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最終章 そこに踏み入るには
第234話 クリップ
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◇◇◇
夕焼けに染まり始めたロワイズの空に、大きな龍が浮かんでいる。
上空を旋回している龍は驚くほど大きく、そして神々しさに溢れていた。その背に乗る人物は小さくて見えないが、クジロである事は明白だ。
リーリュイはその姿を呆然と見上げた後、目の前に広がる琥珀色の外壁に喉を鳴らす。
ロワイズの周りをぐるりと囲むように、琥珀色をした外壁がそびえ立っている。その壁には魔法攻撃も物理攻撃も一切効かず、リーリュイはその場に立ち尽くした。
壁の中から聞こえてくるのは、民衆の叫ぶ声だ。しかし悲鳴とは明らかに違う。
(……これは、祈りの言葉か? 歓声のようにも聞こえる……)
ロワイズの民が、声を合わせて祈りの言葉を捧げている。占領されたはずの都市が、クジロを讃えているようにも聞こえた。
リーリュイは、琥珀色の壁に額を押し当てる。壁は冷たい外気とは違い、どことなく温かい。混乱する心を落ち着かせる事が出来ず、リーリュイは深く息を吐き出した。
(……なぜだ。どうなってる……? ロワイズに何をしたんだ、クジロ……)
状況がまったく掴めない。リーリュイにとって初めての感覚だった。
先を読んで動かなければならないのに、尻尾を掴むどころか爪先すら掠りもしない。
無感情で冷静だった筈の自分が、どんどん崩されていく。
奥に閉じ込めていた感情を掘り起こされ、リーリュイは今自分がどういう感情を抱いているのかさえ把握できなかった。
「……殿下……」
突然後ろから聞こえてきた声に、リーリュイは振り返った。そこに立っていたのは、ロワイズを統べる領主である、ゴア卿だった。
彼の身分であれば、壁の中で拘束されていてもおかしくはない。リーリュイはこの場に居たゴア卿の姿に驚き、目を見開く。
「ゴア卿……! 無事だったのか!」
「……殿下……。申し訳ございません。私の口からは、ロワイズに起きた事の詳細を語ることが出来ません」
「…………ではなぜ……」
「では何故、ここに居る?」そう問おうとすると、ゴア卿が外套の内ポケットから何かを取り出した。
それは外套に付けるクリップだった。4枚の翼の彫刻が施され、真ん中に黒い宝石が嵌め込んである。
それを見たリーリュイが首を傾げると、ゴア卿が顔を歪ませた。
「このクリップを見て、何か感じませんか? ……殿下……本当に、お忘れなんですか……?」
「……?」
ゴア卿の両目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。耐え難い何かに触れたかのように、彼は涙を流し続けた。
「……なんと惨いことを……。この国は……あなたと、あのお方の……っ!」
「ゴア卿……? 何を……。私が何を、忘れているというのか?」
リーリュイがゴア卿に歩み寄ると、馬の蹄の音が聞こえてきた。ゴア卿にもその音が聞こえたのか、彼はクリップをポケットに収め、踵を返す。
馬上にいる人物は、護衛の服に身を包んだ男だった。ゴア卿は無言のまま、その馬へ乗り込む。
リーリュイは男の姿を見て、驚愕の表情を浮かべた。この男がここにいるはずがない。
「……何故、お前がここにいる。イーオ」
「……お久しぶり、という事にしておきましょうか。皇太子殿下」
「……? お前は……薬部の長として王宮にいるはずだ。どうしてロワイズに……」
「詳しいことは……私からは申し上げられません」
イーオは冷たく言い放つと、馬を引いた。慌てたリーリュイが声を掛ける。
「どこへ行く? ゴア卿をどこに連れていくんだ?」
振り返ったゴア卿は、どこか寂しげな表情を浮かべていた。僅かに憐憫の色を含んだ表情に、ますますリーリュイは混乱する。
「……どこへ? ロワイズに帰るのです。私の家ですから」
「……っ占領された地に、わざわざ帰るというのか……?」
「はい。……彼と、約束しましたからね。『このロワイズは、あなた様を全力で応援する』……と」
「……?」
ゴア卿の言葉を残したまま、馬が走り去っていく。
リーリュイは視線を落とすと、自身の足元を見た。そこにはゴア卿の涙の痕が、まだ薄っすらと残っている。
『___ 殿下……本当に、お忘れなんですか……?』
何かが抜け落ちている。ここ数か月、リーリュイはそう感じていた。
その抜け落ちた何かが、全ての鍵を握っているように思える。
リーリュイはポータルへ向けて駆け出すと、思考を巡らせた。
(……やはりクジロのやっている事は、占領とは違う。彼の目的は分からないが……魔導騎士団をぶつけるのは、やはり駄目だ)
早く王都に帰らなければ、王妃が何をするか分からない。リーリュイは急ぎ、ポータルがある隣村へ向かった。
________
王宮に帰ると、状況はさらに変わっていた。リーリュイが王の間に入ると、各機関の長が勢揃いしていた。
長たちはリーリュイの姿を見ると、怯えから縋るような表情に変化する。
王妃は王座にはおらず、王の間の通路に立ち尽くしていた。彼女の足元には血に塗れた兵士が横たわっており、その身体はぴくりとも動かない。
王妃はリーリュイに視線を移すと、目を見開く。そして歪んだ笑みを浮かべ始めた。
「リーリュイ……! そうだ、まだあなたが居るわ! あなたならきっと……」
「……それは、国軍の兵士ではないですか?」
横たわっている兵士は、良く見ると国軍の制服を着ていた。戦用の装備をしている所を見ると、国境へと行った兵士なのだろう。
王妃が足元の兵士を踏みつけると、反応のない身体からごぽりと血が溢れ出した。
「……敵前逃亡して来たのよ。死罪は確定でしょ。ここで殺したって構わないわ」
「敵前逃亡? 国軍は……」
「ほぼ全滅よ。残ったのは逃げてきた臆病者だけ……」
リーリュイは目を見開き、周りを見渡した。そして、長たちの尋常ではない怯え方を見て、話が真実であることを悟る。
しかし国軍には、リーリュイの大切な者たちが居た。エイダン、オーウェン、司令官である叔父も、元魔導騎士団員もいたのだ。
『全滅』の一言では、到底処理出来ない。
夕焼けに染まり始めたロワイズの空に、大きな龍が浮かんでいる。
上空を旋回している龍は驚くほど大きく、そして神々しさに溢れていた。その背に乗る人物は小さくて見えないが、クジロである事は明白だ。
リーリュイはその姿を呆然と見上げた後、目の前に広がる琥珀色の外壁に喉を鳴らす。
ロワイズの周りをぐるりと囲むように、琥珀色をした外壁がそびえ立っている。その壁には魔法攻撃も物理攻撃も一切効かず、リーリュイはその場に立ち尽くした。
壁の中から聞こえてくるのは、民衆の叫ぶ声だ。しかし悲鳴とは明らかに違う。
(……これは、祈りの言葉か? 歓声のようにも聞こえる……)
ロワイズの民が、声を合わせて祈りの言葉を捧げている。占領されたはずの都市が、クジロを讃えているようにも聞こえた。
リーリュイは、琥珀色の壁に額を押し当てる。壁は冷たい外気とは違い、どことなく温かい。混乱する心を落ち着かせる事が出来ず、リーリュイは深く息を吐き出した。
(……なぜだ。どうなってる……? ロワイズに何をしたんだ、クジロ……)
状況がまったく掴めない。リーリュイにとって初めての感覚だった。
先を読んで動かなければならないのに、尻尾を掴むどころか爪先すら掠りもしない。
無感情で冷静だった筈の自分が、どんどん崩されていく。
奥に閉じ込めていた感情を掘り起こされ、リーリュイは今自分がどういう感情を抱いているのかさえ把握できなかった。
「……殿下……」
突然後ろから聞こえてきた声に、リーリュイは振り返った。そこに立っていたのは、ロワイズを統べる領主である、ゴア卿だった。
彼の身分であれば、壁の中で拘束されていてもおかしくはない。リーリュイはこの場に居たゴア卿の姿に驚き、目を見開く。
「ゴア卿……! 無事だったのか!」
「……殿下……。申し訳ございません。私の口からは、ロワイズに起きた事の詳細を語ることが出来ません」
「…………ではなぜ……」
「では何故、ここに居る?」そう問おうとすると、ゴア卿が外套の内ポケットから何かを取り出した。
それは外套に付けるクリップだった。4枚の翼の彫刻が施され、真ん中に黒い宝石が嵌め込んである。
それを見たリーリュイが首を傾げると、ゴア卿が顔を歪ませた。
「このクリップを見て、何か感じませんか? ……殿下……本当に、お忘れなんですか……?」
「……?」
ゴア卿の両目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。耐え難い何かに触れたかのように、彼は涙を流し続けた。
「……なんと惨いことを……。この国は……あなたと、あのお方の……っ!」
「ゴア卿……? 何を……。私が何を、忘れているというのか?」
リーリュイがゴア卿に歩み寄ると、馬の蹄の音が聞こえてきた。ゴア卿にもその音が聞こえたのか、彼はクリップをポケットに収め、踵を返す。
馬上にいる人物は、護衛の服に身を包んだ男だった。ゴア卿は無言のまま、その馬へ乗り込む。
リーリュイは男の姿を見て、驚愕の表情を浮かべた。この男がここにいるはずがない。
「……何故、お前がここにいる。イーオ」
「……お久しぶり、という事にしておきましょうか。皇太子殿下」
「……? お前は……薬部の長として王宮にいるはずだ。どうしてロワイズに……」
「詳しいことは……私からは申し上げられません」
イーオは冷たく言い放つと、馬を引いた。慌てたリーリュイが声を掛ける。
「どこへ行く? ゴア卿をどこに連れていくんだ?」
振り返ったゴア卿は、どこか寂しげな表情を浮かべていた。僅かに憐憫の色を含んだ表情に、ますますリーリュイは混乱する。
「……どこへ? ロワイズに帰るのです。私の家ですから」
「……っ占領された地に、わざわざ帰るというのか……?」
「はい。……彼と、約束しましたからね。『このロワイズは、あなた様を全力で応援する』……と」
「……?」
ゴア卿の言葉を残したまま、馬が走り去っていく。
リーリュイは視線を落とすと、自身の足元を見た。そこにはゴア卿の涙の痕が、まだ薄っすらと残っている。
『___ 殿下……本当に、お忘れなんですか……?』
何かが抜け落ちている。ここ数か月、リーリュイはそう感じていた。
その抜け落ちた何かが、全ての鍵を握っているように思える。
リーリュイはポータルへ向けて駆け出すと、思考を巡らせた。
(……やはりクジロのやっている事は、占領とは違う。彼の目的は分からないが……魔導騎士団をぶつけるのは、やはり駄目だ)
早く王都に帰らなければ、王妃が何をするか分からない。リーリュイは急ぎ、ポータルがある隣村へ向かった。
________
王宮に帰ると、状況はさらに変わっていた。リーリュイが王の間に入ると、各機関の長が勢揃いしていた。
長たちはリーリュイの姿を見ると、怯えから縋るような表情に変化する。
王妃は王座にはおらず、王の間の通路に立ち尽くしていた。彼女の足元には血に塗れた兵士が横たわっており、その身体はぴくりとも動かない。
王妃はリーリュイに視線を移すと、目を見開く。そして歪んだ笑みを浮かべ始めた。
「リーリュイ……! そうだ、まだあなたが居るわ! あなたならきっと……」
「……それは、国軍の兵士ではないですか?」
横たわっている兵士は、良く見ると国軍の制服を着ていた。戦用の装備をしている所を見ると、国境へと行った兵士なのだろう。
王妃が足元の兵士を踏みつけると、反応のない身体からごぽりと血が溢れ出した。
「……敵前逃亡して来たのよ。死罪は確定でしょ。ここで殺したって構わないわ」
「敵前逃亡? 国軍は……」
「ほぼ全滅よ。残ったのは逃げてきた臆病者だけ……」
リーリュイは目を見開き、周りを見渡した。そして、長たちの尋常ではない怯え方を見て、話が真実であることを悟る。
しかし国軍には、リーリュイの大切な者たちが居た。エイダン、オーウェン、司令官である叔父も、元魔導騎士団員もいたのだ。
『全滅』の一言では、到底処理出来ない。
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