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最終章 そこに踏み入るには

第233話 新たな耳環

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 リーリュイが目覚めた時、王の間には誰もいなかった。気味が悪いほどの静寂が、辺りに広がっている。
 柱に凭れていた身体を起こし緩く頭を振ると、頭の芯が鈍く痛む。しかし身体にかかっていた筈の緊縛魔法は解かれており、怠さだけが残っていた。

 リーリュイは右耳へ手をやると、新たに付けられた耳環に嫌悪感を露わにする。するとコツコツとブーツの音が聞こえてきた。

 目の前に現れたウィリアムは、いつもの様子と違っていた。
 余裕のある態度は鳴りを潜め、無言のまま王の間を突っ切る。そしてリーリュイから少し離れた位置に、どすりと胡坐をかいた。その様は、どこか不機嫌そうにも見える。
 ウィリアムは視線を下げたまま、噛みつくように呟く。

「……その耳環、偽物だから」
「……何?」
「王妃が作ったもんじゃないって言ってんだよ。しかも……ある人が想いを込めて作った耳環だ」
「ある人……」

 リーリュイが首を傾げると、ウィリアムがぷいと横へと向けた。
 その態度が気になったが、ウィリアムに構っている暇など無い。
 王の間に誰も居ないところを見ると、もうエイダンは軍を率いて行ってしまったのだろう。

「私の武器はどこだ?」

 リーリュイが立ち上がりながら言うと、ウィリアムは再度大げさに溜息を吐く。

「焦らなくて良いって。もうすぐだから、ちょっと座って待ってなよ」
「何を言っている? もう兄上達は、国境に進軍しているんだろう?」
「……そんなにクジロが気になるのかい?」

 ウィリアムの鋭い目線がリーリュイを捉える。負けじとリーリュイが睨み返すと、ウィリアムが立ち上がり舌打ちを零した。

「それとも何か? 気にならないとでも、惹かれていないとでも言うつもりか? ……あの人の腹に誰かの子がいて、君はどう思った?」
「……私は……」

 腹の底から浮いてくるのは、間違いなく嫉妬という念だ。顔も知らない誰かに、彼を奪われた。そんな感情が抑えられない。
 誰かの物だとしても奪いたい。奪われたくないという激情が湧き上がってくる。

「……」
「……ああ、くそったれ。言っとくけど、お腹の子の父親は……もういないからな」
「……いない?」
「ああ。寄り添ってくれて、守ってくれる人が……あの人にはいない」
「……っ」

 言葉を詰まらせるリーリュイを見て、ウィリアムが鼻梁に皺を寄せた。
 何故か怒りを露わにした彼は、リーリュイの胸倉を掴むと、力強く引き寄せる。

「あぁ、腹立つなぁ! 誰でもなくお前が、『だったら俺が』みたいな顔してんじゃねぇよ! 彼は、強い人だ。お前が思っている何倍も……!」

 目の前のウィリアムを見て、リーリュイは息を呑んだ。こんなに感情的になっているウィリアムを見るのは初めてだった。

 ウィリアムは唇を噛むと、自分を落ち着けるように深く息を吐く。

「……大体、揃いも揃ってあの人を甘く見やがって。……国境の村を制圧するだけが、彼の目的だとでも思っていたのか?」
「……転管長、あなたは……クジロを知っているのか?」

 リーリュイが言うと、ウィリアムは胸倉を掴んでいた手を荒々しく解いた。少し乱れてしまった自身の真っ白なローブを整え、踵を返す。

「……か……。……僕はクジロなんて知らないよ。知っているのは……だけだ」

 去り際にウィリアムが放った言葉は、リーリュイには届かなかった。しかし不鮮明な音の一つに、心を動かされる。
 聞きなれない言葉であるのに、どうしてか懐かしい。


 ウィリアムと入れ替わるようにして、衛兵が狼狽えながら王の間へ入ってきた。急いでいる所を見ると、何か緊急の報せなのだろう。
 彼はリーリュイの前に崩れ落ちるように膝を付く。

「………っこ、皇太子殿下……。ロワイズから、たった今……緊急通信が入りました」
「……ロワイズからだと?」

 ロワイズはここから遠く離れた港町だ。国境から報せが届くならまだしも、ロワイズから緊急の通信が入るのはおかしい。
 戸惑いを恐怖の表情に変え、衛兵が吐くように言葉を落とした。

「ロワイズが、占領されました……! 例の異世界人です!」
「なんだと……? 確かか?」
「ゴア卿本人からの通信ですので、間違いは無いかと……。ロワイズにいた兵士も、ゴア卿の私兵も、全て制圧されたそうです……」


『____ 国境の村を制圧するだけが、彼の目的だとでも思っていたのか?』

 先ほどのウィリアムの言葉を思い出し、リーリュイは彼の背中を追った。しかしもうその姿は見えず、王の間から続く廊下だけが伸びている。

 ロワイズは王都に次ぐ大きな都市だ。国益のほとんどはロワイズに頼っている。
 そこを制圧されたとなれば、ザキュリオにとって大き過ぎる痛手だ。

「……私が確認しに行く。ポータルを使うから、国軍に使用許可を……」

 歩を進めながら、リーリュイは報告をしに来た衛兵を見た。良く見ればそれは衛兵ではなく、国軍の見習い兵士だ。
 兵士はリーリュイを見上げると、ごくりと喉を鳴らす。

「……こ、皇太子殿下。国軍は全勢力を上げて、国境へと進軍しています。例の異世界人を討ち取れると聞いて、指揮官すらも戦へと乗り出してしまいました。……見習い兵士以外、誰も残っておりません……ですから……」
「……そうか……使用許可など取る先もないか」

 エイダンは国軍の全戦力をもって国境に攻め入っている。つまり今、ロワイズを取り戻しに行く戦力は王都に残っていないという事だ。
 
「……ウルフェイル魔導騎士団長に連絡を。……魔導騎士団に派兵準備をさせ、待機しておくようにと指示を頼む」
「……っはいっ!」

 兵士はぎこちなく敬礼すると、二羽宮の方へ走っていった。まだ療養中のウルフェイルだが、指揮だけは出来るだろう。

(……場合によっては、クジロと魔導騎士団が争うことになる……。それだけは避けたい。とにかくロワイズの状況を確認せねば……)

 リーリュイはポータルへ向かって駆け出した。


◆◆

 一方、国境に進軍したエイダンは、目の前の光景に震戦慄ふるいおののいていた。

 数万のザキュリオ兵の前にいるのは、たった一人の男だ。その男は戦用の装備も身に着けず、刀一つを腰に佩いて立っている。
 しかしその男の背後には、轟々と火炎が舞い上がり、灼熱の爆風が国軍の肌をちりちりと焦がしていく。

 男は腕を組むと、大きな口を弧の字に吊り上げた。しかし鼻梁には皺が寄り、嫌悪を露わにしている。

「……峨龍が居ぬ、副将も床へ伏した。だからと言って我が国を攻め獲れるとでも思うたか? それとも……王が自ら出てくるとは思わなかったか?」

 一色が手を上げると、奥の空から神燐一族の群れが現れた。空を埋め尽くすほどの数の神燐一族は、国軍の上空まで来ると、ぐるぐると旋回する。
 一色の背後で舞い上がっていた火炎が形を変え、まるで蛇のように地を這い始めた。

 国軍に向かって伸びていく炎の蛇を見ながら、一色はクツクツと笑いを漏らす。

「……すまんのう。俺はあの子と違って、お前らに何の情も持ち合わせておらん。……手加減はせんよ」

 火炎が国軍を取り囲み、神燐一族が一斉に咆哮を上げる。
 国軍の目の前に広がるのは、正に絶望だった。
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