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第1章
4 目覚め
しおりを挟む─ 転落事故から三日目 ─
「………シア…レティシア…」
有栖川瑠璃は、同じ言葉を繰り返しブツブツ呟いている男性の声を聞きながら、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
「……ぅ…ん……」
「…っ…レティシア…?!」
「……な…に……」
「レティシア!気がついたのか!!…よかった…あぁ…レティシア…もう目覚めないのかと…私は生きた心地がしなかった…」
(…ここは…どこ…?)
眩しいせいなのか…瞼を押し上げる力が足りていないからか、瑠璃の目はうっすらとしか開かない。
自分の身体が横たわっている感覚と、すぐ側には人の気配。雑音がしないことから、静かな室内であると分かる。
(…おかしい…私、飛行機に乗っていたのに…確か、そう…)
─ 墜落した ─
ガバッ!!!
反射的に勢いよく起き上がった途端、頭を叩き割られたような猛烈な痛みに襲われる。
「…ぐっ!!……うぅっ…」
「レティシア!!!!」
『レティシア』という謎の叫び声を耳にした後…瑠璃の意識はプツリと途切れてしまった。
──────────
「…………」
再び目を覚ました時には、室内が少し騒がしくなっていた。
視界はさっきよりもはっきりしていて、立派なベッドの上で寝ているのに、身体全体がやたらと重怠く感じる。
また気を失っては堪らない…瑠璃は、慎重に辺りへ視線を彷徨わせた。
ゆるくウェーブのかかった栗色の髪に翡翠色の瞳、綺麗な顔をした若い男性の姿が目に映る。瑠璃の手をしっかりと握っているその美青年は、どこか現実離れしていた。
(…外国の方?…ここって外国?じゃあ、私…助かったのかな…)
墜落事故の直後、瑠璃は真っ暗で冷たいどこかへ放り出されたように思う。
あれからどうなったのか?ぼんやりと霞がかった記憶の中を必死に探ってみても…何も思い出せない。
「レティシア?!…先生、先生!早く診てやってください!…カミラは、父上と母上に急ぎ知らせてくれ」
(この声、さっきも何か叫んでいた人だわ)
♢
「私は医師のバーナードです。…少し失礼をいたしますぞ」
バーナードは、白衣を着た“いかにも医者”という初老の男性。色白で鼻梁が高く、彫りの深い外国人らしい顔立ちをしている。
穏やかな声色で瑠璃に話し掛け、手を取って脈を確認したり頭や顔に優しく触れていく。
「ここがどこか…お分かりですかな?」
「…NO…」
「……ノー?」
この時、瑠璃は質問の言葉を正確に聞き取れている不可思議な現象に気付かず、バーナードが何語を話しているのか?そこにも気が向いていなかった。
「…通じない?…I don't know where…」
「いえ、通じておりますよ」
「…え?」
「どうぞ、そのままお話しください」
「…そのまま…」
瑠璃が漏らした日本語に、バーナードがすかさず反応をする。
まさか、日本語が通用するなどと…外国感満載のこの場で誰が想像できただろう。瑠璃は、一瞬ポカンとしていた。
「…あ…すいません。ここは、どこでしょう?」
「こちらはトラス侯爵家、レティシア様のお部屋です」
「トラス…こうしゃく?…え…と…レティシア様という…その方のお部屋に、なぜ私が…?」
ここが病院だと聞けばそれなりに納得もできる。しかし、個人名ではさっぱりピンとこない。
バーナードはというと、瑠璃が困惑する様子を静かに眺めて頷き…上掛けの毛布をそっと肩まで引き上げた。
「本当にお分かりではないようですな…では、何か記憶に残っている思い出や出来事はありませんか?」
「勿論あります…大きな飛行機の墜落事故に遭ったので、あの恐怖は忘れません。大惨事で大変な騒ぎになったはずですし、私は運良く救助していただいて、こうして生きているんですよね…?」
「墜落に…救助ですか…もしかすると、それはバルコニーから転落された時の記憶ではないでしょうか…?」
(…バルコニー?…何を言っているの?飛行機事故だと話しているのに…)
「レティシア様は、その転落事故で頭部に大怪我をなさいました。記憶に影響が出たとしても、おかしくはございませんぞ。まだ目覚めたばかりです、少し時間を置いてみては…」
「いいえ…違う、そうじゃなくて…それに、記憶はしっかりしているわ。私はレティシアではなく、有栖川という日本人です。オーストラリアへ向かう飛行機に乗っていたら、墜落したのよ!」
徐々に、瑠璃の頭の中が冴えてくる。
日本では父親が心配しているはず。瑠璃に旅の同伴者はいなかったものの…他の乗客たちはどうなったのか?
欲しい答えは何一つ返ってこない。あまりのもどかしさに、ベッドの上を思わず拳で数回叩く。
「落ち着いてください。レティシア様が仰るような大きな事故は、ここ…ルブラン王国では起こっておりません。どうかご安心を」
「ルブラン…ルブランって…何?そのお菓子みたいな名前の王国、聞いたことがない。墜落事故は確かにあったのに…どうして?!」
バーナードは宥めて諭すようにゆっくり話すが効果はなく、さらに興奮した瑠璃は身体を大きく震わせる。
「…レティシア!」
「だからっ!私はレティシアじゃないってば!!」
様子に驚いた若い男性が駆け寄って伸ばしてきた手を、瑠璃は勢いよく突っ撥ねた。
「…っ…!!」
「…あっ…」
「すまない……私は失礼する。先生、後はお願いします…」
シーンと静まり返る室内から、俯いた男性が足早に去って行く。
心配してくれていたであろう…見知らぬ相手に、苛立った感情をストレートにぶつけてしまった瑠璃は、即座に後悔をする。
改めて周りをよく見ると、物語に出てくる挿絵の貴族と同じ格好をしている男女、メイド服を着た若い女性など…数人が部屋の隅で一塊になってこちらを気遣わしげに眺めていた。
(ここは一体どこなの?…理解できない私がおかしい…?)
──────────
「レティシア様は、記憶喪失のようですな。頭の傷も深く、癒えるまでは時間がかかります。今は刺激を与えてはなりません…安静にして、そっと様子を見守っていくしかないでしょう」
「先生、レティシアをよろしくお願いいたします」
「最善を尽くします」
「記憶喪失とは?どうすれば元に戻りますの?」
若い男性と入れ違いにやって来た壮年の男女が、バーナードと部屋の扉付近で小声で話しているのが聞こえた。
(記憶喪失じゃない。私は有栖川瑠璃よ…ちゃんと覚えているわ!)
♢
「お目覚めになられて本当によかったです。お身体を清めますね」
腰を低くして瑠璃にそっと話しかけてきたのは、『カミラ』と名乗るメイド服を着た若い女性。
温かいタオルで全身を丁寧に拭き、顔には化粧水や美容液を馴染ませ、手指をマッサージして爪まで整えてくれる。手慣れた動作に、いつの間にか安心して身を任せてしまっていた。
緊張が解れていけば、自然と身体の倦怠感も緩和されていく。
「身体を起こしたいので…手伝って貰えますか?」
「はい。お任せください」
(…ちょっと…待って…日本語がペラペラ過ぎない?!)
そう思って起き上がった瑠璃は、腰まである長い髪とその重さに二度ギョッ!とする。
「なっ?!…す…すいません!鏡をっ…鏡を見せてください!!」
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