死んだはずのお師匠様は、総愛に啼く

墨尽(ぼくじん)

文字の大きさ
上 下
26 / 56
最終章

第54話 飛龍の群れ

しおりを挟む
________
 
 翡燕は出された薬を飲みながら、目の前の光景を笑って見ていた。

 グリッドの私邸の庭で、獅子王とグリッドが手合わせをしている。驚いたことに前獣王に対して、獅子王はそれほど引けを取っていない。

 終始楽しそうなグリッドに反して、獅子王は殺気を滾らせながら攻撃を仕掛けている。いつもの穏やかさが嘘のような様子に、翡燕も驚きながら見守った。

(思えば獣人は、これが本来の姿だ。力の強い獅子丸ともなると、本能も強いだろうに……)

 獣人は弱きものを征服し、狩って、番って、子孫を繫栄させる本能がある。今の獅子王の生き方はその真逆だ。
 
 手放さなければいけない。翡燕はそんな思いに何度も駆られてはいるが、獅子王の優しさに甘えて主従関係が手放せない。

 苦い思いを噛み殺していると、グリッドが戦いながら翡燕に視線を寄越した。その表情は少年のように輝いている。

「翡燕! 獅子王は良い筋だ! 非常に楽しい!」
「っ!! このっ!!」

 話す余裕のあるグリッドに、獅子王はがむしゃらに攻撃を仕掛ける。グリッドは高らかに笑いながら、それをひょいひょいと避けた。
 そして少し間隔をとると、獅子王を制止するように両手を広げる。

「よし、休憩しよう! そろそろ翡燕が退屈そうだ」
「……なっ!?」

 獅子王の返事も聞かず、グリッドは翡燕の隣にドカリと座った。隣にいる翡燕に笑いかけながら、近侍から茶を受け取っている。
 
「翡燕、身体はどうだ? 朝から熱を出すなど、お前の身体は大分弱いようだな」

「大丈夫、随分楽だ。……それより追い返すと言っていたのに、獅子丸を迎え入れてくれてありがとう」

「おう。獅子王は同族だからな。親しみを持って接しなければならん。四天王だったら追い返していた」

 翡燕はグリッドの答えに、呆れたような苦笑いを返した。

 朝、翡燕が目覚めると、グリッドと獅子王は既に交戦中だったのだ。今のような手合わせではなく、真剣にやりあっている彼らを止めるのは骨が折れた。
 決して親しみを持っていたとは言い難い。

 獅子王は疲れた様子で座り込んでいたが、すぐさま立ち上がって翡燕の元に駆けてくる。

 その表情には心配の他に、後ろめたさも混じっている。まるで怒られるのを待っているような表情だ。

「獅子丸……。僕は獅子丸に怒りは向けていないよ。どうせ弐王様が強要したんだろう?」
「いや、でも、おれは……」

「いいんだ。それより今、うちの屋敷には誰がいる?」
「えっと、もうサガラさんは出勤しているから……。ソヨさんと、ヴァン君です」
「……そうか……」

 翡燕はそう言いながら、空を見た。どんよりと曇った空は、いまにも泣き出しそうに見える。
 空になった湯呑を置いて、翡燕はグリッドに向き合った。


「グリッド。獣人族は亜器の伝説については知っているのか?」

「亜器? 亜獣共が信仰している神獣の事か? ……もう少数しか知らんだろうな。俺も詳しいことは知らん」

「そう、その亜器だ。……亜器を手に入れた者が、世を制する。亜獣の世界ではそれが信じられている。その亜器の髪色が水色なのを知っていたか?」

「……知らん。が、何か引っ掛かるな」

 翡燕は頷いて、自身の唇を指で擦る。


 亜獣は、長くこの世を制してきた。
 獣人の亜種が亜獣であり、元は同じ民族なのだ。しかし獣人と亜獣の力の差は歴然としており、いつも亜獣の支配下に置かれていたのが獣人と人間だった。

 ユウラが突如力を持ち、そして長命になったのは、まるで獣人から亜獣が生まれた時に似ていたと言われている。


「グリッド、亜獣族には水色の毛色を持つ生き物は産まれんらしいな。お陰で僕も、戦司帝時代は亜獣たちに大人気だったんだ。……亜獣族は水色を欲する。しかしユウラで奴隷市場をしていた獣人も、水色を欲していたぞ?」

「………いつからだ?」

「さぁ、そこまでは分からんが……三万年前はそんなこと無かった」


 グリッドが翡燕を見遣り、まるで苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。その顔のまま口端を吊り上げると、グリッドの顔が凶悪に変化してく。
 そしてグリッドは、地を這うような昏い笑い声を零した。

「……ふ、ふ……なるほどそういう事か。獣人はどこまで堕ちるのか……」

「……獣人も亜獣も、ユウラも変わらん。……忙しくなるなぁ? グリッド」

「そうだなぁ。騒がしくなりそうだ」

 グリッドがそう言うと、空が突如として翳った。
 翡燕たちの上空を、飛龍の群れが飛んでいく。翡燕はそれを目を眇めて見つめる。


 地が揺れ動くほどの咆哮に、獅子王は咄嗟に翡燕を抱きこんだ。

 突如抱きこまれた翡燕は、驚いて獅子王を仰ぎ見る。

 獅子王の顔は、今まで翡燕が見たことの無い顔をしていた。それはまるで自分の番を守らんとする、雄の顔だった。



________

 激しく何かを破壊する音が響く。
 ソヨはその音に眉を顰めながら、怒りに震えるヴァンの肩を抱くしか出来ない。


『翡燕と言う青年を出せ』

 突如屋敷に現れた国軍は、見慣れない服を身に付けていた。
 朱王率いる国軍は朱色の戦闘服だが、今日訪れた国軍は緑色のものを着ている。

 そしてその国軍はソヨの制止を聞くことなく、屋敷へとなだれ込んできた。

 数十人で屋敷を見回り、ありとあらゆる物を壊していく。隠れていそうな場所を暴き、寝台は裂いてまで確認していた。


 ヴァンが怒りを露わにして掴みかかろうとするのを、ソヨは必死に制する。

「幸運なことに翡燕様はいません! ここで暴れて何かあれば、事が更に面倒になります」
「……! で、でもソヨさん……屋敷が……! 戦司帝様の、大事な……!」

 2人で身を寄せ合い小声で話しながら、ソヨは唇を噛んだ。

 部屋の戸は全て蹴破られ、中庭の床も剥がされている。ここまで来ると、もう探しているという感じではない。
 思うがままに破壊し尽くし、屋敷の主の尊厳を砕いているのだ。

「翡燕と言う青年は! どこに隠した!?」
「……朱王様の親戚でしたら、もう故郷に帰られました」
「嘘をつけ!! 虚偽を申すと、罰せられるぞ!」

 兵士が声を荒げソヨに向かって手を伸ばす。ヴァンが庇うように前に出ると、兵士の腕ががしりと掴まれた。

「どこの国軍だお前! ここで何してる!!」

 兵士の腕を捻り上げながら、サガラが声を荒げた。憤りながら周囲を見回し、額に青筋を立てて兵士を押さえつける。
 門から皇都巡衛隊がなだれ込み、国軍との交戦が始まった。


 抑え込んだ兵士の髪を掴み、サガラは威嚇するように唸り、叫んだ。

 視界の端に映るのは、翡燕の愛用の椅子だ。無残に破かれ中身を散らされ、転がされている。
 あの椅子に埋もれながら座る翡燕の姿が、サガラの脳裏に過ぎった。

 腹から怒りが湧き上がり、サガラは喉が潰れるほど怒鳴り散らす。

「ここは、戦司帝の屋敷だぞ!! 国の英雄の屋敷に何てことしやがる!!!」
「戦司帝など、もういないではないか! これからは皇子の時代……! 新しいユウラ国の誕生だ!!」
「……はぁ!? クソ野郎どもが何言ってやがる!」

 サガラが畳みかけようとすると、咆哮が轟いた。見上げると、空一面覆いつくすほどの、飛龍の群れが飛んでいる。

 それを見て、サガラに組み敷かれた兵士が声を上げた。

「見たか!! 新時代の幕開けだぁ! ユウラは変わるのだ!」
「……嘘だろ……」

 飛龍は亜獣の中でも飛びぬけて強く、一体でも打ち倒すのが困難になる。
 あの朱王でさえ一体を倒せるかどうか分からない。そんな飛龍が数十体もユウラの上空を飛んでいる。

 絶望にしか感じない光景に、サガラは目を見開いた。
 他の巡衛隊員も、交戦を一時止めて空を見上げる。その顔に浮かぶのはやはり絶望だ。

 反して緑の服を着た国軍は、歓声を上げて空を見上げている。彼らは恍惚とした表情に高揚を乗せ、空に拳を突き上げた。

「皇子万歳! 新ユウラ王に祝福を!!」

 そして上空から、皇子の声が響く。
しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

言い逃げしたら5年後捕まった件について。

なるせ
BL
 「ずっと、好きだよ。」 …長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。 もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。 ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。  そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…  なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!? ーーーーー 美形×平凡っていいですよね、、、、

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

無自覚お師匠様は弟子達に愛される

雪柳れの
BL
10年前。サレア皇国の武力の柱である四龍帝が忽然と姿を消した。四龍帝は国内外から強い支持を集め、彼が居なくなったことは瞬く間に広まって、近隣国を巻き込む大騒動に発展してしまう。そんなこと露も知らない四龍帝こと寿永は実は行方不明となった10年間、山奥の村で身分を隠して暮らしていた!?理由は四龍帝の名前の由来である直属の部下、四天王にあったらしい。四天王は師匠でもある四龍帝を異常なまでに愛し、終いには結婚の申し出をするまでに……。こんなに弟子らが自分に執着するのは自分との距離が近いせいで色恋をまともにしてこなかったせいだ!と言う考えに至った寿永は10年間俗世との関わりを断ち、ひとりの従者と一緒にそれはそれは悠々自適な暮らしを送っていた……が、風の噂で皇国の帝都が大変なことになっている、と言うのを聞き、10年振りに戻ってみると、そこに居たのはもっとずっと栄えた帝都で……。大変なことになっているとは?と首を傾げた寿永の前に現れたのは、以前よりも増した愛と執着を抱えた弟子らで……!? それに寿永を好いていたのはその四天王だけでは無い……!? 無自覚鈍感師匠は周りの愛情に翻弄されまくる!! (※R指定のかかるような場面には“R”と記載させて頂きます) 中華風BLストーリー、ここに開幕!

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。