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最終章 そこに踏み入るには
第219話 終雪殿
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◆◆◆
リガレイア国の北端には『終雪殿』という王宮がある。
そこは冬が厳しいザキュリオよりも北にあるため、当然ながらとても寒い。
陽が高くなり始めた空に息を吐くと、雪と共に白い息が舞い上がっていく。
「ただいま戻りました!」
木戸を押し開けると、そこには豪華な日本庭園が広がっている。初めて見た時は驚いたが、今ではすっかり慣れた光景だ。
庭園の先には平屋の日本家屋があり、庭に向けて造られた縁側は庭に沿うように長く伸びている。
軒下の水甕で顔を洗って、ついでに水も飲む。顔についた水滴を払いながら家屋とは別方向へ歩き出すと、目の前のふすまが勢いよく開いた。
「九代屋!! おかえり!」
「うおお、吃驚した。一色さん、おはよう。ただいま」
そこにいた一色は満足げに笑うと、縁側に胡坐をかいた。
着流し一つの所を見ると、まだ寝ていたのだろう。まだ髪は結っておらず、垂らしたままだ。
「九代屋、働き過ぎだぞ。まだ身体も未熟なのだから、無理はするな」
「あの頃に比べれば身体も楽だよ。アゲ……じゃなくて淵龍もいてくれるから、体調に問題はないかな」
「にしてもだ、もっと休息するべきだぞ。上がって茶でも飲め」
「でも俺、これから軍の方に……」
光太朗が零すと同時に、一色の後ろから巨大な体躯の男が現れた。
薄い褐色の肌に、灰色の短髪。鋭く大きな瞳は美しい藍色だ。端正な顔つきだが、頬に大きな傷があることで雄々しい印象になっている。
彼こそがリガレイア国軍の大将であり、一色の番である峨龍だ。
光太朗は峨龍を見て、一歩引きながら口を引き結んだ。
「大将……い、いらしていたんですね……」
「クジロ。お前また鍛錬場に行こうとしていただろう。休息しないのはお前の悪い癖だぞ」
「い、いや、俺……一回帰ろうと思って……」
この庭の端には、光太朗が寝起きしている離れがある。一旦そこに帰ってから鍛錬場に向かおうと思っていたため、嘘ではない。
しかし峨龍はそれを一切信じていないようで、威圧感を持って光太朗を見据えている。
峨龍はいつもこうなのだ。知り合ってまだ日も浅いのに、彼は光太朗への接し方に遠慮がない。
苦笑いしながらまた一歩下がると、後方から肩を掴まれた。いつの間にか背後に立っていたアゲハを、光太朗は見上げる。
背の高さは2メートルそこそこだろうか。長くなった髪は所々編み込みが施され、腰の辺りまで真っ直ぐに伸びている。峨龍ほどでは無いが、体格も逞しい。
光太朗も正直、アゲハがここまで成長するとは思っていなかった。これが彼の本来の姿らしく、龍に変化した姿も弱っていた時とまったく違う。
「峨龍、我が主を見下ろすな」
「兄様。……クジロを甘やかせ過ぎです。好き放題させるのが愛ではないでしょう。我が国の大切な副将ですよ。大事に大事に扱わなければならないのです」
「……その言葉、そっくりそのまま返すわ馬鹿者。どいつもこいつも、我が主にでれでれしおって」
「まぁまぁ、淵龍兄ぃ。あんたも入って酒でもどうだ?」
一色が言うと、アゲハの男らしい喉仏が大きく動いた。
ここに来て分かったが、アゲハは相当の酒好きだ。一色も峨龍も同様で、3人は暇があれば酒を飲んでいる。
光太朗はアゲハの肩を叩き、離れの方へ足を向けた。
「じゃあ先に、淵龍だけお邪魔するか? 俺はこのままじゃ汗臭いから、部屋帰って服着替えるから!」
返事を聞かないようにして、光太朗は離れへと走り出した。彼らの酒に付き合っていては、日が暮れてしまう。
あっという間に遠ざかっていく光太朗を見て、一色が溜息を吐く。
「まぁた、逃げられたか……」
「何故だ……」
項垂れる一色と峨龍を見ながら、アゲハは縁側へ腰掛けた。直ぐに侍女がやって来て、お猪口に酒が注がれる。
酒に口を付けながら、アゲハが薄っすらと笑った。
「お前らを避けている訳ではない。……早く事を進めたくて、焦っているのだろう」
「……何故そこまで頑張るんだろうなぁ……」
一色がアゲハの隣に座り直し、同じく酒を呷った。峨龍はまだ落ち込んでいるのか、その場に胡坐をかいて口を閉ざす。
「あの子は十分辛い思いをした。あとは穏やかに暮らせば良いというのに……」
「それが出来ないのが、我が主だ」
「まぁうちは、いつかザキュリオを侵略しようと思っていたから、九代屋のやりたいようにしていいのだが……辛いわなぁ」
光太朗がリガレイア国に来たあの日の事を、一色は鮮明に覚えている。満身創痍の光太朗の姿は、ザキュリオ国王に殺意を覚えるほどだった。
その姿を見れば誰だって「もう十分だ」と言うだろう。一色達も何度も説得したが、光太朗は意志を曲げなかった。
光太朗はリガレイア国に来てからも、身体が動かせるようになったら軍へ行き、兵士らに認められるようにあらゆる努力をした。
本来なら淵龍の主であるという事実だけで、兵士の上に立つには十分なのだ。しかし光太朗は今でも、一般兵としての雑用も積極的にこなしている。
その全ては、ザキュリオにいる大事な者たちの為だ。
「……しかし、ザキュリオの事は許し難い。九代屋にあれほど想われているのも気に入らん」
「……やきもちか?」
「無論だ。あんなに可愛い子を無理やり引きずり込んで、挙句の果てに捨てるような国だぞ! うちの方が絶対に良いに決まってる!」
一色が言うと、峨龍が大きく頷く。
すっかり親気分の2人を見て、アゲハはまた薄い笑みを浮かべた。
アゲハも想いは同じだ。光太朗が心穏やかに幸せに過ごせることを、心から望む。
しかしその反面、光太朗にとって絶対不可欠な存在がザキュリオにあることも、否定できなかった。
リガレイア国の北端には『終雪殿』という王宮がある。
そこは冬が厳しいザキュリオよりも北にあるため、当然ながらとても寒い。
陽が高くなり始めた空に息を吐くと、雪と共に白い息が舞い上がっていく。
「ただいま戻りました!」
木戸を押し開けると、そこには豪華な日本庭園が広がっている。初めて見た時は驚いたが、今ではすっかり慣れた光景だ。
庭園の先には平屋の日本家屋があり、庭に向けて造られた縁側は庭に沿うように長く伸びている。
軒下の水甕で顔を洗って、ついでに水も飲む。顔についた水滴を払いながら家屋とは別方向へ歩き出すと、目の前のふすまが勢いよく開いた。
「九代屋!! おかえり!」
「うおお、吃驚した。一色さん、おはよう。ただいま」
そこにいた一色は満足げに笑うと、縁側に胡坐をかいた。
着流し一つの所を見ると、まだ寝ていたのだろう。まだ髪は結っておらず、垂らしたままだ。
「九代屋、働き過ぎだぞ。まだ身体も未熟なのだから、無理はするな」
「あの頃に比べれば身体も楽だよ。アゲ……じゃなくて淵龍もいてくれるから、体調に問題はないかな」
「にしてもだ、もっと休息するべきだぞ。上がって茶でも飲め」
「でも俺、これから軍の方に……」
光太朗が零すと同時に、一色の後ろから巨大な体躯の男が現れた。
薄い褐色の肌に、灰色の短髪。鋭く大きな瞳は美しい藍色だ。端正な顔つきだが、頬に大きな傷があることで雄々しい印象になっている。
彼こそがリガレイア国軍の大将であり、一色の番である峨龍だ。
光太朗は峨龍を見て、一歩引きながら口を引き結んだ。
「大将……い、いらしていたんですね……」
「クジロ。お前また鍛錬場に行こうとしていただろう。休息しないのはお前の悪い癖だぞ」
「い、いや、俺……一回帰ろうと思って……」
この庭の端には、光太朗が寝起きしている離れがある。一旦そこに帰ってから鍛錬場に向かおうと思っていたため、嘘ではない。
しかし峨龍はそれを一切信じていないようで、威圧感を持って光太朗を見据えている。
峨龍はいつもこうなのだ。知り合ってまだ日も浅いのに、彼は光太朗への接し方に遠慮がない。
苦笑いしながらまた一歩下がると、後方から肩を掴まれた。いつの間にか背後に立っていたアゲハを、光太朗は見上げる。
背の高さは2メートルそこそこだろうか。長くなった髪は所々編み込みが施され、腰の辺りまで真っ直ぐに伸びている。峨龍ほどでは無いが、体格も逞しい。
光太朗も正直、アゲハがここまで成長するとは思っていなかった。これが彼の本来の姿らしく、龍に変化した姿も弱っていた時とまったく違う。
「峨龍、我が主を見下ろすな」
「兄様。……クジロを甘やかせ過ぎです。好き放題させるのが愛ではないでしょう。我が国の大切な副将ですよ。大事に大事に扱わなければならないのです」
「……その言葉、そっくりそのまま返すわ馬鹿者。どいつもこいつも、我が主にでれでれしおって」
「まぁまぁ、淵龍兄ぃ。あんたも入って酒でもどうだ?」
一色が言うと、アゲハの男らしい喉仏が大きく動いた。
ここに来て分かったが、アゲハは相当の酒好きだ。一色も峨龍も同様で、3人は暇があれば酒を飲んでいる。
光太朗はアゲハの肩を叩き、離れの方へ足を向けた。
「じゃあ先に、淵龍だけお邪魔するか? 俺はこのままじゃ汗臭いから、部屋帰って服着替えるから!」
返事を聞かないようにして、光太朗は離れへと走り出した。彼らの酒に付き合っていては、日が暮れてしまう。
あっという間に遠ざかっていく光太朗を見て、一色が溜息を吐く。
「まぁた、逃げられたか……」
「何故だ……」
項垂れる一色と峨龍を見ながら、アゲハは縁側へ腰掛けた。直ぐに侍女がやって来て、お猪口に酒が注がれる。
酒に口を付けながら、アゲハが薄っすらと笑った。
「お前らを避けている訳ではない。……早く事を進めたくて、焦っているのだろう」
「……何故そこまで頑張るんだろうなぁ……」
一色がアゲハの隣に座り直し、同じく酒を呷った。峨龍はまだ落ち込んでいるのか、その場に胡坐をかいて口を閉ざす。
「あの子は十分辛い思いをした。あとは穏やかに暮らせば良いというのに……」
「それが出来ないのが、我が主だ」
「まぁうちは、いつかザキュリオを侵略しようと思っていたから、九代屋のやりたいようにしていいのだが……辛いわなぁ」
光太朗がリガレイア国に来たあの日の事を、一色は鮮明に覚えている。満身創痍の光太朗の姿は、ザキュリオ国王に殺意を覚えるほどだった。
その姿を見れば誰だって「もう十分だ」と言うだろう。一色達も何度も説得したが、光太朗は意志を曲げなかった。
光太朗はリガレイア国に来てからも、身体が動かせるようになったら軍へ行き、兵士らに認められるようにあらゆる努力をした。
本来なら淵龍の主であるという事実だけで、兵士の上に立つには十分なのだ。しかし光太朗は今でも、一般兵としての雑用も積極的にこなしている。
その全ては、ザキュリオにいる大事な者たちの為だ。
「……しかし、ザキュリオの事は許し難い。九代屋にあれほど想われているのも気に入らん」
「……やきもちか?」
「無論だ。あんなに可愛い子を無理やり引きずり込んで、挙句の果てに捨てるような国だぞ! うちの方が絶対に良いに決まってる!」
一色が言うと、峨龍が大きく頷く。
すっかり親気分の2人を見て、アゲハはまた薄い笑みを浮かべた。
アゲハも想いは同じだ。光太朗が心穏やかに幸せに過ごせることを、心から望む。
しかしその反面、光太朗にとって絶対不可欠な存在がザキュリオにあることも、否定できなかった。
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