死んだはずのお師匠様は、総愛に啼く

墨尽(ぼくじん)

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最終章

第54話 飛龍の群れ

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 翡燕は出された薬を飲みながら、目の前の光景を笑って見ていた。

 グリッドの私邸の庭で、獅子王とグリッドが手合わせをしている。驚いたことに前獣王に対して、獅子王はそれほど引けを取っていない。

 終始楽しそうなグリッドに反して、獅子王は殺気を滾らせながら攻撃を仕掛けている。いつもの穏やかさが嘘のような様子に、翡燕も驚きながら見守った。

(思えば獣人は、これが本来の姿だ。力の強い獅子丸ともなると、本能も強いだろうに……)

 獣人は弱きものを征服し、狩って、番って、子孫を繫栄させる本能がある。今の獅子王の生き方はその真逆だ。
 
 手放さなければいけない。翡燕はそんな思いに何度も駆られてはいるが、獅子王の優しさに甘えて主従関係が手放せない。

 苦い思いを噛み殺していると、グリッドが戦いながら翡燕に視線を寄越した。その表情は少年のように輝いている。

「翡燕! 獅子王は良い筋だ! 非常に楽しい!」
「っ!! このっ!!」

 話す余裕のあるグリッドに、獅子王はがむしゃらに攻撃を仕掛ける。グリッドは高らかに笑いながら、それをひょいひょいと避けた。
 そして少し間隔をとると、獅子王を制止するように両手を広げる。

「よし、休憩しよう! そろそろ翡燕が退屈そうだ」
「……なっ!?」

 獅子王の返事も聞かず、グリッドは翡燕の隣にドカリと座った。隣にいる翡燕に笑いかけながら、近侍から茶を受け取っている。
 
「翡燕、身体はどうだ? 朝から熱を出すなど、お前の身体は大分弱いようだな」

「大丈夫、随分楽だ。……それより追い返すと言っていたのに、獅子丸を迎え入れてくれてありがとう」

「おう。獅子王は同族だからな。親しみを持って接しなければならん。四天王だったら追い返していた」

 翡燕はグリッドの答えに、呆れたような苦笑いを返した。

 朝、翡燕が目覚めると、グリッドと獅子王は既に交戦中だったのだ。今のような手合わせではなく、真剣にやりあっている彼らを止めるのは骨が折れた。
 決して親しみを持っていたとは言い難い。

 獅子王は疲れた様子で座り込んでいたが、すぐさま立ち上がって翡燕の元に駆けてくる。

 その表情には心配の他に、後ろめたさも混じっている。まるで怒られるのを待っているような表情だ。

「獅子丸……。僕は獅子丸に怒りは向けていないよ。どうせ弐王様が強要したんだろう?」
「いや、でも、おれは……」

「いいんだ。それより今、うちの屋敷には誰がいる?」
「えっと、もうサガラさんは出勤しているから……。ソヨさんと、ヴァン君です」
「……そうか……」

 翡燕はそう言いながら、空を見た。どんよりと曇った空は、いまにも泣き出しそうに見える。
 空になった湯呑を置いて、翡燕はグリッドに向き合った。


「グリッド。獣人族は亜器の伝説については知っているのか?」

「亜器? 亜獣共が信仰している神獣の事か? ……もう少数しか知らんだろうな。俺も詳しいことは知らん」

「そう、その亜器だ。……亜器を手に入れた者が、世を制する。亜獣の世界ではそれが信じられている。その亜器の髪色が水色なのを知っていたか?」

「……知らん。が、何か引っ掛かるな」

 翡燕は頷いて、自身の唇を指で擦る。


 亜獣は、長くこの世を制してきた。
 獣人の亜種が亜獣であり、元は同じ民族なのだ。しかし獣人と亜獣の力の差は歴然としており、いつも亜獣の支配下に置かれていたのが獣人と人間だった。

 ユウラが突如力を持ち、そして長命になったのは、まるで獣人から亜獣が生まれた時に似ていたと言われている。


「グリッド、亜獣族には水色の毛色を持つ生き物は産まれんらしいな。お陰で僕も、戦司帝時代は亜獣たちに大人気だったんだ。……亜獣族は水色を欲する。しかしユウラで奴隷市場をしていた獣人も、水色を欲していたぞ?」

「………いつからだ?」

「さぁ、そこまでは分からんが……三万年前はそんなこと無かった」


 グリッドが翡燕を見遣り、まるで苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。その顔のまま口端を吊り上げると、グリッドの顔が凶悪に変化してく。
 そしてグリッドは、地を這うような昏い笑い声を零した。

「……ふ、ふ……なるほどそういう事か。獣人はどこまで堕ちるのか……」

「……獣人も亜獣も、ユウラも変わらん。……忙しくなるなぁ? グリッド」

「そうだなぁ。騒がしくなりそうだ」

 グリッドがそう言うと、空が突如として翳った。
 翡燕たちの上空を、飛龍の群れが飛んでいく。翡燕はそれを目を眇めて見つめる。


 地が揺れ動くほどの咆哮に、獅子王は咄嗟に翡燕を抱きこんだ。

 突如抱きこまれた翡燕は、驚いて獅子王を仰ぎ見る。

 獅子王の顔は、今まで翡燕が見たことの無い顔をしていた。それはまるで自分の番を守らんとする、雄の顔だった。



________

 激しく何かを破壊する音が響く。
 ソヨはその音に眉を顰めながら、怒りに震えるヴァンの肩を抱くしか出来ない。


『翡燕と言う青年を出せ』

 突如屋敷に現れた国軍は、見慣れない服を身に付けていた。
 朱王率いる国軍は朱色の戦闘服だが、今日訪れた国軍は緑色のものを着ている。

 そしてその国軍はソヨの制止を聞くことなく、屋敷へとなだれ込んできた。

 数十人で屋敷を見回り、ありとあらゆる物を壊していく。隠れていそうな場所を暴き、寝台は裂いてまで確認していた。


 ヴァンが怒りを露わにして掴みかかろうとするのを、ソヨは必死に制する。

「幸運なことに翡燕様はいません! ここで暴れて何かあれば、事が更に面倒になります」
「……! で、でもソヨさん……屋敷が……! 戦司帝様の、大事な……!」

 2人で身を寄せ合い小声で話しながら、ソヨは唇を噛んだ。

 部屋の戸は全て蹴破られ、中庭の床も剥がされている。ここまで来ると、もう探しているという感じではない。
 思うがままに破壊し尽くし、屋敷の主の尊厳を砕いているのだ。

「翡燕と言う青年は! どこに隠した!?」
「……朱王様の親戚でしたら、もう故郷に帰られました」
「嘘をつけ!! 虚偽を申すと、罰せられるぞ!」

 兵士が声を荒げソヨに向かって手を伸ばす。ヴァンが庇うように前に出ると、兵士の腕ががしりと掴まれた。

「どこの国軍だお前! ここで何してる!!」

 兵士の腕を捻り上げながら、サガラが声を荒げた。憤りながら周囲を見回し、額に青筋を立てて兵士を押さえつける。
 門から皇都巡衛隊がなだれ込み、国軍との交戦が始まった。


 抑え込んだ兵士の髪を掴み、サガラは威嚇するように唸り、叫んだ。

 視界の端に映るのは、翡燕の愛用の椅子だ。無残に破かれ中身を散らされ、転がされている。
 あの椅子に埋もれながら座る翡燕の姿が、サガラの脳裏に過ぎった。

 腹から怒りが湧き上がり、サガラは喉が潰れるほど怒鳴り散らす。

「ここは、戦司帝の屋敷だぞ!! 国の英雄の屋敷に何てことしやがる!!!」
「戦司帝など、もういないではないか! これからは皇子の時代……! 新しいユウラ国の誕生だ!!」
「……はぁ!? クソ野郎どもが何言ってやがる!」

 サガラが畳みかけようとすると、咆哮が轟いた。見上げると、空一面覆いつくすほどの、飛龍の群れが飛んでいる。

 それを見て、サガラに組み敷かれた兵士が声を上げた。

「見たか!! 新時代の幕開けだぁ! ユウラは変わるのだ!」
「……嘘だろ……」

 飛龍は亜獣の中でも飛びぬけて強く、一体でも打ち倒すのが困難になる。
 あの朱王でさえ一体を倒せるかどうか分からない。そんな飛龍が数十体もユウラの上空を飛んでいる。

 絶望にしか感じない光景に、サガラは目を見開いた。
 他の巡衛隊員も、交戦を一時止めて空を見上げる。その顔に浮かぶのはやはり絶望だ。

 反して緑の服を着た国軍は、歓声を上げて空を見上げている。彼らは恍惚とした表情に高揚を乗せ、空に拳を突き上げた。

「皇子万歳! 新ユウラ王に祝福を!!」

 そして上空から、皇子の声が響く。
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