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第12章
179 公認の恋人
しおりを挟む「滅多にないが、神の采配を甘く見て弾かれた者はいる」
刻印の儀を終えて、翌朝までに紋様が確認できない場合は“縁がなかった”と判断される。
レティシアはアシュリーの番。伴侶として最も相応しいと認められているも同然で、番との出会いは大変に喜ばしいこと。
結婚を反対するどんな言い分も屁理屈も、番を引き裂く理由にはならない。婚姻の許可は二つ返事で引き受けて貰えた。
天命に導かれ、結婚適齢期に運命の相手と結ばれる最高の幸運を手にしたアシュリーは、レティシアを心から愛し、誰よりも幸せにしたいと強く思っている。
「…気持ちばかりが先走っていたわ…刻印の儀を終えていないのに、求婚を受けてもよかったのかしら?順番が…」
「構わない。儀式の前に求婚したのも、待ち切れずに答えを急かしたのも私だ」
「…それは…そうだけれど…」
「レティシア、頼むから…なかった話にだけはしないでくれ」
「も…勿論よ。私、プロポーズがうれしくて少し舞い上がってしまっていたみたい」
「それを言うなら、舞い上がっていたのは私のほうだったと思うが」
「…ふふっ…」
「笑ったな?」
「ごめんなさい。殿下は、ちゃんと紋様が現れるかどうか…気にはならなかったの?」
「全く」
自分が番とは知らないレティシアは、実際に紋様を目にするまで気掛かりなのだろう。そう思いつつ、二人の明るい未来を夢見て心配する健気な様子に…より愛しさが増す。
アシュリーは鼻先を擦り合わせ、愛情をたっぷり込めてレティシアの唇を啄んだ。
「私は、神が私たちを祝福してくださると確信している」
「…ま…万が一ってことも…」
「いや、それはない」
「…私…異世界人だし…」
「同化して、私と同じ…この世界の人間になった」
「…本当に…大丈夫?」
「絶対に大丈夫だ」
(…そんなハッキリ…)
この先、悲運な境遇に陥る可能性などゼロだと言い切るように、キリリと引き締まった表情で完全否定されては不安も遠のく。
己の調子のよさに頬を緩めたレティシアは、アシュリーの言葉を信じて神の許しを待つ覚悟を決める。
「……そうね…」
「私にはレティシアしかいない、神は全てをお見通しだよ」
「…全てお見通し…?」
「あぁ、神には眼力…天眼というものがある。さて、そろそろ休もうか。今夜からは、こうして君を抱いて眠れるのだな」
アシュリーが感慨深い感情に浸っている…その腕の中で、レティシアは固まっていた。
(エロ神だとか言って、神様!大っ変申し訳ございません!!)
♢
翌朝『寝顔が可愛くて』と、意味不明な理由により朝の稽古をサボったアシュリーに抱きついた状態でレティシアは目覚める。
毎朝決まった時刻に部屋へ起こしに来るロザリーが、いつまで経ってもやって来ない。不思議に思ってゆるゆると身体を起こし、時計へ手を伸ばすと…金の呼び鈴が視界に入った。ふと、寝乱れて色気ダダ漏れなアシュリーを振り返る。
(ロザリーの言っていた“寝室のマナー”って…これかな?)
──────────
──────────
「難しい顔をして…どうしたの、ヘイリー?」
「ちょっと、兄がおかしい」
「セオドアさんが?」
いつもの昼食タイム。レティシアは食後にヘイリー持参のフルーツサンドを食べようとして、エレインの声に手を止めた。
エレインは少し前にヘイリーと同じ部署へ異動になって、昼食仲間に加わったばかり。因みに、ヘイリーの兄セオドアに片想い中。
「昨日はケーキを買って帰って来て、今朝はこのフルーツサンドを持たせてくれたわ。あれで、本人は普通にしているつもりなんだから…妙に優しいし、浮かれてる…気持ち悪いくらい」
「えぇ…?」
「やたらと機嫌がいいの、一体何があったのかしら」
「……まさか、恋人ができた?!」
「秘書官室は男所帯よ?大公様の執務室があるフロアに立ち入れる女性はレティシア様だけでしょう?他の部署へ行っても油を売る暇はなさそうだし、そう簡単に恋人ができる?」
「…ヘイリー、ど…どうしよう…誰かが告白したのかも…」
「エレイン、気を確かに。兄の身だしなみに変わりはないわ、恋人は違うと思う」
「…じゃあ…仕事で何かいいことが?セオドアさんは第二秘書官のバイセル厶子爵付きよね?厳しくて有名な人じゃない」
「うん、そうなのよねぇ…兄は契約関係の小難しい文書が苦手で、前はよく叱られて落ち込んでいたっけ…今は、レティシア様のお陰で随分と捗るようになったの」
「…もしかして…レティシア様に恋しているとか?…はっ…フルーツサンドって…レティシア様の大好物じゃ…」
「しっかりして、エレイン!うちの兄がレティシア様に懸想するなんて恐れ多いわ!!…あっ、でも…レティシア様が私と姉妹になったらうれしい…」
「ヘイリーの裏切り者ぉー!」
賑やかなやり取りに、昼食仲間たちはまた始まったかと…生温かい眼差しを向けて微笑む。
(…あらあら…)
アシュリーに仕える三人の秘書官は担当する国や役割が違うため、第一、第二、第三と区分されている。
レティシアの復帰直後、アシュリーは秘書官と文官、カイン率いる護衛騎士の合計18名に“公認の恋人”の存在を正式に告げた。
恋人の正体がレティシアだと聞いた秘書官室の面々は、薄々勘付いていたらしく、互いに顔を見合わせて肯き合う。
今後は態度を改めるよう苦言を受けるかと思いきや、今まで通りの対応を求められた秘書官たちは、未来の大公妃との接点がプッツリ途切れたまま現状維持を余儀なくされ啞然とする。
レティシアが貴族令嬢ならば、家門を通して何かしらの便宜を図り最低限の繋がりを確保することは容易い。しかし、後ろ盾は王国の聖女…懇意にしたくても手の届く相手ではない。
一般的な令嬢と大きく異なる異世界人のレティシアは、筋金入りの貴族である秘書官たちにとって言動の読めない難解な人物。ザハル国の一件の後も交流は文官に任せっきり、無駄に高いプライドが邪魔をして溝を埋められずに足踏みしていた。
今や、文官のセオドアが足繁く個人秘書官室へ通う姿をただ指を咥えて眺めている。
(セオドアは、秘書官の皆さんから羨ましがられていて…ちょっぴり得意気になっているのよね)
レティシアは、秘書官に対して良くも悪くも特別な感情を抱いていない。必要以上に貴族と関わらずに済むのだから不満を感じるわけがなく、文官とのやり取りで仕事にも差し障りはない。住み分けができていて互いに快適な日々が送れる…現状維持は万々歳だ。
♢
公認の恋人=レティシアという事実は、正式に婚約者となるまで如何なる場合も口外禁止。
護衛騎士は挨拶と見張りに気合いが入り、幾分にこやかになった以外大きな変化はなし。秘書官や文官も…セオドアはかなり怪しまれているが…至って静か。
今後、社交の場や貴族間で噂が出始めれば、口を噤んでいる者たちは四方八方から容赦なく突っつかれ、一刻も早く婚約者を公言して混乱を収めて欲しいと切望する。
そうなれば儀式を執り行うための協力を惜しまないはずだと、アシュリーが珍しく悪い顔をしてほくそ笑んでいた。
──────────
昼食タイムを終えた後、アシュリーに呼ばれたレティシアが執務室の扉を開けると、大きく両手を広げて待ち構えるユティス公爵の姿が目に飛び込んで来て…面食らう。
「…公爵閣下?!」
「叔父上には、改装後の邸や新しく雇用した使用人の最終確認をお願いしていた。今“合格”との報告に来られたところだよ」
駆け寄ったレティシアを、ユティス公爵が優しく抱き締める。側にはラファエルも控えていた。
「レティシア、事件では大変な思いをさせたね…すまなかった」
「お気になさらないでください」
「ザックのことがあって、私の邸では思い出すと辛いだろうから…レイが君を大公邸へ迎え入れるつもりならば早いほうがいいと賛成した。見舞いへ行くのは控えていたんだが、手紙を貰って私もクロエもホッとしたよ」
「ご心配をお掛けいたしました」
「よく顔を見せて…少し見ない間に大人っぽくなったか?」
「同化を終えて、魂と身体が完全に一体化したせいだと思います」
「…そうだったな…今の暮らしはどうだい?」
「皆が親切で、とても有り難いです」
「それは君の人徳だ」
レティシアの頬を優しく撫でるユティス公爵の淡い黄金色の瞳が、少し潤んで見える。
(…本当に…愛情深いお方だわ…)
「…コホン…義父上、殿下の御前ですよ…」
「ん?レティシアは娘のようなものだぞ、水を差すな」
「ラファエル様…お久しぶりです」
「お元気そうで安心いたしました、ご無事でよかったです」
髪を整えて正装したラファエルが、流れるような無駄のない動きで紳士の礼をした。剣士である彼は、身体のキレがよくて姿勢がいい。立ち姿も美しく、着飾ると想像以上に見映えがする。
成人して社交界へデビューすれば、見た目は勿論、公爵家の後継者として注目の的になりそうだとレティシアは思った。
────────── next 180 古傷4
いつも読んで下さる皆様へ、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
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