死んだはずのお師匠様は、総愛に啼く

墨尽(ぼくじん)

文字の大きさ
上 下
45 / 56
後日談

5 その後のお話 〈獅子王 序章〉

しおりを挟む
 困り顔のソヨの腕には、例の赤子が抱かれている。翡燕はその子を受け取りながら、ソヨに笑顔を向けた。

「やっぱり、駄目だった?」
「……はい。朗々荘では、泣いて手が付けられないみたいです。翡燕様が朗々荘に来ている時だけは大人しいので、あっちの使用人に泣き付かれまして……」

 「そっかぁ」と言いながら赤子を抱き上げると、きゃっきゃと鈴のような声が降ってくる。翡燕は赤子の服を捲って、背中の羽を見る。

「鳥の羽にしては表面が硬いし、もしかしたら亜獣の血かもしれないな」
「……亜獣と人ですか? かなり珍しい事ですが……」
「うん。そうだね」

 翡燕自身に亜獣の血が流れているせいか、赤子はよく翡燕に懐いた。まだ小さい羽を服の中でもぞもぞと動かし、小さな手を懸命に翡燕へ伸ばす。

「龍蛇さんに聞いてみるしかないな。ところで名前を決めていなかったな?……何がいいか……」
「えぇ!? 翡燕様が名付けられるのですか!?」
「そうだよ? 何か問題があるか?」

(問題……あるでしょうねぇ……)


 この国では名前を付けるという事に、妙なこだわりがある。一般庶民ではそうでもないが、身分が高ければ高いほどその傾向は大きい。

 名前をつける事は最上級の親愛の証であり、名前を貰うという事は一大事なのだ。

 翡燕が名を与えたのは四天王と獅子王のみ。四天王でさえ、名を貰うまでに長い年月を費やした。

「……翡燕様、獅子王を拾って来た時を覚えていらっしゃいますか? あの時どれだけ四天王とお弟子さんたちが嫉妬していたか……」
「あれ、そうだったっけ? 獅子丸は拾った頃、可愛い獣だったじゃないか。あんな可愛い生き物にも嫉妬していたのか?」
「……はい、それはもう」

 翡燕は獣である獅子王を溺愛していた。常に傍に置き、寝る時も一緒だった。共に住んでいた弟子たちはすぐに慣れたが、たまに訪れる四天王はその可愛い獣にも、棘のある嫉妬の念を送っていたのだ。

「じゃあ、ソヨが名を付けた事にすればいい」
「え?」
「そうだなぁ。瞳が浅葱、いや緑が多いから緑青か? ……良し決まった!」

 翡燕は赤子を抱き込むと、その顔を覗き込んだ。きょとんとしている赤子の頬を突いて、眉尻を下げる。

「お前の名前は緑青ろくしょうのロク! よろしくな、ロク!」
「あい~」
「! いいお返事! 偉いなぁ、ロクは」

 ロクを機嫌よくあやしながら、翡燕は部屋へと入っていく。その背をソヨが追っていると、赤子に気付いたヴァンがニコニコ笑いながらやってきた。

「あの赤ちゃんですか? どうしたんです?」
「暫くうちで預かることになりました……。名前は、緑青。……愛称はロクです」
「……えっと……もしかして翡燕様が名付けました?」
「……やっぱり、ヴァン君も分かる?」

 お気に入りのソファで寛いで、翡燕は膝にロクを乗せている。その姿を2人でちらりと見て、2人して何かを振り払うように頭を振る。

「いやいやいや、駄目ですよ! 色の名前なんて! ソヨさんが名付けたと納得したとしても、矛先がソヨさんへ向かうだけですよ!」
「……」

「じゃあ、僕がつけたって事で!」

 2人の会話を聞いていないと思っていた翡燕が、突然2人にとびきりの笑顔を向ける。ロクの腕を人形のように操りながら、翡燕は子どものような声色で話し出した。

「こんにちは、僕は緑青のロク! 緑王だよ! よろしくね!」
「……!」
「……!」

 こればかりは血の気が引いたソヨとヴァンは、翡燕に詰め寄った。怒る2人を笑って受け止めながら、翡燕はロクを見る。

「名付けは、直感が大事だ。お前は緑青。なぁ、ロク?」
「っだ!」

 元気に返事を返すロクを見て、翡燕はニコリと笑った。

「大丈夫。僕が決めたことに、彼らは文句を言わない。まぁ多少、拗ねはするとは思うが……」
「それが厄介なんですけどねぇ」


 ソヨが呟いていると、サガラが帰ってきた。都の復旧や人員の立て直しに忙しいサガラは、屋敷に帰れない日も多い。
 
 久しぶりに帰ることが出来た喜びからか、サガラは満面の笑顔で顔を出す。しかし翡燕の膝の上の赤子を見て、ぴたりと動きを止めた。

「お師匠さ……、ん? 何ですか、その赤子は」
「おお、サガラお帰り! この子は緑青。ロクと呼んでくれ。今日からここに住むから」
「ろ、緑青……? も、も、もしかして、お師匠様が名を与えました……?」
「そうだが、どうした?」

 サガラは目を剥いてふらりと揺れ、ロクを見る。決して赤子に向けるべきではない顔を、ヴァンが慌てて手で覆った。
 翡燕に聞こえないようにぶつぶつと、まるで呪詛を吐くようにサガラは呟く。

「お師匠様の弟子になってから数万年……。いいか? 数万年だぞ。名を与えられることを心待ちにしている弟子は、俺だけじゃあ無いんだ……。赤子だからって……」
「サ、サガラさん……。気を確かに……」
「大体あいつ、何なんだ……俺がいない間に、お師匠様の膝の上に乗るなんて……」

 ぶつぶつ呟くサガラとそれを宥めるヴァンを見ながら、翡燕は首を傾げている。ソヨはそんな翡燕を苦笑いで見つめながら、ふと違和感に気付いた。

 違和感の原因は、翡燕の膝に乗る赤子だ。サガラに矛先を向けられているにも関わらず、その赤子は真っ直ぐサガラの方を見据えている。

 その澄んだ目に浮かぶのは、赤子にしては大人びている感情に見えた。




________

 耳の生えた頭をガシガシと掻いて、獅子王は何度目かわからない溜息を付いた。半獣の姿になってしまうのには理由がある。もうすぐ発情期がやってくるのだ。

(グリッドさんの屋敷で仕事出来て本当に良かった。翡燕を襲ってしまたら……オレ……)

 脳裏に翡燕の姿が過ぎり、腹の底が熱くなる。打ち消すように頭を振ると、クツクツと笑う声が聞こえた。


 獣人の王であるグリッドは、そう容易には動けない身分だ。しかしこの笑い声は、グリッドに違いない。

「……相変わらず、気配を消すのが巧いですね……グリッドさん」
「獅子王よ。面白いことになってるな?」

 グリッドは獅子王を上から下まで舐めるように見ると、心底愉しそうに笑う。グリッドからかわかわれるのはいつもの事なので、獅子王は構わず手元の書類を捲った。
 グリッドは椅子に腰かけ、視線を合わせようとしない獅子王を覗き込む。

「発情期が来るのだろう? 翡燕の屋敷に戻ったらどうだ?」
「……」
「ああ、気不味いか? では、この屋敷を貸してやろう。翡燕と二人で使うと良い」
「……オレ……」

 言い淀む獅子王に、グリッドは片眉を吊り上げる。そして呆れたように嘆息すると、グリッドは口を開いた。

「発情期の、浅ましい姿を見られたくないのか? ……お前、翡燕の愛を信じられないのか?」


しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

無自覚お師匠様は弟子達に愛される

雪柳れの
BL
10年前。サレア皇国の武力の柱である四龍帝が忽然と姿を消した。四龍帝は国内外から強い支持を集め、彼が居なくなったことは瞬く間に広まって、近隣国を巻き込む大騒動に発展してしまう。そんなこと露も知らない四龍帝こと寿永は実は行方不明となった10年間、山奥の村で身分を隠して暮らしていた!?理由は四龍帝の名前の由来である直属の部下、四天王にあったらしい。四天王は師匠でもある四龍帝を異常なまでに愛し、終いには結婚の申し出をするまでに……。こんなに弟子らが自分に執着するのは自分との距離が近いせいで色恋をまともにしてこなかったせいだ!と言う考えに至った寿永は10年間俗世との関わりを断ち、ひとりの従者と一緒にそれはそれは悠々自適な暮らしを送っていた……が、風の噂で皇国の帝都が大変なことになっている、と言うのを聞き、10年振りに戻ってみると、そこに居たのはもっとずっと栄えた帝都で……。大変なことになっているとは?と首を傾げた寿永の前に現れたのは、以前よりも増した愛と執着を抱えた弟子らで……!? それに寿永を好いていたのはその四天王だけでは無い……!? 無自覚鈍感師匠は周りの愛情に翻弄されまくる!! (※R指定のかかるような場面には“R”と記載させて頂きます) 中華風BLストーリー、ここに開幕!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

言い逃げしたら5年後捕まった件について。

なるせ
BL
 「ずっと、好きだよ。」 …長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。 もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。 ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。  そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…  なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!? ーーーーー 美形×平凡っていいですよね、、、、

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目

カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。

急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。

石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。 雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。 一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。 ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。 その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。 愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。