前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)

miy

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第13章

187 刻印の儀2

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「最後に、清めの沐浴をいたします」


昨日に続いて、今夜もレティシアの全身をピカピカに磨いた侍女長のパメラが、銀色の壺を恭しく頭上に掲げた。
古い時代には貴重な聖水を直接浴びたという清めの沐浴も、現在では初夜の前に入浴する際、少量をお湯に混ぜる様式へと代わりつつある。壺から注がれる聖水を眺めながら、レティシアは湯船へゆっくりと身を沈めた。


(…こうして、少しずつ準備が進んで行くのね…)


いよいよ刻印の儀。待ち遠しかった気持ちが緊張へと徐々に変化し始める。心臓の音の響きはまだまだ小さい。レティシアは目を閉じてそっと胸を擦り…心を落ち着けて一息つくと、煌めく水面を撫でて清い湯を掬った。


「お湯加減は如何でしょう?」

「大丈夫よ」


ゴツゴツした岩のフォルムを所々残した特徴的な浴室の壁は、大自然に囲まれた洞窟の中の天然温泉のような雰囲気を醸し出しており、ツルツルした浴槽内は適度な深さで長時間の入浴にも適している。


「のぼせてしまっては大事ですから、もう少し聖水を入れておきますね。お夕食は、しっかりとお召し上がりになりましたか?」

「えぇ、賑やかでとても楽しい宴だったわ」

「それはようございました」


レティシアのイブニングドレスを着付けた後、ロザリーたち侍女を大広間へと送り出したパメラは、入浴の準備に取り掛かっていて食事会の席には不在だった。


「森で採れたばかりの新鮮な果物や、珍しい山菜料理があったのよ。侍女長にも私の釣った魚を食べて欲しかったのに…残念ね」

「また、次の機会を心待ちにいたしております」


パメラは、侍女長として大公邸で働く女性たちの管理を任されている。レティシアを邸へ迎え入れるべく新たに雇われた女性使用人の多くは、勤め始めてまだ日が浅い。それ故に、パメラは厳しい教育係として皆から敬われる立場にあった。
雲の上の存在である君主より、身近な上長に脅威を感じる者は意外と多い。無礼講の食事会で、使用人たちが萎縮すればレティシアとの交流の妨げになる。パメラはアシュリーの意向を十分汲んだ上で、敢えて席を外していた。


「レティシア様、ナイトドレスは白とピンクのどちらをお召しになるか…もうお決まりですか…?」



    ♢



「…あら…今日は香油の香りがしないわ…」

「お気付きになられました?」

「えぇ、魔導具ドライヤーを使うと香りがするもの」


パメラに代わってレティシアの髪を乾かすロザリーは、やや前のめりな姿勢でブルーグレーの瞳をキュッと細めて微笑んだ。
パウダールームには、いつも湿気と熱に混ざって果実や花のいい匂いが漂っている。気付かないはずがない。


「実は…香油や香水、入浴剤などの香りを今夜はレティシア様につけないで欲しいと、大公殿下が仰ったのです」

「…殿下が?」

「はい」


ニコニコして答える『はい』の後ろに、ハートマークが連なって見えた。アシュリーとレティシアが結ばれることを祝福するロザリーの気持ちが、声色からも感じ取れる。


「ふふっ…何だかうれしそうね」

「…とっても、とぉってもうれしいです…ぐすっ…」

「ちょっ…ロザリーったら…泣かないで」

「レティシア様…大公殿下と…お幸せにぃ…ぐすっ」

「…ロザリー…ありがとう。私、何事にも一生懸命で純粋なあなたが側にいてくれてよかった。この幸せがずっと続くと信じているわ…だから、これからもよろしくね」

「……レティシア様ぁ……」

「ああぁ……ハンカチはどこ…ティッシュかしら?」


ナイトドレスを手にしてパウダールームの入口前に立っていたパメラは、ロザリーの涙と鼻水をティッシュで拭って世話を焼くレティシアの姿を…あたたかい眼差しで見つめていた。




──────────




(…こ…これは…)


レティシアが選んだのは、パメラが勧めた可憐なワンピーススタイルの白いナイトドレス。
肩を揺らしただけで、膝の辺りで柔らかなフリルがフワリと軽やかに舞い上がる。裾にボリュームがある分、胸元と腕周りはスッキリしていて、きめ細やかなレースの布地は肌触りが抜群にいい。

胸当てや下穿きと呼ばれる女性下着は、下穿きのみを着用。両サイドが紐になっている下穿きショーツは、いかにも共寝用のそれであって…布面積が非常に小さい。胸に至っては、何も覆うものがないままナイトドレスの薄い透けたレース生地に包まれ、隠れているようで隠れ切っていない。

数分前までは、夕食を食べ過ぎてお腹が出っ張っていないだろうかと…ありきたりな心配をしていたレティシアの頭の中は、最早それどころではなくなっていた。


「お胸周りも、サイズはぴったりでございますね」

「…レティシア様が真っ白な妖精に…お綺麗です…侍女長様のお見立ては、流石でございます…」


身に着けてみて初めて…縦に並んだ四つのリボンで脱ぎ着をするこの白いナイトドレスが、脱がせたり脱がされるのを愉しむ、或いは焦れったさで男性を煽るタイプの夜着だと気付く。
鏡に映った自分の姿に赤面してよからぬ妄想を抱いたのは初めてで、何と言っていいか分からない。こんなエッチな格好をした妖精がいるのならば、お目に掛かってみたいものだ。


「ロザリー…侍女たる者、思ったことをすぐ口に出してはならないのですよ」

「…はい、侍女長様」

「レティシア様はどのようなお召し物でもお似合いになります。お側にお仕えする者にとってこの上なく光栄なお話ですが、努力を怠ってはなりません」

「……はい、侍女長様」

「ロザリー、見惚れる気持ちは分かりますが…今宵、お美しいレティシア様をじっくりとご覧になれるお方は旦那様唯お一人です。しっかりなさい」

「はい!侍女長様!」

「お喋りはここまでです。レティシア様…失礼いたします、ガウンをお掛けいたします。ナイトドレスの形が崩れないよう、腰紐は少し緩めにしておきましょう」

「え…えぇ」


ロザリーに小言を言いながらもナイトドレスの細部まで手際よくチェックを済ませたパメラは、レティシアに淡いクリーム色のガウンを羽織らせて小さく頷く。
何となく頷き返してしまったレティシアは、ここで儀式へ臨む覚悟を決めなければならない気がした。


「これにて…全てご準備が整いました」

「侍女長、どうもありがとう。今日という日を無事に迎えられたのは、皆のお陰です…本当に感謝しているわ」

「私共も、大変うれしゅうございます」


ロザリーを従え、キリッとレティシアに向き直ったパメラは深々と頭を下げる。ロザリーもそれに倣う。


「本日、刻印の儀を執り行います。間もなく、ラスティア国大公レックス・アシュリー・ルデイア様が参られます。レティシア・アリス様におかれましては、このままお部屋でお待ちになり、大公殿下をお迎えくださいませ」

「…はい…分かりました…」




──────────
──────────




─ コン コン ─



「レティシア、私だ。入っても構わないか?」

「…はい…どうぞ…」


普通に話しているつもりなのに、喉から出たのは息も絶え絶えのか細い声。そんな声でも、アシュリーにはちゃんと届いていた。

両開きの大きな扉を片方だけ開けて部屋へと入ってきた彼の姿は…眩しくて…レティシアの心臓が大きく跳ねる。

三つ編みに緩く編んだ漆黒の黒髪、長く垂らした前髪に半分覆い隠されているにも拘らず、すでに熱を帯びて爛々と輝きを放っている魅力的な黄金色の瞳、唇の両端をわずかに引き上げて笑みを浮かべる精悍な表情…レティシアの好み通り完璧に仕上がっている恋人が、真っ直ぐこちらへ向かって来た。


(…わ…わわわっ…)


あまりにも整い過ぎている美の迫力に気圧されて無意識に目を瞑ってしまったらしく、気付けば逞しい両腕でガッチリとお姫様抱っこをされている状態で…よく分からない。


「…待ち焦がれたぞ…」

「………で…殿下……ぴゃっ…」


アシュリーが突然ペロリと首筋を舐めた。
口付けるでも吸うでもなく、味見をするように舐めたのだ…おかしな声も出る。


「…うん…何も香りはつけていないな…」

「つ…つけていません」

「今夜は君の香りを楽しみたい、余計な香りは邪魔だ」

「…へ?」


それはつまり…レティシアの体臭…もとい、つがいの香りをアシュリーが強く求めている嗅ぎたいということだろうか?


「…あぁ…もう甘ったるい匂いがしているな…」


目の下を赤らめて、アシュリーがうっとりと呟く。
レティシアも彼から濃い魔力香を感じてはいるが、近ごろ魔力香がずっと濃いめだったせいか?興奮の度合いはアシュリーのほうが上回っているようだ。


(つがいの女性からは発情フェロモンが出ていたり…?)


腕の中で固まるレティシアを愛おしそうに眺めながら、アシュリーは足早に寝室へと移動した。










────────── next 188 刻印の儀3

いつもお読み下さる皆様、公開予定日が遅れまして大変申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます。







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