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最終章

第65話 龍蛇さん、我慢の限界

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 戦司帝として在位していた時代、翡燕は龍蛇から『君には亜獣の血が流れている』と聞かされていた。
 翡燕はユウラに拾われる以前の記憶を持っていなかった。だからといって、龍蛇の話をう鵜呑みにするなど出来るはずもない。

 会うたびに亜獣国に来いと勧誘してくる龍蛇を、翡燕は笑って交わしていたのだ。
 
 しかし自分でも、疑問に思うことは多々あった。

 自身の驚異的な強さは何なのか。
 禍人との戦いの後、生きていたのは何故だったのか。

 力の強い亜獣は深く傷つくと、仮死状態になり自己を修復する能力がある。それを知っていた翡燕は、生き返ってからずっと探っていたのだ。

 ユウラの歴史、亜獣の歴史、獣人の歴史。戦司帝の屋敷にあった書物全てを読んで、翡燕も心の奥底では、半ば認めていたのだ。

 

 _________

 皇宮の大広間に敷物を広げ、翡燕はそこに寝かされている。
 龍蛇が翡燕の胸に手を置くと、緑色の膜が翡燕の全身を覆う。満足気に微笑みながら、龍蛇は口を開いた。

「この子は本当に優秀だ。仮死状態になって自己を回復させるなんて方法、教わらんと出来やしない。この子は禍人との戦いの後、無意識に仮死状態になった。仮死状態から回復するには、自然の力が必要だ。……砂丘には自然が少ない。だからこんな不完全な状態で目覚めたのだろう……可哀そうに」

 力を注がれても微動だにしない翡燕を、青王は不思議そうに見つめる。朱王も首を傾げて、龍蛇を見た。

「俺らが力を注ぐと、翡燕はその、悶えるんやが……何で龍蛇さんのは平気なんや?」
「……何だそれは。聞き捨てならないが……副作用みたいなものではないか? 多分亜獣に人間の気は合わんのだ」

 龍蛇が眉を引き上げて、ふんと鼻を鳴らす。

「副作用にしては、気持ちよさそうにしていたけど……」
 
 そう青王が呟くと、龍蛇とユウラ王から鋭く睨まれた。両国の王に睨まれた青王は「おぉこわ」と言いながら肩を竦める。
 少し離れた場所で酒を呷っていたグリッドが、興味津々といった風に口を開いた。

「まさか亜器の伝説が、本当だったとはな。お伽話だと思っていた」
「ああ嘆かわしい、グリッド、獣王よ。もとは同じ民族なのに何故信じない? 我々亜獣が繫栄したのは亜器のお陰だ。……そして人間であるユウラ民族が繁栄したのも、亜器のお陰なのだよ」

「……我々は、亜器を奪ってはいない」

 翡燕の髪を撫でていた皇王が呟くと、龍蛇が舌打ちを零す。敵意をむき出しにする龍蛇を見ないまま、皇王は続けた。

「太古の昔、人間の女性と亜器が恋に落ちた。女性は未亡人で腹に子がいたが、亜器は彼女を愛した。やがて元夫の子が産まれ、その子が産んだのがユウラの初代皇王だ。……そしてその後、亜器と女性の間に生まれたのが、翡燕だ」

「……その話を聞くだけで虫唾が走る。ユウラの民族は、亜器が亜獣だと気づいて、彼を追放したらしいな? 亜獣だからといって、ユウラに加護をもたらした亜器を迫害した!」

「しかし、遠い地で翡燕と暮らしていた亜器を殺したのは、亜獣だ! 亜獣との戦に巻き込まれて、亜器は死んだ!」

 皇王と龍蛇のやり取りを聞きながら、朱王は首を捻った。
 ユウラが亜器を奪った。確かにその通りだが、亜器は自主的にユウラの女性と恋に落ちている。しかし龍蛇の怒りは相当なものだった。

「亜器の死は、完全にユウラのせいだ! 亜器と翡燕が追放された地が戦場になったと聞き、病んだ翡燕の母は自害した。番が死ぬと、亜器も死ぬ。亜器が死んだのは戦が原因ではない!!」

「なに……?」

「知らなかったのか? 亜器を殺すには首を刎ねるか、番を殺すしかない。そして一番腹が立つのが、翡燕が亜器の子だと知って、お前が傍に置いたことだ! 腹立たしい!」

「それは……」

 そう呟くと、皇王は眉を顰めた。

 亜器が愛した女性は、小さな国の皇妃だった。嫁いだ先の国は滅ぼされ、腹の子の父も亜獣に殺される。
 しかしその後彼女が愛したのは、亜獣である亜器だったのだ。

 この話は王族の一部しか知らない。闇に葬られた話だった。

「我々は、亜器に対してひどい扱いをした。私はそれの償いをしようと……翡燕を傍に置いたんだ……。それが、こんなことに……」

 その言葉を聞いて、龍蛇が床に拳を叩きつけた。そして皇王を指さし、威嚇するように捲し立てる。

「いいか!? 愚かな人間よ! 翡燕を見てみろ!?」

 狼狽える皇王を前にしながら、龍蛇は苛立ちながら今度は翡燕を指さした。もどかしいかのように地団太を踏む様は、一般兵を𠮟りつける上官にも見える。

「亜器というのは非常に健気で、番に対して尽くして尽くして尽くしまくる生き物なんだ! 放っておけば命すら投げ出すし、後先考えず番を守る! 愛情が底抜けに深い生物なんだ!! その特性を知っている亜獣の王族は、亜器を守って囲って溺愛して、危ない目に絶対合わないように気を配る! それすら知らずに人間は、この子を好き勝手酷使しやがって、本当にこの場で殺してやろうか、この下種が!!」

 思うがままに捲し立て、龍蛇は荒い息を整えている。その迫力は近寄るのは勿論、声を掛けるのも憚れるほど強大だ。
 静かに聞いていた一同だが、比較的龍蛇に耐性のあるグリッドが口を開いた。

「なぁ、さっきから聞いてて思ったんだが……翡燕は亜器なのか?」
「いや違う」
「「違うんかい!」」

 複数の声が重なり、龍蛇は片眉を吊り上げた。咳ばらいを零して、あきれ顔を浮かべるユウラ一同を見渡す。

「あのなぁ……亜器が死なねば、次の亜器は生まれない。父である亜器が生きていた時に生まれていた翡燕は、亜器ではない。しかし髪は水色で、亜器の匂いもする。……因みに我も亜器の子だが、亜器の匂いは有しないし、他の亜獣王族も同様だ。つまり翡燕は、生き物だ」

「……?」

「ユウラ民族の亜種であり、亜器の亜種でもある。それが翡燕だ。そして亜種というものは、往々にして基を越える存在だ」

 依然として呆けた顔を浮かべるユウラ側に、龍蛇は盛大に溜息をついた。
 グリッドの横にどかっと座り、酒を奪って煽る。

「まったくわからん奴らだ! 我はユウラが憎い! この場で皆殺しも可能だぞ!?  それなのに何故、殺さずに我慢していると思う!?」

 その言葉に、場が凍り付いた。

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