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青、白

第50話 謀られる者が、謀ってはいけない

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 寝ぼけ眼の翡燕の髪を梳かしていたソヨが、その動作をピタリと止める。
 翡燕の耳朶の下の痣が、また濃くなっている。

(また更新されてる……これ、色素沈着とかしないよな?)

 数日前、青王の蛮行によって付けられた痕に、案の定他の四天王は逆上した。
 以来、日替わりでお清めのように同じところを「吸われている」らしく、翡燕の痣はいつまでも消えない。

 耳朶の下、しかも少し耳裏に近いところにつけているあたり、翡燕にばれない事への配慮には抜け目がない。
 四天王の有能さをここで発揮してくれるなと、ソヨは溜息をついた。

「翡燕様、ちょっと虫に噛まれておりますので、冷やしますね」
「……虫? 寒くなってきたのに元気なものだな。放っておいていいよ」
「いいえ、痕が残るといけませんから……」

 ソヨはそう言いながら、水桶を取りに立ち上がった。すると開け放った扉の先に、弐王が立っているのが見える。
 中庭に立ったままこちらを窺っているが、翡燕の耳元を見ている視線が鋭い。

 弐王に気付いた翡燕が、首を傾げている。

「弐王様、気付きませんでした。お迎えできず失礼を……どうしたのですか?」
「いや……入っても?」

 翡燕が「どうぞ」と言うなり、弐王はぐっと近付いて痣を確認した。あまりの近さに翡燕が仰け反っていると、弐王が短く嘆息する。

「翡燕、この虫刺されはいかん。ソヨ、この薬を揉み込むように塗ってやれ。……虫の方は、私で対処しておく」
「はい、是非ともお願いします」
「……虫を? っはは、そっちまで詳しくなったんですか、あなたは」

 ソヨに薬を塗りこまれながら、翡燕は楽し気に笑っている。
 弐王は翡燕の隣に座り、脈を診るためにその手首を取った。もう慣れたもので、翡燕が怯えることは無い。

「目の調子はどうだ?」
「もう平気ですよ。もう完全に治っているような気がします」
「……まだ眩しいのは無理だろう。この後遺症は長い付き合いになるかもしれん」
「……平気だって言っているでしょう……」

 翡燕が僅かに頬を膨らませ、そっぽを向く。それを見て弐王は頬を綻ばせた。

 まるで駄々っ子のような態度は、翡燕が弐王にだけに向ける反応だった。
 弐王にとってはそれが堪らなく愛おしいようで、翡燕を故意に怒らせるような事を言ってしまう節がある。


 くく、と喉を鳴らしながら弐王が懐から袋を取り出し、ソヨに手渡した。もう見慣れた薬の袋だと気付いた翡燕は、眉を顰める。

「まだ飲まなきゃ駄目ですか? もう必要無い気がする」
「……確かに解毒薬からは卒業だが、お前にはまだ投薬が必要だ。弱い身体で毒なぞ受けるから更に弱った。色々補わないとならない」
「……また苦いのですか?」

 ソヨの手元を見ながら翡燕が呟き、弐王が吹き出した。弐王も翡燕が甘党なのは知っていたが、薬が甘いかを気にするのは子供ぐらいのものだ。

「心配するな。今度は甘くしてある。甘味を入れて薄めたから、朝昼晩と服用しなさい」
「……はい……」

 気のない返事をしながら、翡燕は緩む顔を抑えられないようだ。しかし直ぐに眉を下げ、後頭部を掻きはじめる。
 何か気がかりなことがあるのかと、弐王は声を掛ける。

「どうした?」
「いや……実は最近……過剰に眠ってしまう事が多くて……。いや、薬に眠くなる作用が含まれる事が良くあるのは分かっているんです。ただ、まともに思案できる時間が減っていて、困っています」
「……」

 一瞬だけ固まった弐王だったが、一度息を吸い込んで微笑んだ。そして翡燕の手を優しく包み込み、怒涛の如く一気に捲し立てる。

「お前の身体が、睡眠を欲しがっているんだ。今は与えてやらねば、お前の思案も事を成せないぞ。健康体であれば、それほど睡眠を欲するわけがないだろう。いいか、大事なことだから2回言う。薬の効果ではなく、お前の身体が睡眠を欲しているのだ」
「……」
「もう一度言うか?」
「いや、良いです……」

 翡燕はやけに必死な弐王に首を傾げながら、もう日が真上に昇った中庭を見た。

 朝餉を食べると眠気が襲い、いつも意識を失うように寝てしまう。どう考えても異常だと、翡燕も分かっていた。

(……怪しい……)

 翡燕はそう思いながら、視線をあちこちに動かす弐王を見た。

 昔から弐王は、皇族になくてはならない知謀や知略に欠けている所がある。いつだって彼は、『謀られる側』だったのだ。


「……弐王様、都にはいつまで滞在されるのです? 西には帰らないのですか?」
「……都は俺の故郷だぞ。居ても責められはせん」

「……そう言えば、皇子は皇宮に帰りましたか?」
「いいや、身体の調子が悪いと、まだ南宗門にいる」
 
 「ふぅん」と翡燕は頷きを返しながら、ソヨが手渡してくれた薬を飲む。今回は確かに甘みが強い。苦みのほかに、何かを隠すかのような甘さだ。
 
 翡燕はそれを一気に飲み干しながら、弐王を見た。その顔が安堵に緩むのを、翡燕はしっかり確認する。そして口を開いた。

「そういえば、弐王様は皇子を診ないのですか?」
「……皇子か……あの子は生まれつき身体が弱い。誰が診ても、診断は一緒だ」

「それだと、僕の場合も一緒では?」
「お前の場合は違う」


(……まったく……何が違うというのか……)

 そういう特別扱いが、時に人を殺すという事を弐王は未だに理解していない。この鈍感さについては、とっくの昔に翡燕も諦めてはいた。


________

 夜、吐き出した薬を吸った布を見ながら、翡燕は深く溜息をついた。薬を煎じてくれ、しかも明日にはこの布を洗わないといけないソヨに、申し訳なさが募る。

 とはいえ、夜に服用する分の薬を、翡燕は飲まないことに成功した。

 寝台に潜り込み、翡燕はいつものように目を瞑る。薬を服用しなくても眠気は襲ってくるもので、すぐにウトウトと眠りの淵に腰掛けた。
 

 しかし直ぐに、翡燕の意識は浮上する。夜も更けているのに、中庭に誰かが降り立った気配がする。そしてこの登場の仕方といえば、一人しかいない。

 そして寝室の外から、何やら慌てたような声が聞こえる。

「黒王様、門から入って下さいよ。二時間きっちり計れないじゃないですか」
「……」

 聞こえてきたのは獅子王とサガラの責める声だ。


(二時間……? どういう事だ?)
 そう思いながら、翡燕の心がぎゅっと縮んだ。
 事情を知っているような獅子王とサガラに、つい溜息が漏れてしまう。

 寝室が開かれて、誰かが入ってきた。その人物が息を詰める音を、翡燕は呆れた思いで聞く。

 黒王には狸寝入りなど通用しないと、翡燕は分かっていた。そして翡燕が怒っている事も、彼はきっと色で解っている。

 隠すことなくむくりと翡燕が身を起こすと、黒王が珍しく上擦った声を上げた。


「……ひ、翡燕……」
「黒兎、ちょっとここに座りなさい」

 翡燕が寝台の端を叩くと、黒王は頭を垂れながらそこへ座った。
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