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神様はバイト募集中
しおりを挟む「先生~。患者さん、さっきの方で終わりですぅ」
受付の葉子さんが、モフっとした茶色い耳のはえている頭を診察室にのぞかせた。後ろでは、けだるそうにしっぽが揺れているのが見える。
そう、彼女は狸のあやかしなのだ。
「ありがと葉子さん。君も、もう上がっていいよ。お疲れ様」
俺がそう言うと、葉子さんは尻尾を嬉しそうに振る。そして笑顔で言った。
「先生すいません。わたし、今日でここ辞めますんで。お世話になりましたあ」
葉子さんの声はいつもの帰り際と同じ、軽い調子だった。
「え…?やめる?」
俺は、思わずズレてもいない眼鏡を指で押し上げる。
「言ってませんでしたっけ?わたし、もうすぐ結婚するんですよ~。しかも彼がね、『結婚したらそんなキツイ仕事辞めていいよ』って言ってくれたんですぅ」
じゃあ帰りますね、と葉子さんは、呆気に取られ何も言い返せないでいる俺を一人残し、そそくさと帰っていった。
これでバイトが辞めてしまうのは七か月連続だ。
いや酷い時は一ヶ月のうちに何人も辞めてしまうことだってあった。
うちに来るバイトは、どうしてこんなにも続かないのだろう……。
「これ以上給料は上げられないしなぁ」
俺は明日からどうしたものかと頭を悩ませながら、独り診療所の掃除と後片付けに取りかかった。
ここは診療所と言っても、見かけはただの古びた神社である。俺はこの神社に祀られている『稲の神様』なのだ。
そして、自分が祀られているこのボロ神社の本殿を利用して、下界に住む妖たち相手に診療所を開いている。
どうして神様が妖の診療所をやっているのかというと、それはひとえに生活していくためだった。
身もふたもないことを言うようだが、神様だって生きていくには金がいる。パンの人気が高まる現代において、俺のような『稲の神様』は、今まさに落ち目もいい所なのだ。
しかも、俺が神様に転生したのは大正時代。今みたいにゲームもアニメもない。転生と言われたってなんのことやらだった俺は、右も左も分からない中、なんとか神様としてやっていく方法をさがした。
結果、やはり本業(稲の神様)の仕事だけでは食っていくことができず、副業するしかなかった。その副業が、今の診療所である。
「神様なんて、毎日飲んだくれの日々だと思ってたのになあ」
診療所は今、赤字すれすれ。バイトも来てはすぐ辞めてしまい、神様になったときに思い描いていたものとは全く違う日常を送っているのだった。
診療所の掃除と後片付けを終えた俺は、表に出て「受付時間外」の札を扉にぶら下げた。そして再び診療所の扉を開くと、足元に「ひゅう」と冷たい夜風が吹き付けた。その風から逃げるように急いで扉を閉める。
「もう木枯らしが吹く季節になっていたのか」
この神社(診療所)は街から山間を抜けて少し来たところにある小さな村にあった。山の腕に抱かれるように広がる田園と、まだ所々に茅葺屋根の家々が残るこの村は、街からそれほど離れていないにも関わらず、ひっそりと静かな場所だった。
俺はうーんと伸びをすると、診療所の奥にある、自分の家へと続く扉の取っ手に手をかけた。
するとその時、後ろで診療所の戸がぎいっと開く音がした。
「あのう。すみません、誰かいますか?」
診療所の戸を開いたのは小柄な若い娘だった。
低級の妖にありがちなのだが、見るからに身なりが荒んでいる。
顎下くらいで切りそろえられた朽葉色の髪は、あちらこちらにはねていて、まるで嵐の中を来たみたいにボサボサだ。
「すいません。今日はもう診察終わりなんです。また明日来てもらえたら…」
「あの、このチラシ見て来たんですけど、バイトの募集ってまだしてますか?」
その娘が持っていたのは、俺が山向こうの街まで行って配ったバイト募集のビラだった。
「ありがとうございます!まだ募集中です」
バイトが辞めたその日に、バイトの応募に来てくれる者がいるなんて、「捨てる神あれば拾う神あり」とはまさにこのことではないか。
「よかった。ここもダメだったら私、どうしようかと思ってたんです」
娘はほっとした様子で、全身から力が抜けていくのが見てわかった。わざわざ山を越えてうちの診療所ま来てくれたと思うと、涙がでそうになった。
俺はさっそくこの娘と面談をするため、診察室に再び明かりを灯し娘を中に案内する。
畳の上に、先ほど片付けたばかりの患者用の座布団を敷いてやると、娘はその上にちょこんと正座した。そして、前に座った俺のことを、まじまじと見つめながら言った。
「先生って白シャツの上にお着物合わせてるんですね。お洒落ー! 私そういうのすごく好きです!」
他人に見た目を褒められることなんてほとんどない俺は、女性に純粋な興味を向けられて少したじろいだ。
「まぁ、この恰好が楽なだけですよ…。えっとそしたら、履歴書か何か経歴が分かるものはあります?」
「あ、すいません。まさか今日、面接してもらえるとは思ってなくて」
「大丈夫です。そしたら簡単に自己紹介と、職歴や何かスキルがあれば教えてもらえるかな」
「はい! 名前は村山楓です。今年大学を卒業しました。えースキルスキル…。あ!どんな人とでも仲良くなるのが得意です!数学とかはちょっと苦手ですけど、でもお金の計算はちゃんとできますし、それに…」
「ちょっ、ちょっと待って」
俺は彼女の自己紹介を遮った。
(この娘、今大学がどうのって言ったか?)
「君……あの、もしかして人間…なのかな?」
俺は恐る恐る聞いた。
「な!どういう意味ですか?そりゃ人間に決まってるでしょ!私のこと妖怪か何かにでも見えました?そりゃ、ちょっとアホそうって言われることはあるけど…人間以下なんてひどいわ!!」
娘は真っ赤になって怒り出した。
何か色々勘違いしているようではあるが、俺の方も勘違いしていた。
あのビラが見えたということは、てっきり妖の類だと思いこんでいたのだ。
しかし、どうやらこの娘は妖ではなく“見えるタイプ”の人間だったらしい。
「すみません。そういう意味じゃなくて。ここは、妖の患者さん相手の診療所だから、人間の君は働けないんだよ」
「え? 何それ、妖の病院ってこと? 面白そう!」
「いやだから、妖か神様以外はここでは働けないんだ。せっかく来てもらったのに悪いけど…」
「私、妖が出てくるアニメとかすごく好きよ! …ねぇ、ここで働かせてもらえないかしら?私、人付き合いは得意な方だし、まぁ相手が人間じゃなくても何とかなると思うの!」
娘は綺麗な瞳を輝かせて俺に詰め寄る。俺は座ったまま背をわずかに反らせて娘と距離を保った。
「君が好きかどうかって問題じゃなくて、人間を働かせるなんて規定とかいろいろ引っかかったりして大変で…」
いや待てよ。そういえば人間の雇用規定なんてあっただろうか。妖の雇用については、妖雇用監督署《あやかしこようかんとくしょ》からうるさく言われるのだが、人間の雇用に関する規定なんてものは聞いたことがない。
「もう私、就活も全然だめだったし、貯金もないし、このままじゃ実家に帰らないといけなくなっちゃうのよぉ。お願い!雑用でもなんでもするから、ここで働かせてください!」
「……。君本当に、あやかしの患者相手でも大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。私こう見えて、腕っぷしもまぁまぁいけるから任せて!」
いや患者だっつってんじゃん。腕っぷしで何をするつもりなんだよ。
何だかこの娘、頭のネジが一、二本飛んでしまっている気もするが、背に腹は代えられない。明日から葉子さんはもう来きてくれないし、俺一人では診察が回らなくなる。雑用でもなんでもすると言っているし、とりあえずいないよりはマシだろう。
「君、人間ということは黙っておいてくれよ。一応、あやかしに見える術もかけさせてもらうからな」
「え!どんなあやかしになるの? 九尾とか? それか雪女なんかも良いかも!あ、山姥はやめてね。何か老けるだけみたいで嫌だし」
「ああ、分かった、分かった。そしたら明日からよろしく頼むよ」
俺はそう言って立ち上がった。しかし楓と名乗った娘は座布団の上に座ったまま、なにやら、もじもじしている。
「あのぅ。私、実は本当にお金がなくて、賃貸も追い出されちゃった感じで…よかったら住み込みで働かせてもらったりできないかしら。掃除とか洗濯とかはもちろんやります!ご飯も作ってあげるし、ね!お願い!もうほんと行くとこないの」
娘は涙と鼻水を垂らしながら俺にしがみついてきた。もはや、あきれるを通り越して、泣いてすがるこの娘がだんだん哀れに思えてきた。
俺もやはり神なのだ。哀れな人間に泣いてすがられて、このまま捨ておくことは忍びなかった。
「はぁ。掃除も洗濯もちゃんとするんだぞ」
「え!それは住み込みでいいってこと?ありがとう!えっと…お名前聞きましたっけ?」
「『稲の神』瑞穂だ」
「へえ!神様だったんだ。よろしくおねがいしまーす。瑞穂さん!」
俺は何だかどっと疲れた身体を引きずって、神社の奥にある自分の家へと続く扉を開いた。
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