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渦中に落ちる
第90話 足りないのは華か!
しおりを挟む光太朗の問いに、リーリュイが目線を下げる。その姿は不貞腐れた子どものようで、なんとなく可愛い。
リーリュイの意外な反応に笑いながら、光太朗はリノへ説明を求めるように目線を投げた。彼はリーリュイの姿に苦笑しながらも、頷く。
「……では、私から説明いたします。通常、皇子には複数の側近がつきます。それぞれが役目を持ち『薬師』『医師』『護衛』と色々ありますが、殿下は今まで側近を持ったことがありません。コウ様は、殿下の初めての側近ということになります」
「んん? ……専属薬師って側近なのか? 俺……軽く考えてたかもしれない。側近って、俺みたいなフェンデでも出来るのか? 下働きとかで良いんだけど……」
「下働きでも、殿下が側に置けば側近です。繰り返しますが側近は複数いて、判別のために『専属薬師』や『専属護衛』といった呼び方をします。側近は皇子自ら決め、身分の細かな規定はありません」
「なるほど……。それで? リュウは何を嫌がってんの?」
光太朗はリーリュイをちらりと見て、リノへと視線を戻す。不貞腐れたままの主を見て、リノは何故か柔らかく眉を下げた。
「はい。側近は多くの人目に触れます。そして側近は皇子のステイタスを表すものでもあります。華やかであればあるほどいい。……私の言わんとすることが、分かりますか?」
「……側近は、見た目も大事?」
「その通り。さすがコウ様」
リノの返答に、光太朗は苦笑いを零した。「さすが」と褒められはしたが、話の内容は大問題だ。確かに自分には華がない。光太朗にはその自覚があった。
「えっと……この世界って、美容整形とかできる?」
「びようせいけい、とは?」
「顔を切っていじって、綺麗にすること」
「そ、そんなものは無い! あっても駄目に決まっている!」
急に声を荒げたリーリュイから、光太朗は肩を鷲掴まれる。驚きはしたものの、つい吹き出した。
「じゃあ、どうすんの? 仮面でも付ける?」
「……私は……そのままで十分なんだ」
「?」
困惑顔でリノを見上げると、彼がまた口を開く。今度はリノも慌て気味だ。
「コウ様、私の言葉足らずです。あなたの外見には何の問題もありません。ただ……その前髪は切らないといけません。側近が顔の一部を隠すのは良くない。加えて、医師としても目のために切っていただきたいのです」
「あ……そういう事ね」
「殿下は反対しておられましたが、目に良くない旨を伝えると納得して頂けた……はずなんですけどねぇ……」
リノはそう零すと、また優しく微笑む。
光太朗は黙り込んだリーリュイを見て、肩にある彼の手に触れた。安心させるように優しく叩くと、リーリュイがやっと目線を上げる。
「何だ、そんな事か。切ってもいいよ。……リュウは、俺の目つきが悪いことを心配してくれてるんだろ? これからはちゃんと気を付けるから」
「……っ、そういう事ではない」
「見えなくて目を細めると、どーしても睨んでいると思われるからなぁ。意識すれば癖も直るだろ。……それで、いつ切る?」
「今からでも宜しいですか? 理髪師が別室で待機しています」
「今から?」と言いかけた言葉を、光太朗は飲み込んだ。ここは彼らの言う通り、一刻も早く事を進めた方が良いのだろう。
光太朗は頷くと、ソファから立ち上がった。
(前髪……切んのか……。憂鬱だな……)
実を言うと、光太朗が前髪を伸ばしているのは目つきが悪いからだけではない。自分の容姿が昔からどうしても気に入らないのだ。
もっと男らしい顔に生まれたかったと、常々思っていた。
しかしここで駄々を捏ねるほど子どもではない。リーリュイの近くにいるには、身なりもきちんとすべきなのだろう。
執務室から出る前に、光太朗はリーリュイを振り返った。彼は黙って下を向いたまま、こちらを見もしない。
光太朗は静かにため息を吐いて、執務室を後にした。
________
光太朗を待つ間、リーリュイは眉根に深い皺を刻んだままだった。
本来なら、人目に晒したくないのだ。
今の状態でさえ誰かに見られたくはない。その上あの前髪を切ったらどうなるか、考えたくもない。
光太朗の瞳は、あの艶やかな前髪から時折顔を出す。その刹那、誰もが息を呑むのをリーリュイは知っている。
キュウ屋で過ごしたあの時、前髪を結っていた光太朗は驚くほど輝いていた。その額が、眉が、瞳が、どれだけ美しいかリーリュイは知っている。
光太朗は自分の所有物ではない。しかし、どうしても自分だけのものにしたかった。浅ましく自分本位な想いなのは、リーリュイにも分かっている。
「……殿下……」
「リノ、分かっている。……光太朗の目の為だと、理解している」
「……殿下の側に置くには、どうしても公の目の下に出なければなりません。……屋敷の使用人として囲うという選択をお捨てになったからには……耐えなければ……」
カザンはそう言いながら、リーリュイの前にカップを置いた。中の茶からは、落ち着いた香りが漂ってくる。
光太朗の身分は、今のところフェンデだ。フェンデを使用人として屋敷に置いて、囲う者も大勢いる。外に出さず、屋敷の中だけに留めておくことも可能だ。
しかしリーリュイはそれを避けた。彼が自分の人生について語ってくれたからだ。
戴冠式の夜。光太朗がフェンデかフェブールか、リーリュイは不安を抱えて帰路についた。それは言いようのない恐怖でもあった。
しかしその恐怖を、あの夜の光太朗の言葉は打ち消した。迷うリーリュイに、彼は答えをくれたのだ。
(……光太朗は、私を選んでくれた。感情のいろはを学ぶ相手に。側にいて、教えを乞う相手に……。彼の期待に、全力で応えたい。………フェンデでもフェブールでもない。私が欲しいのは光太朗だ)
だからこそ、リーリュイは光太朗を公へと出すと決めた。光太朗に、この世界の素晴らしさを知ってもらいたいからだ。
『リーリュイと過ごした日々は、楽しかった』と感じてもらいたかった。
「……こんな屋敷に留めておくなんて、私には出来ない。彼は多才で素晴らしい人だ。この世界を幸せに過ごす権利がある。彼の人生は彼だけの物だ。……私は、側にいられるだけでいい」
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