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青、白

第52話 正されないまま歪んだこころ

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 前獣王であるグリッドと戦司帝は、酒飲み仲間だった。
 グリッドは酒好きであり、戦闘狂だ。しかしそれが面白いと、戦司帝は酒も手合わせの誘いも断ったことが無い。

 グリッドは戦司帝に手合わせで勝てたことが無いが、酒の勝負は稀に勝つことがあった。
 それは大抵、戦司帝から酒を誘われた時だ。

 戦司帝がグリッドを酒に誘う時というのは、彼が肚の内を吐き出したい時だった。この時ばかりは酒に呑まれ、普段の戦司帝とはかけ離れた姿を晒す。
 この時の彼が堪らなく可愛いのは、言うまでもない。


 そして今、青年のようになった戦司帝は、グリッドの前で盛大に酔っぱらっている。
 グリッドが用意した大きな座布団に凭れ掛かり、翡燕は首まで真っ赤にしていた。


(この姿になっても、それは変わらずか。あまりに無防備ではないか? 戦司帝)

 目のやり場に困る、という考えはグリッドには無い。グリッドは遠慮なしにそういう目で見るのだが、翡燕がそれに気付くことは無かった。

 肌蹴た胸元は信じられないほど白く、酒のせいか薄桃色が差している。遠慮なくその胸元を眺め、グリッドは酒に口を付けた。

「で、子供のように思っていた四天王に好意を向けられ、お前は困っているのか?」
「四天王の一人にな。他は違う」
「……いや、多分他もお前を好いているぞ。自覚が無いのは相変わらずか?」

 翡燕が座布団を握り締め、グリッドに向けて眉を寄せる。抗議のつもりだろうが、グリッドにとってはご褒美の様な表情だ。
 思わず頬を緩ませると、翡燕が尖った口から溜息を吐き出した。

「その好いている、というのは……親や家族に向けた愛とは違うのか? ……それか、僕がこの姿になったから、庇護欲を勘違いしているだけではないか?」

「……ユウラの四天王が戦司帝に向けるクソ程でかい感情は、お前が在位していた時からだぞ? そろそろ認めてやらんと流石に気の毒だ。お前と2人で飲み合う事も、毎回妨害されていただろうが」

「妨害? そんなことあったか?」

「お前なぁ……四天王を毎回のように煙に巻いて、忍んで来ていただろうが」

 「ああ、そんな事もあったな」と翡燕は笑い、また黙り込んだ。悩まし気な瞳は潤んでいて、もうだいぶ酔いが回っているのが分かる。
 グリッドは盃を持ったまま距離を詰め、翡燕の顔を覗き込んだ。


「なぁ、戦司帝の亡霊よ。お前の鈍感さは重々承知しているが……自分に向けられる感情から、目を背けているように感じる時もあるんだが……違うか?」
「………グリッド、僕は……ユウラの弐王に強姦されたことがあるんだ」
「なに……?」

 衝撃の告白であるはずなのに、翡燕はまるで他人事のような態度だ。陽気に眉を吊り上げて見せ、グリッドに向けて微笑む。

「でも問題なのは犯された事じゃない。そもそも僕が犯されたのは、元を辿れば僕のせいだしな。僕は多分、愛されてはいけない存在なんだ」

「………どういう事だ」

「僕は、弐王の恩師に拾われた子だ。そして最終的に、弐王が皇宮に連れ帰った。皇宮に来た僕の事を、弐王の兄である皇王は気に入り……2人ともまさに実の子供のように溺愛してくれたんだ。……グリッド、獣人の国は良いな。世襲制じゃなく、力で上下を決める。ユウラは、まさに水面下でドロドロとした争いが絶えなかったんだ」

「まさかお前は、権力争いに巻き込まれたのか?」

 グリッドの言葉に、翡燕は首を横に振った。浮かべるその笑みは、罪悪感に満ちている。その瞬間、グリッドの胸に違和感が湧いた。

 翡燕は一体何に対して罪を感じているのか。話の筋から予想はできるが、その考えだとしたら今すぐ正すべきだ。
 グリッドが信じられない思いで眉を顰めている中、翡燕は言葉を続けた。

「当時、皇王は王座についたばかりだったが、人望と民衆の支持は弐王が勝っていた。誰もが弐王に王座を薦めたが、彼は王座に興味がなかったんだ。しかし皇王派と弐王派は、王座が定まった後も睨み合っていたんだ……。そんな渦中に、僕が皇宮に来た」

「………」

 グリッドは無言で翡燕の髪を撫でた。翡燕は抵抗を示さず、眉を下げて言葉を続ける。

「王座が定まった後も、弐王に王座薦める声は大きかった。王座を奪われる事に恐れを抱いていた皇王派は、弐王の酒に薬を盛ったんだ。……話の流れから分かると思うが、催淫剤だよ。皇王派は分かっていたんだ。弐王が酒が好きな事も、毎晩のように飲んでいた事も。……毎晩、僕がつまみを、弐王に……」

「おい、無理するな」

 グリッドは僅かに震え出した翡燕の頭を、思わず抱き寄せた。
 身体の小ささに余りあるものを、翡燕は抱え込んでいる。グリッドが喉を鳴らしていると、腕の中の翡燕が、緩く頭を振った。

「無理……? 勘違いしないでくれ、グリッド。僕は被害者ではない。あの一件で皇王の怒りを買い、弐王は辺境の地に飛ばされた。弐王の人望も地に落ちた。……僕がいなければ、皇王と弐王の仲も良好だった。僕がいなければ……皇宮での色んな悲劇が、起こらなくて済んだんだ」

「馬鹿を言うな。話を聞く限り、お前には一片の罪もない。どうしてそんな考えになる?」

 そう言うグリッドを翡燕は身を捩って見上げた。酔いで虚ろな眼には、戸惑いが浮かんでいる。

「どうしてって、僕はユウラにとって……毒だったんだ。一滴の毒が、ユウラを壊した。その償いに、僕はユウラを支え続けた。そしてまた……ユウラは壊れそうになってる」

「ユウラが今のような有様なのは、お前がいなくなったからだ! まさかお前は、何万年もそんな考えでいたのか!?」

「……グリッド……ユウラの皇家は、驚くほど穏やかで優しい人ばかりなんだ。そんな人に付け入ろうとする者は山ほどいる。そんなユウラに毒を投じてしまった僕の罪は、一生消えない。強くなって、彼らを護ろうと毎日必死だった。しかし結末がこれじゃ、いつまでたっても僕の罪は……」

「お前は馬鹿か!!!」

 腹の底から湧きあがる怒りに任せて、グリッドは翡燕を掻き抱いた。折れてしまいそうな細い肩を掴むと、また怒りが湧き出してくる。

「この馬鹿みたいな考え方を、正す者はユウラにいなかったのか!? あれだけお前を好いている者たちがいるのに、お前は全て抱え込んでいたのか?」

「……っはは、だからグリッドには良く愚痴を零したろう?」

「背後にこんな事情があると知ってたら、直ぐにでもユウラ王へ直談判したわ!! 今になって知るなんて……お前がこんな姿になってから知るなんて……」



 グリッドの脳裏に過ぎるのは、獣人国で戦司帝の訃報を聞いた時の記憶だ。心臓を抉り取られるような痛みをグリッドはまだ鮮明に覚えている。そして今、それと同じほどの痛みを、グリッドは感じていた。

「……これで確信した。お前がいなくなったユウラが、驚くほど後退していった、本当の意味が」
「……?」
「今はもう眠れ、翡燕。何の憂慮もなく、ゆっくり眠るんだ。明日も明後日も、愚痴には付き合ってやるから」

 グリッドの言葉に首を傾げながらも、翡燕の身体が脱力していく。やはり眠気を感じていたのか、重い目蓋に眉を顰めながら呟いた。

「……いいのか? 多分その内、獅子丸か……悪くすれば四天王が……」
「気にするな。誰も入れん」
「……っはは、来たら起こしてくれよ?」


(絶対入れん。あんな話を聞いて、何もしないままユウラ側に返せるものか)

 静かに寝息を立て始めた翡燕を見つめて、グリッドは呟いた。再会してから、ずっと考えていたことだ。

「もうお前は戦司帝ではないのだろう? だったら辛い思いをする必要はない。ユウラにいる必要も……無いはずだ」

 グリッドは翡燕の膝下に腕を差し入れ、その身体を持ち上げる。その軽さに、奥歯を噛みしめた。
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