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最終章

第59話 殺される者、暴かれる者

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 結蘭宮の入り口で、翡燕が笑みを浮かべて立っている。

 髪は結わずに垂らし、浮かべる笑みは無邪気で一切の曇りもない。その姿は、屋敷にいるいつも翡燕そのものだった。
 しかしこの状況下で、その様子は異質でしかない。

「母上様。お久しぶりでございます」
「………ひ……翡燕……まさか、そんな……」

 皇妃がまるで亡霊でも見ているかのような顔で、翡燕を見ている。そしてその顔は徐々に怒りの顔へと変化していく。


 突然の翡燕の登場に、四天王も驚きを隠せない。そんな彼らを見て、翡燕はいつも通りの笑顔を向けた。

「やぁ、四天王。しっかりと仕事をして、偉いな」

 へらりと笑って、翡燕はひらひらと手を振る。そんな翡燕を見て皇妃が激昂し、金切り声を上げた。

「翡燕!! なんて子なの! 恩を仇で返すような真似をして……!!」

「どうしました? ……あれ? 親父殿は毒でも盛られたのですか? 息はあります?」

 水色の髪を揺らして、翡燕は弐王に向かって問うように首を傾げた。
 弐王は顔を歪め、翡燕を見る。

「……息は……まだある。……翡燕、お前は……」

 床に伏せている皇王は、ぴくりとも動かない。口から流れ出ていた血も、いつしか流れを止めている。
 「息はある」という弐王の言葉に、先に反応したのは皇妃だった。

「まだ生きているのね!? ねぇお願い! この人を助けて!! あなたなら出来るわよね!? 早く……!!」
 
 皇妃は狼狽え、弐王に縋りつく。まるで駄々をこねる子供のように、その身体を揺さぶった。揺さぶられながら、弐王は未だに翡燕から目を離せない。

 皇妃の様子を見ていた翡燕が、不思議そうに首を傾げる。そしてその赤く色付いた唇を、薄く開いた。

「あれぇ? 母上様。随分、焦ってらっしゃるようで」

 言いながら、翡燕はくすくすと笑う。

 まるでこの状況を楽しむような翡燕の態度に、当然皇妃は激昂した。目を見開き、その顔を朱に染める。
 そして手元に転がっていた器を掴むと、怒りのままに翡燕へと投げつけた。

 翡燕は驚きもせず、そして避けようともしない。

 咄嗟に朱王が動き、寸でのところでその器を掴んだ。皇王が薬を飲む際に使われたその器は、べっとりと血に濡れている。

「……翡燕っ!! 期限は明日の夕方までなのよ!! それまでにこの人が目覚めなければ、戦が始まってしまう……!!」

「……こうして皇王様は倒れ、王座は空いたも同然でしょう? この状況でしたら、ユウラに攻め入らずとも王座を容易く奪えます。戦は避けられたのでは? それとも皇妃様は、皇王様が自ら王座を譲ってほしい理由でもあるのですか?」

「……っ!! 翡燕、なんて子なの……! 四天王は早くこいつを捕まえなさいよ!!」

 皇妃の声は金切り声に変わり、その顔は怒りに歪んでいる。いつもの慈愛に満ちた穏やかな顔は、もうどこにもない。


 翡燕が皇王に毒を盛った。状況を見る限りそれは明らかなのに、四天王は一人として動かない。
 そんな彼らを見て、翡燕は少し眉を下げた。

 そして皇妃を見遣り、翡燕はまた曇りのない無邪気な笑顔を浮かべる。少しだけ頭を傾げて、問うように口を開く。

「あれ? そう言えば、返事の期限は明日の夕方なのですね。先ほどの演説で、皇子は言ってなかったと思いますが……僕が聞き逃しただけかな?」

 翡燕が首を傾げて四天王を見ると、黒王が頷く。そして皇妃を射貫くように見つめ、低く静かに呟いた。
 
「俺も、聞いていない」

 そして白王は、翡燕を見る。翡燕の意図を理解した白王は、大きく安堵の息をついた。いつも通りの笑顔を向ける翡燕に、顔いっぱいの笑顔を返す。

「私は、皇子からではなく、宰相から聞きました。結蘭の庭で吐き捨てるように言った言葉です」

 続いて朱王が口端を吊り上げる。

「俺は宰相の部屋におったが、聞いてませんなぁ」

 朱王が隣にいた青王の方に肘を乗せると、青王がにんまりと笑う。
 そして人差し指を口元へと当て、不思議そうに首を傾げた。

「ぼくは雨に濡れたくないから、庭の入り口にいたけど……聞こえなかったなぁ。雨の音で」

 四天王に見据えられ、皇妃が慌ただしく視線を動かす。口は開いたり閉じたりを繰り返し、吐息が乱れ始めた。

 白王が一歩、前に進み出る。

「あの時、皇妃様は結蘭宮の中におられたはず。庭の入り口にいた青でさえ聞き取れない言葉が、皇妃様には聞こえていたのですか? ……それとも、事前に聞いておられたのですか? ユウラの王座を奪う計画を、ご存じだったのでは?」

 白王の言葉に、翡燕は楽しそうに破顔した。
 両手を合わせ、皇妃の方を見る。子供のような澄んだ笑顔のまま、翡燕は口を開いた。

「ああ、そうか! 宰相と皇妃様は、昔から仲良しでしたよね! 宰相は皇子の事も、まるで自分の子のように……」

「止めて!!!」

「あはは。慌てなくても大丈夫ですよ、親父殿は聞いていませんから……。思えば皇子の髪質は宰相そっくりですね。癖のある黒髪で……」

「黙れ!! 何て忌まわしい……! 悪魔め……!」

 皇妃が髪を掻き回し、まるで悪鬼のような顔で翡燕を睨む。睨まれている翡燕は、薄い笑顔を向けながら皇妃を見ている。

 朱王は大きくため息をついて、咎めるような表情を浮かべた。そしてその顔を翡燕へと向ける。

「翡燕、さすがに失礼やぞ? その言い方やと、まるで皇子様が宰相の息子みたいに聞こえてしまうで。……皇妃様が宰相と深いつながりがあって、反乱にまで加担しているなんて、あるわけないやろ?」

「これは失礼しました。……そんな事があれば、皇妃様は一体いつから皇王様を裏切っているのか、という話になりますよね。亜獣との繋がりを持たせるために、皇子を飛龍の生息地に近い場所へ療養に行かせているのも、偶然でしかありませんよね?」

 皇妃が目を見開き、頬を痙攣させる。
 その顔を見て、翡燕は少し寂しそうに笑った。まるで自分が裏切られたかのような表情だ。


 皇妃の裏切りは、四天王にとって驚愕の事実だった。

 大事な計画が狂いそうになっている焦りからか、皇妃は明確に否定するのも忘れている。ただただ翡燕に憎悪をぶつけているのも、狼狽えているのも、彼女の裏切りを黒に変える判断材料でしかない。

 翡燕は皇妃の顔を眺めて、深くため息をついた。そして人差し指でかりかりと頭を掻く。


「……えっと、もう十分でしょう? 親父殿?」

 翡燕が軽い口調で言うと、倒れていた皇王がにやりと顔を綻ばせる。
 造作もなくむくりと身を起こすと、血にまみれた口周りを袖で拭いながら、翡燕ににっこりと笑いかけた。

「うん。もう少し責めても良かったんだが……」

 軽快に返す皇王から、具合の悪さは微塵も感じない。脈を診ていた弐王は当然気付いていた様で、この茶番の終わりに安堵の溜息をついている。


 一方の皇妃は、目の前の光景に混乱しているようだった。

 夫が生き返った事を喜ぶべきか、それとも失態を犯したことを弁明すべきか。その両者の間で混乱し、泣くでもない笑うでもない妙な顔を浮かべている。

 そんな皇妃を、皇王は優しい笑顔のまま見た。

「君が……宰相と不貞をしていた事は、以前から知っていたよ。炉柊が私の子でないことも、薄々感付いていた」

「……こ、皇王様、誤解でございます……! 私は……」

 縋るような目を浮かべ、皇妃はじりじりと身を寄せる。皇王はそれを手で制した。

「その件については……もういい。側室たちにも子が出来ないところを見ると……どうやら私には種が無いようだからね。君が子供を欲していたのも知っている。だからこの件は、もう良いんだ」

 皇王が散らばった菓子を拾い上げ、手の平で弄ぶ。手の平でコロコロと転がるその菓子は、形は歪だが口に入れると甘く溶ける。子供に人気の、定番の菓子だ。

 優しい態度の皇王に安堵したのか、皇妃が引き攣りながらも笑みを浮かべる。

「……あの、皇王様……違うのです。私はほんとうに、あなた様を裏切ることは……」
「……うん。君が裏切っているのは知っていたから、それは良い。ただ、これだけは許せない」

 皇王は菓子を指でつまみ、口へ入れた。口の中から、菓子を噛み砕く音が鈍く響く。

 その音を聞いて、翡燕の肩が僅かに揺れた。そんな翡燕を皇王は寂し気に見やり、皇妃に向かって口を開いた。

「……お前はどうしてこれに毒を盛られたと思ったんだ?」
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