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ゼロになる

第207話

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 目が覚めた時、リーリュイはもう居なかった。
 寝台の隣にウィリアムがいることに気付いた光太朗は、顔をそちらへと傾ける。

 胸元のペンダントを握りしめ、ウィリアムは瞳を閉じていた。その姿は聖魔導士という名に相応しく、一心に祈りを捧げているように見える。
 光太朗の知っているウィリアムとは、まったく印象が違う姿だ。

「……ウィルもそうしてると、立派な聖職者に見えるな……」
「意外かい? 実は僕、敬虔な信者なんだよ。毎日祈りは欠かさないし、王宮より教会に居る時間の方が長い」
「………なるほど。だからか……」
「コータローは、意外に聡いよね」

 ウィリアムは微笑むと、組んでいた指を開く。握りしめていたペンダントを指に絡めると、それを光太朗の顔の前へ突き出した。
 ふんわりと甘い晄露の香りが、光太朗の鼻へと届く。

「どうして僕だけが、王妃の影響を受けていないのか。……君にはそれが疑問だったんだろう? 教会にいる時間が長いのも理由の一つだけど、ほとんどはこのお陰だよ」
「……これは、晄露? 良い匂いだ」

 ウィリアムが持っているペンダントは、銀のプレートに翼を畳んだ鳥の装飾が施されている、質素なものだった。
 鳥の瞳の部分に、琥珀色の石が嵌め込んである。そこから純粋な晄露の香りが漂ってきていた。

「コータローの力を参考に、魔力で晄露を固めてみたんだ。……かなり難しかったよ。そもそも晄露が見えること自体が、特殊な能力だからね。何度も挑戦したけど、うまく出来たのはこの小さな石だけだった」

 ウィリアムはペンダントを外すと、そっと光太朗の手の上に乗せる。

「……いいよ。これはあの堅物にあげる。あいつが持っていた方が、コータローも安心でしょ?」
「…………」

 手に乗せられたペンダントを眺めて、光太朗はぽつりと零した。
 
「ウィル。……アキネさんに処方されてる薬……あれを指示したの、お前だな?」
「…………」
「……おい、黙り込むな、馬鹿。ったく、悪い事してる時は饒舌なくせに……」

 光太朗は口を尖らせた後、身体を起こした。ウィリアムへ身体を傾け、その首筋に手を回す。
 ペンダントを付け直してやりながら、光太朗は呆れたように息を吐いた。

「……カジャルの実は適量だと美容にいいが、食べ過ぎると体内の鉄分を壊す。この世界の人間なら害は少ないが、異世界人は大量に食べない方がいい。……これは俺が人体実験して分かったこと。そして異世界人に最適な調合の貧血薬も、俺が考案してウィルに情報提供した。そうだな? 記憶に相違ないか?」
「…………」

 俯くウィリアムを見て、光太朗は吹き出した。まるで叱られている子供のようだ。

 どうしてこのタイミングで黙り込むのか、光太朗にはおかしくて仕方がない。
 ランパルにいた頃のウィリアムは、一問えば十返ってくるような饒舌家だったというのに。

「だから何で、黙り込むんだよ。……あのな、ウィル。俺……少し疑った時期もあったんだ。俺の身体を使った薬の知識が、悪事に使われているかもって。……だけど違ったな。ごめん」
「……っ」
「アキネさんにカジャルの実を食べさせてるのは王妃で、貧血薬を最適なものに変えたのはウィルだろ?」

 ウィリアムは小刻みに首を横に振り、まるで弁明するように口を開く。

「……っでも、カジャルの実に害があるのを教えたのも、僕だ……! あの女の傀儡になって、君を実験台にして……酷いことをした! コータローが一番知っているだろう!?」
「操られてたからだろ? 結果的にお前は、アキネさんを助けた。……そうやって悪人になりたがるのは、楽だからか? ウィル」

 美麗な眉を顰めて、ウィリアムは言葉を詰まらせた。
 ウィリアムという人間が、どういう人生を送って来たのか光太朗は知らない。きっと華々しものばかりでは無かったのだろう。
 見えないところでウィリアム自身も、もがき苦しんでいたのかもしれない。

「そのペンダントは、ウィルが持っておくべきだ。……お前が、王妃の力に打ち勝った証なんだから」
「……でも……」
「分かってる。王妃は、俺を消そうとしているんだろ? でも俺だって、すんなりとは消えてやんないよ」

 
 戴冠式は明日に迫っている。リーリュイの晴れ姿を見たかったが、光太朗は体調を理由に出席を辞退した。
 そもそも、あの国王と王妃が光太朗の出席を許すはずもない。リーリュイが気を病まないよう、光太朗は自分から欠席する意思を伝えた。
 あの時の悲しそうなリーリュイの顔が、今でも胸を苦しめる。

「……ウィル。これからも聖魔導士として、この国を導いて行くんだぞ? さぼって悪事なんかするなよ?」
「……止めてよ、そんな言い方」

 顔を歪めるウィリアムの顔から、光太朗は目を逸らさなかった。ウィリアムにどう聞こえたかは分からないが、光太朗の気持ちは後ろ向きではない。

____

 同時刻、キースは王宮の中を歩いていた。片腕でアゲハを抱いていると、宮中の者に声を掛けられる。
 文官の制服を着た男は、アゲハを見て太い眉を垂れさせた。

「これはこれは、キース隊長。そのお子様はどうされたのです?」
「あぁ、これ? 友人の子だ。……俺に懐いちまってなぁ」
「まぁ可愛らしい。キース隊長に懐くなんて、将来大物に違いありませんね」

 アゲハが鼻梁に皺を寄せるのを見て、キースはその身体を深く抱き込んだ。
 『可愛い』と言われる事が気に入らない事は分かっているが、いちいち反応されては事が進まない。

 アゲハもそれが分かっているのか、苛立ちをぶつけるようにキースの腕に額を擦りつけた。ぐりぐりと腕に感じる圧迫感と、幼児特有の柔らかさに、キースはつい頬を緩ませる。

「本当に懐いてますねぇ。……キース隊長は、お身体が回復するまで肆羽宮に滞在を?」
「そうなるなぁ。団長の計らいで、この子も一緒に世話になっている」
「そうですか。……それにしても、リーリュイ殿下の寵愛を受ける側室候補……会ってみたいですなぁ。さぞかしお美しいのでしょう?」

 うっとりと顔を蕩けさせるその男は、キースも良く知る人物だった。王宮に勤めている文官で、人柄も働きも問題ない男だ。
 キースは小さく嘆息すると、いつものような薄い笑みを浮かべる。

「ああ、綺麗な人だ。外見だけじゃなく、心もなぁ」
「そうですか。早く身体が良くなると良いのですが……」

 頭を下げて男が去って行くのを見届け、アゲハが喉の奥から小さな唸り声を放つ。

「ちゃくちゃくと、すすんでいるな……。キース、そこもくさい」
「……ああ、あの植え込みだろうなぁ……」

 アゲハの視線の先にある鉢には、色とりどりの花木が寄せ植えにしてある。キースが近づくと、アゲハの顔が歪んだ。
 光太朗とアゲハにしか感じない腐ったような匂いは、当人たちにとって耐え難い悪臭のようだ。

「くさい。はなれろ、キース」
「おう。……にしても、かなりの数だぞこりゃあ……」
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