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ゼロになる

第198話

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「それ、無理じゃない? 今回の議会では、リーリュイを正式な皇太子にするっていう発表もあったのよ。……正室の座はフェブールに残しておくべきでしょ? コウさんを側室にでもするの?」
「側室になどしない。私の伴侶は、光太朗一人だ」
「子供も孕めない男を生涯の伴侶にするなんて……。あなたは王になるのよ? 国を潰すつもり?」

 側にいるリーリュイから、怒りが伝わってくる。それでも彼が反応しないのは、ディティを喜ばせるだけだと分かっているのかもしれない。

 ディティはこうして人の感情を揺さぶり、それを見て悦に入る人物のようだ。
 いや、それだけでは無いかもしれない。彼女から発せられる威圧感には、禍々しいものを感じる。


 落ち着かせるように長い息を吐き、リーリュイはディティに顔を向けた。その表情は先ほど見せた、無の顔だ。

「……国を立て直したら、エイダン兄上に皇太子の座をお譲りします。私は中枢から退き、騎士道を貫きます。……これで満足ですか?」
「……リーリュイ、あなた何も分かっていないわね。エイダンもマシューも、もう舞台から降りたの。これからの演者はあなたなのよ、リーリュイ」
「……マシュー兄上は、この国を守るために命を散らせました。エイダン兄上も、力を尽くしたが故に、あんな怪我を……」
「そんな事知ってるわ。あの子らの力不足は、分かり切ってた事じゃない。……それとも何? 母親としてもっと悲しめと? 悲しんでいるわよ。とっても」

 身に着けている黒のチョーカーをなぞり、ディティは悲愴感を漂わせる。しかしそれも長くは続かず、またくすくすと笑い始めた。

「あっはは……そろそろ帰ろうかしら。一気に味わってしまったら、後が味気ないわ。そうそうその前に……」

 ディティが徐に立ち上がり、光太朗へと手を伸ばす。咄嗟にリーリュイが光太朗を抱え込むと、イーオとトトが動いた。
 光太朗とリーリュイの前に身体を滑り込ませ、その場に跪く。王妃を敬う姿勢を取ってはいるが、隠せない殺気が2人から漏れ出した。

 2人の騎士に殺気を向けられているというのに、ディティは光太朗の瞳を捉え続ける。ひどく禍々しいものに見えるその瞳を、光太朗は睨み返した。

 しばらく瞳を見つめていたディティだったが、急に眉根を寄せる。納得できないとばかりに顔を僅かに傾け、光太朗へ鋭い目を向けた。

「……あなた、匂うわ。……誰の加護?」
「……?」
「……気に入らない。こんなに多重に加護があるなんて、信じられない」


 光太朗も、先ほどから感じていた。噎せ返るような晄露の腐敗臭が、ディティから漏れ出してくる。
 キースに抱かれているアゲハが、ディティに殺気を立ち昇らせているのもそのせいだろう。

「やっぱり潰すべきね。残念だけど」

 吐き捨てるように言うと、ディティはアキネを立たせる。怯えるアキネを引きずるようにして、ディティとアキネは肆羽宮を去っていく。


 嵐が去った寝室で、光太朗は身体を一気に弛緩させた。そして一気に捲し立てる。

「……っなんだあいつ! あんな人が居れば、そりゃあ実家も出ていきたくなるわ! リュウもアキネさんも、めっちゃ虐められてないか!?」

 思えばリーリュイから、第1フェブールの話は聞いていなかった。しかしあれほどの強烈な人物ならば、リーリュイから危険人物だという警告を受けていないのはおかしい。

「どー考えても、悪役じゃねーか! 違うのか!?」

 目の前に居るキースやイーオを見ても、一様に何とも言えない表情を浮かべている。唯一アゲハだけが、大きく頷いていた。

「我もどういけんだ。このおうきゅうのゆがみは、あいつが原因だ」
「そうだよな。あれだけの悪意ある人間が中枢に居て、なんで問題視していないんだ?」

 キースは頭を傾げ、トトも肩を竦めている。カザンは深いため息を吐くと、顔面蒼白のまま頭を抱え込んだ。

「……不思議なのです。王宮に勤めていた頃は、王妃様のあのような振る舞いを見ても、おかしいと感じなかったのです。……しかも、王宮を離れてからあの所業を思い出そうとしても、ぼんやりとしか覚えておらんのです。ただ、殿下とアキネ様が可哀そうとしか……」
「……いや、どう見てもおかしいぞ? なんでだ?」

 リーリュイに抱え込まれながら、光太朗はひたすら首を捻った。
 黙り込んでいたリーリュイは、憂いの籠った息を吐き出す。光太朗の頭へ鼻を埋めて、彼はぽつりと零した。

「王妃は……昔からああだった。周囲がそれを異常だと捉えないのも、ずっと変わらない。幼い時は、その異常さを訴えたが……誰も取り合ってはくれなかった。その結果私は、『私こそが異常なのだ』と思うようになった。だから私は、王宮を去った」

「……王宮を去ってから、王妃の異常さを誰かに伝えなかったのか?」

「カザンが言うように、王宮を去ると不思議と記憶が薄れる。他の者も同じくだ。……久しく帰ってみれば、母は私を父と誤認するようになった。それが王妃と関連があるのかは、私にも分からない」

「あいつのしわざでまちがいない。……せいしんそうさ、だな。あいつのとくしゅのうりょくは」

 全員の視線が、一気にアゲハに注がれる。
 この世界に来て『精神操作』という魔法は聞いたことがない。そんな魔法があれば、ウィリアムが喜んで使いそうなものだ。

「精神操作? フェブールっていうのはそんな事も出来んのか?」
「こうろをつかえば、できる」
「晄露を使って精神操作? 恐ろしすぎないか? それ……」

 晄露は空気中に漂う。王宮にいる限り、あの腐った晄露がウイルスのように身体へ入ってくるのだ。回避など出来やしない。
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