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第9章
128 平和?
しおりを挟む聖女宮で目覚めてから一週間の療養期間を過ごした後、アシュリーはレティシアを連れて約十日ぶりにラスティア国へ戻る。
「母上は、姉上たちよりずっとか細くて…驚いた」
前日に家族と感動の対面を果たした彼は、馬車に揺られながらぼんやりと呟く。
感極まって皆と抱き合ったかのようにも聞こえるが、ガッシリとした体格のアシュリーを力一杯抱き締めたのはヴィヴィアンのほうだった。
泣きじゃくる小さな母を前に戸惑い、背中をそっと擦って慰めるアシュリーを姉たちが左右から取り囲む。立派に成長した弟の身体を確認しようと触れる優しい手は小刻みに震え、あちこち撫でてはその度に涙ぐんだ。
「父上があれ程陽気に酒を飲む姿は見たことがなかった。兄上たちと酒を酌み交わすのも初めてだったな…勧められるまま…少し飲み過ぎた」
成人して以降、お酒といえば寝酒程度しか飲んでいないアシュリーは見事に酔っぱらい、途中から記憶が曖昧になったらしい。
「…レティシアは私のものだと、皆に宣言をした…かもしれない…」
「宣言…?」
「君は、どこへも行かないと私に約束してくれただろう」
「…えぇ…」
一体、どんな会話をすればそんなおかしな宣言をする羽目になるのか?唖然とするレティシアに対して『約束の撤回はさせないよ』と言い切るアシュリーの顔は赤かった。
──────────
──────────
通常の生活に戻って半月。
個人秘書官室で仕事をするレティシアと外出ばかりのアシュリーは、すれ違いの生活をしている。
呪いが解けて『ナデナデ』が必要なくなった彼は、毎夜レティシアの部屋を訪ねる正当な理由を失う。宮殿で朝の挨拶をした後は翌朝まで会えないのが普通で、早朝から遠方へ視察へ出掛けていれば、二日ぶりに姿を見かけるのも珍しくない。精力的に活動するアシュリーの側に、レティシアの居場所はなかった。
「この忙しさ、大公になってすぐの時みたいだ。レイは、全く疲れもないらしい。バケモノみたいに元気だから、心配しなくて大丈夫だよ」
時折、廊下ですれ違いざまにカインに腕を引かれ、アシュリーの健康状態の報告を受けることがある。やはり、彼の身体を蝕んでいた諸悪の根源は呪いだったのだ。
♢
レティシアが居候先の公爵家で新しく始めたのは、剣術の稽古。
ラファエルが指導者と聞いて驚き、ロザリーが剣術を一緒に習うと知ってまた驚き、実はロザリーがなかなかの手練れだと分かってまたまた驚いた。
「レティシアは反応が早くて剣筋がいいです。どちらかというと、相手をじっくりと観察しながら戦う…試合や対戦向きですね」
ロザリーは素早い動きと二刀流で、主に実戦向きだとラファエルが評価をする。素人が聞くと正反対に思える生徒が二人、指導者の負担は如何ばかりかと申し訳なく思う。
見た目猫っぽいロザリーは、剣を持つと爪を凶器にした獣の如く別人のようにギラついていた。
長剣を優美に扱うラファエルは、流石クロエ夫人の弟子だとレティシアは惚れ惚れする。日中、次期公爵としての教育が忙しいのに嫌な顔一つせず丁寧に指導をしてくれる彼は、美形で性格も花丸。
(…目の保養になるわ…)
汗を流しての運動がとにかく楽しい。
朝食前のランニング、筋トレ、夕食前のランニング、剣術の稽古…と、お陰でレティシアは宮殿に入り浸る社畜生活から完全に脱出した。
レティシアの取り成しによって絶交を解消したルークとロザリーは、夜にレティシアの部屋で語り合う時間を頻繁に取るようになる。
アシュリーの働きっぷりや、従者s内部の揉め事、秘書官たちの恋愛事情など…他愛のないルークの話は面白く、気付けば剣術の稽古と夜の語らいを楽しみにして日々を過ごすようになっていた。
「ロザリー、ルーク、お休みなさい」
「お休みなさいませ、レティシア様」
「また明日な」
いつも通り、静かに閉じた扉に背を向けてレティシアはベッドへ潜り込む。聖女宮で過ごした時間に比べると、この半月はやたら早く感じる。心にポッカリ穴が空いたようで…寂しい。
多忙な大公に会えないのはレティシアだけではなかった。その証拠に、執務机の上には秘書官が提出した書類がいつも積み上げられている。
翌朝にはその書類が減っているため、外出先から戻ったアシュリーが夜の間に処理を済ませているのだろう。そんな忙しない毎日を難なくこなせているのは、彼が元気である証拠。喜ぶべきことであって、寂しく思ってはいけない。
考え込むと眠れなくなり、レティシアは毛布に包まってサオリの話を思い出す。
──────────
“アシュリーが無敵”である謎を解き明かしてくれたのはサオリだった。
「その神聖なる遺物の指輪は、ペアリングになっているの。対となる金の指輪は、銀の指輪の浄化する力を抑えてくれるわ」
「どういうことでしょう?」
「要するに…金の指輪は恋人に渡すといいのよ。だって、男性の邪な欲望を全部綺麗に浄化されてしまったら…正直困るじゃない?」
「確かに…恋人関係には支障が出そうですね」
思いも寄らない話の内容に、レティシアはそう返事をするのが精一杯。必然的にペアで使用するしかない指輪となると、凡人が簡単に付け外しできないことがそもそも問題に思えて来る。
「でも、どうして殿下に?」
「金の指輪の一番の役割は過度に浄化されるのを防ぐことだけれど、持っていればいろいろと役立つアイテムだから、レティシアの側にいる大公に渡しておいたの。因みに…彼は指輪の契約者ではないわ」
(金の指輪は、契約なしでも保持者特典付きなのね)
実は、魔力の強い者は神聖なる遺物と契約するのが難しい。アシュリーは、サオリから貰った指輪をネックレスのように首から下げていて、常時身につけているとは限らなかった。
「殿下の手元には金の指輪があって、その恩恵を受けているんですね」
「えぇ。…ただ、銀の指輪くらい聖力の強い遺物って意志があるというか…金の指輪の効果が気休め程度説もなくはないけれど…大公になら預けておいて心配はないわ」
今となっては何をどうすることもできないが、ペアリングが長く聖具室に留まっていた理由は、この扱い辛さのせいではないだろうかとレティシアは苦笑いをする。
「加護の攻撃も、道具を使えば避けられるのですか?」
「エルフの加護はレイヴンが与えたものだから…恐ろしくパワーがあると思う。防ぐなんて無理なレベルね。レティシアが本当に身の危険を感じたら、相手を殺しかねない」
「……っ……」
「怒りの雷で確実に仕留める前に、軽い電撃ショックで威嚇くらいはするんじゃない…?」
サオリの顔付きを見るだけでは、本気か冗談かが分からない。是非とも後者であって欲しいと…大魔術師レイヴンの強大な力を再認識して身体が震えた。
(…殿下…よくご無事で…)
「レティシアは、エルフの加護を持った上で更に指輪の契約者となったわ。目に見えない神秘的な精神世界と繋がっているのよ。心や感情が通ずると言えばいいかしら…逆に、レティシアが大切にしたいと思う人はむやみに攻撃を受けたりしないはず」
「…私が大切に……あっ、殿下が無敵なのは…」
「そうよ。加護の守りと指輪に邪魔されず、その身に触れてあなたを愛でることができるのは許された相手だけ。知ってる?世間ではそんな男性を恋人って呼ぶのよ」
「…こっ…」
「夜会の日、レティシアを襲った大公は無傷だった。簡単に言うと…強引なキスは嫌じゃなかったってことね。レティシアが拒絶していたら、加護も指輪も黙っていないわ」
(…嫌ではなかった…その通りかも…)
「例えば…大公と顔が似ている、国王陛下やアフィラム様だったらどう?」
「…どう?」
「護衛隊長や補佐官とのキスは?…大公以外の男性たちを想像してみて?」
「えぇっ?!…そ…ぃや…嫌ですっ!!」
想像するまでもなく、言葉を口に出してしまってからハッとする。
レティシアは気付いた。
アシュリーが特別な存在だということに。
そして、加護と指輪がある限り…現状、彼以外は選べない事実に。
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