死んだはずのお師匠様は、総愛に啼く

墨尽(ぼくじん)

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最終章

第63話 血の下から現れた蛇

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 そしてその言葉通り、大広間に皇妃が現れた。

 先ほどまで牢にいたとは思えないほどの完璧な身なりで、靴の音を高らかに響かせている。
 結蘭で連行された時には乱れていた髪型も化粧も、綺麗に整えられていた。

 ここにいる筈のない皇妃の姿に、皇王は驚愕の表情を浮かべる。連行され牢屋に入ったはずの皇妃は、勝ち誇ったように微笑み、顎をつんと引き上げた。
 皇妃の傍に控えているのは、皇子の護衛である左角だ。元皇家護衛軍の左角なら、皇宮の牢から皇妃を逃がすことも不可能ではない。

 巨大な体躯の左角は、その右腕に何かを抱えている。その正体が分かった刹那、皇王は膝から崩れ落ちた。

「……そんな……まさか」

 抱えているものは、人間だった。
 白い腕がだらりと垂れ、そこからは血が滴っている。水色の髪も、所々血に濡れてその色を変えていた。

 左角がその身体を自身の前に投げ捨て、剣を突き付ける。

 力なく倒れているそれは、紛れもなく翡燕だった。


 皇妃がけらけらと笑い出し、崩れ落ちた皇王を見下ろした。絶望の顔を浮かべる皇王を満足気に見て、恍惚としている。

「偶然、あの抜け道で見つけてね。ほんと幸運だったわぁ。抵抗するもんだから、私が身なりを整える間、左角に痛めつけてもらったわ」

「……動くな。動いたら、こいつを殺す」

 ユウラ側を牽制するように言い放った左角の言葉に、皇王は顔を歪ませた。
 
 広場へ最短で行ける抜け道を通って、最後の手段を行使する。
 そう言った翡燕を送り出したのは、ついさっきの事だ。走り去るその背中もまだ鮮明に覚えている。

 目の前にいる翡燕は、ピクリとも動かない。身体の至る所に暴行の跡があり、特に肩口からは大量の血が流れ出していた。

 生死も判別できない状況を見て、朱王が悲鳴のような声を上げた。

「く……黒……! 翡燕は……」
「生きてる……でも薄い……」

 翡燕の色は、薄く霞んでいる。希望を持つことも叶わないほど、その色はか弱い。
 
 翡燕に剣を向けている左角の強さは、黒王が一番理解していた。左角を殺すことは可能だろうが、黒王が動いた瞬間に翡燕が殺される可能性は高い。


 その場で狼狽えたのはユウラ側だけではなかった。皇子が血まみれの翡燕の姿に、顔を歪ませる。
 思わず翡燕に走り寄ろうとする皇子を、皇妃は手で制した。そして汚いものでも見るような目で、翡燕を見下ろす。

「炉柊。こいつは戦司帝ではないわ。あなたと父上を欺いたのよ? こいつのせいで、母はあらぬ疑いを掛けられ投獄されたの。殺すべきよ」

「翡燕じゃ……ない?」

「そうよ、偽物なの。父上はあなたに、王座を譲ってくださるのよ。ねぇ皇王様?」


 皇妃が言うと、左角が翡燕の喉元に剣を突き付けた。皇王が喉を鳴らすのを見て、皇妃が破顔する。

 皇子へ向ける歪んだ愛情からか、皇妃は皇王自ら王座を譲らせる事に執着している。そうすることによって、皇子が真の継承者であることを知らしめたいのだ。


 皇王が息を大きく吸い込み、諦めたように吐き出した。
 そして口を開こうとした所で、小さな笑い声が響く。この場に似つかわない、鈴のなるような笑い声だ。

 それまでピクリとも動かなかった翡燕が、自身の喉元に向けられている剣先を突如掴んだ。そしてクスクスと笑っている。
 手から血が溢れ、地に落ちていく。その血を見つめながら、翡燕は口を開いた。


「足元に、ご注意を」


 途端に轟音が響き、広場の地面がぼこぼこと割れ始める。地震のような振動が、まさに足元から感じられた。
 そして翡燕が倒れている目の前の地面から、巨大な何かが飛び出した。それは白色に黄金の色の乗った、蛇だった。

 その大蛇は長い尾を巻きながら地上に這い出し、翡燕へしゅるしゅると巻きつく。  
 翡燕を覆い隠すように巻き付くと、やがて人型へと変化した。

 真っ白な髪は腰まで伸び、肌も透けるように白い。瞳は赤く、顔には黄金の縦線が模様のように刻まれている。その亜獣は翡燕を大事そうに抱えながら、尾から変化させた足を地に付けた。


「やっと呼んでくれたか、翡燕」
「……お久しぶりです。龍蛇(りょうだ)さん」


 翡燕の返答に、亜獣の王である龍蛇が嬉しそうに破顔する。
 驚愕に顔を歪ませる龍王に一瞥もくれないまま、龍蛇は翡燕を更に抱きこんだ。

「ああ、やはりそうだったか。間違いないと思っていた。いやぁ、翡燕。会いたかった」
「……いや……本当に来てくれるとは思いませんでした」
「お前の血が地に染みれば、においを辿れると言ったろう? これで認めるな?」
「……えっと……まずは龍王と話を。僕との話は、その後でお願いします」

 翡燕の言葉に、龍蛇はふぅと溜息をついた。
 至極面倒だといった顔で龍王を見遣ると、その赤い目を怪しく光らせる。その瞬間、龍王の肩が跳ねた。

「龍王。跪いて許しを請わぬか。殺されたいか」
「つっ!!」

 まるで力が抜けるように、龍王が膝を折る。そして拳を地面に突き立てて、頭を垂れた。先ほどの傲慢な態度から一転、小刻みに震えている。

 突然姿を現した龍蛇に、ユウラの宰相も驚愕の目を向けていた。
 亜獣の王は、もう何万年も地底に潜っていた。その間の実質の王は、龍王のようなものだったのだ。
 しかし真の王は、迫力も漂う力の差も桁違いだった。周囲の生物全てを飲み込むような力に、ただひたすら圧倒されるしかない。
 
 抱きこんだ翡燕を、まるで赤子のように揺らしながら、龍蛇が龍王を見下ろす。

「我(われ)が地底で隠居しているのを良いことに、事あるごとに悪さしおって。そんなに翼を毟られたいか? 小僧……」

「……い、いえ、私は……」

「我の恐ろしさを忘れていたか? 自分が強くなったとでも? 飛龍族を根絶やしにしてやろうか?」

 俯いている龍王から大量の汗がぼたぼたと地に落ちる。後ろに控えていた飛龍も半獣の姿へと変わり、地に伏せた。

「今回の件は、不問には出来ん。他国と組んで、お前が何を企んでいたかは容易に分かる。……現龍王の鱗をそぎ落とす。龍王の座はしばらく空席とする」

「そ……っそんな! やめてください! 鱗だけは!! 蛇王様!!」

 叫び出す龍王の地面から、幾重もの触手が伸びる。蛇の尾のような触手が龍王の体を絡め取り、ずぶずぶと地面へと沈ませて行く。

「いやだ!! やめてくれ!! たすけてぇええ!!」

 龍王の叫び声を聞きながら、龍蛇が翡燕に笑顔を向ける。「さあ片付いたぞ」と、朗らかに微笑む後ろから、龍王の断末魔が響き、そして小さくなっていく。
 翡燕が口を引き結んでいると、龍蛇が楽しそうに口を開いた。

「あやつの鱗は、お前に譲ろう。高値が付くぞ?」
「いや、今のやりとりを見ていたら……あまり欲しくはないですね」

 親し気に話す龍蛇と翡燕は、宰相にとって恐怖でしかない。足元の覚束ない皇妃を抱きとめると、翡燕に向けて震えながら口を開く。

「……! おのれ戦司帝! 亜獣と繋がって自国を裏切っていたのか!?」

 宰相の言葉に、龍蛇はあきれ顔を浮かべる。大げさに眉を吊り上げると、頬を膨らませるほど吹き出した。

「……何と! 相変わらず驚きの感性だなぁ、ユウラの民族は。いやぁ、死ぬほど好かん。以前から戦司帝には寝返るように言っていたが、終ぞ聞き入れてもらえなかった。見てみろ? 今も必死にユウラを支えているだろうが」

 龍蛇に抱えられながら、翡燕は四天王へと視線を向けた。

 朱王も白王も無傷とは言えないが無事のようだ。ほっと息を吐くと、喉がごろりと詰まった。
 大丈夫だと伝えたいところだが、大きく声を張れそうもない。
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