だ。
「久しぶりやなぁ、瑞穂。来てくれて嬉しいわ。最近忙しいて聞いてたから、来れへんかなぁと思てたんよ」
「まぁ俺たちも、たまには息抜きしないとな。今日は気分転換させてもらうよ」
「気楽に楽しんでいって。ほんで…そちらのお二人さんが噂の『河童』と、ああ『猫』はゴンやったんか。私は、『妖狐』の蘭と言います。瑞穂とは、まぁ腐れ縁で、時々世話したりされたりしてる仲なんやわ。また、お二人さんも、よろしゅうに」
そう言って蘭は、楓とゴンの二人に、にこっと笑いかけた。彼女の切れ長の目は、一見きつそうな印象を与えるが、笑うと一変して優し気な雰囲気になる。その変容ぶりに、心を射抜かれる男も多く、ゴンは蘭の色気に当てられ、すっかり魂を持っていかれそうになっていた。
「蘭、そろそろ俺、会場行って準備してくるわ」
揚戸与が蘭に耳打ちした。
「そやな。あんたらも、じきに祭りが始まるさかい、今のうちに露店でも行っておいで」
俺たちは蘭・揚戸与夫婦と別れ、露店が立ち並ぶ参道に向かった。
「揚戸与さんの奥さんって、すごく綺麗な人だったね。びっくりした」
「ほんとに蘭さんは、色気がやばい。おれ気絶しそうだった」
「おれも、おまえが倒れるんじゃないかと思って、ひやひやしたぞ」
「あの蘭さん、が主催の役員なんだよね?」
「そうそう。蘭さんは、すっごいやり手の商売人なんだ。いろんな商い手がけててさ。楓も持ってるだろ?『揚《あげ》』印の玩具。あれも蘭さんの商売の一つだよ。『野狐』だけど妖力も強くて、神様たちとも互角に渡り合える知力ももってる」
ゴンはまるで自分の妻を紹介するように得意げに言った。
蘭はゴンが言う通り、妖《あやかし》だけでなく神々にもその力が及ぶと言われている狐だった。
彼女は昔うちの診療所にも来たことがあって、そのとき少し世話してやったことがある。それ以来、お互い何かと懇意にしているのだった。
参道に着くと、そこには食べ物や玩具などを売る露店がずらりと並んでおり、俺たちはその店々を回って「妖術対決」の観戦のお供を選んでいた。
「どうしよう。私ドキドキしてきちゃった!」
楓は歩きながら、すでにさっき買ってきた、さつま芋の天ぷらを、もしゃもしゃ食べていた。
「おまえ、そんな口いっぱい食べ物入れて言っても全然緊張感ないぞ」
「はぁ。俺は蘭さんに会えたから、もう今日は満足だわ。胸の高鳴りで食べ物も喉を通らない」
そう言ってゴンはイカ焼きの棒を握りしめたまま空を仰いだ。
「じゃあ、それ私が食べてあげる。もったいない」
「いや今は無理だけど、後で食べないとは言ってない」
「冷めたら美味しくないでしょ。イカに悪いわ」
楓はゴンのイカ焼きを取ろうと手を伸ばした。
「やめろって、あとで温めなおして食うの!」
「どうせ『火の玉』使うんでしょ?焦げちゃうって。やっぱ今食べなきゃ!」
ここに来ても阿呆な二人は俺をはさんで喧嘩し始めた。ゴンの持っているイカ焼きを取り合ってつかみ合いだ。間に挟まれた俺はもみくちゃになっていく。
「お前ら、いい加減にしろ。もうすぐ始まるから席に向かうぞ。ひとも増えて来たし暴れるなって!」
夜の帳が降りて、そこかしこに『狐火』が灯りはじめると、辺りは一段と賑やかになってきていた。名の通った妖もちらほら見かけるし、使役している妖たちを連れた仰々しい神々も大勢来ていた。
そんな妖と神でごった返す参道を歩いていると、知った声に後ろから声をかけられた。
「あれまぁ。瑞穂氏ではあらへんか。こんなところに来ててええのか?診療所とやらがずいぶん人気やと聞いたぞえ?」
振り返ると兎木那命《ときなのみこと》という『木の神』が、扇子で半分顔を隠しながら、こちらを見ていた。後ろには無表情の兎の妖を何人か連れている。この兎木那命という神は少なくとも俺よりは名の通った神様なのだが、何が気に入らないのか会うたびに、いちいち突っかかってくるので、俺にとってはなるべく会いたくない神のひとりだった。
「篤実な神様は、妖《あやかし》への施しでお疲れじゃろうて」
彼の下膨れで、ひょうたんの様な顔立ちは、どこか昔の公家を思わせる。そしてそのひょうたん顔が意地の悪そうな笑みを浮かべているのを見ると、いつも無性に腹が立ってくるのだ。このクソ寒い中、扇子をひらひらさせているところも、一層苛立ちを掻き立てた。
「普段、忙しく働いている者には、休息も必要なんだ。一年中遊んでるやつとは違ってな」
俺は、ひょうたん顔を睨み返しながら言った。
「これは、これは。やっぱり、あくせく働いてらっしゃる方は、言うことが違いますわぁ。野蛮な妖も相手にされてるそうやし、大変なんですやろ。下界の妖は荒いものが多いと言いますさかいなあ」
よくもまあ、これだけ嫌味がすらすらと出てくるものだ。俺はいい加減こいつに構うのが面倒になってきたので、そのまま無視して行こうとした。すると楓とゴンが俺を押しのけて、兎木那命の前に立ちふさがった。
「お前、早く向こうに行ってくんないかな。神様のくせに臭うんだよ」
「おじさん、きゅうりって臭い消しになるの知ってた?鼻に一本突っ込んであげようか」
ゴンも楓も、獲物を狩る目で兎木那命を睨みつけていた。
「二人ともやめろって。もういいから」
俺の制止もきかず今にも飛びかかろうかという二人に、兎木那命は「なんて野蛮な!あんな妖を使役してるなんて、どうかしてるわ」と言いながら、血相を変えて群衆のなかに消えていった。
「おまえら、あれでも一応神様なんだ。あんまり手荒なことはするなよな」
「なにもしてないだろ。ムカついたから言い返しただけだ」
「そうよ。私ああいう上から目線のやつが一番嫌いなの。でも良かった、逃げて行ってくれて。勢いで言っちゃったけど、さすがに今日はきゅうり持ってきてなかったもんね」
楓とゴンは先ほどまでの喧嘩はどこへやら。ケラケラと楽しそうに笑い出した。
兎木那命に突っかかっていったときは内心焦ったが、二人が反撃してくれて心がスッとしたのも本当だった。
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