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妖は街でひっそり店を営む(中編)
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初めて入る店に、そわそわしている二人を連れ、俺は店のドアを引いた。
「うわぁ」楓とゴンが同時に声をあげる。
店に入ってまず初めに驚かされるのは、店内を埋め尽くさんと並んだ、その妖術品の数々である。両側の壁に取り付けられた棚には、大小様々な器や壺の他に、鉄瓶や急須、茶道具などの日用で使用するものから、何に使うのか分からない奇妙な形のガラス細工のようなものまで所狭しと並んでいた。
そして、店の中は二階まで吹き抜けになっており、さらにその天井には大きな天窓が取り付けられている。その天窓を見上げると、まるで頭上に星が降って来そうな錯覚に陥る。
ここの店主は妖術で作られた妖術品の中でも、特に「妖術工芸品」と呼ばれる分野で活躍している職人だった。
「おおーい!おばちゃんいるかー?」
俺は入り口から店の奥の方に向かって大声で叫んだ。
床にも棚に収まりきらない品物が溢れかえっていて簡単には中に入れない。他人には散らかっているようにしか見えないこの妖術品たちは、全て然るべき場所に置かれているのだそうで、以前勝手にどけようとして怒られたことがあった。
「おばちゃんて誰のことだー!」
俺が声をかけてから、しばらく間をおいて返事が返ってきた。そして店の奥の方から汚い割烹着を着た女が、首にぶら下げた眼鏡を左右に揺らしながら出てきた。
この女が、この店の店主である『付喪神』の里ノ重だ。後ろで一つに編んだ髪には白いものが混じり、顔には皺が目立つが、その真っ黒な瞳は職人らしく、いつも「きりり」と澄んでいる。
「なんだ、久しぶりに顔出したと思ったら、あんた…いつの間に弟子なんてとったんだい?」
店の妖術品を珍しそうに眺めている楓とゴンを見て、里ノ重が言った。
「いや弟子じゃなくて、バイトだよバイト」
「同じようなものだろ。とにかく店の物に触らないように言っておきな。
それで、今日は何の用で来たんだい?」
「『断ち鋏』と、『薬壺』を五つ頼みたいんだ」
「あんた、この前作ってやったやつはどうした?もう壊れたのか?いつも物は大事に使えと言っているだろう⁉」
里ノ重は、何でも見透かせそうなその鋭い眼光を俺に向けた。
この眼に睨まれると、反射的に腹の辺りがきゅっと縮こまる。
「大事に使ってたさ!でもこの前『神堕ち』に襲われて、それで持ち物半以上分もってかれたんだよ」
それを聞いて、里ノ重の眉がピクリと動いた。
「そう…『神堕ち』が出たっていう噂は本当だったのか…それはまあ、災難だったな」
里ノ重の眼の光が少し弱まる。
俺は内心ほっとした。
「それで、里ノ重。『断ち鋏』と『薬壺』でどれくらい時間かかりそうだ?」
「『薬壺』の方はもう物はあるから少し調整して…二時間後にまた取りに来な。でも『断ち鋏』は今日中には無理だな」
「そうか、じゃあ『断ち鋏』の方はまた今度取りに来るよ」
「その時、『聴魂器』も一緒に持ってきな。みてやる」
「あれはまだ使えるけど…?」
「なに言ってんだ。壊れてからじゃ困るだろ。モノってのは、調子が悪くなる前に、手入れしてやるのが大切なんだ。特にあんたの診察道具は、代えが利かないんだから」
「確かに今回『断ち鋏』が壊れて大変だった。そしたら今度来るときは『聴魂器』も持ってくるよ。ありがとう、里ノ重」
「モノは丁寧に手入れしてやるほど、いい仕事をしてくれるもんだ。ところで、さっきからあの二人は何してんだ。こら!それはまだ乾かしてる最中なんだから、触るんじゃないよ!」
俺は、店の妖術品で遊んで里ノ重に叱られたバカ二人を連れて「妖術工房」を出た。
「よし、二時間であとの買い物すませるぞ」
せっかく街に来たので、他の買い物もこの機会にしておきたい。ここからは手分けして買い出しに行くことにした。
俺はいつも使っている墨、薬草を。ゴンと楓は食材と日用品を中心に店を回って、またこの「妖術工房」の前で集合する約束をした。楓は初めて街の店に来たので少々心配ではあるが、ゴンがいれば大丈夫だろう。
俺は墨を買った後、商店街から少し外れたところにある喫茶店に向かった。この街には町家づくりの古民家を利用したカフェや喫茶店が多く、今向かっている妖《あやかし》の喫茶店も、このような人間の喫茶店の雰囲気を模していた。ただ一つおかしな点があるとすれば、扉には常に「準備中」の札がぶら下がっていることだけだ。
「いらっしゃい。瑞穂くん」
店に入ると、元『狛犬』の粽葉《そうよう》というあやかしが出迎えてくれた。
粽葉は昔、超大手の神社で働いていた有能な『狛犬』だった。だがある日、突然思い立って脱狛犬し、今はこの街の外れで喫茶店を営んでいた。
真っ白の髪をきっちりと後ろで結わえ、皺ひとつない長着を纏い、シャンと背筋の伸びた立ち姿は『狛犬』時代の面影を残していた。
以前、どうして長年仕えた神社を辞めたのか理由を聞いたところ粽葉は、「ずっと自分の店を持ちたいと思っていたんだ」と答えた。そう答えた時の粽葉の頬に刻まれた深い皺が『狛犬』時代の苦労を物語っているように感じたことを思い出す。
「今日はまた薬草をお買い求めかな?」
「そうなんだ。でも今日は『啼々夜草《ててやそう》』をいつもより多めに欲しいんだ。最近、よく出てくんだよ」
「啼々夜草《ててやそう》」というのは妖草《ようそう》の一種で、煎じて飲むことで気を静める効果があり、薬草としても用いられる。
ちなみに「啼々《てて》」とは、妖《あやかし》が悲しみに暮れて涙を流している様を表す古語で、「夜草《やそう》」は夜にのみ姿を現す野草のことである。
この「啼々夜草《ててやそう》」はこの辺の地域で育てることはできないし、近所の薬局(ガマ仙人がやっているところ)でも売っていないので、いつも粽葉の店でまとめ買いしていた。粽葉の喫茶店では、店内で茶を飲めるだけでなく茶葉の量り売りもしていて、中々手に入らないような珍しい茶葉も取り揃えているのだ。
「うちの喫茶店でも『啼々夜草《ててやそう》』は人気だね。みんなきっと、目まぐるしい世の気にあてられて疲れているんだろう」
「ぽっと出のやつは色々と苦労するんだよ。粽葉みたいに何百年も生きているわけじゃないから」
「私だって常に穏やかというわけではないよ?心に波風が立つ日もあるさ」
「ほんとか?そうは見えないけどな」
粽葉のすらりとした体躯から紡がれる所作は、優雅さと余裕を感じさせる。彼はいつだって平静で、何があってもけっして取り乱すことはない。
「波風がたっても抗わず身を任せているからね。そう見えるのかもしれない。しなやかに揺らぐ心というものは折れることはないものだ」
「ほんとに粽葉と話していると、どっちが神様か分からなくなるよ」
「そんなことはないさ。瑞穂君を神様だと思わないものはいないよ」
「いやいる!俺のところに最近来たやつらは、全く俺のことを神様だと思ってない!」
粽葉は注文した「啼々夜草《ててやそう》」を準備する間、おすすめのお茶を淹れて出してくれた。以前このお茶の茶葉を買って帰ったことがあるのだが、どうしてもこの店で飲む味と同じようには淹れられなかった。
妖《あやかし》には、それぞれ「妖気の匂い」というものがある。
きっとお茶を淹れるときにも粽葉の妖気がお茶に溶けだしているから、同じ茶葉を使っても淹れる者が変われば味も変わってしまうのだろう。
ちなみにゴンの『火の玉』にも、かすかにゴン特有の妖気の匂いがする。
ただ神様には、妖《あやかし》がもつような独特の匂いはない。神には匂いがないのだ。この世で神と呼ばれる者たちだけが、「己の匂い」をもたない―。
俺は粽葉から茶葉を受け取ると、先ほどの「妖術工房」に引き返した。
するとすでに楓とゴンが店の前で待っていた。てっきり遅れてくるものと思っていたが、予想に反して待ち合わせの時間より早く戻っていたようだ。そして二人と一緒にもうひとり、あやかしが待っていた…。
「うわぁ」楓とゴンが同時に声をあげる。
店に入ってまず初めに驚かされるのは、店内を埋め尽くさんと並んだ、その妖術品の数々である。両側の壁に取り付けられた棚には、大小様々な器や壺の他に、鉄瓶や急須、茶道具などの日用で使用するものから、何に使うのか分からない奇妙な形のガラス細工のようなものまで所狭しと並んでいた。
そして、店の中は二階まで吹き抜けになっており、さらにその天井には大きな天窓が取り付けられている。その天窓を見上げると、まるで頭上に星が降って来そうな錯覚に陥る。
ここの店主は妖術で作られた妖術品の中でも、特に「妖術工芸品」と呼ばれる分野で活躍している職人だった。
「おおーい!おばちゃんいるかー?」
俺は入り口から店の奥の方に向かって大声で叫んだ。
床にも棚に収まりきらない品物が溢れかえっていて簡単には中に入れない。他人には散らかっているようにしか見えないこの妖術品たちは、全て然るべき場所に置かれているのだそうで、以前勝手にどけようとして怒られたことがあった。
「おばちゃんて誰のことだー!」
俺が声をかけてから、しばらく間をおいて返事が返ってきた。そして店の奥の方から汚い割烹着を着た女が、首にぶら下げた眼鏡を左右に揺らしながら出てきた。
この女が、この店の店主である『付喪神』の里ノ重だ。後ろで一つに編んだ髪には白いものが混じり、顔には皺が目立つが、その真っ黒な瞳は職人らしく、いつも「きりり」と澄んでいる。
「なんだ、久しぶりに顔出したと思ったら、あんた…いつの間に弟子なんてとったんだい?」
店の妖術品を珍しそうに眺めている楓とゴンを見て、里ノ重が言った。
「いや弟子じゃなくて、バイトだよバイト」
「同じようなものだろ。とにかく店の物に触らないように言っておきな。
それで、今日は何の用で来たんだい?」
「『断ち鋏』と、『薬壺』を五つ頼みたいんだ」
「あんた、この前作ってやったやつはどうした?もう壊れたのか?いつも物は大事に使えと言っているだろう⁉」
里ノ重は、何でも見透かせそうなその鋭い眼光を俺に向けた。
この眼に睨まれると、反射的に腹の辺りがきゅっと縮こまる。
「大事に使ってたさ!でもこの前『神堕ち』に襲われて、それで持ち物半以上分もってかれたんだよ」
それを聞いて、里ノ重の眉がピクリと動いた。
「そう…『神堕ち』が出たっていう噂は本当だったのか…それはまあ、災難だったな」
里ノ重の眼の光が少し弱まる。
俺は内心ほっとした。
「それで、里ノ重。『断ち鋏』と『薬壺』でどれくらい時間かかりそうだ?」
「『薬壺』の方はもう物はあるから少し調整して…二時間後にまた取りに来な。でも『断ち鋏』は今日中には無理だな」
「そうか、じゃあ『断ち鋏』の方はまた今度取りに来るよ」
「その時、『聴魂器』も一緒に持ってきな。みてやる」
「あれはまだ使えるけど…?」
「なに言ってんだ。壊れてからじゃ困るだろ。モノってのは、調子が悪くなる前に、手入れしてやるのが大切なんだ。特にあんたの診察道具は、代えが利かないんだから」
「確かに今回『断ち鋏』が壊れて大変だった。そしたら今度来るときは『聴魂器』も持ってくるよ。ありがとう、里ノ重」
「モノは丁寧に手入れしてやるほど、いい仕事をしてくれるもんだ。ところで、さっきからあの二人は何してんだ。こら!それはまだ乾かしてる最中なんだから、触るんじゃないよ!」
俺は、店の妖術品で遊んで里ノ重に叱られたバカ二人を連れて「妖術工房」を出た。
「よし、二時間であとの買い物すませるぞ」
せっかく街に来たので、他の買い物もこの機会にしておきたい。ここからは手分けして買い出しに行くことにした。
俺はいつも使っている墨、薬草を。ゴンと楓は食材と日用品を中心に店を回って、またこの「妖術工房」の前で集合する約束をした。楓は初めて街の店に来たので少々心配ではあるが、ゴンがいれば大丈夫だろう。
俺は墨を買った後、商店街から少し外れたところにある喫茶店に向かった。この街には町家づくりの古民家を利用したカフェや喫茶店が多く、今向かっている妖《あやかし》の喫茶店も、このような人間の喫茶店の雰囲気を模していた。ただ一つおかしな点があるとすれば、扉には常に「準備中」の札がぶら下がっていることだけだ。
「いらっしゃい。瑞穂くん」
店に入ると、元『狛犬』の粽葉《そうよう》というあやかしが出迎えてくれた。
粽葉は昔、超大手の神社で働いていた有能な『狛犬』だった。だがある日、突然思い立って脱狛犬し、今はこの街の外れで喫茶店を営んでいた。
真っ白の髪をきっちりと後ろで結わえ、皺ひとつない長着を纏い、シャンと背筋の伸びた立ち姿は『狛犬』時代の面影を残していた。
以前、どうして長年仕えた神社を辞めたのか理由を聞いたところ粽葉は、「ずっと自分の店を持ちたいと思っていたんだ」と答えた。そう答えた時の粽葉の頬に刻まれた深い皺が『狛犬』時代の苦労を物語っているように感じたことを思い出す。
「今日はまた薬草をお買い求めかな?」
「そうなんだ。でも今日は『啼々夜草《ててやそう》』をいつもより多めに欲しいんだ。最近、よく出てくんだよ」
「啼々夜草《ててやそう》」というのは妖草《ようそう》の一種で、煎じて飲むことで気を静める効果があり、薬草としても用いられる。
ちなみに「啼々《てて》」とは、妖《あやかし》が悲しみに暮れて涙を流している様を表す古語で、「夜草《やそう》」は夜にのみ姿を現す野草のことである。
この「啼々夜草《ててやそう》」はこの辺の地域で育てることはできないし、近所の薬局(ガマ仙人がやっているところ)でも売っていないので、いつも粽葉の店でまとめ買いしていた。粽葉の喫茶店では、店内で茶を飲めるだけでなく茶葉の量り売りもしていて、中々手に入らないような珍しい茶葉も取り揃えているのだ。
「うちの喫茶店でも『啼々夜草《ててやそう》』は人気だね。みんなきっと、目まぐるしい世の気にあてられて疲れているんだろう」
「ぽっと出のやつは色々と苦労するんだよ。粽葉みたいに何百年も生きているわけじゃないから」
「私だって常に穏やかというわけではないよ?心に波風が立つ日もあるさ」
「ほんとか?そうは見えないけどな」
粽葉のすらりとした体躯から紡がれる所作は、優雅さと余裕を感じさせる。彼はいつだって平静で、何があってもけっして取り乱すことはない。
「波風がたっても抗わず身を任せているからね。そう見えるのかもしれない。しなやかに揺らぐ心というものは折れることはないものだ」
「ほんとに粽葉と話していると、どっちが神様か分からなくなるよ」
「そんなことはないさ。瑞穂君を神様だと思わないものはいないよ」
「いやいる!俺のところに最近来たやつらは、全く俺のことを神様だと思ってない!」
粽葉は注文した「啼々夜草《ててやそう》」を準備する間、おすすめのお茶を淹れて出してくれた。以前このお茶の茶葉を買って帰ったことがあるのだが、どうしてもこの店で飲む味と同じようには淹れられなかった。
妖《あやかし》には、それぞれ「妖気の匂い」というものがある。
きっとお茶を淹れるときにも粽葉の妖気がお茶に溶けだしているから、同じ茶葉を使っても淹れる者が変われば味も変わってしまうのだろう。
ちなみにゴンの『火の玉』にも、かすかにゴン特有の妖気の匂いがする。
ただ神様には、妖《あやかし》がもつような独特の匂いはない。神には匂いがないのだ。この世で神と呼ばれる者たちだけが、「己の匂い」をもたない―。
俺は粽葉から茶葉を受け取ると、先ほどの「妖術工房」に引き返した。
するとすでに楓とゴンが店の前で待っていた。てっきり遅れてくるものと思っていたが、予想に反して待ち合わせの時間より早く戻っていたようだ。そして二人と一緒にもうひとり、あやかしが待っていた…。
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