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側にいるために
第109話 ぼやけた視界に映るのは
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久しぶりのリーリュイの声は、抑揚がなく疲れているように感じた。
(疲れてるんだろうな……。ここんとこ忙しそうだったし)
このまま道を突き進めば、リーリュイに会える。しかしマオからの報復は面倒だったし、顔の痣に気付かれるのも避けたかった。
リーリュイの真っ直ぐな目で見つめられると、嘘を暴かれそうでひやひやするのだ。
(……少しだけ、顔が見たい)
それは軽い気持ちだった。壁に沿って覗けば、彼らの姿が見える位置だ。
光太朗は意を決し、身体を少しだけ乗り出した。
ぼんやりしている視界に、リーリュイとマオが見える。
彼らは密着しているようで、マオの白い服とリーリュイの紺色の服の境目が、じんわりと滲んで見えた。
伸びあがるようにしているマオと、下を向いているリーリュイ。
彼らはキスをしている。
視界はぼんやりしていても、それだけははっきりと分かった。
先ほどまで聞こえていたマオの声も、今は聞こえない。当然だ。リーリュイの唇が、マオの唇を塞いでいるのだから。
心臓がぎゅっと絞られ、次いで痛いほど動き出す。耳元まで届く鼓動が、思考を搔き乱していく。
「殿下……」
マオの切なげな声が聞こえる。
「殿下。……側室候補としての、役割を果たしとうございます。存分に殿下を癒す準備が、私には出来ております」
その声は震えていて、心の奥底へ訴えるような響きだった。マオの美貌を併せれば、堕ちない男などいないだろう。
マオの囁くような声が、呪いのように耳へと届く。
「……昔はあれほど、可愛がってくれたではないですか……」
思わず後退り、光太朗はその場を去った。
気付かれずに立ち去れたのは、日頃の鍛錬の賜物か。それとも、彼らが2人だけの世界に入り込んでいたからかもしれない。
リーリュイの顔が見えなくて良かった。目が悪くて良かった。光太朗はそう思った。
見えていて、その上彼が一言でも発していたら、気配を消して去るなんて出来なかったかもしれない。
動揺している自分を、別の自分が嗤っている。『そりゃそうだ、何を狼狽えてる』と腹を抱えて彼は嗤う。
側にいれれば良いと思っていたのに、何を望んでいたのだろう。烏滸がましくも、彼の何かになろうとしていたのか。
彼の『特別』に相応しい人は、他にたくさんいる。光太朗はその枠には入れない。
望むことも、きっと許されない。
「あは……そうだよな……」
再び薬師室の脇に出た光太朗は、ぐっと伸びをした。冷たい空気を吸い込んで、何もかも打ち払うように声を張り上げる。
「ああ~! 腹減ったなぁ!!」
その声に気付いた衛生班の班員らが、親し気に近づいてきた。彼らと会話を交えながら、食堂へ向かう。
昼食を食べれば、きっと何もかも忘れてる。自分に言い聞かせながら、光太朗はポケットの中のクリップを握りしめた。
________
盛大にくしゃみをした光太朗を、イーオはちらりと見遣る。マオは反応せず、自身の爪を整えることに夢中だ。
「コウ、冷えるのか?」
「いや、大丈夫。ここは暖かいから、すぐに身体も温まるよ」
鼻を啜って、光太朗は教本へと目を向けた。
衛生班で訓練した後、光太朗はいつも普段着に着替えていた。しかしそれをマオに咎められたのは、数日前のことだ。
衛生班の控室は、薬師室から少し離れている。着替えてから薬師室へと行くと、どうしても開始ぎりぎりになってしまうのだ。
『お前の為に、俺とイーオが教えてやってるんだぞ。少し前に来て、調合の準備を整えておけよ』
マオの言葉を思い出し、光太朗は腕を擦った。その通りだとは思うが、汗をたっぷり含んだ戦闘服はどんどん冷えていくのだ。薬師室は暖かいが、寒気が止まらない。
嫌な予感が頭を過る。この世界に来て、光太朗は数えきれないほど体調を崩した。
コンディションを保つためには、日頃から気を付けなければならない事がたくさんあるのだ。その一つが冷えで、これを怠ると高い確率で風邪をひく。
(幸い明日は休みだ。それまで耐えろ、俺の身体!)
気合を入れて教本を睨むと、マオから「目つきが悪い」と檄が飛ぶ。
「マオさんは、爪に集中してください」
「うっせぇよ! この屑! 死ね!」
死ねと軽々しく言ったマオは、調合台を蹴りつけた後、爪に息を吹きかけた。乱暴な言葉と仕草は、昼間の彼の姿とは大違いだ。
もしかしたら今夜、マオはリーリュイの部屋に行くのかもしれない。兵舎にリーリュイの部屋は無いため、あの屋敷にある彼の部屋へ ___。
そう思った瞬間、吐き気と寒気が襲ってきた。
(ああ……思ったより重症だ、これ……)
一刻も早く帰りたい。帰り道では、あの外套が癒してくれる。それだけが救いだった。
(疲れてるんだろうな……。ここんとこ忙しそうだったし)
このまま道を突き進めば、リーリュイに会える。しかしマオからの報復は面倒だったし、顔の痣に気付かれるのも避けたかった。
リーリュイの真っ直ぐな目で見つめられると、嘘を暴かれそうでひやひやするのだ。
(……少しだけ、顔が見たい)
それは軽い気持ちだった。壁に沿って覗けば、彼らの姿が見える位置だ。
光太朗は意を決し、身体を少しだけ乗り出した。
ぼんやりしている視界に、リーリュイとマオが見える。
彼らは密着しているようで、マオの白い服とリーリュイの紺色の服の境目が、じんわりと滲んで見えた。
伸びあがるようにしているマオと、下を向いているリーリュイ。
彼らはキスをしている。
視界はぼんやりしていても、それだけははっきりと分かった。
先ほどまで聞こえていたマオの声も、今は聞こえない。当然だ。リーリュイの唇が、マオの唇を塞いでいるのだから。
心臓がぎゅっと絞られ、次いで痛いほど動き出す。耳元まで届く鼓動が、思考を搔き乱していく。
「殿下……」
マオの切なげな声が聞こえる。
「殿下。……側室候補としての、役割を果たしとうございます。存分に殿下を癒す準備が、私には出来ております」
その声は震えていて、心の奥底へ訴えるような響きだった。マオの美貌を併せれば、堕ちない男などいないだろう。
マオの囁くような声が、呪いのように耳へと届く。
「……昔はあれほど、可愛がってくれたではないですか……」
思わず後退り、光太朗はその場を去った。
気付かれずに立ち去れたのは、日頃の鍛錬の賜物か。それとも、彼らが2人だけの世界に入り込んでいたからかもしれない。
リーリュイの顔が見えなくて良かった。目が悪くて良かった。光太朗はそう思った。
見えていて、その上彼が一言でも発していたら、気配を消して去るなんて出来なかったかもしれない。
動揺している自分を、別の自分が嗤っている。『そりゃそうだ、何を狼狽えてる』と腹を抱えて彼は嗤う。
側にいれれば良いと思っていたのに、何を望んでいたのだろう。烏滸がましくも、彼の何かになろうとしていたのか。
彼の『特別』に相応しい人は、他にたくさんいる。光太朗はその枠には入れない。
望むことも、きっと許されない。
「あは……そうだよな……」
再び薬師室の脇に出た光太朗は、ぐっと伸びをした。冷たい空気を吸い込んで、何もかも打ち払うように声を張り上げる。
「ああ~! 腹減ったなぁ!!」
その声に気付いた衛生班の班員らが、親し気に近づいてきた。彼らと会話を交えながら、食堂へ向かう。
昼食を食べれば、きっと何もかも忘れてる。自分に言い聞かせながら、光太朗はポケットの中のクリップを握りしめた。
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盛大にくしゃみをした光太朗を、イーオはちらりと見遣る。マオは反応せず、自身の爪を整えることに夢中だ。
「コウ、冷えるのか?」
「いや、大丈夫。ここは暖かいから、すぐに身体も温まるよ」
鼻を啜って、光太朗は教本へと目を向けた。
衛生班で訓練した後、光太朗はいつも普段着に着替えていた。しかしそれをマオに咎められたのは、数日前のことだ。
衛生班の控室は、薬師室から少し離れている。着替えてから薬師室へと行くと、どうしても開始ぎりぎりになってしまうのだ。
『お前の為に、俺とイーオが教えてやってるんだぞ。少し前に来て、調合の準備を整えておけよ』
マオの言葉を思い出し、光太朗は腕を擦った。その通りだとは思うが、汗をたっぷり含んだ戦闘服はどんどん冷えていくのだ。薬師室は暖かいが、寒気が止まらない。
嫌な予感が頭を過る。この世界に来て、光太朗は数えきれないほど体調を崩した。
コンディションを保つためには、日頃から気を付けなければならない事がたくさんあるのだ。その一つが冷えで、これを怠ると高い確率で風邪をひく。
(幸い明日は休みだ。それまで耐えろ、俺の身体!)
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「マオさんは、爪に集中してください」
「うっせぇよ! この屑! 死ね!」
死ねと軽々しく言ったマオは、調合台を蹴りつけた後、爪に息を吹きかけた。乱暴な言葉と仕草は、昼間の彼の姿とは大違いだ。
もしかしたら今夜、マオはリーリュイの部屋に行くのかもしれない。兵舎にリーリュイの部屋は無いため、あの屋敷にある彼の部屋へ ___。
そう思った瞬間、吐き気と寒気が襲ってきた。
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