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ルブラン王国
25 レティシアと伯爵3
しおりを挟む自分の指先の上にレティシアの指が乗っていることを感じ取ったアシュリーが、小さな声を漏らす。
「……あ……」
「…っ…すいません!!」
レティシアは素早く手を退け、ベッドの中央までササッと身を引く。知らぬ間に、随分とアシュリーに近付いていた。
「お、お身体は問題ないでしょうかっ?!」
「あぁ、君との接触は大丈夫だから心配はない。他の女性ならば、近くにいるだけで危険だと分かるんだ、感覚的…直感みたいなものかな。今思えば、レティシアには最初から私の勘が働いていなかったのかもしれない…」
「…やっぱり…」
アシュリーは、不完全なレティシアを認識できていない。おそらく、その考え方で合っていると確信する。
(私は、この身体の中で完全体になるまで…ゆっくり馴染むのを待つしかないのね)
「レティシア…どうした?触れたことを気にしているのか?それとも…私と一緒に過ごして欲しいと言ったが、何か不安でも?」
急に真剣な顔をして考え込むレティシアを、アシュリーが気遣う。
「君が嫌なら無理にとは言わない。食事をしたり、今みたいな会話をするだけでも構わない」
「…え?…あ、食事?…そういえば…伯爵様、何か持っていませんでしたか?」
「あっ!」
二人の目線の先には、すっかり冷えたお粥があった。
♢
「…魔法をかけるのを…完全に忘れていた…」
目を覚ましたレティシアの姿に慌てたアシュリーは、お粥を載せたトレーをローチェストの上に放置してしまっていたのだ。
汁を吸って膨らんだお粥の成れの果てを前に、片手で顔を覆い…失敗を悔いた様子でポツンと突っ立っている。
「伯爵様って真面目なの?…可愛過ぎるわ…ふっ…」
レティシアはベッドサイドのソファーに座り、哀愁漂うアシュリーの背中を眺めて堪え切れずに笑い出した。
「レティシア…私を見て笑っているのか?」
「ごっ…ごめんなさい。笑ったら失礼ですよね、でも…」
ほんのりと頬をピンク色に染めたレティシアが、鈴を転がすような声で再び笑う。
『可愛いのは君じゃないか』そう喉まで出かかった言葉を、アシュリーは無理やり飲み込む。
愛らしく汚れのない笑顔なのに、どこか魅惑的に感じて…胸が高鳴って止まない。
女性とこんな風に過ごした経験のないアシュリーは、自身の心と魔力の乱れをグッと抑えなければならなかった。
「お腹がかなり空いた気がします。もう夜でしょうか?」
「夕食の時間としては遅いくらいだな。元気そうに見えるが…君は頭を打ったのだから、食事をここに運ばせようか?」
(頭は…レイヴン様の魔術で守られていて、何ともないみたい)
「…それとも…ホテルのレストランで、私と一緒に食事をしてくれる?」
「レストランだなんて…私は、服装もテーブルマナーも不十分な平民です。連れて歩けば、伯爵様が恥をかくだけですよ」
「…………」
アシュリーはレティシアが“元侯爵令嬢”だと知っているが、ここでそれを話せば身辺調査をしたと分かってしまう。
「…あ…そのお粥を、伯爵様の魔法で温めたらいいと思います」
「魔法で?…いや、しかし…これを食べるつもりなのか?」
「勿体ないではありませんか」
「…そうは言っても…」
「温めてくださったお粥を食べてお腹が満たされたら…伯爵様が勝手に仕事を休みにした件は、多少気にならなくなるかもしれないですし…」
「え?」
「商店では、私がいないと輸入品の処理が少なからず滞ります。二、三日の休暇とはいえ、顧客への納品が遅れてしまうんです。
でも…輸入商品を任されて二ヶ月、私に仕事を押しつけて楽ばかりしてきた人たちが、底力を見せて頑張ってくれると信じてみるのも悪くないかな…と」
「…は……アハハッ!」
突然、アシュリーが腹を抱えて笑い出した。
年相応…青年らしい笑顔に、レティシアはドキッとする。
(驚いた、こんな風に笑ったりもするのね)
「なるほど、そうだったのか。ついさっき…レティシアが休むと知って、倉庫にいた全員が顔を青くしていたと聞いたところだ」
「…そんな気はしてました…」
「オーナーは、レティシアの有能さを知らない?」
「さぁ…どうでしょう?私はもう商店を辞める人間なので」
「辞める…まさか!次の仕事が決まったのか?!」
アシュリーは再びお粥のトレーを放ったらかして、ソファーに座るレティシアの側に駆け寄った。
「いえ、商店で働くのは元から三ヶ月という契約だったんです」
「ふむ…契約が切れるから、今新しい仕事を探しているんだな」
「はい」
まだ仕事が決まっていないと分かって、アシュリーは胸を撫で下ろす。
「レティシア、一つだけ聞きたいことがある」
「一つだけ?…私が答えられる質問なら…どうぞ」
「今…愛している人、将来を約束している人は…いるのか?」
(何とド直球な。でも、答えは簡単だわ)
「私には…いません」
レティシアの答えに迷いはない。
『いない』という返事はアシュリーにとって望ましいものだったが、その言い方にはどこか違和感を覚えた。
「…そうか…答えてくれてありがとう」
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