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最終章

第53話 開幕

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 その日、宰相に呼び出された朱王は、手を後ろ手に組んでその姿を見つめた。

 神経質そうな細い目に、細いフレームの眼鏡。知的さをアピールするような身なりと身振りは、いつも朱王の気に障る。

 四天王は以前から、宰相を嫌っていた。

 戦司帝を独占しようとする皇子を、贔屓していたのが宰相だったのだ。まさに金魚の糞のように皇子にくっつき回り、あれやこれやと世話を焼く。
 反して戦司帝には冷たく当たり、彼の武功を貶したりもしていた。
 
 そんな宰相を、四天王が認めるわけがなかった。

 しかしながら宰相は四天王より位が上である。敬う気は一塵たりともなかったが、こうして呼び出されると従うしかない。

 そして呼び出された理由を、朱王もなんとなく予測していた。だからこそ一層、苛々とその姿を見つめている。


「朱王よ。お前の親戚が、戦司帝の屋敷に住んでいるらしいな? 聞けば片獣の施設を手伝っているらしいが、職を失ってどうしている?」

(……ほらやっぱりや)
 朱王はそう心中で毒づくが、無表情を装った。


 皇子が監禁し損ねた相手が戦司帝本人であることは、彼らの中では完全に黒なのだろう。 そしてそれが、朱王の親戚だという身分で屋敷にいる事も、大方調べがついているという事だ。

 屋敷に白王を寄越したのは、それが分かった前か後かは不明のままだ。しかし一度は翡燕を殺そうとした事は確かである。

 朱王に生存を確認しているこの会話が、誘導尋問なのかそれとも別の目的か。どちらにしても、朱王の答えは決まっていた。

「あの子は身体が弱くて使えんかったんですわ。もう故郷に帰らせたんですよ」

 朱王がへらりと笑って言うと、宰相が目を眇めた。白王と話を合わせた回答だったが、宰相は納得出来ないとばかりに眉を顰める。

「朱王、嘘は吐かんほうがいい」
「……嘘と分かっとるなら、聞く必要もないのでは?」

 宰相は忌々し気に舌打ちすると、口端を吊り上げる。
 
 普段は皇王の側で顔色一つ変えず控えている彼だが、今日は違った。あからさまな侮蔑の表情を、朱王に向けている。

「まったく、誰も彼も翡燕翡燕と……虫唾が走るわ。皇子も彼の面影を見る度に、精神がまいってしまう。こちらが必死に影を消しても、消しても……何故だか涌いて出る。これでは大事な皇子の精神が定まらん。……しかし、今回はだ……」

 言葉を発しながら宰相が眼鏡を外し、手巾で拭い始めた。

 それはまるで急いているような手つきだった。顔は高揚して、額には汗も滲んでいる。
 そしてまるでワクワクしているかのように、宰相は笑みを溢れさせた。

「今回は、それを引き取ろう。この際、本物でなくてもいいのだ。皇子がその気になっているのだから」
「……その気?」
「……朱王よ……今のユウラが良い国だと思うか? もう現皇王が在位して長い。そろそろと思っておったのだ」

 宰相の言葉に、朱王は言葉を詰まらせた。この男は宰相でありながら、国の王座を挿げ替えようとしているのか。しかもそれを、四天王である朱王の前で暴露しているのだ。
 

「……お前らが隠しているそれを渡してもらおう。『翡燕が戻るなら、王様として頑張る』と皇子は約束して下さったのだ。一刻も早く、それを渡せ」

「……はぁ!? 王様として……頑張る……!? ふざけるな! お前たちのやっていることは、おままごとにしか思えん!」

「……おままごと……? 笑わせる。もう何万年も、下準備してきたんだ。今はまさに転機と言えよう」

 拭った眼鏡を掛け直しながら、うっそりと宰相は微笑んだ。やっとご褒美を貰える子供のように、クスクスと掠れた笑い声が漏れる。

「もう、戦司帝の屋敷に遣いを出している。朱王という抑止力が無ければ、容易く手に入れられよう」
「……! あいつを権力争いに巻き込むつもりか!!」


 翡燕の命は、息を吹きかければ消えそうなほど弱っている。そんな翡燕に、権力争いなど耐えられるはずもない。
 しかし叫んだ朱王を見て、宰相は笑みをすっと消し去った。

「巻き込む? 何を言っている。もうずっと前から、戦司帝は巻き込まれている。彼には感謝しているよ。弐王を追い出すことが出来たのも、彼のお陰だからな」

「……は……?」

「朱王よ。いま、何を想像した? 戦司帝が弐王に酷く犯された事か? それも正解だ。あの件で王座は強固なものとなった。……後は何を思い浮かべる? 強さも人望も兼ね備えていた戦司帝が、皇王派に目を付けられていなかったとでも思うのか?」

 思考が止まり、朱王の背筋がぐっと強張った。
 記憶の中にいる戦司帝の姿が、どんどんと霞んでいく。いつも朗らかだった笑顔には、一つも曇りもなかったはずだ。

「それに比べ、お前たち四天王は腑抜けで良かったよ。もうこの国に、皇子の邪魔をする者はおらん」
「……謀反を起こすつもりか?」

「……あくまで皇王に王座を譲って頂くだけ。皇王自ら王座を手放すことが、一番大事なのだ。手荒な真似は、こちらとてしたくはない」
「貴様……!」

 朱王が声を荒げると、宰相の周りを衛兵が守るように囲う。

 皇宮を守る衛兵が、何故反逆者である宰相を庇うのか。朱王が目を見開いていると、宰相が身体を揺らしながら笑い始めた。

「っはは!! 朱王よ! こんな所で時間を無駄にしていて良いのか? 事はもう始まっているのだぞ!?」
「……!?」

 その瞬間、皇宮がびりびりと振動し始める。窓の外から聞こえてくるのは、紛れもなく飛龍の咆哮だった。
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