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第12章
170 報告
しおりを挟む「レティシアちゃん、いる?」
「…イグニス卿?」
アルティア王国の王宮、鉄壁の守りで固めるアシュリーの個人室の扉を叩く音に続いて、様子を窺うカインの声が聞こえた。
王宮を訪れたアシュリーとレティシアは、早々に別行動を取る。
アシュリーは、国王クライス、騎士団長アフィラムとの話し合いに参加。レティシアは以前に利用したこの部屋で待機、つい先程まで王宮事務官より機密事項に関する諸々の説明を受けていた。
朝から腫れぼったい目をして元気がなく、口数の少ないレティシアに付き添っているのはゴードンとチャールズの二人。
少しでも気分が晴れればと、レティシアの好きなストロベリーのフレーバーティーをゴードンが淹れたばかり。カインの訪問は、あまりにも間が悪かった。
ザックの訃報に悲しむレティシアを放ってはおけず、聖女宮のエメリアから茶葉を譲り受けるなど…らしくない気遣いを見せたゴードンは、室内に入って甘い香りに鼻をひくつかせる邪魔者を鋭い眼光で睨んだ。
「……何事だ?」
「…怖っ…いや、ルークを待ってるだろうと思ってさ…」
ゴードンの低い唸り声に背筋をピンと伸ばしたカインは、レイヴンとルークの到着を知らせに来たと言った。
♢
簡易なベッドに横たわったルークは、レティシアとゴードン、カインから覗き込まれ、青い顔色をさらに白くする。
レイヴンと一緒に魔法陣で王国へやって来たものの、三歩歩いて力尽き…医務室に運ばれていた。
「死にそうな顔をしているな。今までで一番酷いぞ」
「…ゴードン…すいません…」
「魔力酔い?」
「…目が回って立っていられないだけだ、魔力は関係ない。あの方の使う転移魔法陣は…ゲートよりすごい…うぅ…」
(魔法耐性があるルークは、魔力に酔わないのかな?)
カインの話によると、レイヴンはどこの転移魔法陣も中継せずに目的地へ直接飛ぶらしい。その結果、身体に負担のかかったルークは担架で搬送されてしまった。
レティシアは、ウィンザム侯爵家の倉庫で見た…紫色の魔法陣を思い浮かべる。
「…乗り物酔いをしたのね…」
「仕方がない、後のことは俺に任せて…ゆっくり休んでおけよ」
「…悪いな…」
数日ぶりに会ったルークは、見ての通りの体調不良。足りない護衛役をカインが引き継いだ。
「イグニス卿、レイヴン様は?」
「聖女宮へ向かわれた。サハラ様が個人的にお呼びになったそうだ。昨日は、大魔女様もいらしていたと聞いた」
「大魔女様まで…?」
「事件後、聖女様は少々気分が沈んでいらっしゃる」
「…そうなの…」
(…サオリさんも、きっとザックさんのことで…)
聖女宮でザックの話をした時、悲報をすでに知っていたサオリは…だからこそ、彼が無実だと断言したに違いなかった。目を覚ましたばかりのレティシアには事実を告げられず、その嘆きを共有しないまま一人で抱えていたのかもしれない。
「…レティシアちゃんさ、ちょっといい…」
「え?」
俯くレティシアの前髪に触れたカインの指先が、目元へ軽く当たる。
「彼女に構うな」
「おっ…と、冷やしてあげようと思っただけなのに…?」
レティシアの肩を後ろへ引き寄せ、カインの手を遮ったのはゴードン。
「朝に一度、殿下が魔法を施されている」
「ん?…それでまだこの状態?…よっぽど」
「カイン、お喋りな護衛は要らない」
「………急に過保護だな…」
カインが肩をすくめるのと、ゴードンが両腕を組んで少し反り返ったのはほぼ同時。
(泣きながら殿下に抱きついて寝たせいで…朝は目が開かないくらいパンパンに腫れていたのよね)
事件後、激務で疲れ切っていたカインはすっかり元通り。彼の言動に悪気はないとゴードンも分かっている。アシュリーからレティシアを頼まれた手前、その使命を忠実に守り、果たす義務があるのだろう。レティシアが口を挟むことではなかった。
「…あの…続きは医務室の外でやって貰えます…?」
ルークの弱々しい声に、三人は顔を見合わせ…揃って外へ出た。
──────────
──────────
国王クライス、騎士団長アフィラム、大公アシュリーの三兄弟に続いて、宰相セドリック、魔法師団長イーサン、最後に大魔術師レイヴンが大会議室の円形に整えられた席に着く。全員が視線を向ける机の中心には、巨大な魔法石が置かれていた。
「…すごい顔ぶれ…」
「ウィンザム侯爵家は、王国でかなりの力を持つ家門。今回の事件に関与した影響が、それだけ大きいということです」
レティシアとゴードンの二人がいるのは、すり鉢状になった会議室の上部に設けられている傍聴席の一角。
特別に隔離された個室は、横に細長い窓から斜め下の会議室全体を見下ろせる形となっていて、議事録を作成する際によく使われる場所だった。感謝祭の時と同様、ガラスのパネルには会議中の映像が映し出されている。
本来ならば、ロザリーの兄であるルークがレティシアの護衛を兼ねて室内にいるべきところ、代わりをゴードンが務め、室外の入口前にはカインが見張りに立つ。
「実兄とその家族を殺め、私利私欲を満たそうとしたグラハム・ウィンザムの罪は重い。手を貸していたキュルスがいかなる存在であったのか、今から報告を聞けば分かるでしょう」
「…はい…多くの尊い命が犠牲になっていたんですね…」
(真実を知りたいと言ったのは私自身よ。ここから先は、気を確かに持たなければいけないわ)
レティシアはゆっくりと深呼吸をした。
♢
ラスティア国の街中、日用雑貨や衣類を主に取り扱う商店で、キュルスは偶然ロザリーを見かける。
明るい赤毛が珍しいとはいっても、人混みを歩けば一人二人はすれ違う。外套のフードを被り、大柄な護衛騎士に守られて商店内をうろつくロザリーに気付いたのは、同族の血が騒いだからだ。
かつて凶暴と恐れられた赤毛の人狼は、人間と交わることで半獣化を抑え、魔法耐性能力を持つ新たな種族として生まれ変わろうとした。
母体が人狼であれば、その生存率は跳ね上がる。
赤子を胎内で育む女の血こそ優性であり、能力を引き継ぐ鍵…キュルスは、異形と呼ばれる自身の出生からそう理解していた。
“黒魔法耐性薬”の幻の素材、赤毛の人狼の能力を帯びた血肉。絶滅した後に長い年月を経て素材は赤髪の一族へと変わり、入手難易度が下がったために乱獲が始まる。生き延びようと獰猛さを捨てた選択が、命を危険に晒した。
半端者として人狼の能力を持たずに生きるキュルスは、一族が再び絶滅の危機に陥ろうと興味はなかったが…ただ、女の血こそが最も高い効果を生み出す薬になると信じて疑わない。
そんなキュルスの前に現れたのが、赤い髪にブルーグレーの瞳をしたロザリーだった。
♢
「ロザリーには一般魔法が通用しない。キュルスは慌てず、ユティス公爵家の馬車の後を尾けた。住み込みのメイドだと分かると、パラフィルとアキュラスの花を使って攫う準備を整え…公爵家に出入りする庭師や弟子数人を脅し、荷馬車による侵入と誘拐を実行したのです。仲間のジャンによって庭師が殺害されたのは想定外、キュルスは自ら庭師に成りすますことで計画を続行した…その後は、皆様のほうがよく知っておられるでしょう」
レイヴンは、レティシアのいる傍聴席へ意識を向け、わずかに目線を上げる。
聖女宮で、ザックの死に関してはあまり刺激のないように話して欲しいと、サオリから直々に頼まれていた。
「ロザリーに子を産ませ…一族の血を繋いで行けば、この先延々と素材を手に入れられるとキュルスは考えていました。
ご存知の通り、黒魔法耐性薬についてその効果が如何程であるのか?明確に示せた者は過去におりません。全くの夢物語という可能性もあります」
レイヴンの話に、全員が静かに肯く。
耐性薬を飲んで攻撃魔法から身を守れたとして、自らの力で魔法を打ち破ったと胸を張ることはあっても、違法薬によって助かったとは誰も言わない。
また、耐性薬に効果がない、或いは災いを防ぎきれなかった場合…命を落とせば死人に口なし、生き残って違法薬を訴えようにもその前に本人が罰せられる。
それでも裏社会で薬が売れるのは、欺瞞に満ちた社交界でまことしやかに囁かれる“噂”という最高の宣伝があるからだ。
──────────
「レティシア、顔色が悪い」
「…ごめんなさい、ゴードンさん…心配ばかりかけて…」
ロザリーとキュルスが遭遇する話の序盤辺りで、レティシアの表情が曇り出したとゴードンは気付いていた。
(ロザリーが商店へ行ったのは…私のために…ナイトドレスを買いに出掛けたからじゃないの…?)
それが事件の発端であるとは考えたくない。これは、絶対に声に出してはならない負の感情だと…口元を引き結んだ。レティシアが自分を責めれば、ロザリーをも苦しめてしまう。
ロザリー、そしてルークがこの場にいなくてよかったと心底思った。今の姿を、兄妹には見られずに済む。
(分かってるわ、悪いのは…罪のないザックさんを殺した…キュルスたち誘拐犯よ)
「…部屋を出ましょう…」
「…いいえ…大丈夫です…」
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