死んだはずのお師匠様は、総愛に啼く

墨尽(ぼくじん)

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後日談

8 その後のお話 〈獅子王 後編〉

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 翡燕が瞳を開けると、横に獅子王が眠っていた。まだ半獣の姿のままだが、寝顔は穏やかだ。
 翡燕はその寝顔を見て笑いを漏らそうとするも、のどの痛みに息が詰まった。困ったことに咳をする力もなく、妙な吐息が口から漏れるだけだ。

「翡燕? 起きたか?」

 視界に入って来た龍蛇が、翡燕を見下ろしている。周囲を見渡すと、翡燕が今寝ている場所は、先ほどまでいた地下牢ではないようだ。白に統一された清潔感のある部屋で、至る所に植物が茂っている。

「ここは亜獣の王宮だよ。ゆっくり休むと良い。隣に寝ている野獣は、しっかりと繋いである」
「!?」

 翡燕が獅子王に視線を戻すと、その首には鉄製の輪が付いていた。その先には何重もの鎖が寝台の下へと伸びている。
 翡燕が責めるような視線を龍蛇に送ると、彼はふんと鼻を鳴らした。獅子王を見下ろして、龍蛇は舌を打ちながら口を開く。

「発情期が終わっても、こいつは翡燕を離そうとしなかった。無理やり引き剥がして、お前を治療するのが大変だったんだぞ?」
「ち、りょう?」
「当たり前だろう。噛み痕は至る所にあるし、脱水も酷かったんだ。しかし打撲痕や、爪で傷つけられてた痕は、不思議と無かったな」

 よく見ると、獅子王の手にも包帯が巻かれている。それを撫でると、龍蛇が翡燕の額に手を当てた。

「それは自傷。自我を保つために噛んだんだろうね。……それより翡燕、熱があるからまだ寝ておきなさい。良く休んで、よく話し合いなさい」
「……はい、龍蛇さん……。龍蛇さん、そいうえば僕の屋敷に、亜獣の子らしき赤子が捨てられてて……」
「……うん? それで?」

 龍蛇は穏やかに言いながら、翡燕の髪を撫でた。ゆっくりと翡燕の眉を親指で擦ると、薄い瞼がゆらゆらと揺れる。 
 身体は限界なのに、翡燕は意地でも寝ようとしない。別の話題を出してまで起きようとするのは健気だが、龍蛇は眠りを促すように優しく翡燕を撫でた。

「……それで……龍蛇、さんに、はなしを……」
「……翡燕。怖がらなくとも、獅子王は逃げたりせん。自分を責めて早まろうとなんてしても、確実に阻止するから。……翡燕は安心して寝なさい。その赤子の話は、元気になってから聞くから」
「……うん……」
 返事をして瞼を閉じると、そこから涙が零れるのが分かる。

 次に目を覚まして、獅子丸がいなかったらどうしよう。
 自分の想いが伝わっていなかったら、どうしよう。

 どうしても悪い方向にばかり想いが向いて、翡燕の頭がずきずきと痛んだ。

 龍蛇の手は冷たくて、頭を撫でられると痛みが軽くなる。その冷たさに意識を傾けると、すうっと意識が遠のいた。



________

「それで? どうして僕から逃げたんだい?」
「えっと、その……」
「僕が発情期のお前を嫌うとでも思った? 僕の愛は獅子丸にはまったく届いていなかったようだね?」

 慌てる獅子王と、拗ねる翡燕を見ながら龍蛇は口端を吊り上げた。

 獅子王が寝ていた時にはあれほど不安そうだった翡燕も、一周回って怒りが湧いてきているようだ。あるいは目を覚ました獅子王が、すっかりいつもの優しさに戻っている事に安堵したからかもしれない。

 龍蛇の存在も忘れて、翡燕はぷりぷりと怒っている。


「翡燕、違うんです!……だってオレの発情期なんて、濁り切った欲望の塊じゃないですか! 種を残すために働いている欲望を、あなたにぶつけるのが耐えられなくて……」
「……悪かったな! 僕が孕める身体だったら、お前だって素直になれたんだろ!?」
「!!? 翡燕! なんて事……!!」

 翡燕は瞳に涙を湛えて、獅子王を力いっぱい睨んだ。唇が小刻みに震えるのが、死ぬほど恥ずかしかった。ずっと心に押し込んできたものが、限界を振り切って溢れ出す。

「お前の種を残してやることが、僕には出来ない! 僕が気にしていないとでも思ったか!? どこかの可愛い雌と子を作って、家庭を作ったほうが獅子丸にとっては幸せだろうな! それを僕は奪った! 奪うほどに愛しているからだ!」
「ひ……翡燕……」

 獅子王が伸ばしてきた手を、翡燕は打ち掃った。ボロボロと流れ出す涙を拭うことなく、悔しそうに顔を歪める。

「子を孕めない僕に、種を植えるのが不毛だと、お前は思ったのか!? 不毛な行為でも、全部受け入れたいと思って何が悪い!」
「…っ! 翡燕!」

 獅子王が手を伸ばして翡燕の肩を掴むと、翡燕がいやいやと暴れ出した。それに構わず、獅子王は翡燕の身体を抱き込んだ。翡燕は抱き込まれながらも、足をバタバタと駄々っ子のように動かす。

「お前、そんな覚悟で僕を愛したのか!!! この馬鹿!!!!」
「……翡燕、ごめんなさい。オレが全部……間違ってた。ごめんなさい……」
「ばか! 獅子丸のばーか!」

 暴れる翡燕を宥める様にして抱き込み、獅子王は静かに身体を揺らした。威嚇する猫のように唸っていた翡燕も、小さな嗚咽を漏らして俯き始める。

「翡燕を愛しています。それだけは疑わないで。あなたは、オレの全てなんだ」
「……それなら……僕から離れないと、誓え」

「はい、誓います」

「声が小さい!!」

「ち  か  い  ま  す  !!!」

 獅子丸に耳元で叫ばれ、翡燕は思わず耳を手で覆った。翡燕自身で招いたことなのだが、耳がキーンと音を立てて頭が揺れる。 
 その隙に獅子王が、翡燕の額へと口付けた。涙にぬれた眦にも口付けると、翡燕が耳から手を降ろした。怒りは一通り治まったようで、口を尖らせながらも顔を赤く染めている。

 その様子を見ながら、龍蛇は大きくため息をついた。


「まったく、なんて青臭い。青すぎてこちらまでもどかしくなってしまう。ベタベタするなら屋敷に帰ってからにしてくれないか?」
「……あ、龍蛇さん。そうでした、つい腹が立って……」

 苦笑いを浮かべる翡燕と、赤くなって俯く獅子王を、龍蛇は目を眇めながら見つめる。そして再度溜息を付くと、面倒くさそうに口を開いた。


「翡燕は亜器と人間の子だ。世界で初の生物だぞ? 子が出来ないなんて、誰が決めたんだ?」
「……へ?」
「……は?」
「いや、出来るとも言ってないぞ。ただ、出来ないなんて誰にもわからんだろ」

 龍蛇の言葉に、翡燕は吹き出した。腹を抱えて「そんな馬鹿な」と転がる勢いで笑っている。反して真剣な獅子王と龍蛇は、互いに視線を合わせた。

 そんな2人に気付かないまま、翡燕は鈴の鳴るような声で笑っている。


 獅子王の顔に浮かぶ戸惑いと歓喜の色を見ながら、龍蛇は薄く笑う。

(いらん期待を抱くと、また叱られるぞ、獅子王)

 くすくす笑いながら獅子王にすり寄る翡燕と、嬉しそうに固まる獅子王を見ながら。龍蛇は静かに呟いた。

「やだやだ。……ほんとに妬けるな」




________

 屋敷に帰る道のりを、翡燕は獅子王に抱き込まれながら進んだ。
 ユウラまで距離があるというのに、獅子王は翡燕を絶対に離さなかった。翡燕はうとうとと眠ったり起きたりしながら、その身を任せる。

「獅子丸……やっぱりお前の抱っこが一番だな」
「……はい」
「? え? 泣いてる?」
「はい、泣いてます」

(もしかして、𠮟り過ぎたか?)

 翡燕が見上げると、獅子王の金の双眸がこちらを見ている。
 その目に溜まる涙の清さに、翡燕は胸が締め付けられた。翡燕は手を伸ばし、もう獣毛が生えていない頬を撫でる。

「僕の、優しい獣」
「はい」

 獅子王の顔が近づいて来て、翡燕は素直に瞳を閉じた。
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