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第11章

159 誘拐6

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─ まるで…血液が逆流しているみたいだ ─



アシュリーの体内の魔力と、そこに覆い被さる神聖力が競り合って拮抗し、いつもとは異なる魔力の流れが身体の力を奪い、目眩や胸焼けのような不快感を引き起こす。

耐えられるものの…体力と魔力の消耗は凄まじく、尋常ではない。
それでも、レティシアが攫われたと知った時の激しい胸の痛みや血が沸き立つ程の怒りに比べれば、何ということはなかった。


魔力を付与して扱う魔装具や魔導具と違い、固有の力を持つ聖物との契約は、聖魔法の発動の妨げとなる魔力より聖力が優勢でなければならない。聖物と強い親和性が認められれば、契約はより結び易いものとなる。

聖物の力をも凌ぐ膨大な魔力を有するアシュリーには、非常に厳しい条件。そのため、サハラは金の指輪に神力を馴染ませ神聖力を増幅、さらに契約を後押しするよう介入した。
魔力や聖力の上位互換となる神力で、強引に押し切る形での契約。双方の力差によって摩擦が生じれば、その全てを背負うつもりで…アシュリーは覚悟を決めて臨んだ。



─ 拒絶しないで欲しい ─



指を締めつける金の指輪が、心做しか震動している。アシュリーは、真摯な思いで契約の許しを請う。



─ 私は…かけがえのない存在である彼女を救いたい ─



    ♢



アシュリーは過去に“召喚”された経験などないため、これが初めてのこと。

魔法陣の発動によって、次元の狭間を不安定に浮遊していた。
グニャリと歪んだ空間の圧に押し出されながら、立ったまま落下していく。自分の意思ではどうにも動けず、暗闇を彷徨う。

瞬間的な移動ではなく、長距離移動に適したゲートを通過する感覚に近い。行き着く先は、おそらく異空間を使った特殊な結界の中だ…アシュリーは、意識が飛びそうになるのをグッと歯を食い縛って堪えた。



─ あれは? ─



足先に明るい光がいくつか見え始めたかと思うと、そこへ近付いているようで…どんどんはっきり大きくなってくる。


「レティシア!!」


目についた光の向こう側に、愛しい人のフワフワとしたミルクティー色の髪が見え隠れしている気がしたアシュリーは、無意識のうちに大声で叫んでいた。


「レティシア!!」


声が届いたのか?青く澄んだ瞳と愛らしい口をパッと開いたレティシアの顔が、こちらを向く。
絶対に彼女の下へ辿り着かなければならない!アシュリーは無駄と分かっていながらも、全力で足掻いてみせた。



    ♢



「…レティシア…レティシア…」


その名をひたすら連呼し続けるアシュリーは、小さなレティシアの身体をしっかりと胸に抱き、隙間など許さないと言わんばかりにピタリと重なり合わせる。

いつもならスッポリと腕の中に収まり、丸まってじっと抱かれているレティシアが、背中に回した手で必死にしがみついてくるのが痛々しく…守ってやれなかったことへの罪悪感が増す。
か弱い彼女の足の震えがアシュリーにまで伝わり、強い不安と怯え、やっと訪れた幸福や安堵の感情が全身から感じ取れた。

明るい光を目指して降り立ったはずが、結界内は漆黒の闇。どんなに心細く、恐ろしい思いをしただろうか。
アシュリーは業火の如く燃え上がる怒気を一旦隅へ追いやり、レティシアを溢れる魔力香で包み込むと…髪を撫で、旋毛に数え切れない程の口付けを落とす。

いつの間にか、荒々しく波立っていた魔力と神聖力のせめぎ合いは気にならなくなっている。
先ずはレティシアの無事を確認できたことにアシュリーはホッとして、少し熱を帯びている金の指輪に触れた。 



─ 神のお力は素晴らしい…心から感謝申し上げる ─




──────────




「…殿下…助けに来てくれたんですね…ありがとうございます」


属性魔法を封じ込めてしまうくらい、厄介で特殊な結界に囲まれた場所へ、危険を顧みず…アシュリー自らが助けに来てくれた。

誘拐されたレティシアは、自分の行動に問題があったと自覚しているというのに、彼は責めるどころか温もりを与えて詫びてくる。


(あぁ…そうよ。殿下はこうして…今までも多くの人たちの命を救ってきたんだわ)


申し訳なさと喜びの気持ちが交錯して複雑な心境を抱えるレティシアだったが、アシュリーの上着から香る爽やかな魔力香が、揺れ動く心を整え落ち着かせてくれた。

言われるがままに、そっと目を瞑る。


(あれ…アーティファクトって…?…殿下、まさか金の指輪と契約したの?!…だから魔法陣が発動を…)



─ カッ!!!! ─



鋭くスパークする聖なる光ホーリー・ライトは、浄化と癒しの力でありながら、邪悪を破壊する滅失魔法でもあった。
悪意の塊ともいえる忌わしい結界に風穴を開け、解除する役目を十分に担える強力なもの。荷馬車の扉のみならず、ワゴンの半分を結界と共に派手に吹き飛ばす。



「……えっ…?!」


レティシアが目を開くと、横たわるロザリーのところにまで光が届き、ざわめきや物音が聞こえて、空気に動きを感じられる状況になっていた。


(結界から解放された!!!!…けど、荷馬車が大破してる…?)


長時間闇の中にいたため、明るさに目が慣れず瞬きをしていると…側で指を弾く乾いた音がする。


「レティシア、結界を壊して君たちの周りに防御壁シールドを張った。もう安全だ、安心していい」

「は…はい!……っん…?!」


唇に、柔らかくて濡れた感触が二度。
視界がはっきりした時には、アシュリーから三度目の熱い口付けを受けていた。


「…すまない。やっと顔を見れたから、我慢できなかった…」

「………ふぁ…っ」


アシュリーは蕩ける甘い笑顔でレティシアの唇を啄み『止まらないな』と呟いて視線をそらすと、口元を押さえ頬を赤らめている。

地獄から天国へ。急転直下の勢いと恋人の色気に、レティシアは若干夢心地。

ここは敵陣のど真ん中。しかし、アシュリーの肩越しに見える景色は、小型の荷車、農耕器具、掃除用具が雑然と置かれた…ただの広い倉庫にしか見えなかった。



    ♢



「…誰だ…テメェ?…荷馬車を壊しやがって…」

「はぁ?女だけのはずが、男がいるじゃねぇかよ!!」

「おいおい、見ろよ!こりゃ大変だ!!随分といい女だぜ~」


刃物を手にした人相の悪い屈強な男たちがゾロゾロと現れ、気付けば…半壊したワゴンを取り囲んでいる。

品性の欠片もない物言い。
これが、あの真面目で穏やかな人柄のザックが集めた仲間だというのだろうか?いや、最後に見せた悪人さながらの黒い微笑みこそ、ザックの本性かもしれない…レティシアはひどく葛藤した。


(本当にザックさんが誘拐を?脅されていたとか、ううん…魔術で操られて正気じゃなかった可能性も…)


「………フーー…ッ」

「……あ……」


額に青筋を立てて黄金色の瞳を爛々と光らせたアシュリーは、猛り狂う寸前の獣のようで…こんな時でも端整な顔立ちが美しい。
レティシアの前で一度深呼吸をし、後ろで好き勝手騒ぎ立てている破落戸たちを振り返る。

瞬間…全員が黙った。


「どうした、お喋りはもう終わりか?」


荷台の上から大柄な男たちを見下ろし威圧するアシュリーの低い声が、静まり返った倉庫内に響く。その姿は、圧倒的な存在感を放つ舞台の主役のよう。


「………黒髪…に…金眼…」

「…お……王族……ウソだろ」

「ちょっと待て、ヤベェぞ…こんなの聞いてねぇ…」

「俺だって知らんっ…クソッ…相手が悪過ぎるだろうが!」

「…旦那は…一体、どこの女に手ぇ出してんだよぅ?!」


高貴な王族の色を持つアシュリーの登場は、未曾有の事態だった。男たちは、堰を切ったように喚き出す。
魔法大国アルティア王国において、絶大な魔力と絶対的権力を手にしているのは“王族”だという事実が、末端にまでしっかりと根付いている証拠。


「…ヒィィッ…」

「たっ、助けてくれぇ!」

「許して…くださぁい!!」


逃げようとした一人の男が悲鳴を上げると、次々と他の者たちも情けない声で叫び始めた。
どうやら足元から腰へかけて徐々に凍りつき、身動きできないまま全身氷漬けになる恐怖に慄いているらしい。


(殿下、いつの間に氷魔法で拘束を?…きっと、剣を交えるまでもない相手なのね)





─ ガシャーーン!! ─



突如、ガラスが割れる音と共に、倉庫の扉を外から突き破って…人影が勢いよく中へと転がり込んで来た。


(今度は何っ!!!)


「…はっ…旦那?!」

「キュルスの旦那ぁ!!」

「旦那、俺たちを助けてくれ!」


半分凍って生け捕りにされている男たちが口々に“旦那”と呼ぶ…その灰色の髪をした男は、床に転がった状態で顔を上げ、こちらを真っ直ぐに睨む。


「誰だ?!私の結界を…っ…お前はっ…王子……グァァッ!!」


亡霊でも目にしたかのように急激に顔色を変えたかと思うと、男は背中を踏みつけられて喉から醜い声を絞り出す。


(…え…えぇぇ…)


男を踏みつけていたのは…
赤い毛並みをした、二足歩行の巨大なだった。




レティシアは、ここがファンタジーの世界であると…再認識する。










────────── next 160 誘拐7

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