天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第三章 黒羽の朧宮主

第58話 後宮の役割

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***


 酒杯を呷り、蓮花妃がくしゃりと眉根を寄せる。その様相たるや男性そのものだが、この黒羽の後宮では誰も咎めないらしい。
 訓練場の脇に設けられた酒盛り場で、蓮花妃は葉雪へ何度目か分からないくだをまく。

「ねぇ、聞いてんの!? 次はぜぇえったい負けないんだから!」
「はいはい。ってか、まだ食うの?」
「まだ足りないわよ! どんだけ身体動かしたと思うの? 昼も食べてないってのに!」
「それは私のせいじゃないぞ」

 空になった皿を下げながら、葉雪は呆れ顔を浮かべる。
 葉雪が用意した昼餉は、蓮花妃らとの手合わせで遅れ、結局夕餉になってしまった。
 極限まで腹を空かせた妃らは、自分の宮に帰るのも面倒になったらしい。訓練場で宴を開こうという運びとなっている。

 その場にいた宦官らも巻き込まれ、さながら戦の後の酒盛りのようだ。
 
「千樺たちは? 飯足りたか?」
「いえいえ、お構いなく」

 宦官らの方を振り返れば、彼らはにこにこと満面の笑みを呈してくる。至極ご機嫌な様子であるのは、男勝りな妃らの相手をしなくて済んだかららしい。

「いやぁ。助かりましたよ。いつもはこちらがくたくたになって、やっと手合わせを終えてくれるんですから」
「しかも全部の妃と手合わせできるなんて……! いやぁ、千樺さまは良い人を連れてきてくれました!!」
「そうでしょう! 白さんは料理も美味しいし、期待の新人です!」

 得意そうにする千樺に、宦官らはぱちぱちと手を叩きながら歓声を上げる。

「そんな大した事してないけどな。……そういえば……手合わせなら主上にしてもらえば良いんじゃないのか? 後宮に来るんだろう?」
「何言ってんのよ白は! 主上が後宮に来ることなんて滅多にないわ!」

 蓮花妃が言い、周りの妃らも同意するように頷く。

「黒羽の後宮は、存在しているだけで機能してない。これは数百前から言われていることよ。主上はずっと試練で、不在続きだったから」
「しかしもう、試練は終わったろう?」
「そうなの。でもそこが色々と問題なのよ」

 聞けばこの後宮は、他国とは違い『出ることの叶う』後宮であるらしい。通常ならば後宮に入れば、出ることは叶わない。王のお手付きになれば勿論、そうでなくても生涯を後宮で過ごすのがほとんどだ。
 しかしここは、宮女が望めば出て行くことが出来るのだという。

 後宮にいても、主が来なければ意味がない。瀾鐘自身もいつ試練が明けるか分からないため、宮女には自由に過ごすように指示していたようだ。
 だからこそ、黒羽の後宮は他国よりも穏やかな環境であったらしい。女同士の諍いは熾烈であるが、黒羽の場合はそれも小規模で済んでいた。
 しかしそれも、瀾鐘の試練が明けるまでの話だ。

「主上の試練が明ける数年前から、この後宮は変わり始めたわ。本来の機能へと戻るとなると、争いも起こりはじめる」
「……えっと、あなた方が?」
「なによ。私らだって女なんだから」

 からからと笑いながら、妃らは次々と酒杯を煽る。その姿は見事なほどの男っぷりで、彼女らが陰湿な女の争いを繰り広げるなどとは到底思えない。

「主上が『強い女』を後宮入りの条件にし始めたのは、数年前の事なの。もしかして、こうなることを危惧してたのかもね。男っぽい気質の女であれば、争いごとも置きにくいと思ったのかしら」
「でもねぇ……私らも女で、しかも主上があんなに男前と来れば……やっぱ争いは起こるものなのよ。男勝りの女だって、極上の男の前では狂うでしょ」
「そうそう。しかも試練が明けた主上は後宮に近寄らず、さらに朧さままで現れれば……そりゃあ嫉妬するわよ」
「そうよ、毒も盛りたいわよ。そりゃ」

 彼女らは軽く言ってのけ、更に毒を盛った犯人のことも教えてくれた。犯人は侍女で、古株の宮女に仕えていたそうだ。
 寵妃として選ばれる最後の機会を奪われた主を、どうにかして救ってあげたいと思ったのだろう。

 やはり朧の出現は、後宮に大きな影響を及ぼしているようだ。
 葉雪は空になった皿を盆に移しながら、今だに続く彼女らの恨み言を遮った。

「その朧さまだが、どうも本人ではないらしいぞ。朧宮にいるのは、主上の古い友人で、しかも男だ」
「は? 男?」
「この目で見たから……確かだ」
「白……。悪いけどその話には信憑性が無いわ。黒冥府に入ることを許されているのは、極一部の官僚のみ。奥にある朧宮になると、更に難しい。嘘を吐かないで」

 蓮花妃が声を低くし、場が一瞬でひやりと冷える。
 しかしここで引き下がるわけにはいかない。後宮に入れる機会など、もうこの先無いだろう。誤解を解くなら今しかない。

「信じられないだろうが……嘘ではない」
「……まぁ、その話が本当だとすれば、確かに救いのある話ね。男だから後宮に入れられないのかもしれないし」
「そうね。しかも男であるとすれば、正室はおろか側室にもなれないでしょう。胡夫人がお許しにならないわ」
「お世継ぎが望まれないとなれば、そうなるでしょうね」
「そ、そうじゃなくて……ただの友人なんだって」

 『黒冥府にいるのは、ただの友人』という葉雪の情報を、彼女らはどうしてか信じてくれない。男であっても『鵠玄楚の大事な人』と確信しているようだ。

 葉雪は困惑しつつも、彼女らが言う『世継ぎ』という言葉には、はっとさせられた。
 今までの黒羽にとっては、鵠玄楚が試練を終える事が最重要事項だった。しかし今は、妃らが言うように世継ぎを作るというのが急務だろう。
 瀾鐘は今、朧宮に通っている暇などないはずなのだ。

(……考えてみれば、瀾鐘のやつ、本当に何してんだ? 毎日黒冥府に来ている暇なんてないだろうに……)

 ますます焦り始めた葉雪は、盆を置いて妃らへと向き直った。
 
「信じてくれ。朧宮にいるのは、本当にただの友人なんだ。だからあなた方は安心して……」
「何をしている!」

 声の方を振り向くと、そこには慌てふためく宦官らと、五狼を抱える瀾鐘がいた。
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