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後日談
5 その後のお話 〈獅子王 序章〉
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困り顔のソヨの腕には、例の赤子が抱かれている。翡燕はその子を受け取りながら、ソヨに笑顔を向けた。
「やっぱり、駄目だった?」
「……はい。朗々荘では、泣いて手が付けられないみたいです。翡燕様が朗々荘に来ている時だけは大人しいので、あっちの使用人に泣き付かれまして……」
「そっかぁ」と言いながら赤子を抱き上げると、きゃっきゃと鈴のような声が降ってくる。翡燕は赤子の服を捲って、背中の羽を見る。
「鳥の羽にしては表面が硬いし、もしかしたら亜獣の血かもしれないな」
「……亜獣と人ですか? かなり珍しい事ですが……」
「うん。そうだね」
翡燕自身に亜獣の血が流れているせいか、赤子はよく翡燕に懐いた。まだ小さい羽を服の中でもぞもぞと動かし、小さな手を懸命に翡燕へ伸ばす。
「龍蛇さんに聞いてみるしかないな。ところで名前を決めていなかったな?……何がいいか……」
「えぇ!? 翡燕様が名付けられるのですか!?」
「そうだよ? 何か問題があるか?」
(問題……あるでしょうねぇ……)
この国では名前を付けるという事に、妙なこだわりがある。一般庶民ではそうでもないが、身分が高ければ高いほどその傾向は大きい。
名前をつける事は最上級の親愛の証であり、名前を貰うという事は一大事なのだ。
翡燕が名を与えたのは四天王と獅子王のみ。四天王でさえ、名を貰うまでに長い年月を費やした。
「……翡燕様、獅子王を拾って来た時を覚えていらっしゃいますか? あの時どれだけ四天王とお弟子さんたちが嫉妬していたか……」
「あれ、そうだったっけ? 獅子丸は拾った頃、可愛い獣だったじゃないか。あんな可愛い生き物にも嫉妬していたのか?」
「……はい、それはもう」
翡燕は獣である獅子王を溺愛していた。常に傍に置き、寝る時も一緒だった。共に住んでいた弟子たちはすぐに慣れたが、たまに訪れる四天王はその可愛い獣にも、棘のある嫉妬の念を送っていたのだ。
「じゃあ、ソヨが名を付けた事にすればいい」
「え?」
「そうだなぁ。瞳が浅葱、いや緑が多いから緑青か? ……良し決まった!」
翡燕は赤子を抱き込むと、その顔を覗き込んだ。きょとんとしている赤子の頬を突いて、眉尻を下げる。
「お前の名前は緑青のロク! よろしくな、ロク!」
「あい~」
「! いいお返事! 偉いなぁ、ロクは」
ロクを機嫌よくあやしながら、翡燕は部屋へと入っていく。その背をソヨが追っていると、赤子に気付いたヴァンがニコニコ笑いながらやってきた。
「あの赤ちゃんですか? どうしたんです?」
「暫くうちで預かることになりました……。名前は、緑青。……愛称はロクです」
「……えっと……もしかして翡燕様が名付けました?」
「……やっぱり、ヴァン君も分かる?」
お気に入りのソファで寛いで、翡燕は膝にロクを乗せている。その姿を2人でちらりと見て、2人して何かを振り払うように頭を振る。
「いやいやいや、駄目ですよ! 色の名前なんて! ソヨさんが名付けたと納得したとしても、矛先がソヨさんへ向かうだけですよ!」
「……」
「じゃあ、僕がつけたって事で!」
2人の会話を聞いていないと思っていた翡燕が、突然2人にとびきりの笑顔を向ける。ロクの腕を人形のように操りながら、翡燕は子どものような声色で話し出した。
「こんにちは、僕は緑青のロク! 緑王だよ! よろしくね!」
「……!」
「……!」
こればかりは血の気が引いたソヨとヴァンは、翡燕に詰め寄った。怒る2人を笑って受け止めながら、翡燕はロクを見る。
「名付けは、直感が大事だ。お前は緑青。なぁ、ロク?」
「っだ!」
元気に返事を返すロクを見て、翡燕はニコリと笑った。
「大丈夫。僕が決めたことに、彼らは文句を言わない。まぁ多少、拗ねはするとは思うが……」
「それが厄介なんですけどねぇ」
ソヨが呟いていると、サガラが帰ってきた。都の復旧や人員の立て直しに忙しいサガラは、屋敷に帰れない日も多い。
久しぶりに帰ることが出来た喜びからか、サガラは満面の笑顔で顔を出す。しかし翡燕の膝の上の赤子を見て、ぴたりと動きを止めた。
「お師匠さ……、ん? 何ですか、その赤子は」
「おお、サガラお帰り! この子は緑青。ロクと呼んでくれ。今日からここに住むから」
「ろ、緑青……? も、も、もしかして、お師匠様が名を与えました……?」
「そうだが、どうした?」
サガラは目を剥いてふらりと揺れ、ロクを見る。決して赤子に向けるべきではない顔を、ヴァンが慌てて手で覆った。
翡燕に聞こえないようにぶつぶつと、まるで呪詛を吐くようにサガラは呟く。
「お師匠様の弟子になってから数万年……。いいか? 数万年だぞ。名を与えられることを心待ちにしている弟子は、俺だけじゃあ無いんだ……。赤子だからって……」
「サ、サガラさん……。気を確かに……」
「大体あいつ、何なんだ……俺がいない間に、お師匠様の膝の上に乗るなんて……」
ぶつぶつ呟くサガラとそれを宥めるヴァンを見ながら、翡燕は首を傾げている。ソヨはそんな翡燕を苦笑いで見つめながら、ふと違和感に気付いた。
違和感の原因は、翡燕の膝に乗る赤子だ。サガラに矛先を向けられているにも関わらず、その赤子は真っ直ぐサガラの方を見据えている。
その澄んだ目に浮かぶのは、赤子にしては大人びている感情に見えた。
________
耳の生えた頭をガシガシと掻いて、獅子王は何度目かわからない溜息を付いた。半獣の姿になってしまうのには理由がある。もうすぐ発情期がやってくるのだ。
(グリッドさんの屋敷で仕事出来て本当に良かった。翡燕を襲ってしまたら……オレ……)
脳裏に翡燕の姿が過ぎり、腹の底が熱くなる。打ち消すように頭を振ると、クツクツと笑う声が聞こえた。
獣人の王であるグリッドは、そう容易には動けない身分だ。しかしこの笑い声は、グリッドに違いない。
「……相変わらず、気配を消すのが巧いですね……グリッドさん」
「獅子王よ。面白いことになってるな?」
グリッドは獅子王を上から下まで舐めるように見ると、心底愉しそうに笑う。グリッドからかわかわれるのはいつもの事なので、獅子王は構わず手元の書類を捲った。
グリッドは椅子に腰かけ、視線を合わせようとしない獅子王を覗き込む。
「発情期が来るのだろう? 翡燕の屋敷に戻ったらどうだ?」
「……」
「ああ、気不味いか? では、この屋敷を貸してやろう。翡燕と二人で使うと良い」
「……オレ……」
言い淀む獅子王に、グリッドは片眉を吊り上げる。そして呆れたように嘆息すると、グリッドは口を開いた。
「発情期の、浅ましい姿を見られたくないのか? ……お前、翡燕の愛を信じられないのか?」
「やっぱり、駄目だった?」
「……はい。朗々荘では、泣いて手が付けられないみたいです。翡燕様が朗々荘に来ている時だけは大人しいので、あっちの使用人に泣き付かれまして……」
「そっかぁ」と言いながら赤子を抱き上げると、きゃっきゃと鈴のような声が降ってくる。翡燕は赤子の服を捲って、背中の羽を見る。
「鳥の羽にしては表面が硬いし、もしかしたら亜獣の血かもしれないな」
「……亜獣と人ですか? かなり珍しい事ですが……」
「うん。そうだね」
翡燕自身に亜獣の血が流れているせいか、赤子はよく翡燕に懐いた。まだ小さい羽を服の中でもぞもぞと動かし、小さな手を懸命に翡燕へ伸ばす。
「龍蛇さんに聞いてみるしかないな。ところで名前を決めていなかったな?……何がいいか……」
「えぇ!? 翡燕様が名付けられるのですか!?」
「そうだよ? 何か問題があるか?」
(問題……あるでしょうねぇ……)
この国では名前を付けるという事に、妙なこだわりがある。一般庶民ではそうでもないが、身分が高ければ高いほどその傾向は大きい。
名前をつける事は最上級の親愛の証であり、名前を貰うという事は一大事なのだ。
翡燕が名を与えたのは四天王と獅子王のみ。四天王でさえ、名を貰うまでに長い年月を費やした。
「……翡燕様、獅子王を拾って来た時を覚えていらっしゃいますか? あの時どれだけ四天王とお弟子さんたちが嫉妬していたか……」
「あれ、そうだったっけ? 獅子丸は拾った頃、可愛い獣だったじゃないか。あんな可愛い生き物にも嫉妬していたのか?」
「……はい、それはもう」
翡燕は獣である獅子王を溺愛していた。常に傍に置き、寝る時も一緒だった。共に住んでいた弟子たちはすぐに慣れたが、たまに訪れる四天王はその可愛い獣にも、棘のある嫉妬の念を送っていたのだ。
「じゃあ、ソヨが名を付けた事にすればいい」
「え?」
「そうだなぁ。瞳が浅葱、いや緑が多いから緑青か? ……良し決まった!」
翡燕は赤子を抱き込むと、その顔を覗き込んだ。きょとんとしている赤子の頬を突いて、眉尻を下げる。
「お前の名前は緑青のロク! よろしくな、ロク!」
「あい~」
「! いいお返事! 偉いなぁ、ロクは」
ロクを機嫌よくあやしながら、翡燕は部屋へと入っていく。その背をソヨが追っていると、赤子に気付いたヴァンがニコニコ笑いながらやってきた。
「あの赤ちゃんですか? どうしたんです?」
「暫くうちで預かることになりました……。名前は、緑青。……愛称はロクです」
「……えっと……もしかして翡燕様が名付けました?」
「……やっぱり、ヴァン君も分かる?」
お気に入りのソファで寛いで、翡燕は膝にロクを乗せている。その姿を2人でちらりと見て、2人して何かを振り払うように頭を振る。
「いやいやいや、駄目ですよ! 色の名前なんて! ソヨさんが名付けたと納得したとしても、矛先がソヨさんへ向かうだけですよ!」
「……」
「じゃあ、僕がつけたって事で!」
2人の会話を聞いていないと思っていた翡燕が、突然2人にとびきりの笑顔を向ける。ロクの腕を人形のように操りながら、翡燕は子どものような声色で話し出した。
「こんにちは、僕は緑青のロク! 緑王だよ! よろしくね!」
「……!」
「……!」
こればかりは血の気が引いたソヨとヴァンは、翡燕に詰め寄った。怒る2人を笑って受け止めながら、翡燕はロクを見る。
「名付けは、直感が大事だ。お前は緑青。なぁ、ロク?」
「っだ!」
元気に返事を返すロクを見て、翡燕はニコリと笑った。
「大丈夫。僕が決めたことに、彼らは文句を言わない。まぁ多少、拗ねはするとは思うが……」
「それが厄介なんですけどねぇ」
ソヨが呟いていると、サガラが帰ってきた。都の復旧や人員の立て直しに忙しいサガラは、屋敷に帰れない日も多い。
久しぶりに帰ることが出来た喜びからか、サガラは満面の笑顔で顔を出す。しかし翡燕の膝の上の赤子を見て、ぴたりと動きを止めた。
「お師匠さ……、ん? 何ですか、その赤子は」
「おお、サガラお帰り! この子は緑青。ロクと呼んでくれ。今日からここに住むから」
「ろ、緑青……? も、も、もしかして、お師匠様が名を与えました……?」
「そうだが、どうした?」
サガラは目を剥いてふらりと揺れ、ロクを見る。決して赤子に向けるべきではない顔を、ヴァンが慌てて手で覆った。
翡燕に聞こえないようにぶつぶつと、まるで呪詛を吐くようにサガラは呟く。
「お師匠様の弟子になってから数万年……。いいか? 数万年だぞ。名を与えられることを心待ちにしている弟子は、俺だけじゃあ無いんだ……。赤子だからって……」
「サ、サガラさん……。気を確かに……」
「大体あいつ、何なんだ……俺がいない間に、お師匠様の膝の上に乗るなんて……」
ぶつぶつ呟くサガラとそれを宥めるヴァンを見ながら、翡燕は首を傾げている。ソヨはそんな翡燕を苦笑いで見つめながら、ふと違和感に気付いた。
違和感の原因は、翡燕の膝に乗る赤子だ。サガラに矛先を向けられているにも関わらず、その赤子は真っ直ぐサガラの方を見据えている。
その澄んだ目に浮かぶのは、赤子にしては大人びている感情に見えた。
________
耳の生えた頭をガシガシと掻いて、獅子王は何度目かわからない溜息を付いた。半獣の姿になってしまうのには理由がある。もうすぐ発情期がやってくるのだ。
(グリッドさんの屋敷で仕事出来て本当に良かった。翡燕を襲ってしまたら……オレ……)
脳裏に翡燕の姿が過ぎり、腹の底が熱くなる。打ち消すように頭を振ると、クツクツと笑う声が聞こえた。
獣人の王であるグリッドは、そう容易には動けない身分だ。しかしこの笑い声は、グリッドに違いない。
「……相変わらず、気配を消すのが巧いですね……グリッドさん」
「獅子王よ。面白いことになってるな?」
グリッドは獅子王を上から下まで舐めるように見ると、心底愉しそうに笑う。グリッドからかわかわれるのはいつもの事なので、獅子王は構わず手元の書類を捲った。
グリッドは椅子に腰かけ、視線を合わせようとしない獅子王を覗き込む。
「発情期が来るのだろう? 翡燕の屋敷に戻ったらどうだ?」
「……」
「ああ、気不味いか? では、この屋敷を貸してやろう。翡燕と二人で使うと良い」
「……オレ……」
言い淀む獅子王に、グリッドは片眉を吊り上げる。そして呆れたように嘆息すると、グリッドは口を開いた。
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