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まだ見ぬ君を探して

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 時は遡り、ココがまだ料理店で罵声を浴びていたころ。
 帝都からこの港町にやってきたルスランは、患者の家で診察をしているところだった。
 が、診るはずだった患者は、すでに患者ではなくなっていた。

「いやあ、この通りすっかり良くなりましてね」

 ルスランはその紺碧の瞳を見開いて、患者を見つめていた。
 信じられなかった。治療法が見つかっていないはずの病が、こんなにあっさり治ってしまっているなんて。

「誰……か、他の医者に診てもらったのですか?」

 目の前の男が首を横に振る。

「ではなぜ?」

 医師としてはまず患者の回復を喜ぶべきだったかもしれないが、そんなこともすっぱ抜けてしまうくらいに、ルスランは驚いていた。

「それがね、先生。船乗り仲間がとある料理店の飯を持ってきてくれたんでさあ」

 元患者が言うには、ある料理店の料理を食べるようになってから症状が劇的に改善したのだという。俄かには信じられない話だが、この町の船乗りの間では以前から噂になっていたらしい。

『その店の料理を食べると、船乗りが恐れる乗船病にならない』と。

 乗船病とは皮膚や骨がもろくなる病で、歯ぐきからの出血、古傷の離開、治ったはずの骨折箇所が再び折れるなど不可解な症状を呈する病である。船乗りが発症することが多く、ゆえに乗船病と呼ばれた。

 ただ記録によるとこの町では乗船病の患者が四、五年前から減り続けている。
 今、ルスランの目の前にいる男は異国からの渡航者で、久しぶりにこの町で出た乗船病患者だった。この港に着いた時には随分衰弱していたのに。それがたった一週間でここまで回復するなんて、いったいその店にどんな秘密があるのか。

(料理店を調べてみなくては)

 ルスランは元患者から住所を聞きだし、さっそくその店に向かった。



 はやる気持ちでルスランは速足になっていた。急いで商店街通り抜ける。目的の店は近い、と思ったところで、いつの間にか町娘たちに取り囲まれてしまっていた。

「お兄さん、男前ね」
「やだほんと。お兄さんも船乗りなの?」

 腕に町娘たちの手が絡みついてくる。早く店に行きたいところだが、いい機会だ。違った視点からものごとを眺めるのも大切である。
 ルスランは足をとめ、娘たちに微笑みかけた。

「そう船乗りなんだけど、この町は初めてなんだ。仲間にブルーノ料理店って店を勧められたんだけど、それって本当にいい店なのかな。君たち知ってる?」
「もちろん。うちの父さんも通ってるわ」
「船乗りなら絶対行くべきね。ブルーノさんのところのご飯を食べると乗船病にならないのよ」
「へえ、そりゃすごい。どうして乗船病にならないんだい?」
「分かんない。ブルーノさんは愛がこもってるからだって言ってるわ」

 なるほど店主は秘密を明かしたくないのだろう。他店に真似されては商売あがったりというわけだ。
 ルスランは馬車が通った隙に女たちの輪からするりと抜け出した。



 ブルーノの店はかなり混みあっていて、人気であるのは確かなようだった。
 適当な席に座ったルスランは、さっそくメニューを開いてみる。
 メニューを見る限りは、特段変わった所はないようだ。異常なほどに品数が多いこと以外は。
 どれを注文するか迷ったルスランは、とりあえず、「本日のおすすめ」を注文した。

 出てきたのはニシンのソテーとジャガイモのスープ、つけあわせのザワークラウトにパンだ。使っている食材も特段珍しいものはないように思われる。
 ルスランは一口ずつ、味を確かめてみた。

(ほう)

 どれもうまい。が、これのどこに乗船病を治した秘密があるのだろうか。

「兄さん、船乗りかい?」

 店主が話しかけてきた。

「ええ。噂を聞いて来たんです。ここの料理を食べると乗船病にならないって」
「ははは! うちの料理は俺の愛がつまってますからねえ。病なんざ、跳ねのけちまいますよ」

 気持ちよく笑う店主に、ルスランもにっこり笑ってみせる。

「で、本当はどんな秘密があるんです?」
「ひ、秘密? そんなものありませんよ。愛は人を救うんですってば。兄さん」

 店主はあくまでも、「俺の愛」で押し通すつもりらしい。愛で人を救えるなら、誰も苦労しないというのに。
 まあそれほど、乗船病を治す方法は教えたくないということなのだろう。

(いや、ひょっとして)

 単に、店主自身も、何がこの幸運をもたらしているのか分かっていないのだろうか。

 となるとレシピを確認したいところだ。レシピを見れば、乗船病の治療に役立つ何かが分かるかもしれない。

(ただ、問題は)

 料理屋にとってレシピは金の卵を産むニワトリだ。そう易々とは見せてくれまい。

 ルスランは、周りに目を向けたのち、店主を手招きして囁く。

「実は今、私の仕えている公爵様が、有能な料理人を探しているのですが……」

 店主は快く、レシピを見せてくれた。
 ルスランは店主からノートを受け取ると、さっそく頁をめくる。
 しかし、メニューに載っているのは、ごくありふれた料理ばかりで食材も特段変わったものは見受けられなかった。
 そこで、さらに古いレシピノートも見せてもらう。

(ん?)

 何冊かノートを見ているうちにルスランはあることに気がついた。
 「本日のおすすめメニュー」にだけ、同じ食材が頻繁に使われている。

――ザワークラウト。

 これが乗船病と関係のある食べものなのだろうか。可能性は高いが、ルスランにはもう一つ気になった食材があった。
 オレンジである。
 ザワークラウトは日常的に使われているのに対し、オレンジはある一定の時期だけ、局所的に登場する。この国ではオレンジの輸入をしているので、年中食べられるはずなのに。なぜだろうか。

 ルスランは店主ブルーノに尋ねた。

「どうしてこれらの時期だけ、オレンジをたくさん使っていたんですか?」
「え? そうなんですか? あっ、いやそうですね。私が食べたい気分だったんですよ、オレンジ」

 ルスランは怪訝な目を店主に向けた。
 レシピをこんな律儀にまとめているわりに、どうもこの店主は、自分のレシピに関して曖昧な把握しかしていない。

 ルスランは再度ノートをめくる。直近のオレンジ入荷は、一週間前……。
 そこでハッとした。
 鞄から診療記録を引っ張り出す。小さな町には医者がいないことも多く、帝都から派遣されることがしばしばあった。今回ルスランも帝都からの派遣でやってきていた。そして前任者から過去の診療記録を引き継いでいた。

(やっぱりそうだ)

 この港に乗船病患者が出て医師が派遣された時期と、オレンジの入荷時期がピタリと一致している。さらに、レシピノートの一番古い日付は五年前。この町で乗船病患者が減り始めた時期だ。
 こんな偶然あるはずがない。店主はやはり、何か隠しているのだ。

 ルスランが再び顔を上げたとき、店主の背後の壁にかけてある、エプロンが目に入った。そのエプロンに違和感を覚える。

(あのエプロン、店主のにしては小さすぎるな……)

 もしかすると店主の他にも、この店で働いている者がいるのか。
 ルスランは店主に尋ねてみる。

「この店の料理人は、あなた以外にもいらっしゃるのですか?」
「いや、は私だけですよ」

 とブルーノは、きょとんとした顔で応えた。
 しかし、それならサイズの違うエプロンがあるのはおかしいだろう。店主は、この店にいる「誰か」の存在を隠そうとしているのではないか。
 
「そういえば。店主さんのお名前、まだお聞きしていませんでしたよね」

 言いながらルスランは、店主に紙とペンを差し出す。

「公爵様に報告したいので、ご自身の名前をここに書いて頂けますか? 私、異国の出身でして、この国の文字を書くのは苦手で」

 店主は、はいはい、と何の疑問も抱いていない様子で自分の名前を紙に書いてくれた。ルスランはその筆跡を確認する。

(間違いない)

 レシピを書いたのは、この男ではない。

 おそらくこのレシピを書いたものは、ここで働く従業員。しかし、店主はその者の存在を隠そうとしている。

(ここで直接探りを入れるのは、得策ではないな)

 ルスランは診療記録を鞄に突っ込み立ち上がった。

「ありがとうございました。ではまた」
「は、え? 子爵様の件は……」
「それはまた後日、改めて話を詰めましょう」

 半分は嘘だが、半分は本当だ。
 嬉しそうに顔を輝かせている店主を残し、ルスランは店を出た。

 外に出ると、空は明るいというのに、さあっと雨がふってきた。ルスランは外套のフードを目深にかぶり、意気揚々と歩き出す。
 雨が降ろうと槍が振ろうと、彼は最上の心地だった。
 ずっと探していたものを見つけた高揚感に浸りながら、ちょうど噴水広場に差し掛かったとき、雨の中、広場のベンチに座っている女がいるのに気づいた。彼女は雨を気にする様子もなく、ぼうっと行きかう人々を眺めている。
 一瞬、老婆かと思ったが、その恰好とは裏腹な幼い面差しに、ルスランは既視感を覚えた。

(……いや、まさかな)

 とそのときは深く考えることなく、ルスランはそのまま帰路についたのだった。
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