「神様はつらいよ」〜稲の神様に転生したら、世の中パン派ばかりでした。もう妖を癒すことにします〜

あきゅう

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急患を救え!(後編)

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 一体何事かと、診療所の扉を開けて外に出ようとしたとき、ちょうど外にいた妖が中に駆け込んでくるところだった。その妖はまさか扉の向こうに誰かいるとは思っていなかったのだろう、正面からぶつかってきた。

「おっとすみません。あ、先生!良かった、すぐ診てやって欲しい奴がいるんだ!」

 その妖に促され外に出ると、患者と思しき『天狗』が大勢の妖に担架で運ばれてきたところだった。
 そして強烈な『呪い』の臭いが鼻を衝く。

「瑞穂先生!こいつ、呪いの沼に嵌っちゃったんだ」

 担架の上に横たわっている『天狗』の足は、膝のあたりまでドロドロに腐って溶けていた。しかも『呪い』は、いまだにその『天狗』の足を浸食し続けているようだ。

「これはマズイな」

 俺はすぐにこの患者を診察室の隣にある処置室に運ぼうとしたのだが、その『天狗』には、まだ幼い天狗の子どもがしがみついていた。

「お父さん!お父さん!お父さんー!!!!」

 この患者の子と思われる幼い天狗は、必死に父親にしがみつき、父親の身体を強く揺さぶりながら悲痛な声で叫ぶ。

「おチビちゃん、今からお父さんを治してあげたいんだ。だからちょっとだけ、離れていてくれるかな?」

 ひざを折ってその子に声をかけるが、彼には俺の言葉は届いていないようで、父にしがみつく手を放そうとはしない。
 周りの妖たちも、その子のあまりに悲痛な声に気圧され何と言ったものか困惑しているようだった。

「ポンっ!」

 急に頭上で大きな破裂音が聞こえて、そこに集まっていた一同驚きで動きを止めた。天狗の子もこれにはびっくりしたようで、一瞬顔を上げる。その一瞬の隙に、ゴンが天狗の子をひょいと抱き上げた。

「この神様が、父ちゃん助けてくれるから。それまでちょっとの辛抱だ」

 さっきの破裂音は、ゴンが子どもの気を逸らすために妖術で鳴らしたものだったらしい。

「瑞穂!今のうちに、このひと早く運ぼ!」

 楓はいつのまにか担架の持ち手の一角を担っていた。

「よし、処置室に運んでくれ!」

 ゴンに抱きかかえられながらも必死に父親のところに行こうとしている天狗の子を目の端でとらえながら、俺は診療所の中に運ばれていく『天狗』の後を追った。


 処置室に運んだ『天狗』はすでに意識がなかった。『聴魂器』を『天狗』の胸に当ててみると、まだ微かに「気」が巡っている音はしている。

「『呪消《じゅけ》し粉《こ》』を足にかけてくれるか、楓」

 楓は頷くと棚から『呪消《じゅけ》し粉《こ》』を取り出し『天狗』の足に振りかけた。すると、『天狗』の足を溶かしていた呪いの浸食が止まった。

「これで…呪いは解けたの?」

「いや、一旦侵食を食い止めただけだ」

 この『天狗』にかけられている呪いは、今もどこかで誰かが呪いをているものだった。だから、その絆を断ち切らない限り、一度呪いを祓っても、またいずれ呪いに浸食される。

「呪いの根源との絆を断ち切らないとダメだ…楓、『断ち鋏《ばさみ》』取ってくれ」

「瑞穂、あれはこの前壊れちゃって使えないよ!」

 そうだった。『断ち鋏』は『神堕ち』に襲われたときに投げ捨てて壊れてしまったのだ。となると、あとは呪いをかけている奴を直接叩くか、神術で絆を断ち切るかだが…。

「皆さん、呪いをかけている奴に心当たりは?」

 心配そうに処置室を覗き込んでいた妖たちに聞いてみる。

「吉郎は子どもが沼に落ちそうになってたのを助けただけなんだ!」

「そうだよ先生。こいつは呪われるような事する奴じゃない」

「たぶん誰かの呪い合いに巻き込まれたんじゃねえかな。だから誰が呪ってるのかなんて見当もつかねぇ」

 集まっていた妖たちが一斉に話し始めたので聞き取るのが大変だった。

「何それ!誰よそんな迷惑な喧嘩してるの!毛むしってやりたいわ」

 楓まで興奮しだして、その場の収集がつかなくなってきた。

「皆…もうよく分かったよ、ありがとう。どうやら呪いをかけてる奴を特定するのは難しそうだし、時間はかかるが絆の方を何とかしよう」

「どうするの?」

「『反言術《はんげんじゅつ》』を使って呪いとの絆を断ち切るんだ。でもこれは、かなり時間がかかるから…お前も手伝ってくれ」

「もちろん手伝うけど、どれくらいかかるの…?」

「早くて三時間…」

「え!そんなに?」

「『断ち鋏』があれば一瞬だったんだけどな」

 『反言術』は一度始めると、絆を断ち切るか相手が消滅するまで中断することはできない。もし途中でやめたら自分もその呪いを受けることになるのだ。
 俺は気合を入れ直し、『反言術』の儀式の準備に取りかかった。

 まずは処置室に清めの香を焚く。そして神水を一口飲んで、目を閉じ、自分の心が静まるまで待つ。

 だがこの「心を静める」という段階が、この『反言術』において一番重要で、一番の難関だった。
 
 呪われた患者の苦しみ、呪っている者の怨念、それらを見守る者たちの怯えた目、慟哭にあえぐ子どもの声…いろんなものが心の中を駆け巡って、心の内は中々静まらない。
 
 俺は処置室の中に焚いている香の香りに意識を集中した。この香は患者のためというより、むしろ術者が心を鎮めるために、その誘引とするべく焚くものだった。
 その香りに導かれ、自分の心の内を見る。やがてゆっくりと意識は外に向かい、自分というものから離れて、俯瞰してその場を見つめる。そして気づけば、『反言術』を唱え始めた自分の声を聞いていた…。

 俺が『反言術』を唱えている間、楓は蝋燭や香を取り替えたり、患者の護符を交換したりしてくれていた。ずっと目は閉じていても、その気配が手に取るように伝わってくる。


 そして、およそ五時間後、この『天狗』にかけられた呪いとの絆を完全に断ち切ることに成功した俺は、カラカラに枯れた喉でゴンを呼んだ。
 呼ばれたゴンは天狗の子を処置室に連れてきた。

「お父さーん!!」

 処置室に入ってきた天狗の子は泣きながら父親に抱き着いた。その頃には『天狗』は何とか薄っすら目を開けられるようになっていて、まだ返事はできないながらも、その目はしっかりと我が子を捉えていた。

「お疲れさん、瑞穂。それにしても五時間以上もよくやるよ」

 俺はもう喉の限界を迎えていて返事をするのも辛かった。

「本当にお疲れさまだよ。はいお水」

 楓は天界の雨を湯呑みに入れて持ってきてくれた。その水を飲むと、幾分喉が癒された。

「先生、あいつはもう大丈夫なのか?」

 診療所の待合に出ると、待っていた天狗たちが心配そうに駆け寄ってきた。

「呪いは断った。あとは足が再生するかどうかだが、それはあの『天狗』の生命力しだいだな」

「そうか、とりあえず命は助かったんだな。ありがとう瑞穂先生」

 そして、水を飲めるまでに回復した『天狗』は来た時と同じように、妖たちに担架に乗せられて家に帰って行った。
 帰るときにはいくつか『滋養』のご利益のある食べ物を渡しておいたが、また往診に行って様子をみてやらないといけないだろう。



「それにしても、ゴンが『ポンっ』て大きな音出したときはびっくりしたよ」

 楓は、疲れ切って診察室で横たわっている俺の代わりに、後片付けと掃除をしてくれていた。

「ああ、あれは俺が子どものときに、育ててくれた師匠がよく使ってた手なんだよ」

 ゴンはちょっと恥ずかしそうに苦笑しながら答えた。

「ゴンがあの子をみてくれてたお陰で、早く治療に取りかかれたな」

「あの子のためにも、早く回復するといいね。天狗さん」

 この日ばかりは楓もゴンも俺にあれやこれやと気を遣ってくれた。いつもこうならいいのに…。と頭の隅で思いながら、俺は布団に入ってすぐに深い眠りに落ちていった。



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