死んだはずのお師匠様は、総愛に啼く

墨尽(ぼくじん)

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最終章

第64話 新たな獣王の誕生

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 宰相が剣を取り出し、牽制するように目の前へと突き出す。

「……! そうだ、獣人族は!? 軍の到着はまだか!? 誰がこの国で好き勝手する権力を与えたと思う!?」

 後ろで控えていた獣人たちが、その声に慌て出す。しかし彼らはもう国軍によって掌握されていた。援軍がなければ、成す術はない。


 そんな獣人らの前に、どさりと何かが投げ込まれる。ゴロゴロと転がって止まったそれは、何と現獣王であるフォウルディータの頭部だった。
 首の断面は刃物で切り落とされたのではなく、何かに千切られたように歪だ。顔は恐怖に歪んでおり、獣人たちを震えさせるに十分だった。


 頭部を投げて放ったのは、広場に現れたグリッドだ。その後ろから獅子王が続く。

 お揃いの外套を身に着けた獅子王とグリッドは、半獣の姿だ。獣人たちを睨みつけ、グリッドは口端を吊り上げる。

「獣人国の王座は、このグリッドが再度座る。援軍など来ぬぞ! 異論のあるやつは、申し出ろ!」

 獣人たちは反論することもなく、跪いて頭を垂れる。以前から陰の最高権力者と言われていたグリッドに、逆らう獣人など居はしない。

「翡燕の話でピンと来てな。フォウルはやはり寝返っていた。一応説得はしたが、結果は……見ればわかるだろ?」 

 グリッドが元獣王の首を指さしながら笑う。
 獣人の王座は力で決まる。獣人国において王座は、いつ代わってもおかしくないものだった。だからこそ、真に強い者が王座に就かなければ、盤石ではないのだ。
 
 グリッドが満足気に笑うその後ろで、獅子王は視線を泳がせている。そして龍蛇に抱かれている翡燕を見つけると、その傷だらけの姿に眉を顰めた。
 グリッドも同じくその姿に目を見開くが、龍蛇は何故か嬉しそうに目を輝かせた。

「久しいな! グリッドよ、王座に返り咲いたか! これは良き日だ。面白くなってくるな?」
「面白くもなんともないわ。蛇王は、地に潜っておけ!」
「相変わらずつれない! つまらんなぁ」

 龍蛇が楽しそうにグリッドに近づくと、獅子王は慌てて駆け寄った。龍蛇に抱かれている翡燕に、震える手を伸ばす。
 

 顔を歪めて泣きそうな獅子王は、いつものだった。
 次に会うときは、腕に抱けないような逞しい獣人になっているだろう。自分の傍を離れない優しい獣はいなくなってしまった。翡燕はそう思っていた。
 
 しかし目の前の獅子王は、いつもと何ら変わらない。自分を見つめる優しい瞳に、胸がぎゅっと絞られる。
 笑顔を浮かべようと思っても、翡燕には出来なかった。何か言おうと開いた唇も、震えてしまう。

「……っよ、よく頑張ったね、獅子丸。しっかり獣人国を抑えてくれた」
「……ある……、翡燕。おれは……」

 口ごもっている獅子王の肩に、グリッドは手を置いた。グリッドは獅子王に全体重を載せるように伸し掛かかると、愉快そうに口を開く。

「聞け、翡燕! こいつに獣人国の王座に就けと言ったが、固辞されたぞ! お陰でまた俺が座らなければならなくなった」
「おれが王様なんて、無理ですよ!」
「ぬかせ。フォウルディータを討ったのも獅子王だぞ? 獅子王がいなかったら、抑えられなかったかもしれん。感謝する」

 翡燕は眉を顰めて、獅子王を見た。相変わらず優しい表情を浮かべる獅子王は、耳をポリポリと搔いている。
 翡燕は以前から、獅子王の力量が王座に座れるほどのものだと感じていた。ユウラに縛られず獣人国で自由に生きるのも、彼の道だと思っていたのだ。

「……獅子丸、良かったのか? 僕はどんな道でも……」
「おれは!!」

 獅子王が獣化を解き、人型に戻る。慣れ親しんだ顔に戻った獅子王は、ゆっくりと微笑んだ。

「おれは、翡燕のそばにいる。それが、おれの道」

 笑って言う獅子王の目に、涙が溜まっていく。溢れ出しそうになるのを、翡燕が指で拭った。

「まったく……泣き虫は、相変わらずか?」
「……う……ある、翡燕……無事でよかったぁ……」

 獅子王が感極まっていると、大勢の足音と叫び声が響いた。

「くっそぉおおおお! ぼくの居ないところで、全部済ませたなぁあああ!?」

 宰相たちの後方の建物から、青王が飛び降りて来た。宰相を拘束すると、後に続いた巡衛隊が、皇子と皇妃を拘束していく。
 巡衛隊にはサガラの姿もあって、翡燕の姿を認めると泣きながら掛け寄って来た。

 朱王と白王も駆け寄り、黒王も動く。
 翡燕を腕に抱いている龍蛇はユウラ側に囲まれ、鼻梁に皺を寄せた。翡燕を抱き込むも、四方八方から囲まれてもどかしいように唸るしかない。

「お、おい! 近寄るでない! これだからユウラ民は好かん! ……特にあいつは、殺したいほど憎い……!」

 そう吐き捨て、龍蛇は舌打ちをしながらユウラの皇王を見た。

 護衛である黒王が離れたというのに、皇王はそこに佇んだままだった。そのまま龍蛇を睨みつけている。
 翡燕はそんな皇王を、霞がかかった視界でぼんやりと見ていた。
 いつも穏やかな皇王が見せるその表情は、翡燕が見た事もない昏い表情だ。不穏な空気が彼を包んでいるのも、見間違いではない。


 皇王の様子を不思議に思うものの、翡燕の瞼は重くなっていく。脅威が去った安心感からか、意識を保つのに必死だった。

 龍蛇の身体は冷たくて、熱のこもった身体にはちょうど良い。痛みを感じていた身体も、だんだんと感覚が遠のいていく。

「……ひ、翡燕!」
「……う、ん……?」

 自分を呼ぶ黒王の顔を、翡燕はぼんやりと見上げた。今にも泣きだしそうなその顔は、子供のように歪んでいる。

 どうやら自分の色は相当薄いらしい。そう思った翡燕は、龍蛇の腕を叩いた。
 大丈夫だと伝えたいが、頭が回らない。この状況を説明できるのは、龍蛇しかいなかった。

「りょだ、さん……」
「ああ、分かった。安心してお休み。……慌てることはない、翡燕は大丈夫だ」

 龍蛇はそう言うと、黒王に翡燕の身体を託した。
 翡燕はぐったりとしているが、かろうじて瞳は開いている。黒王が髪を梳くと、翡燕は気持ちよさそうに微笑む。

 翡燕を託した龍蛇は、ユウラ王の前に立った。殺気ともいえるような威圧を放ちながら、その赤い目を眇める。

「……ユウラの王よ。その顔はやはり知っていたようだな? お前たちユウラの王族が翡燕を縛ったせいで、この子はこんな目にあった。下劣な民族が恥を知れ」

「……翡燕は、ユウラの民だ」

「いいや、半分は亜獣だ。お前たちユウラが遠い昔に奪った、亜器の子だ」

 龍蛇の言葉を聞きながら、翡燕は皇王を見た。
 その顔が歪んでいるのを見て、胸がつんと痛む。龍蛇の言う通り、皇王は翡燕が何者か知っていたのだろう。

「……勘違いしないでもらいたい。私は翡燕が亜器の子だから傍に置いたわけではない。……その子が、本当に愛しくて……」
「そう言って、翡燕を縛り付けてきたのだろう? ……まぁいい、話はあとだ。ユウラの皇宮へ行くぞ。翡燕を寝かせなければならん」

 瞼をゆらゆらと揺らす翡燕を見て、皇王は顔を歪めて頷いた。その頬に、一筋の涙が流れていく。
 翡燕はそれを見届けて、そっと瞳を閉じた。
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