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幻を祓え!
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「ゴン、これどう思う?」
「うーん、幻術《げんじゅつ》っぽいものが、何重にもかけられてるみたいだけど…よくわかんないな」
「そうか。やっぱりまずは、何の術がかけられているのか、一つずつ明らかにしないとだな」
往診からの帰り道、俺たちは、とある妖《あやかし》に呼び留められた。それは長い髭を生やし、ひょろっと背の高い爺さんの姿をした妖だったのだが、その爺さんは見た目も臭いもひどい状態で、おそらく良くない術を幾重にもかけられているようだった。
これほどの術を受けていれば、きっと辛いはずなのだが、当の本人はというと、
「わしは、どうなってるのかサーッパリ分からんが、あんたたちに出会えてすーっごく嬉しい!」
と自分が何がしかの術を受けていることなど、気づいてもいない様子だった。
こういう患者の場合、治療するか否かという選択に悩むことが多い。本人が治療を望んでいるかどうか、今一つはっきり分からないからだ。
ただ、この爺さんの妖は、俺たちを呼び留めた。それは、自分でもよく分からいながらに、何か伝えようと、訴えようと、しているように感じられた。
それに、この爺さんがまた、子どものような屈託のない笑みを俺たちに向けてくるものだから、三人とも何とかしてその爺さんにかけられた術を解いてやりたくなったのである。
「とりあえず五芒星《ごぼうせい》を使ってみよう」
俺たちは手分けして、近くに五芒星の描ける場所がないか探した。すると、暗くなって誰も居なくなった小学校があるのを楓が見つけてきた。小さな小学校だが、田舎だからかグラウンドは広い。これだけのスペースがあれば充分だ。
まずは爺さんをグラウンドの真ん中に座らせて、爺さんが中心に来るよう五芒星を描く。
しかし、爺さんは状況が全く理解できていないらしく、そこに座っていてくれと何度説明しても、ふらふらと立ち上がって五芒星から出て行こうとする。
「お爺ちゃん、これあげるから、ここで座って食べてて?」
楓が持っていた飴玉や菓子を渡してくれた。
その菓子に爺さんが夢中になっている間に、なんとか五芒星を描き上げる。
そして、その五芒星から少し離れた所に立ち、俺は『解術《げじゅつ》の儀式』を始めた。ゴンと楓は傍らで様子を見つめている。
まずは、神水を三滴と、俺の血を二滴、五芒星の角にそれぞれ垂らし、
「理《ことわり》を表せ!」
と五芒星に向かって叫んだ。すると爺さんの身体が、ゆらゆらと揺らめきだし、何かが爺さんの身体から離れて飛び出してきた。そして爺さんから飛び出した「何か」は一直線に楓に向かった。
楓が「ひゃあ!」と言ったのと、ゴンが「滅!」と叫んで、パンっと手を叩いたのがほぼ同時だった。その瞬間、爺さんから飛び出した「何か」は、砕け散って楓の上に降り注いだ。
「うわ!うへっ。ひどい、なにこれ」
楓は、爺さんから飛び出した「何か」だった粉を被って真っ白になっている。五芒星の中にいた爺さんはそれを見て、「わぁお」と声を上げた。
「ごめん。つい反射で。今のは『吸魂虫《きゅうこんちゅう》』の幻だよ。幻でもつぶすと砕けて粉になっちゃうんだよなぁ」
俺には全く姿が見えなかったが、ゴンは今の一瞬で、爺さんから出てきたものが『吸魂虫』だと分かったらしい。さすが猫だ。
楓はゴンに妖術である程度『吸魂虫』の粉を取り除いてもらい、なんとか体裁を整えた。
やはりこの爺さんにかけられていたのは幻術の類だったようだ。幻術とは、かけた相手に幻視、幻聴、幻臭、幻味などといった、幻覚を与えるものだ。
それは「良い夢」のような幻覚であることもあれば、「恐ろしい悪夢」のような幻覚なこともある。そして今、『吸魂虫』という幻が現れたということは、爺さんにかけられているのは間違いなく後者の方だった。
「よし、この調子で術を解いてくぞ!」
再度、俺は解術の儀式を行った。が、しばらく待っても何も起こらない。
先ほどのこともあって、三人とも爺さんから片時も目を離さず身構えていたが、爺さんはニコニコと笑っているだけで変化はない。
これは失敗かと思われたとき、楓が「わわっ!」と叫んだ。横にいた楓を見ると身長がいつもより低くなっている。足元に目をやると楓の足がグラウンドに沈み込んでいた。
「流砂か!」
俺は楓の手を取って引っ張りあげようとしたが、楓はどんどん砂の中に飲み込まれていく。
「なんで私ばっか!」と楓は涙声だ。
そんな楓を見て、ゴンは素早く木の葉を懐から取り出し、その木の葉を地面に叩き付けた。すると小学校の校舎の方からグラウンドの土が盛り上がり、何かがこちらに向かってくるのが見えた。そしてその土の盛り上がりがすぐ側まで来たかと思うと、楓の身体がふわりと宙に浮いた。
楓を持ち上げたのは、大きな土蜘蛛《つちぐも》だった。ゴンが土蜘蛛の上に乗った楓を引きずり降ろすと、土蜘蛛は流砂の中心に潜り、その直後、「ぎいやあ!」と耳をつんざく声が聞こえた。
「土蜘蛛が地獄蟻《じごくあり》を食べてくれたんだよ」
土蜘蛛はそのまま姿を見せることなく、しわがれた声で「ご馳走様」とだけ言ってどこかに消えていった。
「まったく、何でこの爺さん、こんな面倒な術ばかりかけられてるんだ」
「これさ、誰かのいたずらじゃないかな…。『地獄蟻』を使ってあまり遠くに行けないようにして、ちょっとずつ『吸魂虫』で体力を奪う。なんかこの幻術をかけたやつの意地の悪さを感じるよ」
爺さんの様子をみてみると、二つ幻術が解けて少し身軽になったようだが、爺さんに聞いてみても、「面白かったわい」と言うだけで効果のほどは分からない。
それでも『吸魂虫』と『地獄蟻』を取り除いたおかげで残った幻術の影は、随分はっきり見えるようになった。おそらく爺さんにかけられていた幻術の中核を成しているのは、『狂言術』だ。
本来『狂言術』をかけられた者は、恐ろしい幻聴に襲われ、訳の分からないことを口走ったり、錯乱状態になったりすることが多いのだが、この爺さんはどうも耐性があったのか、ちょっとボケた年寄りのようになっただけで済んだようだ。
ただ『狂言術』はそもそも相手に相当な苦痛を与えるものである。
その幻術をかけた奴への憤りからか、ゴンはいつになく気合が入っていた。
「瑞穂、次は俺に任せてくれないか」
言われずとも次も、ゴンに何とかしてもらう気満々だった俺は、「おお分かった」とだけ答えて、また五芒星で『解術の儀式』を行った。
楓は、またもや自分に幻術が降りかかってくるのではないかと、そっと俺の後ろに隠れた。
相変わらずニコニコ笑っていた爺さんだが、三度目の儀式を受けたあとは変化が現れるのは早かった。徐々に呼吸が荒くなってきたかと思うと、みるみるうちに苦しそうな表情になり、首や胸の辺りを搔きむしるように、もがきだした。まるで何かに首を絞められて窒息しそうな勢いである。
俺の影から様子を見ていた楓は「お爺さん!」と叫ぶ。俺もさすがに冷汗が滲んできた。
そのときゴンが走り出し、
「爺さん、踏ん張れよ!」
と叫んで五芒星の中に飛び込み、爺さんの背中に左手を押し付けた。するとゴンと爺さんが、ごうっと青い炎に包まれた。
俺も楓もその炎に驚き、二人を助けに行こうと駆け寄る。
「来るな!」
こちらも見ずにゴンが叫ぶ。ゴンは爺さんの背に触れたまま何かに集中しているようだった。その眼は、今まで見たことのない不敵で真剣な眼差しだった。
そして、青い炎が爺さんの身体に吸い込まれるように消えていったかと思うと、その炎は火の玉となって、ヒュウという音と共に天に昇り、まるで花火のように夜空にぱっと飛び散った。
その火花を見上げて、楓が「うわぁ」と顔を輝かせる。
火の明かりが消えると、五芒星があった場所には疲れ果て、仰向けに転がったゴンと、その傍らに美しい一羽の鶴が立っていた。
「ありがとう。ありがとう、皆さん。この御恩はけっして忘れません」
そう言って鶴は一声、高い空に向かって鳴いたあと、ふわりと飛び立ち闇夜に消えていった。
「ゴン大丈夫?」
楓がグラウンドに横たわっているゴンに駆け寄った。
「ああー、疲れた」
「おまえすごいなぁ!見直したぞ」
「ほんと、びっくりした!今日はゴン大活躍ね」
ゴンはニヤリと笑ったあと、そのままグラウンドの上で眠ってしまった。きっと妖力を使い果たしてしまったのだろう。完全に猫の姿になってしまったゴンを、楓が抱きかかえて俺たちは帰路についた。
帰り道、ゴンは楓の腕の中で、満足そうな表情で眠っていた。
「うーん、幻術《げんじゅつ》っぽいものが、何重にもかけられてるみたいだけど…よくわかんないな」
「そうか。やっぱりまずは、何の術がかけられているのか、一つずつ明らかにしないとだな」
往診からの帰り道、俺たちは、とある妖《あやかし》に呼び留められた。それは長い髭を生やし、ひょろっと背の高い爺さんの姿をした妖だったのだが、その爺さんは見た目も臭いもひどい状態で、おそらく良くない術を幾重にもかけられているようだった。
これほどの術を受けていれば、きっと辛いはずなのだが、当の本人はというと、
「わしは、どうなってるのかサーッパリ分からんが、あんたたちに出会えてすーっごく嬉しい!」
と自分が何がしかの術を受けていることなど、気づいてもいない様子だった。
こういう患者の場合、治療するか否かという選択に悩むことが多い。本人が治療を望んでいるかどうか、今一つはっきり分からないからだ。
ただ、この爺さんの妖は、俺たちを呼び留めた。それは、自分でもよく分からいながらに、何か伝えようと、訴えようと、しているように感じられた。
それに、この爺さんがまた、子どものような屈託のない笑みを俺たちに向けてくるものだから、三人とも何とかしてその爺さんにかけられた術を解いてやりたくなったのである。
「とりあえず五芒星《ごぼうせい》を使ってみよう」
俺たちは手分けして、近くに五芒星の描ける場所がないか探した。すると、暗くなって誰も居なくなった小学校があるのを楓が見つけてきた。小さな小学校だが、田舎だからかグラウンドは広い。これだけのスペースがあれば充分だ。
まずは爺さんをグラウンドの真ん中に座らせて、爺さんが中心に来るよう五芒星を描く。
しかし、爺さんは状況が全く理解できていないらしく、そこに座っていてくれと何度説明しても、ふらふらと立ち上がって五芒星から出て行こうとする。
「お爺ちゃん、これあげるから、ここで座って食べてて?」
楓が持っていた飴玉や菓子を渡してくれた。
その菓子に爺さんが夢中になっている間に、なんとか五芒星を描き上げる。
そして、その五芒星から少し離れた所に立ち、俺は『解術《げじゅつ》の儀式』を始めた。ゴンと楓は傍らで様子を見つめている。
まずは、神水を三滴と、俺の血を二滴、五芒星の角にそれぞれ垂らし、
「理《ことわり》を表せ!」
と五芒星に向かって叫んだ。すると爺さんの身体が、ゆらゆらと揺らめきだし、何かが爺さんの身体から離れて飛び出してきた。そして爺さんから飛び出した「何か」は一直線に楓に向かった。
楓が「ひゃあ!」と言ったのと、ゴンが「滅!」と叫んで、パンっと手を叩いたのがほぼ同時だった。その瞬間、爺さんから飛び出した「何か」は、砕け散って楓の上に降り注いだ。
「うわ!うへっ。ひどい、なにこれ」
楓は、爺さんから飛び出した「何か」だった粉を被って真っ白になっている。五芒星の中にいた爺さんはそれを見て、「わぁお」と声を上げた。
「ごめん。つい反射で。今のは『吸魂虫《きゅうこんちゅう》』の幻だよ。幻でもつぶすと砕けて粉になっちゃうんだよなぁ」
俺には全く姿が見えなかったが、ゴンは今の一瞬で、爺さんから出てきたものが『吸魂虫』だと分かったらしい。さすが猫だ。
楓はゴンに妖術である程度『吸魂虫』の粉を取り除いてもらい、なんとか体裁を整えた。
やはりこの爺さんにかけられていたのは幻術の類だったようだ。幻術とは、かけた相手に幻視、幻聴、幻臭、幻味などといった、幻覚を与えるものだ。
それは「良い夢」のような幻覚であることもあれば、「恐ろしい悪夢」のような幻覚なこともある。そして今、『吸魂虫』という幻が現れたということは、爺さんにかけられているのは間違いなく後者の方だった。
「よし、この調子で術を解いてくぞ!」
再度、俺は解術の儀式を行った。が、しばらく待っても何も起こらない。
先ほどのこともあって、三人とも爺さんから片時も目を離さず身構えていたが、爺さんはニコニコと笑っているだけで変化はない。
これは失敗かと思われたとき、楓が「わわっ!」と叫んだ。横にいた楓を見ると身長がいつもより低くなっている。足元に目をやると楓の足がグラウンドに沈み込んでいた。
「流砂か!」
俺は楓の手を取って引っ張りあげようとしたが、楓はどんどん砂の中に飲み込まれていく。
「なんで私ばっか!」と楓は涙声だ。
そんな楓を見て、ゴンは素早く木の葉を懐から取り出し、その木の葉を地面に叩き付けた。すると小学校の校舎の方からグラウンドの土が盛り上がり、何かがこちらに向かってくるのが見えた。そしてその土の盛り上がりがすぐ側まで来たかと思うと、楓の身体がふわりと宙に浮いた。
楓を持ち上げたのは、大きな土蜘蛛《つちぐも》だった。ゴンが土蜘蛛の上に乗った楓を引きずり降ろすと、土蜘蛛は流砂の中心に潜り、その直後、「ぎいやあ!」と耳をつんざく声が聞こえた。
「土蜘蛛が地獄蟻《じごくあり》を食べてくれたんだよ」
土蜘蛛はそのまま姿を見せることなく、しわがれた声で「ご馳走様」とだけ言ってどこかに消えていった。
「まったく、何でこの爺さん、こんな面倒な術ばかりかけられてるんだ」
「これさ、誰かのいたずらじゃないかな…。『地獄蟻』を使ってあまり遠くに行けないようにして、ちょっとずつ『吸魂虫』で体力を奪う。なんかこの幻術をかけたやつの意地の悪さを感じるよ」
爺さんの様子をみてみると、二つ幻術が解けて少し身軽になったようだが、爺さんに聞いてみても、「面白かったわい」と言うだけで効果のほどは分からない。
それでも『吸魂虫』と『地獄蟻』を取り除いたおかげで残った幻術の影は、随分はっきり見えるようになった。おそらく爺さんにかけられていた幻術の中核を成しているのは、『狂言術』だ。
本来『狂言術』をかけられた者は、恐ろしい幻聴に襲われ、訳の分からないことを口走ったり、錯乱状態になったりすることが多いのだが、この爺さんはどうも耐性があったのか、ちょっとボケた年寄りのようになっただけで済んだようだ。
ただ『狂言術』はそもそも相手に相当な苦痛を与えるものである。
その幻術をかけた奴への憤りからか、ゴンはいつになく気合が入っていた。
「瑞穂、次は俺に任せてくれないか」
言われずとも次も、ゴンに何とかしてもらう気満々だった俺は、「おお分かった」とだけ答えて、また五芒星で『解術の儀式』を行った。
楓は、またもや自分に幻術が降りかかってくるのではないかと、そっと俺の後ろに隠れた。
相変わらずニコニコ笑っていた爺さんだが、三度目の儀式を受けたあとは変化が現れるのは早かった。徐々に呼吸が荒くなってきたかと思うと、みるみるうちに苦しそうな表情になり、首や胸の辺りを搔きむしるように、もがきだした。まるで何かに首を絞められて窒息しそうな勢いである。
俺の影から様子を見ていた楓は「お爺さん!」と叫ぶ。俺もさすがに冷汗が滲んできた。
そのときゴンが走り出し、
「爺さん、踏ん張れよ!」
と叫んで五芒星の中に飛び込み、爺さんの背中に左手を押し付けた。するとゴンと爺さんが、ごうっと青い炎に包まれた。
俺も楓もその炎に驚き、二人を助けに行こうと駆け寄る。
「来るな!」
こちらも見ずにゴンが叫ぶ。ゴンは爺さんの背に触れたまま何かに集中しているようだった。その眼は、今まで見たことのない不敵で真剣な眼差しだった。
そして、青い炎が爺さんの身体に吸い込まれるように消えていったかと思うと、その炎は火の玉となって、ヒュウという音と共に天に昇り、まるで花火のように夜空にぱっと飛び散った。
その火花を見上げて、楓が「うわぁ」と顔を輝かせる。
火の明かりが消えると、五芒星があった場所には疲れ果て、仰向けに転がったゴンと、その傍らに美しい一羽の鶴が立っていた。
「ありがとう。ありがとう、皆さん。この御恩はけっして忘れません」
そう言って鶴は一声、高い空に向かって鳴いたあと、ふわりと飛び立ち闇夜に消えていった。
「ゴン大丈夫?」
楓がグラウンドに横たわっているゴンに駆け寄った。
「ああー、疲れた」
「おまえすごいなぁ!見直したぞ」
「ほんと、びっくりした!今日はゴン大活躍ね」
ゴンはニヤリと笑ったあと、そのままグラウンドの上で眠ってしまった。きっと妖力を使い果たしてしまったのだろう。完全に猫の姿になってしまったゴンを、楓が抱きかかえて俺たちは帰路についた。
帰り道、ゴンは楓の腕の中で、満足そうな表情で眠っていた。
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