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ゼロになる

第211話 触れてはいけない話題

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 肩を落とした一色は、どこか責めるような目で光太朗を見た。

「……俺が母体だよ、九代屋……。この件に関しては、他国にはあまり大っぴらにしておらんのだ。というか、俺の矜持が未だに……その、許さんわけだ」
「……えっ……」
「この話は、もう止めだ」

 明らかにテンションが落ちた一色が、ふらりと立ち上がった。床に捨ててあった剣を拾い上げ、また溜息を吐く。
 怠そうに動いていた一色だったが、突然何か思い出したかのように、光太朗を見遣った。

「そうだ、九代屋! 身体が造り変えられている最中に、淵龍兄ぃの精を受けるなよ!」
「精を……受ける?」
「性行為をするなって事だ」
「し、しないって! 俺とアゲハはそんな関係じゃない!」
「なら良いが……」

 憂いを吐き出すように息を押しだし、一色はテラスへと足を向けた。入ってきた時とは大違いのテンションの低さだ。

「そろそろ帰らねばならん。息災でなぁ……九代屋」
「あ、うん……。なんかごめんな、一色さん。来てくれてありがとう」

 一瞬だけ振り返った一色は、笑みらしいものは浮かべているものの、かなり弱々しい。こちらまで痛々しくなって、次いで声も掛けられない。

 去っていく背中を見送った後、ずっと固まっていたイーオが、がっくりと脱力する。

「……まるで、嵐のような人ですね……」
「はは、そうだな……」

 光太朗が零すと同時に、コツコツとノックの音がした。「トトです」と弱々しい声がして、扉が開く。

 そこから現れたトトは額から血を流し、顔色は真っ青だった。光太朗が目を見開いていると、トトは嗚咽を漏らすように言葉を発した。

「……っ殿下が、国境に行かれました。北軍がこちらへ向かっているという情報が入って……殿下はそのまま……」
「……そうか……。……トト? どうした?」

 光太朗が声を掛けると、トトの肩がびくりと跳ねる。

 もしも北軍に動きがあるのなら、まだ軍が立ち直っていないうちだろうと、光太朗は予想はしていた。リーリュイの出陣は、それほど想定外の事ではないはずだ。
 目の前に居るトトの慌て方は、どう見ても異様だった。

 トトはその場に膝を突き、ぽろぽろと涙を流し始めた。

「……申し訳ありません、コウ様……。俺がこの情報聞いたの、随分前なんです……聞いて直ぐに伝えてれば、肆羽宮の星見台から殿下の姿が見れたかもしれないのに……! 殿下もコウ様の姿を見たかったはずなのに……俺が、俺が……!」
「……うん。大丈夫だから、ゆっくり息を吸え、トト」

 光太朗は膝をついて、トトの顔を覗き込む。涙を流しているのに、トトの顔色は紅潮せず真っ青のままだ。
 トトの額の傷を確認しながら、光太朗は眉根を寄せた。

「……思い出そうとして、頭をぶつけたのか? 馬鹿なことするなって」
「……っ!! ……もしかして、全て……気付いていたのですか……!?」

 トトの顔が驚愕に歪み、次いで痛みを耐えるように眉が引き絞られた。
 

________

 トトが光太朗の事を忘れ始めたのは、リノが居なくなって直ぐだった。

 籠いっぱいの果物を持ったまま自分の私室に帰り着いた時。トトは自分自身への異変を初めて感じ取った。

 手に提げている籠を見つめても、その用途が思い出せない。
 貰ってきた経緯は覚えている。厨房に行って使用人と話し、いつものように果実を受け取った。
 
(誰のための果実だったけ……? 思い出せない……)

 トトは籠をテーブルの上に置き、狭い寝台に身体を投げ出す。頭の芯がじんわりと痛んで、思考はまったく動かない。

 何か大切なことを忘れているような気がする。
 自分を突き動かす燃料のようなものを、どこかに置き忘れて来たような感覚だ。

 何もかも投げ出して眠りたい衝動を押さえて、トトは立ち上がった。狭い私室をうろうろと歩き回りながら、痛む頭を回転させる。

「っ!! そうだ、肆羽宮!!」

 肆羽宮でこの果実を待っている人がいる。
 トトは籠を引っ掴んで私室を出るも、まだ記憶が曖昧だった。思い出そうとすればするほど、頭が鋭く痛みだす。

 肆羽宮への道のりで、やっと光太朗の事を思い出したトトは、恐怖と罪悪感で身体が震えた。同時に王妃への怒りも湧く。

(……コウ様の記憶を、消そうとしているのか!? そんな馬鹿な事……!! 直ぐに報告しなければ……)

 そう考えた途端、また頭痛に襲われる。抗っても無理だった。
 それから数日が経ち、トトにはもう、何を忘れているのかも分からなかった。何を伝え忘れているのかも分からず、頭痛も変わらず襲う。

 
 そして今日。リーリュイが出陣したと聞き、トトはその事を伝えようと肆羽宮へ走っていた。それなのに気が付いたら、私室にいる。
 必死に抗いながら肆羽宮に着いた時、トトから今までの思いが溢れ出した。


「もう、何を忘れているのかも分かりません! 俺は、コウ様の役に立ちたかったのに……! それを奪われて、俺は……!!」
「…ごめんな、トト……今まで本当に、辛い思いをさせた」

 光太朗が言うと、開いたままの扉からキースが顔を出した。腕にはアゲハがすっぽりと納まっている。もうすっかり馴染みのコンビになった2人だ。

 キースがトトを見下ろす。その顔は普段の怠そうな顔ではなく、騎士らを統べる隊長の顔だった。

「立て。トト」

 キースが一言発すると、トトが弾かれたように立ち上がる。
 光太朗に一瞬だけ視線を寄越した後、キースは踵を返した。

「付いて来い」
「は、はいっ!」

 慌ててキースの背中を負うトトを見て、光太朗は寂寥に満ちた表情を浮かべた。
 次にトトに会えるのは、いつになるだろうか。
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