死んだはずのお師匠様は、総愛に啼く

墨尽(ぼくじん)

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最終章

第62話 最後の賭け

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 掛布で身を包んだまま瞳を閉じていると、誰かが部屋に入ってくる気配がする。声もかけずに扉を開いてきた人物は、翡燕の姿を見ると驚いたような声を上げた。

「あれ? 珍しいな翡燕。諦めるのかい?」

 聞こえてきた皇王の声に、翡燕が掛布から顔を出す。

 そこにいた皇王は長い髪を短く纏め、偽の血に濡れていた服も全て着替えていた。
 身に着けている服は、なんと武装服である。いかにもといった出で立ちに、翡燕は思わず飛び起きた。

「ど、どうしたんですか。親父殿!」
「どうしたもこうしたも……翡燕が言ったんだろう? 『いい考えがある』って」

 皇王が呆れたように眉を顰め、遊ぶ約束を断られた子供のように、口をとがらせた。
 そんな皇王を、翡燕は弱々しい笑みで見つめるしかない。その顔に諦めの文字が浮かんでいるのを見て、皇王は短く嘆息した。

「翡燕……。この日のためにお前がどれだけ動いていたか、私には計り知れない。皇子が亜獣と繋がっているのも、お前は随分前に気がついていたろう?」

「……しかし、僕はもう限界です。結局彼らに託すしかなかった。……僕はここで待つしかありません」

「………彼が帰ってこなかったら?」

「……! そんな……あの子たちに限って……」

 そう言い返すも、翡燕は声を詰まらせた。

 四天王は強い。しかし彼らが勝つ保証はない。
 4人全員が無傷で帰ってくる可能性など、限りなく低いだろう。

 寝台に座る皇王は、翡燕の手を握った。その冷たくなった手を、労わるように撫でる。

「私は、翡燕が大事だ。勿論いなくなって欲しくない。しかし、彼らに去られて後悔するお前の姿など、絶対に見たくはない。……いや……すまない。これは綺麗ごとだな」

「……?」

「……王として、人としても最後かもしれない。もしかしたらユウラも終わるかもしれん。……もしもお前の先が短いのだとしたら、このまま一緒に終わりたいのが本音だ。皆がいなくなった世界で、弱った翡燕一人残すなど、耐えられない」

 震える息を吐いて、皇王は翡燕を見る。皇王の漆黒の瞳は、灯りを受けて橙色に輝いていた。その目は絶望に染まっていない。ただ、寂しそうに見える。

「戦司帝は、かつて国のために身を捧げた。二度も捧げろとは、口が裂けても言えない。……言えないが……」

「……わかりました、親父殿」


 身体は鉛のように重くて、思考もうまく働かない。そんな状態でも、出来ることがあるかもしれない。
 その希望は、ずっとどこかにあった。

「……僕を煽ったからには、協力してもらいますよ? 本当に、一か八か。ですけど」
「勿論だよ。ゼロでも協力する」

 皇王が伸ばした手を、翡燕はぐっと握りしめた。

 皇宮の外は相変わらず騒がしい。
 残された道は、もう一つしか残っていなかった。

「親父殿、皇宮から都への抜け道。あれはまだ使えますか?」




 _________


 獣化した獣人を薙ぎ払い、朱王は後ろを振り返る。
 民衆の避難は粗方片付いたのを認めると、ほっと息をついた。

 朱王が率いていた国軍の中にも皇子派はいたようで、兵士の人数が僅かに減っている。
 獣人に対抗する兵力はまだあるが、この後亜獣とも戦わなければならないとなると、正直厳しい状況だ。

 都が戦地になっているというのも、ユウラにとって不利だった。自国が壊れていく様というのは、見るも耐えがたいものがある。つい攻撃の手を緩めてしまう。


「くそ! せめて郊外に押し返せたらええが……!」

 朱王は大型の獣人を切り伏せて、その体躯に乗り上げる。そして獣人族に威嚇するように声を荒げた。

「駐留している獣人だけやったら、直ぐに殲滅できる兵力はある!! 全滅する前に、降伏せぇ!」

 朱王が言うと、足元の獣人がくぐもった声を上げた。乗り上げた足を退けると、その獣人は血反吐を吐きながら笑い始める。

「我が王は、もう亜獣とともに生きると決めておられる! ……そのうち獣人の本軍も、ユウラに攻め入る! ユウラはもう終わりだ!!」

「……くそが! どいつもこいつもぉ!」

 慈悲もなく足元の獣人を踏みつけ、朱王が苛々と叫び出す。
 焦っているのは白王も同じのようで、いつになく乱暴に獣人を屠っていた。血潮を浴びるのを嫌がる彼が、全身を血に染めている。

「朱! はやく抑えて翡燕の元へ戻ろう! この感じだと、亜獣もそのうち攻め入るぞ!」

 白王の声に、朱王は舌打ちを零した。

 どうやったら翡燕を救えるか。そればかりが頭を過ぎる。
『国を第一優先に』と翡燕なら言うのだろうが、愛する人を二度も失いたくはない。


 怒りに任せて剣を振るっていると、轟音とともに突風が吹いた。広場の雨が一瞬止まるほどの突風とともに、空から飛龍が降りて来る。

 紺色の鱗に、金色の瞳。その龍は地に降り立つと、人型へと変わった。
 その後ろに黒龍も降り立つ。その額に乗っているのは、皇子と宰相だった。

 紺色の鱗を持つ飛龍は、この世に一体しかいない。飛龍族の王だ。
 獣人たちが一気に引き、その場に膝を折った。気高いはずの獣人が、易々と服従の姿勢を見せている。


 ユウラの国軍は、長く飛龍軍と睨みあってきた。一番の宿敵と言って良い。
 その龍王の後ろに、ユウラの皇子は立っている。憤りを隠せていない表情で、朱王と白王を睨みつけている。


「……皇子様……。約束を反故にするおつもりですか? 期限は明日の夕方までと仰ったはず!」
「約束を破ったのは、そちらの方では? 皇妃様を投獄したらしいじゃないか! 素直に王座を譲る気のない証だろう!?」

 宰相が叫ぶと、皇子が更に四天王を睨み上げる。

 何の迫力もない、子どもが駄々を捏ねているような表情だ。
 反して龍王は薄ら笑いを浮かべ、それを四天王に隠さない。

『お前らの国は、終わったな』と言わんばかりの表情だ。皇子には見えない位置で、下賤な笑みを貼り付けている。


「父上は、どうして母上を!? 母上を返してもらう!」

 罪を犯している自覚がないのか。はたまた母親の不貞を知らないのか。皇子は怒りを露わにしている。
 叫ぶ皇子の肩を宥める様に叩き、龍王はまた薄ら笑う。そして勝ち誇ったように口を開いた。

「ユウラの王を、ここに連れてまいれ。今すぐ王座を明け渡せ」


「私ならここにいる」

 その声は広間に静かに響き渡った。
 皇宮の方から現れたのは確かに皇王で、脇には黒王も控えている。しかもその顔は、怒りに歪んでいた。

 黒王は、広場に落ちる雨すらも歪ませるような殺気を放つ。一方の皇王は驚くほどの無表情だ。普段の王からは考えられないほどの寒々しい表情だった。

「父上様! 母上をどうしたのです!?」

 皇王は息子である皇子に目を向けた。眉を下げ、心底憐れんでいる表情を浮かべている。

 龍王と飛龍に挟まれた皇子の姿は、王の目からしても滑稽に映った。亜獣を従えているとは到底思えない。

「……炉柊……。可哀そうな子だ……」
「……」

 皇王から憐れみの言葉を掛けられ、皇子は驚きの表情を浮かべる。その表情のまま宰相を見上げると、宰相は勝ち誇った顔をして微笑んだ。

「大丈夫です、炉柊様。母上にはすぐに会えますよ」
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