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翡翠の少年(前編)
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「34番の方。こちらの診察室にどうぞー。あ、お爺ちゃん、そこ段差あるので気を付けてね」
次の日。やはり楓に会計を任せるのは不安だったので、とりあえず患者の誘導と俺の診察の補助をやってもらうことにした。
わりと混雑している日だったが、楓は思っていたよりテキパキと動いてくれて、妖の患者への対応も丁寧だった。人付き合いは得意だと言っていたことだけは、本当らしい。
「ふふふ。田舎のばっちゃんに鍛えられた私をなめないで。こんなの楽すぎてあくびが出るわ」
「じゃあ、昼からもその調子でよろしく」
だが午後からは、『火蜂』に刺された『天狗』の子がひとり来ただけで、その後ぱったりと患者が来なくなった。
患者を待っている間、特にすることもなかったので、俺たちは『鉄板おやじ』という妖が差し入れてくれた大判焼きを食べることにした。
『鉄板おやじ』というのは、鉄板で調理をすることに命をかけて取り組むあまり、妖になってしまった。と言われている妖だった。
まぁそれが本当かどうかは知らないが、『鉄板おやじ』が鉄板で作る料理や菓子が美味いのは間違いない。
俺は診察室に置いているストーブの上に、餅を焼くのに使う網を置いた。そしてその網の上に、まんべんなく熱が伝わるように位置取りを考えながら大判焼きを並べていく。
楓は俺が大判焼きをストーブで温めている間、診察室の中をごそごそと見て回っていた。
「なんかこの診療所って、ボロボロだよね。直さないの?」
楓が言うように確かにこの診療所はボロい…。
ここは神社の本殿をそのまま利用していて、診察室はその中にある八畳ほどの畳敷きの部屋なのだが、畳はだいぶ傷んできて所々ささくれ立っているし、側面の土壁も一部劣化して穴が開いているところもあった。
また建物だけでなく家具などもずいぶん傷んでいる。患者の記録を書くために置いてある座卓は、なぜか脚の高さが微妙にズレてきていて、書き物をしていると少しガタガタと動く。だから何枚か重ねた紙を脚の下に挟み高さを調整しないといけないような始末だった。
「直したくても…金がないんだ」
言ってから、その言葉のむなしさで思わず涙が出そうになった。
「何で?瑞穂はお医者さんでしょ?お金いっぱい稼いでるんじゃないの?」
「ばか言え、妖《あやかし》相手の診察なんて全く儲からないんだぞ」
「えー、うそぉ。だってお医者さんはお金持ちのはずじゃん」
楓は信じられないという顔で俺を見る。
「それは人間の話だろ。妖の診療なんて、ちっとも儲からないんだからな。人間の医者と違って免許がいるもんでもないし」
俺は網の上に並べた大判焼きを、慎重にひっくり返しながら楓の問いに答えた。
「そうなんだ…。お医者さんだから、てっきりお金たくさん持ってるんだと思ってた…」
「俺の家のどこを見て金があると思ったんだ」
「いやだから、お金何に使ってるのかなって」
「使いすぎて金がないんじゃなくて、元から貧乏なんです。そもそも本業が裕福な神様は、副業なんてしたりしないぞ。俺みたいな『稲の神様』は、最近じゃ全く稼げないから、こんなことでもして小銭をかせがにゃならんのだ」
ストーブの上に乗せた大判焼きの皮が少し焦げて、甘く香ばしい香りが診察室の中に広がってきていた。
「『稲の神様』ってそんな感じだったんだね…なんか瑞穂が可哀そうになってきた」
そう言う楓は焼きあがったばかりの大判焼きにさっそくかぶりつきながら、またあの哀れみの目を俺に向けてきた。
「だからその目やめろ。なんか悲しくなる」
楓に話した通り、うちの診療所はけっして金銭的に余裕があるわけではないが、俺はもう一人バイトを雇いたいと思ったいた。
なぜなら、やはり俺が診察後に会計までやるのは大変だったし、それに往診に行くときに用心棒となる妖《あやかし》が居てくれたら、と以前から思っていたのだ。
だがどうやって探すか…。
ビラ配りは正直骨が折れる割に反応は芳しくなかった。街中に撒いたというのに結局面接に来たのは楓一人だけだった。
「なぁ、もう一人バイト雇いたいんだけどさ。どうやって募集したらいいと思う?」
「え?それは私だけでは不満ということですか⁈」
「いや、お前が来てくれて助かってはいるけど、外に出るときはやっぱりもう一人欲しいんだよ」
会計を任せたいから、というと自分がやると言い出しそうなので楓には黙っておくことにした。それに往診のためというのも嘘ではない。
「うーん、求人かあ。あやかし相手じゃSNSを使うわけにもいかないし。やっぱりビラ配りかな…もしくはご近所の人たちに直接伝えてみるのは?妖《あやかし》の中にもおしゃべり好きなひとっているでしょ。口コミで広めてもらうのよ」
「そりゃ、ビラ配るよりは楽だけど、そんなので来るかあ?」
「私ちょっとご近所回ってくるわ」
「え?あ、今から?」
言い終わる前に楓は診療所から飛び出していった。まったく無鉄砲な奴だ。まだここに来てまだそれほど時が経っていないというのに、あやかしたちのことが恐くはないのだろうか…。
「まぁ近所なら危ない目に会うこともないか。今のうちに俺も大判焼きを食っと…」
ストーブの上に四つ乗せておいたはずの大判焼きはすでに二個半、姿を消していた。あいつ、いつの間にこんなに食ってたんだ?というか普通二人で四つの大判焼きを分けるなら一人二つずつ食べるものじゃないのか?なぜ断りもなく三個目に手を出した。
さすがに楓の食べかけの大判焼きを食べる気にはなれなかったので、唯一欠けることなく残っていた大判焼きを食べ、楓の食べかけのは焦げないように皿に移しておいてやった。
そして楓は小一時間後、意気揚々と診療所に帰ってきた。
「ただいまー!一通りご近所回ってきたよ」
「ご近所ってお前、どんな妖がいるか、まだ全然知らないだろ。そんなんで大丈夫だったか?」
「うん、分かんないことはその辺にいるあやかしに聞いたし。えっとまずは、この村で特におしゃべりな、『化け兎』のおばちゃんと『一つ眼女』さんのところに行って来た。それから『白蛇男』はお金のことについてはかなり情報通だって聞いたんだけど会えなかったのよね。あと狛犬の吾郎くんと六郎くんは働き盛りの妖《あやかし》の友達が多いって言ってたから、職探してるひと居たら教えてって言ってきた」
「お前…なかなかやるな」
俺は素直に感心してしまった。
「ふふん。人付き合いは得意って言ったでしょ」
「だったな。じゃバイト募集の件はいったん片付いたし、今日は待っていても患者が来る気配ないし、これから往診に行くことにします」
「おうしん?」
楓の頭の上には「?」が浮かんでいるのが見えた。
「あやかしの住処に出向いて診察するんだよ」
「ああ!そういうことね。分かった。そしたら私は何を持っていったらいい?」
「そうだな。このカバンは俺が持つから、そっちの風呂敷に入ってるやつ頼む」
楓は俺が頼んだ荷物を風呂敷ごと背中に背負った。大きな風呂敷を背負うと身体が小さいからか、なんだか間抜けな泥棒のように見えた。
「これ重い。何が入ってるのよ」
「診察に使う薬とか道具が入ってるんだ。ちなみにこっちのカバンの方が重いんだからな。交換しても無駄だからな」
「別になにも言ってないでしょ。持たせて頂きますよ、これくらい」
俺たちは、診療所から歩いて三十分ほどのところにある小川へと向かった。途中は起伏のある山道だったこともあって、予想通り楓は「やっぱり荷物が重い」だの、「そっちのカバンの方が持ちやすそう」だのと駄々をこね始めたが、帰ったら大学芋を作ってやると言うと、ぴたっと大人しくなった。
シャキシャキ、ショッ、ショショ。
小川が近づいてくると、川のせせらぎに混じって切れのいいリズミカルな音が聞こえてきた。
「何この音?こんなところで誰かマラカス振ってるの?」
「あほか。川でマラカス振るやつがいるかよ。『小豆洗い』が川で小豆を洗っている音だ」
「川で小豆洗うのだって普通ないわ!!」
『小豆洗い』というのは、川のほとりで小豆を洗うあやかしで、十歳くらいの痩せた子どものような体格の爺さんだ。頭のてっぺんは禿げあがり、残った毛は無造作に伸びて散らかっている。
俺たちは、今まさに、たらいに入った小豆を一所懸命研いでいる『小豆洗い』に声をかけた…。
次の日。やはり楓に会計を任せるのは不安だったので、とりあえず患者の誘導と俺の診察の補助をやってもらうことにした。
わりと混雑している日だったが、楓は思っていたよりテキパキと動いてくれて、妖の患者への対応も丁寧だった。人付き合いは得意だと言っていたことだけは、本当らしい。
「ふふふ。田舎のばっちゃんに鍛えられた私をなめないで。こんなの楽すぎてあくびが出るわ」
「じゃあ、昼からもその調子でよろしく」
だが午後からは、『火蜂』に刺された『天狗』の子がひとり来ただけで、その後ぱったりと患者が来なくなった。
患者を待っている間、特にすることもなかったので、俺たちは『鉄板おやじ』という妖が差し入れてくれた大判焼きを食べることにした。
『鉄板おやじ』というのは、鉄板で調理をすることに命をかけて取り組むあまり、妖になってしまった。と言われている妖だった。
まぁそれが本当かどうかは知らないが、『鉄板おやじ』が鉄板で作る料理や菓子が美味いのは間違いない。
俺は診察室に置いているストーブの上に、餅を焼くのに使う網を置いた。そしてその網の上に、まんべんなく熱が伝わるように位置取りを考えながら大判焼きを並べていく。
楓は俺が大判焼きをストーブで温めている間、診察室の中をごそごそと見て回っていた。
「なんかこの診療所って、ボロボロだよね。直さないの?」
楓が言うように確かにこの診療所はボロい…。
ここは神社の本殿をそのまま利用していて、診察室はその中にある八畳ほどの畳敷きの部屋なのだが、畳はだいぶ傷んできて所々ささくれ立っているし、側面の土壁も一部劣化して穴が開いているところもあった。
また建物だけでなく家具などもずいぶん傷んでいる。患者の記録を書くために置いてある座卓は、なぜか脚の高さが微妙にズレてきていて、書き物をしていると少しガタガタと動く。だから何枚か重ねた紙を脚の下に挟み高さを調整しないといけないような始末だった。
「直したくても…金がないんだ」
言ってから、その言葉のむなしさで思わず涙が出そうになった。
「何で?瑞穂はお医者さんでしょ?お金いっぱい稼いでるんじゃないの?」
「ばか言え、妖《あやかし》相手の診察なんて全く儲からないんだぞ」
「えー、うそぉ。だってお医者さんはお金持ちのはずじゃん」
楓は信じられないという顔で俺を見る。
「それは人間の話だろ。妖の診療なんて、ちっとも儲からないんだからな。人間の医者と違って免許がいるもんでもないし」
俺は網の上に並べた大判焼きを、慎重にひっくり返しながら楓の問いに答えた。
「そうなんだ…。お医者さんだから、てっきりお金たくさん持ってるんだと思ってた…」
「俺の家のどこを見て金があると思ったんだ」
「いやだから、お金何に使ってるのかなって」
「使いすぎて金がないんじゃなくて、元から貧乏なんです。そもそも本業が裕福な神様は、副業なんてしたりしないぞ。俺みたいな『稲の神様』は、最近じゃ全く稼げないから、こんなことでもして小銭をかせがにゃならんのだ」
ストーブの上に乗せた大判焼きの皮が少し焦げて、甘く香ばしい香りが診察室の中に広がってきていた。
「『稲の神様』ってそんな感じだったんだね…なんか瑞穂が可哀そうになってきた」
そう言う楓は焼きあがったばかりの大判焼きにさっそくかぶりつきながら、またあの哀れみの目を俺に向けてきた。
「だからその目やめろ。なんか悲しくなる」
楓に話した通り、うちの診療所はけっして金銭的に余裕があるわけではないが、俺はもう一人バイトを雇いたいと思ったいた。
なぜなら、やはり俺が診察後に会計までやるのは大変だったし、それに往診に行くときに用心棒となる妖《あやかし》が居てくれたら、と以前から思っていたのだ。
だがどうやって探すか…。
ビラ配りは正直骨が折れる割に反応は芳しくなかった。街中に撒いたというのに結局面接に来たのは楓一人だけだった。
「なぁ、もう一人バイト雇いたいんだけどさ。どうやって募集したらいいと思う?」
「え?それは私だけでは不満ということですか⁈」
「いや、お前が来てくれて助かってはいるけど、外に出るときはやっぱりもう一人欲しいんだよ」
会計を任せたいから、というと自分がやると言い出しそうなので楓には黙っておくことにした。それに往診のためというのも嘘ではない。
「うーん、求人かあ。あやかし相手じゃSNSを使うわけにもいかないし。やっぱりビラ配りかな…もしくはご近所の人たちに直接伝えてみるのは?妖《あやかし》の中にもおしゃべり好きなひとっているでしょ。口コミで広めてもらうのよ」
「そりゃ、ビラ配るよりは楽だけど、そんなので来るかあ?」
「私ちょっとご近所回ってくるわ」
「え?あ、今から?」
言い終わる前に楓は診療所から飛び出していった。まったく無鉄砲な奴だ。まだここに来てまだそれほど時が経っていないというのに、あやかしたちのことが恐くはないのだろうか…。
「まぁ近所なら危ない目に会うこともないか。今のうちに俺も大判焼きを食っと…」
ストーブの上に四つ乗せておいたはずの大判焼きはすでに二個半、姿を消していた。あいつ、いつの間にこんなに食ってたんだ?というか普通二人で四つの大判焼きを分けるなら一人二つずつ食べるものじゃないのか?なぜ断りもなく三個目に手を出した。
さすがに楓の食べかけの大判焼きを食べる気にはなれなかったので、唯一欠けることなく残っていた大判焼きを食べ、楓の食べかけのは焦げないように皿に移しておいてやった。
そして楓は小一時間後、意気揚々と診療所に帰ってきた。
「ただいまー!一通りご近所回ってきたよ」
「ご近所ってお前、どんな妖がいるか、まだ全然知らないだろ。そんなんで大丈夫だったか?」
「うん、分かんないことはその辺にいるあやかしに聞いたし。えっとまずは、この村で特におしゃべりな、『化け兎』のおばちゃんと『一つ眼女』さんのところに行って来た。それから『白蛇男』はお金のことについてはかなり情報通だって聞いたんだけど会えなかったのよね。あと狛犬の吾郎くんと六郎くんは働き盛りの妖《あやかし》の友達が多いって言ってたから、職探してるひと居たら教えてって言ってきた」
「お前…なかなかやるな」
俺は素直に感心してしまった。
「ふふん。人付き合いは得意って言ったでしょ」
「だったな。じゃバイト募集の件はいったん片付いたし、今日は待っていても患者が来る気配ないし、これから往診に行くことにします」
「おうしん?」
楓の頭の上には「?」が浮かんでいるのが見えた。
「あやかしの住処に出向いて診察するんだよ」
「ああ!そういうことね。分かった。そしたら私は何を持っていったらいい?」
「そうだな。このカバンは俺が持つから、そっちの風呂敷に入ってるやつ頼む」
楓は俺が頼んだ荷物を風呂敷ごと背中に背負った。大きな風呂敷を背負うと身体が小さいからか、なんだか間抜けな泥棒のように見えた。
「これ重い。何が入ってるのよ」
「診察に使う薬とか道具が入ってるんだ。ちなみにこっちのカバンの方が重いんだからな。交換しても無駄だからな」
「別になにも言ってないでしょ。持たせて頂きますよ、これくらい」
俺たちは、診療所から歩いて三十分ほどのところにある小川へと向かった。途中は起伏のある山道だったこともあって、予想通り楓は「やっぱり荷物が重い」だの、「そっちのカバンの方が持ちやすそう」だのと駄々をこね始めたが、帰ったら大学芋を作ってやると言うと、ぴたっと大人しくなった。
シャキシャキ、ショッ、ショショ。
小川が近づいてくると、川のせせらぎに混じって切れのいいリズミカルな音が聞こえてきた。
「何この音?こんなところで誰かマラカス振ってるの?」
「あほか。川でマラカス振るやつがいるかよ。『小豆洗い』が川で小豆を洗っている音だ」
「川で小豆洗うのだって普通ないわ!!」
『小豆洗い』というのは、川のほとりで小豆を洗うあやかしで、十歳くらいの痩せた子どものような体格の爺さんだ。頭のてっぺんは禿げあがり、残った毛は無造作に伸びて散らかっている。
俺たちは、今まさに、たらいに入った小豆を一所懸命研いでいる『小豆洗い』に声をかけた…。
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